鉄仮面の論理
夜の7時を過ぎてバスを降りると、北上したから東京よりは暑さがやわらぐのでは―と淡い期待を抱いていたが、小雨が降ってきたにもかかわらず、やっぱりまだ暑い。
それでも『正化』の秦啓一の身体であれば、それほど汗をかかないからいくらか楽ではあるが―いや、そんなことを考える余裕は無い。
暑さのせいでダルさを感じる身体に鞭打って歩を進め、車のヘッドライトや高層ビルの明かりやネオンが灯る街を眺めながら思考する。
どうやって、白鷺さん以外の人間を引き離すか。
発信機で今でも俺達の位置が確定できると考えないと、3人とも新宿のバスターミナルにいた説明がつかない。
黒幕か、その関係者かもしれない人物を含んだこの状態で、白鷺さんの友人に会うのは避けたい。
だが、どうやって引き離せばいい?
「それでは、ここからは別行動にしましょう」
?! 思考に耽っていると、いつの間にか俺の隣に寄り添うような形で控えていた白鷺さんが、4人に向けて直球で切り出していた。
「え? リンちゃん、別行動って」
「津田さん。私は、今日、秦さんとデートをしています。酒井さんでも、加藤さんでもなく、槇原さんでも、津田さんでもありません。仙台に来たのは私の友人に、秦さんを紹介するためです。人のデートを邪魔するのは、野暮、と言うのではありませんか?」
いつもニコニコしている津田さんが、口をまほっと開けて、呆然としていた。槇原君もそれは同様だ。
いつもなら津田さんを諫めたり、こういう隙があれば、じゃじゃ馬を制御する絶好のチャンスと言わんばかりに羽交い絞めにしたりするのだが……
「わたし、てっきり秦君と白鷺さんは書類上の付き合いだとばかり思っていたけど」
「? はい、私と秦さんは、書類上では彼氏、彼女の関係になりますので、友人に紹介するのが適切かと思うのですが、何か?」
マスケラの奥から揶揄するような声で尋ねたのだから、酒井さんとしては白鷺さんをからかったのだろうが―白鷺さんは『形から入る』と、付き合っている俺本人に言う人だからな―彼氏は友達に紹介するもの、という固定観念があるんだろう。
「あー、わかった、OK! こっちの2人はアタシ達で面倒見るから、アンタ達はとっととデートなり何なり行きなさい!」
あんまりにも白鷺さんの主張がストレート過ぎたからか、素を出したゆりっぺは『あっちに行け』とでも言いたげに、追い払うように手を振っている。
「……珍しい。カマトトが人前で素を出すなんて」
「何よ? どうせここにはアンタ達しかいないんだからどうでも良いでしょ、変態マスケラ」
睨み合っているように見えるが……この二人、仲はやはり良いのか? それとも悪いのか? わからん。
まぁ、どっちでも良いか。命に関わるような案件でもないし。
「では、酒井さん、加藤さん。津田さんと槇原さんをお願いします」
「うん、任された」
「アンタ、ちゃんと白鷺さんをエスコートすんのよ」
何が何だかわからん内に、白鷺さんに左手を握られた。しかも、さりげなく先を歩き始めているし。
マズイ。ハッキリ言って、男で年上の俺より、女性で年下の白鷺さんの方が上手く俺をエスコート出来る気がしてしまう……
後ろで、あちゃあ、とか、こりゃダメだね、という小さな声が俺の耳に届いたが、そんなのは俺でもわかっているよ!
いや、今はそんなデートがどうと言うより、先に聞かなければならない事がある。
「なぁ、白鷺さん、今更なんだが……君の友達に会うのは、本当に俺でいいのか?」
ACTの能力なら、多分津田さんや槇原君の方が、俺よりずっと優れている。
白鷺さんの友達が『何か』に記憶を消されたのだとしたら、その『何か』を探るために、分析に特化したACTを持つ、ゆりっぺを連れていくという手もある。
あんなマスケラつけているにもかかわらず、教師にとがめられもせず、学校生活を送っているという時点で、酒井さんは裏の世界の事情に通じているはずだから、彼女をチョイスする、という選択も無い訳ではない。
そもそも、白鷺さんからすれば、俺が黒幕の関係者と疑うこともできるのだ。
なのに、なぜ俺?
白鷺さんは立ち止まると俺の手を放してから顔を凝視し、ふぅ、と一つ息をついた。
今のは、ため息、なのか?
「では、お聞きしますが秦さん。ここにいた、私を含める5人の中で、命のかかった実戦で背中を預けられる方が、1人でもいますか?」
…………いない。
あんなマスケラつけているが、本当は良い人なんだろうと思う酒井さんや、根本的な所で庶民的というか、わかりやすくてお人好しなゆりっぺは信頼しやすいが……あくまで、比較的、だ。
命がかかっているかもしれない状況下では、全面的な信用は預けられない。
「そんなことを尋ねるってことは、俺の回答はもうわかっているだろう? 君を信じていない人間を、そういう大事な場面で信じていいのか、と俺は聞いているんだ」
「そこです。私を、全面的には信じていない。残念ながら、事実だと思います」
? わかっているなら何故?
「信じていないのに、秦さんはどうして私の心配をするのですか?」
「いやいや、待て待て! いつ俺が君の心配を」
無表情で、はぁ、と息をつかれたが、今回のものは間違いなくため息だと確信出来た。
「入院中、自分の身が危険になるリスクもあったのに、孤児の話題を避けたのは、私の心情を心配したからでしょう」
「あれは、咄嗟に出ただけで」
「ACTの実技試験の時も、後ろに回り込んで生体コードを抜くのではなく、そのまま頭を殴りつければ良かったのです。秦さんはあの時、私に勝てなければ退学だと考えていたのでしょう? 保身を考えるのであれば、万全を期すべきでしたし、防具もあったのですから、私が重傷を負うリスクは低いでしょう」
重傷を負わなくても怪我するだろそんなことしたら、とは言えない。
「私が『鉄仮面』や『鉄面皮』と呼ばれて怒る方は、これからお会いする加奈さんを除けば、秦さんくらいですよ。津田さんや槇原さんですら、困ったように笑うだけです。
そんな貴方が信頼できないのであれば、加奈さんが記憶を喪った以上、私の知る限り、頼れる人は誰もいません」
今度は俺が、ため息をついた。
……この娘の周囲は、一体全体どうなっているんだ!
これから会う仰木加奈と言う娘以外、まともな人間はいないのか!
……いや、そうでもないか。
『正化』だろうが『平成』だろうが、社会なんてこんなものか。
『平成』の世でも、自身に火の粉が降りかからないよう、様々なモノを見ぬふりをして生きていた人は多かった。
それが悪い訳じゃない。自分が一番可愛いのは、俺だって同じだ。
そんなのはおかしい間違っている、と声をあげずにやり過ごす方が、すき好んでトラブルの種を拾うより身を守るのに適していることは、学校だろうが会社だろうが否定出来ない。
ただ、今、俺はそのトラブルの種どころか、渦中にいるから選択の自由なんて無い、というだけ。
「……白鷺さんの友達には、会おう。ただ、信じる人間は、慎重に選んだ方が良い」
もう一度ため息をついて、つい左手で彼女の右手を握ってしまった。
握り返してきた手が『年の離れた妹』や、『娘』という単語を俺に想起させたのは、常に崩れることのないその無表情が、沈着冷静を表しているのではなく、感情が無い鉄仮面なのでもなく。
ただ、どんな表情をすればいいのかもわからないからでは、と思えてしまったから。




