何者2
幼少期に函館から青森に引っ越した秦啓一が、マスケラの好物を知り得たという記憶は無い。
仮に知っていたとしても、マスケラがその事実をスルーすると思えない。どうして知っているのかと疑問に思うか、あるいは、覚えていてくれたんだ、という具合に感激するか、何かしらのリアクションがあるはず。
「え? な、何だい? 一体どうしたのさ、啓一君」
……確定だ。コイツは、秦啓一の幼馴染である『さっちゃん』ではない。
「呼び名には気を付けるんだな。彼女は、2人っきりの時に、俺を『啓一君』なんて呼んだりはしない」
少なくとも、人の目が無いこういう状況下で『さっちゃん』と呼んだら、『はっちゃん』と返すだろう。
? 眼前の偽物は、何故か嬉しそうに肩を揺すっていた。
「いやいや……良かった良かった。その対応ぶりを見る限り、ちゃんと記憶が回復したみたいで安心しましたよ、センセ」
久方ぶりに聞いた綽名に、思わず眉をしかめてしまう。
「その声は……富和田か」
富和田澄香。
二重スパイとして潜伏している松平で、俺の生徒だった女。
くるりと回れ右をし、マスケラを外し、冗談めかした面持ちでこちらへ敬礼。
と言っても、マスケラから見えた容貌は、オレの知っている富和田のものではない。
印象に残りにくい平べったい面立ち、と女性ならば怒り心頭に達しそうな表現だが、自身の情報を一切残さぬよう振る舞う必要があるオレ達には、印象に残りにくい顔を作る技術は必須なモノ。
「ぴんぽーん♪ いや、センセから連絡がパッタリ止まっちゃったから、確認してこいって上がうるさくて」
「お前が化けた酒井玲於奈は、今、どこで何をしている?」
富和田を喋らせると、いつまで話し続けるかわかったものではないので遮る。
不意打ちとはいえ、オレが不覚を取った相手に富和田がどうにか出来るとは思えん。
「松平の上層部に招集されてますよー♪ と言うかセンセ、どうして今まで安否確認の連絡、してくれなかったんですか?」
「不測の事態が発生していた。詳細は省くが現状、加藤由利にしつこく嗅ぎ回られている。不用意なアクションを起こせば、要らぬ疑念を持たれかねん。故に連絡は控えていた」
織田、羽柴、松平の上層部にはそれぞれ、津田香、加藤由利、マスケラの3名に情報工作を依頼している。
内容は、3人でそれぞれ異なる。
津田香は白鷺凛や槇原康太の安全のためならば、『秦啓一』を切り捨てる可能性があるため、どの派閥が白鷺凜に危害を加えようとしているのか、また、彼女の能力を根本的に封じるにはどうすればいいのかのみを調べてもらっている。
この条件下なら、津田香がオレを切った際のリスクは最小限に出来るし、彼女が積極的にオレを切る可能性を抑えられる。
腑に落ちないのは、誰が何のために白鷺凛を狙っているのかまではわからずとも、実際に襲撃に使われた人形やいくつかの物証もあるため、大まかな見当なら数日でつきそうなものなのに、未だに連絡が無い点だ。
そのため、オレの状態を正確に把握していることもあり、加藤由利にのみ、羽柴が『秦啓一』に対しどのようなアクションを起こそうとしているかの調査以外に、織田と松平上層部、そして『特高』だけではなく、併せて津田香の動向も探らせている。
これだけでも負担が大きいが、他二人に任せる訳にもいかないので、仰木縁周辺の調査もやってもらっている。
酒井玲於奈の影武者であるマスケラについては……オレが、最も接近してはいけない相手であるため、松平上層部の動きを探ることのみに絞っている。やり取りを少なくすることで、極力接触を避けようという単純な考えだ。
オレ自身も周囲に怪しまれない程度に小細工は弄しているが、あくまで小細工。どの程度の成果があがるやら……
「で、富和田。オレの安否確認だけで来る訳が無いよな」
「そりゃそうですよー、白鷺凛についての情報はどうなっていますー? 書類上は『彼氏』ですし、彼女はセンセに気を許しているようですから、『不測の事態』ってのがあっても、得られた情報はあるんでしょう? まぁ、まさかセンセが、ACTで改変した記憶の回復が出来ない状態に陥るなんて、考えていませんでしたから」
全部を話すのは無い。だから、どこまで話すか、だな。
「まぁ、悪い話ばかりではなかったさ。その『不測の事態』があったおかげで、スムーズに白鷺凛の懐へ潜り込めたからな。ただ」
「ただ?」
マスケラをつけたまま可愛らしく小首を傾げられても不気味としか思えないが、その感想は言わずに疑念を発した。
「情報漏洩者がいる」
「……それなら、一つ、情報が」
「何だ?」
「センセが自力で記憶と人格を取り戻してくれたことは幸運でしたけど……センセの記憶と人格を改変した大墨が、行方不明になっています」
それはそうだろう。オレと共に行動して、マスケラに不意打ちを食らったのだ。もう、生きてはいまい。
さて、ここからどうオレは動くべきか。




