『何か』が違う
車を運転していた新田さんには、倉庫の前で待機するよう津田さんが命じたことで、同行はしなかった。
「彼は非常時に助けを呼ばせる目的で同行させなかったんだろうけど……わたし達はこの先まで同行してもいいのかい?」
「それを聞くのは、私の方ね」
先頭を歩いていた津田さんがさっちゃんの言葉に歩みを止め、倉庫の扉の前で俺達を顧みた。
「『本物の酒井玲於奈』が言っていたことが本当なら、この先に進むということは文字通り、命の危険がある。それでも、ついてきてくれるのかしら?」
「引き返したら、人類滅亡につながりかねないんでしょ? ならここで怖いからって引き返しても、遅いか早いかの違いじゃない。アタシの認識、間違ってる?」
加藤由利の言う通り、俺達がどうにかするしかないところまで状況が逼迫しているとしたら。
頭痛は治まらず、呼吸するだけでも肺が軋みをあげている錯覚に陥りそうだ。
こうして話している時間も惜しい。
「……今は時間が惜しい。とにかく前に進もう」
津田さんに向かって一つ頷くと、彼女は倉庫の扉を開く。
5メーター以上の高さがある広大な空間には、ネジやらナットのような、細かな金属部品を箱ごとに収めた金属製の棚が、通路ごとにいくつも設けられており、それが一面に広がっていた。
各通路の上方部には照明が設けられているが―一部の照明は故障でもしているのか、蛍光管が取り外されており、床には金属製の棚には収め切れなかったと思われる在庫の一部が段ボールに詰め込まれていた。
皆はその空間を見ても何も感じることなく、そのまま歩を進めたのに対し、俺だけは反射的に足を止めてしまった。
「ちょっと、アンタどうしたのよ? 体調が整わないのなら、悪いことは言わないから」
「いや……何か、こう、違和感みたいなもの、感じないか?」
こう、表現し難い空気に、辺りが包まれているような……
それともこれは、頭痛や体調不良からくる錯覚か?
指摘に皆が足を止め、加藤由利に至ってはACTを発動したのか、右目を閉じ、左目だけで辺りを見渡した。
「いいえ、特には」
「ま、緊張しているからしょうがないよ、はっちゃん」
「……ACTで感知できる範囲では、何も無いわね」
津田さんとさっちゃんは、表情とその物言いから察するに、何も感じていないらしい。
ただ加藤由利だけは、ACTで異常を感知できなかったにもかかわらず、第六感めいた何かが引っかかったのか、俺と一瞬だけ視線を合わせると、津田さんの前に進み出て先を歩き始めた。
「加藤さん、先導は私が」
「感知に最も適しているのはアタシでしょう。津田さんはフォローをお願い。マスケラはそこのへっぽこをちゃんと守りなさい。あの階段、下りていいのよね?」
へっぽこ呼ばわりにさっちゃんがムッとしたが、加藤由利が構わず通路の先にあった階段を下り始めたことと、この4人の中では戦力的に俺が最も頼りないのは、俺自身重々承知していたので、さっちゃんの左肩を軽く叩くことで先を促したために、渋々歩を進めてくれた。
堂々と歩いているようでその実、かなり気を張りながら周囲を警戒している加藤由利は、先程から辺りに幾度か目をやり―
「この倉庫って、もしかして、話に出てきた実験をしていた場所?」
言われてみれば、製品を収めていた金属製の棚は錆びた個所があったし、何より、照明が取り外されたままであることが、一階の在庫置き場である倉庫は、その役割を全うしていないことを物語っている。
「いいえ。羽柴や松平はもちろん、織田の上層部にも凛の暴走は伏せている。私が気付いていない証拠が、万に一つとはいえ、あるかもしれない土地に凛を匿いたくはない」
が、地下へ下りながら津田さんは淡々と否定した。
だろうな。そんなの、俺でも察しがつくくらいだから、加藤由利だってわかっているはず。
なのに、あえて彼女が言葉にしたのは……
「津田さん。ここには、あまりモノが置かれていないけど」
雑念―いや、嫌な予感を振り払うためだけに、加藤由利はどうでもいい質問をしたように思える。
1階とは異なり、この地下1階には右の片隅に段ボールの山が詰まれているが、その部分を差し引いてもかなり広いスペースが余っている。
出来るだけ、風景を観察するようにして注意を痛みから逸らそうとしても、頭痛が、治まらない……っ!
意識を会話に逸らさないと……
「カムフラージュするのは、1階の部分だけで十分ってことか?」
「ここは」
「違うよ。ここで何かが起こった時のために、ACTを使っても良い広いフィールドを用意していただけだよ、秦さん」
!
何の前触れもなく、背後からかけられた声。
俺の前にいた加藤由利、津田さん、さっちゃんが弾かれたようにこちらを顧みた。
反射的に背後を振り返りそうになった俺は、寸での所で、左足を半分引いた状態ではあったが、動きを止めた。
「? どうして背を向けたままなの、秦さん」
咄嗟に振り返ろうとした身体が、逆に止まった。
正体不明の相手に、背後を取られたにもかかわらず、だ。
今、背後の人物の声をもう一度聞いて、確信した。
あのまま振り返れば、俺は何かを間違える可能性があったから、身体の反応を強引に、意志か、魂か、直感か―呼び名はわからないが、それが止めたのだと。
背後の声は、確かに聞き覚えのある声なのだが、違う。
抑揚が違う、言葉遣いが違う……けど、そんなことが些細に思えるほど、『何か』が違う。
だが、その『何か』とは、一体何だ?
俺は、あの少女が普段どういう立ち居振る舞いをしていて、どんな顔つきをしていたのかを脳裏で再確認するために一度目を閉じ―後ろを、ゆっくりと振り返った。




