77 多眼のサイコパス
なんかドッと疲れた。
お陰で口を開くのも億劫だが、そこは踏ん張りどころ。
「シャル。ちょっとこっち来て」
「ん?なんなのじゃ」
「うりゃ。突然だけどごめんよ。むぎゅ~ってね、したくてさ」
トコトコと近付いてきたシャルをボクは抱く。
突然の事に彼女は驚き、胸に顔を押し付けられたままで腕をじたばたと振るう。
「んぷっ、なんなのじゃ突然」
「癒し成分が欲しくなったんだ」
「はあ……さいで。それで元気は出たのかや?それなら良いのじゃが」
「ああ、元気百倍さ」
奇しくもそれは、エミリー先生がボクによくやる動作にとても似ていた。
彼女も裏側では苦労しているんだろうなあ。
想いつつボクは両手の指を絡めて腕を伸ばす。
腕を思い切り引っ張って背筋を伸ばし、背骨を正した。
こんなところでボクの調子は戻ったと思われる。
エミリー先生の方を見やった。
「それでエミリー先生。結局、アセナとはどういった関係で?」
「ああ。彼女は親の仇なんだ」
「なるほど……って、え?」
エミリー先生の事だし、軽い事かなと聞き流しそうにそうになったが、とんでもない爆弾を落とされた気がするので硬直する。
確認の為、隣のシャルを見るが、彼女も恐怖映画でとてつもない何かに会ってしまったヒロインのように物凄い表情をしていた。
つまりとんでもない爆弾を落とされたという事で間違いないという事なのだ。
ボクは五歳の頃に彼女の父親と面識があるからかなり動揺した。
顔だって少なくともケルマよりはハッキリ覚えている。
童心の補正があるのかも知れない。
それでも記憶の中の彼は、少なくともボクに対して悪意の見えない、どこにでも居そうな朗らかなおじさんだった。
だからなのか何を言って良いのか分からず、思いついた一言しか吐けない。
我ながら情けないものだ。
「……マジですか」
「ああ、マジ。正確には彼女の部下のルパ族の人達だけどね。
君と別れた後、行商人の父は私と一緒に馬車で王都に向かっていたんだけどね、そこで『山賊』をやらされていた彼らに襲われ父は死亡。
私は拉致されて無理矢理子宮を摘出され子供を産めない身体にされたんだ」
彼女は再び空っぽの下腹を抑えていた。
ボクと別れた直後という事は、十四の時か。
かなり悔しい想いで下腹の辺りが一杯になり、喉元から溢れ出しそうな黒いモノを噛み千切る。
それは実像こそないが、ボクの内面をズタズタにするに十分な物だった。
結局、過去にエミリー先生が酷い目にあったという実像は存在するのだから。
それなのに目の前のエミリー先生は何時もと変わらず微笑みを浮かべて此方を見ていた。
「……よく笑っていられますね。憎くないんですか」
「ん~。完全に憎くないと言えば嘘になるんだけどね、ルパ族への憎しみを育む以上に、アセナと一緒に居た期間が結構あったからねえ」
「どういう事です?」
彼女は、長く伸ばした黒い髪を掻き揚げてみせ、右眼を露わにする。
そこには何時も通り義眼が嵌まっていて、中心のレンズを嵌め込んだ部分がキョロキョロ十字に動いて、最後に中心へ戻ると赤く光る。
「子宮を摘出された私は違法な風俗に売られてねぇ。
そこのオーナーは知っての通りケルマ君のお兄さんって言えば良いのかな?
取り敢えずパノプテス家当主の、アイツの性癖を知っていれば、なんとな~く分かるんじゃないかな」
無理に軽い表現をしているが、当時を思い出したのか彼女は重い表情になっていた。
実際に見ていないシャルですら、吐きそうな顔をしている。
「私は、この眼と引き換えに、パノプテス家で『保護』されていたアセナの専属メイドになったんだ」
◆
七年前。
子宮を摘出されたばかりの幼いエミリーは、絨毯や家具だけ無理に高級な、やたらチグハグな建物に連れていかれていた。
元が炭鉱の街だけに豪華さは求められていない構造だからだ。
そんな終わった街で夜な夜な繰り返されるのは『してはいけない事』。
だから此処の風俗嬢の寿命はとても短い。
一年経って五体満足で過ごせたら奇跡であるし、人としてどうしようもない状態になっても、マフィアから渡される麻薬で無理やり使われる。
そんな環境の中、エミリーは明日も仕事だと焦点の会っていない女性達に囲まれていた。
(ヤバい。速く脱出する方法を考えなきゃ。そうしないと私も周りみたく……)
左手の薬指。
彼女はついこないだアダマスに貰った玩具の指輪を撫でながら、考えを巡らせていた。
様々なパターンが交差する中、自分に声がかけられる。
「おい」
「……へ?」
「『へ?』じゃねーよ。ボーっとしてんなあ」
目の前には見慣れない男。
エミリーは集中し過ぎて気付かなかったのである。
見るにだらしなく服を着崩している。チンピラという表現が一番近い。
しかし着ている物は行商人生活で鍛えられた選別眼から、それなりの価値のものだと感じた。
その事実が余計にマトモな手段で金銭を得ている人間には見えない事を強調する。
エミリーは知らないが、その整った顔立ちだけ抜き取れば現在ラッキーダスト侯爵へ修行に行っているケルマと瓜二つの顔だった。
雰囲気のせいで三枚目感が抜けない男は軽く手を上げて馴れ馴れしく挨拶する。
「よっ。俺、アルゴス・フォン・パノプテス。
この風俗街のオーナーだ。今日はお前に実際会ってみたくてなあ」
そこでエミリーは少し考え、直ぐに笑顔を張り付けた。
此処を脱出するには、オーナーがどんな人間であろうと好印象を持たれるに越したことはない。
「お手数おかけして申し訳ありませんでした」
「へえ、切り替え速いな。肝が座ってるのは良い事だ。うんうん」
腕を組んで大袈裟に頷いた。
「はあ、有難う御座います。それで、私如きに何か要件でも?」
「アッハッハ、つまり『本題を早くよこせ』ってトコだな。まあ、それもそうだ。
……お前さ、此処から脱出しようと考えているだろ?」
アルゴスは歯をむき出しにして三日月形の笑みを作った。
エミリーの額を人差し指で小突き、先程とは打って変わってギョロリとした猛禽の様な眼で見る。
「いえ……私は……」
「あー、良いんだ。
お前がやたらスタッフの予定や建物の構造を調べていたり、客から情報を抜き出そうとしているのは調べが付いている。
そして責めようって事じゃない。前例なんていっぱいあるしな。
熱心過ぎて、なんなら条件次第で本当に脱出させてやろうと考えてるくらいだ。
ひゅ~、俺って優し~」
一人で白熱するアルゴスに対して、エミリーの頭の中ではあ危険信号が鳴り続けていた。商人じゃなくても、この男の言う『条件』とはロクなものでないと。
現にアルゴスの心は、歪んだ情欲がはちきれそうな状態になっている。
「なにを……お求めで……」
アルゴスは興奮した様子でエミリーに詰め寄る。
何かに取り憑かれているかのように。
とはいえ、実際に彼は物理的に取り憑かれている訳ではない。ただ、自分の欲望を制御し切れていないだけだ。
「その眼。俺にくれよ。
なあ、どんな薬物も使っていない生の状態で俺に抉り取らせてくれよ。
俺はお前のような『諦めない』って態度をした女からその眼を抉り取るのが大好きなんだ。
あの、同じような眼をしたルパ族のお姫様を見る度、抉ってやりてぇなあと思ってよお!あの犬共との約束で傷つけられなくてなぁ!
あーっうっぜぇよなぁ!」
部屋には、アルゴスのとても大きな感情が飛び散っていた。
こうした流れを得て、エミリーは監禁生活を送るアセナのメイドになる。
因みにエミリーが選ばれた理由は、アセナの身の回りの世話を出来る程度に壊れていない女が彼女程度だっただけだ。
なので本当は右眼を潰す必要もないし、世話の支障にもなるのだが、そこはアルゴスの趣味でどうしようもならない。
◆
ボクは、聞いたこっちまで痛くなる話に、思わず右眼を押さえて下を向いていた。
故に、今のエミリー先生がどんな顔をしているかは分からなかった。
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