最後の晩餐
ティミーの周りが少しだけ慌ただしくなった。もとよりこの屋敷には一か月しか滞在しない予定だったので、荷物をまとめるのはたやすかった。しかし、もろもろの手続きは数多くあり、それを短期間で済ませなければならなかったので、ライナスもそうだがティミー当人もバタバタしていた。
仕方ないことと理解しつつも、キーラは少しばかり退屈を感じていた。これまで構いっぱなしだったティミーに構うことが減ってしまって、ハロウィン当日に持ち歩く予定のカボチャを模した籠二つを机に並べ、天板に乗せた両腕に顎を埋めて、ふてくされた表情でランタンの顔を睨みつけている。
「お嬢様、そんな顔をなさらなくても」
アリエッタがそれとなく窘めるが、キーラは頬を膨らませただけだった。
「分かってる。……でも、何もできることがないんだもの」
もどかしさと手持無沙汰なのを持て余しているのだ、と気づく。とはいえ、ルベット家はもうパーティの準備は今できることはすべてやってしまった。気を紛らわす仕事もそうは見つからない。かといって、読書を勧めたりするのも違うだろう。きっと気乗りがしない。
どうしたものか、とアリエッタは考え込んだ。キーラはジャック・オー・ランタンとの睨めっこをまだ続けている。
ふと溢す。
「……ティミーがこの家からいなくなってしまうの、嫌だな」
アリエッタはそっとお嬢様に寄り添った。
「おうちは近くなりますよ」
「そうだけど……」
眉を顰め、唇を引き結び、何か心に引っかかることがあるようだった。見守りながら、アリエッタはキーラが何を心配しているのか疑問に思う。確かにティミーはこの邸からいなくなるが、彼を不幸から遠ざけられることは保証されているというのに。
ただ自分が寂しいというだけで、我が儘を言って拗ねるお嬢様ではないはずだ。
「あの子には、まだお父さんがいるのに」
ふと溢して、キーラは目を瞠った。すっと背筋を伸ばして身を起こし、勢いよく振り返って椅子の背を掴む。
「そうよ。まだティミーは、きちんとお父さんと話をしていないと思うの!」
キーラの表情は、天啓を得たとでもいうように曇りが晴れていった。そして、視線がせわしなく動く。必死に頭を回転させている。
「ねえ、アリエッタ。私に考えがあるのだけれど――」
夕刻。ある一軒の家に、黒い服の魔女が訪れた。にぎやかな中心街にほど近い住宅街の中で、比較的大きな家。邸と呼ぶか悩むほどの。
すっかり静かになったその邸の主は、突然の来客が思ったよりも幼い人物であることに気が付くと、訝しがった。覚えはあった。久しく会った姪――兄の娘だ。今は息子がそちらに遊びに行っていて、用などないはずなのに。
「いたずらか、お菓子か!」
ポールの姿を見るなり、姪は右手を差し出して声を上げたので、ポールはますます困惑した。
「キーラ。ハロウィンは明日だと――」
「お菓子はないのね?」
姪っ子は一向に話を聴かなかった。お転婆なところのある娘だとは聞いていたが、これほどだったとは。自分の息子は大丈夫だったか、と心配する。年上の女の子であれば、ティミーと上手に遊んでくれると思っていたのに。
ポールは後頭部を掻いた。近くに控えるメイドを見たが、彼女は澄ました顔でキーラの傍に控えるだけだった。眉を顰めるポールに、キーラは不遜な笑みを見せつけた。
「だったら、いたずらをするわ。子どもを泣かせるお父さんを、攫ってしまうんだから」
そしてキーラは叔父の手を取り、問答無用で引っ張っていった。傍の大人に助けを求めるも、「ご同行ください」と冷たくあしらわれ、ポールはされるがままに引っ張られていくことになった。
そうして久しぶりに戻ってきた生家のエントランスホールでポールを出迎えたのは、家督を継いだ兄の困り顔だった。
「久しぶりだね、君は。……全然この家に帰ってこないんだから」
ポールは玄関を見渡す。右手と左手そして正面に、奥へと続く扉。正面の扉を挟むように設けられた二階への階段。暗くなり、あちこちの灯が点いたホールは、明日のハロウィンのためかオレンジや黒や紫の飾り付けがされていて、にぎやかだった。
その中を軽い足取りで、小さな魔女が歩いていく。姪は、正面の扉の傍に立つライナスの元へ行くと、こちらを振り返って悪巧みをしている顔で笑った。
「兄さん、これは……」
まだ何一つ分からないポールが兄を仰ぐと、ライナスは苦いものと誇らしい気なものを混ぜた奇妙な笑みを浮かべた。
「愚弟のために、我が娘が企画したのさ」
隣でキーラが口を尖らせる。
「おじさんのためじゃないわ。ティミーのためよ」
ポールは目を瞠った。そうだ、ここには息子がいるのだ。だが、その愛息の姿は見えなかった。ところどころに姿を現すこの家の使用人たちの、醒めた顔ばかりが目に入る。
「ここなら、誰にも邪魔されずに親子水入らずで話せるだろう」
兄の助けで、ポールはようやくキーラの意図を理解した。月が変わっても戻ってこない息子。後妻と継娘がいるためにろくな別れができないと思っていたが、どうやら兄の一家がその機会を設けてくれたのだ。
「最後の晩餐だ。悔いのないように、ね」
そうして兄は、正面の扉を開ける。赤い絨毯が奥へと続く。その先に食堂があることをポールは知っていた。
兄に替わり、この家の執事の案内に従って、ポールは食堂に入る。懐かしいダイニングテーブルにはまだ何もなく、席に着くのはたった一人だけ。
「……ティミー……」
「……お久しぶりです、お父さん」
本当に親子水入らずにしてくれるらしい。兄の心遣いと自分の情けなさに愕然としながら、ポールは速足でティミーの傍へと寄った。
「ティミー……すまない。私が不甲斐ないばかりに……」
崩れ落ち、膝をついて詫びたい気分だった。だが、それで良いのか、と躊躇して立ち尽くした。そんな父をティミーは少し大人びた顔で見上げていた。
「料理をお持ちいたしました」
ポールの嘆きをばっさりと断ち切る執事の声。奥から給仕係が前菜を持ってきた。無言で座るよう促され、ポールはしぶしぶ息子の元を離れ、向かいの席に座った。
前菜は、オレンジ色と白色でパンプキンのお化けをかたどったテリーヌだった。可愛らしいそれは、ティミーのためのものらしい。この家の使用人たちにも可愛がられていることを知って、ポールは安心してテリーヌに手を付けた。
「おうちは、どうですか?」
ポールがテリーヌを食べ終わった頃、ティミーがテーブルの向こうから尋ねる。息子はまだ半分しかテリーヌを食べられていなかった。けれども、しっかり食べているらしい。ポールの家にいた頃は食も細かったので、安心した。
「ああ……つつがなく過ごしているよ。あの二人もおとなしいものだ」
何かと甲高い声でやいのやいのと叫んでいた二人だが、最近はようやく家に慣れたのか、静かに過ごしていた。満足そうに寛いだ様子も見せている。
「使用人のみんなも、ですか?」
「ああ、落ち着いている」
癇癪の多かった二人が静かになってて、胸を撫で下ろしている様子が見られていた。少しばかり沈んで冷たい感じがするが、全員落ち着いた様子で、ポールもほっとしている。
「そっか……」
それを聞いて何を思ったのか、ティミーはフォークを握りしめたまま俯いた。テリーヌの模様と見つめ合い、端から欠片を削って食べ続ける。
「僕がいないほうが、うちは平和なんですね」
ポールは腰を浮かせた。
「そういう意味では――っ!」
ない、と言おうとして、結果的にそうだということに気が付いた。何故後妻と継娘が落ち着いたのか。前と今の違いは。それはあまりにも明白だった。
否定しようとして、だがポールの頭は空回る。すでにティミーを家に戻すという選択肢はなくなっているのだ。ドラクロワの存在の有無にかかわらず。
ティミーは顔を上げて笑う。弱気な男の子の者ではない、賢さと諦念を混ぜた大人びた笑みだった。
「良いんです。これで、踏ん切りがつきました。僕の居場所は、あの家じゃなかったんです」
ポールの頭の中で、何かが軋む音がする。時計仕掛けの歯車が外れる前のような。金属と金属が粉を出すほどに擦れ合うような。
「お母さんとの思い出を置いていくのは寂しいけれど、これから僕はドラクロワ伯爵のところで暮らそうと思います」
だから。
「お父さん。これまでありがとうございました」
両手を揃えて慎ましく頭を下げる息子の姿に、ポールの手からフォークが滑り落ちた。
Day 29. trick or treat
Day 30. 最後の晩餐




