伝言
俺の表情から、考えていることを読んだのだろう、白鷺さんは無言で頭を振る。
「私は、記憶を喪ってからは日記をつけるようにしています。日記には、印象に残る会話であれば、どのような会話をしていたのかも記していますので」
「私の記憶は、今年の4月からの5カ月ほどしかないので、白鷺さんから聞いたことや、これまで記されていた資料などからの推測です……が、今回、白鷺さんとの会合を了承したのは、こんなものが3日ほど前に私宛に送られてきたからですね」
仰木さんの言葉を聞いて、怪訝そうに眉をしかめたのが自分でもわかった。
テーブルの上に差し出されたのは、一冊のノート。
中を広げてみると、アルファベットや数式の羅列に、様々な考察がまとめられているが、これはACTに関するものか?
まだACTは基本的な事柄しかわからないので、白鷺さんにノートを見せると、
「これは……ACTのリライトに、日本語を組み合わせられないか、という考察でしょうが、これが、何か?」
「書いてある考察は、関係ありません。恐らくは記憶を喪う前の私が、偽装するために書いたリライトの構築式でしょうから。ちなみにそれを解いていくと、『水をかけろ』と出てきました」
そう言って、仰木さんは右手に持ったグラスから水を慎重にかけていく。
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これを見ているということは、あたしはもう記憶を喪ってしまったのでしょうね。
ひょっとしたら殺されているかもしれないけど、これほど巧妙に動いている相手が、『行方不明』として消すなんてことはしないだろうから、記憶を喪ったあたし……貴方、と書いた方が正確かもね。
貴方は、当分の間は危害を加えられないでしょう。
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「おい、これ……!」
「はい。記憶を喪う前の私は、明確に何かしらの脅威を認識していたようです。こういう原始的な手段を用いたのは、相手が卓越したACTの技術を持つリライターだからでは、と私は推測しています」
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あたしは、とうとうこの相手が何者なのか、最後までつかめなかった。
ただ、目的だけはわかった。
目的は、あたしの記憶。
記憶を奪うことで、相手にどんなメリットがあるのかはわからない。もしくは、ACTを行う際にリライトの材料にするのか……推測はいくつか出来るけど、推測の域を出ない。
だから、貴方に、お願いしたいことがあります。
このメモを白鷺凛と言う、あたしの友達に、こういうメモ帳が出てきた、ということを教えて欲しいのです。
彼女の連絡先は―
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「白鷺さんの存在は、以前貴方が私を訪ねてきたので、わかっていましたが……正直に言うと、あまり連絡する気はありませんでした」
「それは、どうして?」
俺の問いに、彼女はメモのページを無言で捲る。
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彼女に連絡するのは、あたしの『お願い』です。
何故なら、白鷺さんに連絡しようとするだけで、貴方の身に危険が及ぶ可能性も考えられるからです。
それでもあたしは、友達を守りたいので、貴方に『お願い』したい。
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本当に、良い人だったんだな、目の前の彼女は。
白鷺さんに視線を移すと、彼女は無言で目を閉じていた。
「もう私は、白鷺さんのことは覚えていません。正直、自分の身の安全を第一に考えようと思っていました。白鷺さんが、貴方に会って欲しい、と言うまでは」
仰木さんは、俺を見つめている。
「俺?」つい、自分を指差してしまう。
「はい。白鷺さんが、貴方に会って欲しいと言わなければ、このメモの存在を、打ち明けようとは思わなかったでしょう」
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白鷺さんに『お願い』したい内容は、彼女が信頼する人物を仙台にまで連れてきてもらい、貴方と、白鷺さんを比べて見て欲しい、ということ。
私の推測では、記憶を喪ったあたし―貴方と、白鷺さんは、とても似通っているのではないか、と思うから。
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!
「記憶を喪う前の私は、記憶を喪った私が、白鷺さんと極めて似た性格になる可能性が高い、と考えていたと思われます」
そう言うと、彼女はメモ帳を捲る。
途中から破られ、その先は何も書かれていないメモ帳を。
「このメモ帳は、3日前に送られてきました。送り主の特定は出来ましたが―相手は、このメモ帳を僅かな謝礼と引き換えに、私に送って欲しいと頼まれた、ACTを扱うことが出来ない都内の大学生でした。おそらく、アルバイト感覚で引き受けたのでしょう。それ以上は、何もわかりません」
途中からメモが破られているということは、多分、記憶を喪う前の仰木さんが破ったのではなく、これを彼女に送った何者かが破ったのだろう。
「どうして、送り主は仰木さんにこのメモ帳を送ったのでしょうか?」
そこだ。
善意の第三者が送ったのであれば、破った後のメモがどうして無いのか、説明できない。だから、この可能性は低い。
「恐らくだが―君達の記憶を奪った、関係者なんだろうな」
それから―内輪もめ。
互いを蹴落とそうと、どちらかがあえて俺達に情報を流した―この線は、有り得るだろう。
最悪なのは、これが、実験の一環だった場合。
記憶を奪われた人間が、こういう状況下に置かれたら、どのような反応を起こすか観察しているとしたら?
俺の記憶が、黒幕に改変されたものだとすれば……白鷺さん達の記憶を消した奴と、イコールである可能性も出てくる。
つまり俺も、何らかの目的で観察されている可能性がある。
「白鷺さん。貴方が彼を私の元に連れてきたのは、記憶を喪う前の私と同じ目的、ということで良いかしら」
「ええ。私と加奈さんを見て、どう思われますか、秦さん」
無表情だが、熱の感じられる二つの双眸が向けられる。
俺はゆっくりと息をついて、窓の外を指し示した。
「さっき、大きな雷が落ちたよね? ……俺、その時、かなりビビッていたんだよ。周りのお客さんも、悲鳴の有無の違いこそあれど、怖かったと思う。
でも、二人は、平然としていたように見えた」
視線を向けると仰木さんは小さく頷き、白鷺さんは目を閉じたものの、否定はしなかった。
「正直に言うと、あんな状況下で表情を一切変えないというのは、普通じゃ考えられない」
「……私と現在の加奈さんは、他者から見るとよく似ている、と」
「顔の造りは全然違うのに、雰囲気というか、身にまとっている空気と言うか……そういうものが、凄く似ているように、俺は思う」
「2人とも、偶然記憶喪失になった、とは考えにくい一致ですね」
仰木さんの言葉に、俺は腕を組んで頷いた。




