白鷺凜の戦闘能力
9月3日。今日が実戦形式の試験日になるのだが、寮を出て空を見上げてみれば、今にも雨が降り出しそうな、分厚い灰色の雲が空を覆っている。
東京って、晴れていなくても蒸し暑いのだが、『正化』の秦啓一はあまり汗をかかないので助かる。
反面、この一週間は食事もそこそこに、ACTの訓練と言うか、自学自習をぶっ続けでやっていたから、『平成』の秦啓一ならゲッソリ痩せているんだが……『正化』の秦啓一は、燃費が良いらしい。
いつものように夜食を食べて寝たらアッと言う間に牛になりそうだ。
「その様子だと、何かしらの対策は打てたのかな」
「何とか、ね」
真後ろから声をかけられたが、後ろは向かずに歩き出す。
「具体的には?」
「守秘義務があるので話せません」
冗談めかして聞こえるように、肩を竦める。
「そうかそうか。情報が流れるよう、小細工した甲斐があったよ」
やっぱり。
最初に案内された実習室と違う所だったから、わざと盗聴されている部屋を、酒井さんは指定したんじゃないかと思っていたが……
もっとも、それだと最初から情報がゆりっぺに流れるよう仕組んでいたことになるので、全面的に信用できるかと言われれば否なんだが。
「ゆりっぺと違って、酒井さんは考えていることがわかりにくいな」
「白鷺さんよりはわかりやすいんじゃないの? って言うかゆりっぺって誰?」
「加藤さん。と言うか、白鷺さんを比較対象にするのはあまり意味が」
横並びになった酒井さんを横目で見るが、やはりマスケラは健在……アレ? 足が止まった?
後ろを顧みると、マスケラの顎の部分に右手を当て、酒井さんは考え込んでいる。
「おーい? 酒井さん、どしたー?」
「ゆりっぺ? あのカマトトが? そんな素朴な綽名なんて似合わない」
酒井さん、ゆりっぺが嫌いなのか? とは聞けなかった。左手に持っている通学鞄の持ち手に、凄い力が込められているのが見えたから。
とりあえず、怖いから話題を逸らそう。
「学校の中だけじゃなく、外でもマスケラつけているんだな」
「ファッションでマスケラつけているとでも思った?」
そんなのがいるなら、実に嫌だ。
現にこうしてつけている人物がいるから、なおのこと強く思う。
「ゆ……加藤さんから聞いたけど、白鷺さんのACTって肉体の制御に特化しているって本当なのか?」
ゆりっぺ、と言うと先程の繰り返しになりかねない。
マスケラの奥から、チラリと一瞥されたが俺は努めて無視。
「普通、肉体の制御って言っても、通常の3倍くらいの速度に、5倍の知覚力が備わっていれば一流って言われるんだけど」
「白鷺さん、マジで、20倍の速度で動けるのか?」
「ちなみに知覚力は40倍らしい」
100メートルを15秒で走ると仮定して―コンマ1秒かからずに100メートル駆け抜けるのか?! どう対処しろってんだ!
「って言うか、そんな速度で動いたら、普通身体が持たないだろ!」
「そこが彼女のACTの肝らしくてね」
空を仰いでため息をついている所を見ると、酒井さん的にも謎なのか?
「普通、20倍の速度で動いたとしたら、足はもちろん、その速度で攻撃を繰り出そうとする腕にも、大きな負担がかかる。そんな負荷、人間の身体は耐えられないんだけど」
「ってことは、負荷を何らかの方法で無効化しているのか?」
「多分。そうでなければ、20倍の速度で攻撃を仕掛けたら、受けた相手の頭蓋は爆散するし、胴体に大穴が空く上に、攻撃をした本人の腕や足もなくなると思う」
「つまり、移動速度は20倍、でも攻撃に生じる威力は等倍?」
「そ。じゃないと、説明がつかない」
原理がわかっても、大半の人間には真似できないし、攻略法にも繋がらない。
「一年生の中でブッチギリのトップに君臨しているのは、そういうことか」
「一年どころか、二年生と三年生含めても五本の指に入る戦闘力だよ、彼女は。どう、彼女に勝てそう?」
「一応聞くけど、二年生の中で酒井さん以外に、白鷺さんに勝てそうな人っている?」
「……わたしだと、10回戦って、3回勝てれば良い方だと思う」
うぇ? 酒井さんでも分が悪いのか?
「ちょっと待ってくれ。二年生でも白鷺さんに確実に勝てる人、いないのか?」
「いないね。唯一、分が良いのは津田さんか。現状なら、10回戦えば7回は勝てると思う」
「じゃあ、二年最強は津田さん?」
俺の問いに、酒井さんは首を横に振った。
「二年は三竦みの状態だよ。津田さんとわたしが戦えば、わたしの分が悪い。けど、その津田さんには、あのカマトトが異常な強さを発揮する」
「で、加藤さんには酒井さんの方が強い、と」
「相性的な問題なんだ。あのカマトトは予知めいた力を使う。だから、大気中の成分から大量の氷を生成する熱量操作、標的に生成した氷をじゃんじゃん叩き付ける分子運動制御に特化した津田さんは不利なんだ。どこにどう氷を作ってあのカマトトに叩き付けようとしても、全部回避するか、どうやっているのかはわからないけど、特殊なACTで氷を壊してしまう。最終的には疲れて動けなくなった所を、あのカマトトが倒すって寸法。
わたしは肉体制御も、熱量操作も、分子運動制御も満遍なく扱うから、大抵の相手とは戦えるけど……津田さんと戦うと、最終的には物量で押し切られる。
でも、あのカマトトには絶対かわせない攻撃方法が、劣等生たる酒井玲於奈には、一つだけあるんだな」
冗談めかして腰に手を当て、胸を張る酒井さん。
「で、白鷺さんには勝てそう?」
…………
「一応、聞いておきたいんだが酒井さん、もしかして、俺が一回戦で戦う相手、実はもう知っていたりする?」
「だから、さっきから聞いているんだよ。勝てそうなのかい、彼女に?」
「…………」
空を見上げてみても、先程と何も変わっていない。
ドンヨリと曇った分厚い雲が、太陽を覆っていた。




