接触
『秦啓一』の住処である東京国立第2ACT高等部の男子寮、4階の412号室には、勉強用に用いる机と簡素な冷暖房器具、チェストにまとめて入れられている衣類くらいしか目につかない。
その机の上に、オレはまっさらなノートを広げ、筆記用具も持たずに目をつぶり、机の上で眠ったフリをしている。
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秦啓一自身、盗聴されているのは把握していたし、それを逆手に取るような行動も何度か起こしている。
が、今回は目的の人物を釣り出すためにも、盗聴を許してはならない。
だからこそ、何も話していないのが不自然にならないよう眠ったフリをしている。残るACTによる情報封鎖も、加藤由利によって対策済み。
……正直こちらの誘いに、向こうが乗ってくるかどうかはわからん。
仮に乗ってきたとしても、オレの予想が正しければ、松平公康本人が出てくる率は非常に低い。
ただ、公康本人が出て来ずとも、そこに近い立場の側近、欲を言えば直系の血族が出てくれば……
ショリショリショリ、と眼前のノートを擦っているような異音を鼓膜が捉えた。
盗聴、盗撮対策は、やろうと思えば万全に出来るが『秦啓一』がそれを行うと、不自然に過ぎるので、盗撮に関してはあえてガードを緩めている。
そのため、盗撮されていても不自然に見えぬよう、このように狸寝入りをしているのだが―偶然、目が覚めた体を装うため、オレは瞼を擦りつつ、削られたことで文字が浮かび上がったノートをそれとなく見やった。
記されていたのは、第2ACT高等部の闘技場裏手に午前一時、という待ち合わせの指示。
チェストにある上着を羽織り、リュックには加藤由利作のACT余波の集約装置を突っ込む。
オレはこれがなくともACTを発動できるが、『秦啓一』には必須な品。単身で正体不明の輩と会う『ということになっている』のだから、誰かに見られる可能性も考えておいて損は無い。
右腕には特殊警棒を畳んだ状態で袖の中に隠し持ち、左腕にはOBを、そしてそこから伸ばした生体コードをうなじに接続。
靴を履いたオレは部屋を出た。
ドアを閉じた音だけが、静寂を保つ廊下に響く。
階段を降り、寮の玄関を出ると、夜気特有の冷気が喉と鼻腔を刺激する。
周囲に視線を飛ばす……異常は今のところ無し、か。
暗雲に覆われ、月の見えない空を一度だけ見上げ、辺りに人の気配が無いか確認しながら歩を進める。
この歩道の先に闘技場があるが―気配は二つ。
歩き始めて数分で闘技場正面に着き、気配が感じられる裏手に回る。
闇の中から、樹木に身を潜める影が見えた。
「貴様か、公康様を呼び出したのは」
だが、声が聞こえてきたのは闘技場に併設された、物置小屋の奥から。
オレはそちらを顧みることなく、しかし人影が見える樹木の方を見るでもなく、そうです、と短く答えた。
「わかっているのであろうな。公康様を、かような場所に呼びだてる、その意味を」
張りのあるバリトン。声には威圧と、微かな敵意。
一つ目の賭けには、勝てたようだ。想定していた中での、最大級の大物が釣れた。
さて、
「公康様が重要視されているからこそ、貴方を派遣なされたのではありませんか、勝康様。あるいは」
一呼吸置き、仕掛ける。
「公康様が、直接出向こうにも出向けない理由があるか、のどちらかでしょうか」
「フン、戯言を」鼻を鳴らし、軽くあしらうように撥ねつける。「その発言の不敬、眼前の公康様に対しても言えるか? 返答次第では貴様の首を飛ばすぞ、下郎」
「よいよい、勝康。その者に下知を与えたのはワシ」
「いいえ、違います」
人懐っこい印象を与える、聞くだけで安心感をもたらすその声を遮り、オレは背後に回っているであろう松平勝康に正対した。
「オレがこの高校に潜入するよう下知を受けたのは、松平公康様ご本人からです。断じて、人形を介してではありませぬ、勝康様」
暗雲に月が覆われた闇夜で、底光りする眼光が細められる。
正対した松平勝康は藍の着流しに、左手には鞘に納められた太刀を握っていた。恐らくは、専用のOB。着流しの上からでも引き締まった身体をしているのが一目でわかるほどには鍛え込まれており、太刀型のOBを用いることから判断しても戦闘になった場合、接近戦は避けた方が無難。
「下郎、貴様」
「『酒井玲於奈』が擁する人形を見た後だと、どうしても粗が目立ちます。外面は取り繕えていても、ACTによる補正が人間としては不自然に過ぎます。
何より勝康様、貴方も眼前の公康様が人形であることをオレが見破れなければ、情報を秘匿・看破する能力に問題ありと、オレを処理するつもりではなかったのですか? そうでもなければ、人形とはいえ公康様の影武者役を、どこの誰ともわからない下々を相手に、正面から対峙はさせないでしょう」
発言に松平勝康が片眉を上げ、右端の唇が微かに吊り上がった。
「―それなりに目端が利くか。善い、発言を許そう小間使い。だがその前に」
松平勝康は彼自身の右後方にある茂みに視線を送った。
「ええ。私としても、盗み聞きされるのは趣味ではありません。誰であるか見当はついていますが、姿を現してくれませんかね?」
気配から察するに、一対一の直接戦闘では後れを取るだろう。
その推測から察するに、気配の主は、戦闘が主任務。
しかし、こんなスパイ紛いのことをしている、となれば候補はそう多くない。
オレと松平勝康、そして松平公康を模した『人形』と、3つを同時に相手取るのは得策ではないと判断したのか、あるいはまとめて相手どれると判断したのか。
茂みから、見知った人影と銀の輝きが眼に入った。
「……柳、雄平。とうとう馬脚を現したわね」




