交錯する疑念
「あいしてる~、この海よりふーかくぅー」
オレを含めたこの場にいる人間は、極めて音程の外れた歌声に眉をしかめ、顔を歪め、耳を塞ぐことで対処しているのだが、歌っている本人は笑いながらこの地獄を創出していた。
「ちょっと……アンタ、アイツを止めなさいよ」
あまりにもひどい歌声に頭痛でも感じているのか、体調が悪そうな面持ちで加藤由利が、隣のソファに腰掛けていたオレに訴えかけてきた。
普段の優等生という猫を被っていられない程にひどい歌声だというのは、オレも同意しよう。
「俺が言って止まるのなら、さっきの槇原君の制止で止まっているだろうよ」
槇原康太は悟りを開いたかのような仏じみた面持ちで瞼を閉じ、両の人差し指をそれぞれの耳に突っ込んでおり、マスケラは『この拷問が終わったら呼んで、はっちゃん』と言い残して部屋の外で待機している。
洒落た木目調の壁に、落ち着いた黒の革製のソファ、高級そうなガラステーブルと、カラオケボックスと言うにはプレミア感が漂う内装なのは、ここが津田家で営業しているカラオケボックスの中で、上客用のスイートルームだからだ。
完全防音はもちろん、盗聴・盗撮、ACTによる情報封鎖も万全な、情報交換にはうってつけの施設なのだが……
「大丈夫大丈夫苦しいと思うから苦しくなるんだこれは天井の美声だと思えば良いその証拠にほら瞼の裏に新しい世界が」
反響してくる津田香の超音波兵器、いや歌声に向かいの槇原康太は、耳に人差し指を突っ込んだままの状態で瞼の裏に幻覚でも映し出したと思しきセリフを紡いだ。
「アンタ、槇原君を見殺しにする気?」
「なら、お前が言えばいいだろう」
「以前言った時は完全に無視されたから、今回はもう、行動に移したのよ。ACT使って音波を『分解』出来ないか試したけど……ここ、想像以上に防備が固いわ」
加藤由利はしかめっ面で皮手袋をつけた右手の中指と親指を合わせ、連続して指を鳴らすものの、超音波兵器は鳴りやまない。
……仕方がない。
「俺が生贄になるから、槇原君を介抱してやってくれ」
「多分、介抱で意味はあっているんだろうけど、気分的には解放でも正解でしょうね」
ノリノリで歌い続ける津田香を横目に、加藤由利がため息をつきながら、目を閉じているにもかかわらず幻覚らしきモノを見ている槇原康太の肩を揺する。
津田香が揺すっているとでも思ったか、槇原康太はそれでも頑なに目を閉じていたので、再度ため息をついた加藤由利はその手を取って強引に部屋の外へ連れ出す。
その際に、加藤由利がこちらへ視線を投げかけてきたので、微かに頷いてアイコンタクトを返す。
「アタシ、ちょっと槇原君を連れて外の空気吸ってくるわ。一人じゃ介抱するのが難しいから、アンタも来なさいよマスケラ」
「あ~たしはー、たいよ~と、うなばらに~♪」
カラオケルームの扉を開けただけで響く酸鼻歌に、壁に寄りかかっていたマスケラが、立ち眩みでもしたかのように足元をふらつかせた。
「まぁ、無理にとは言わないけど。残って地獄を見るか、一緒に介抱するか。アンタの人生だから、判断は任せるわマスケラ」
「悪いけど、啓一君ゴメン、あとよろしく」
「おい、酒井さんちょっと待て! 君まで行くのか!」
加藤由利が槇原康太を連れ、さらにはその後をマスケラが追ったのを阻止しようと席を立ちかけたオレに、
「えいえんのあ~い~をー♪」
マイクを握って離さない津田香が、左腕でオレの右腕を絡めとる。
恐らくは狙ってだろうが、その豊満な胸がオレの右腕に接触しているのは、オレを少しでも慌てさせるためだろうな。
恐らく、目的は互いに一緒。
カラオケルームのガラス製の扉が閉じられ、十数秒が経ち、
「もういいだろ。気を遣うべき相手もいなければ、内心を読まれることを警戒すべき者もいないし、確実に俺の味方をする者もいない。
望んだ状況が整ったぞ、津田さん」
オレの発言にピタリと歌声が止む。
物理的な冷気すら感じられるような眼差しで、こちらを見上げてきた。
お待たせしています。
今回更新の分は、カラオケルーム内における津田香とのやり取りのみになるので、今回分を含めて6話、16日までの更新になります。
チマチマとした量の更新になるかと思いますが、楽しんでいただければ幸いです。
……もっとも、ここまで読んで頂けたらわかると思いますが、『フェイカー』という作品の場合、大半の登場人物のストレスは半端では無いかと思いますが(汗)




