自分の居場所
あの日ティミーに見せた大きなカボチャは、それはそれはとても大きなジャック・オー・ランタンになっていた。さすがにキーラやティミーは食べられないが、その辺を歩く猫ならば、口の中に入れられそうだ。
そんなジャック・オー・ランタンの目の前に、クルスが膝を付き、口の中に片手を突っ込んでいる。今は見えないが、その手にはナイフが握られていて、器用に蝋燭を立てる台を作っているのだ。
ハロウィンの夜には、カボチャの中がぼんやりと灯りを灯すことだろう。
空は晴れ渡り、やかんの湯気よりも薄い雲が、布のように伸びている。
辺りの葉っぱはすっかり色付いて、まさに秋真っ盛り。
「当分雨は降らなそうですよ」
作業をしたまま、庭師のじいやは言う。
「それは良かったわ」
普段の黄色いワンピースを着たキーラは、クルスの後ろで背伸びをしたり、やめたり。何となくぼんやりとしてしまうのだが、一方でどうにも落ち着かない気分でいた。
「この庭もめいっぱい飾って、楽しい日にしますからね」
「お願いね」
らしくない素っ気なさに、クルスの手が止まる。這いつくばった姿勢のまま、驚いた様子でキーラを見上げた。
キーラは、なんだか楽しくなかった。雨が降っている日の気分だった。数日後には、絶対楽しいことが待っているのに。胸が膨らんで破裂しそうなほど楽しみなのに。誰かがそこに、水も一緒に注いでいる。
キーラは今、水風船は要らないのに。
ふむ、とクルスは頷いて、作業もそこそこに立ち上がった。少し待っててくださいね、と何処かに行ってしまう。
大人しく従ったキーラは、やはりぼんやりと、薄い雲を眺めていた。その架かりようが、だんだん蜘蛛の巣のように見えてきた。
しばらくして、クルスが手押し車と一緒に戻ってきた。荷台の中には、鞠のように小さめの、オレンジ色のパンプキンがごろごろと。
「知り合いに頼まれまして。困っているから引き取ってくれないか、と」
その知り合いは、ハロウィン用のカボチャを作っているのだが、今年は思ったよりも小さいのばかりができてしまったらしい。そして、見栄えがあまりしないので、売れ残ってしまった、と。
「それで、これをジャック・オー・ランタンの周りに飾ろうと思いましてな。お嬢様、手伝ってくれませんか?」
キーラは自分の身体を見下ろした。普段のワンピース。少し汚れるかもしれないが、飾り付け程度の作業であればできるだろう。
「……どうすれば良いの?」
「そうですな。この辺りがカボチャ畑のように置きましょうか」
クルスが手押し車から下ろすカボチャを、キーラは一つずつ拾い上げて置いていった。時折手を止めて、飾り付けとしての出来を確かめる。カボチャ畑って、どんなだっただろうか? そもそも見たことがあっただろうか、と悩みながら、カボチャを並べていく。クルスが何も言わないのなら、悪くはないのだろう。
「ティミー様との生活も、そろそろ終わりですね」
カボチャを全部出し終えて、腰が痛くなったのかクルスは背中を逸らした。左腕を腰の後ろに当てているところとかすごくおじいさんっぽい、とキーラは思ったが、黙っていた。というか、言わなかった。クルスの仕草より言葉のほうがキーラの心に引っ掛かっていた。
クルスはキーラの心の内を見抜いてか、慰めるように優しく笑った。
「思い出は、時が経てば薄れます。ですが、そのときそのときの喜びは、一生ものの活力になりますよ」
「そうかなぁ……」
おそらくここでの日々のことを言っているのだ、とキーラは思った。キーラ自身、振り返ってみると楽しいことばかりが思い出された。
でも、ティミーはどうだろうか。
仮にティミーもそうだとして、これからのつらい生活の支えになるだろうか。
キーラは、不安だった。あの魔法の本のように、すべてが塗り替わって見えるほどの思い出を作ってあげられた自信がなかった。
「土壌が豊かであれば、作物は元気に育ちます。その土は、肥料を混ぜて作るのです」
しばらくクルスの言葉を吟味していたキーラは、首を傾げる。クルスは声を上げて笑った。
「人の心も同じ。心の土に混ぜる肥料は、思い出です。さてお嬢様、貴方はどんな方法でティミー様をお育てになりますか?」
野菜のように、ティミーを育てる?
カボチャを並べることもすっかり忘れて、キーラは考え込んだ。しかしその頭の中では、遠くまで広がるカボチャ畑しか思い浮かばなかった。
「はい、これ」
アリエッタを伴いティミーの部屋を訪ねたキーラは、従弟を見るなり瓶を差し出した。広口の丸底フラスコのような瓶だ。長い首の直管部分に、オレンジと黒のリボンが結んである。中には、オレンジ色の液体。……アリエッタは嫌な予感がした。
それはティミーも同じようで、普段よりも整った格好をした彼は、若干身を引いて警戒の体勢を取っている。
「……なに?」
「魔法の薬。飲んでみて」
「えええぇえええ!」
控えめなティミーもさすがに叫ぶ。アリエッタだってそうしたいほど、キーラの行動は信じ難かった。まさか十二歳にもなって、実物持参のおままごとをするとは思わなかった。
「クルスがね、言ってたの。ティミーを育てなさいって」
アリエッタは気が遠くなる。クルスの人柄からして、おそらく何かの比喩なのだろうが……お嬢様は額面通りに受け取ってしまったのか。何故、そんなややこしいことを言ったのだ、と少し苛立ちも出てくる。
ティミーも愕然としている前で、キーラは二人の放心に気付いた様子もなく、真剣な顔で続けた。
「ご飯は良く食べてるし、最近寝られてるみたいだし。だから、あと私にできるのは、お薬をあげることかなって」
「お嬢様、ツッコミ待ちで合ってますか?」
アリエッタとしては、そうだと信じたいばかりである。寝食に問題ないとなった後で、何故そこで薬が出てくるのか。最近の魔女ごっこの所為なのか。しかし、さすがに分別が付いているだろうと思っていたのに。
白目を剥きそうなアリエッタの前で、しかしティミーは躊躇いに躊躇ったのち、瓶のコルクを取り、その〝薬〟を一気に仰いだ。
アリエッタは声も出なかった。どろりとした液体がティミーの喉へと滑り落ちていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
「…………甘い。カボチャのスープ?」
ティミーの手の中の瓶の内壁に、飲み残しがどろりと這っていた。確かに言われてみると、カボチャのスープのように見えた。
さすがにうちのお嬢様は、そこまで幼くはなかったか。アリエッタは胸を撫で下ろした。
が。
「ドラクロワ伯爵のところでいただいたカボチャのパイは美味しかったわね」
続いて飛び出したキーラの言葉に、アリエッタはまたしても動きを止めた。そして、ようやく気付いた。キーラはただこの部屋に遊びに来たわけではないのだ。この行動すべてに、彼女なりの意図が含まれているのだと知る。
「これから、お客様が来ることは知っているでしょう?」
カボチャの甘さと意外性に目をぱちくりさせていたティミーの視線が、床に落ちた。
当然ながら、邸の全員が知っている。これからこのルベット家には、来客がある。その客人をもてなすのは、旦那様とティミーだ。客人は、ティミーに関わりのある人なのだ。
だから、実のところティミーは、人と会うことに不安を抱いていた。これから客人を迎えねばならない、身なりを整えたティミーの部屋にキーラが押し掛けようとするのをアリエッタが許したのも、少しでもティミーの気が解れればと思ってのことだった。
「あなたはそのお客様と話すことになる。そのとき素直になれるよう、勇気を出せるよう、薬に魔法をかけておいたの」
いつかのお守りを渡したときもそう。キーラは、遊びの中に励ましを取り入れるのが上手だった。子ども心を掴む才能でもあるのだろうか。幼い子どもであっても「嘘だー!」と笑い飛ばしそうなことでも、キーラが言うとそれが思わぬ効果を発揮するのだ。
「あなたはきっと、もう元のおうちに帰れない」
キーラはただの夢見がちな少女ではなかった。現実を見据えてなお夢を見ることのできる少女なのだ。
「だから自分が居たいと思う場所を、きちんと自分で決めるべきだと思うの」
キーラは子どもながらにティミーを思い、彼のために行動していた。だから、ときに容赦なく現実も突きつける。それがティミーのためになると信じて、苦い薬も差し出すのだ。
「お久しぶりです。元気でしたか?」
黒い服で、ほっそりとしていて、顔色は悪くて。相変わらず吸血鬼然としたドラクロワ伯爵は、ルベット家の明るい応接室にはあまり似合わなかった。真昼の日光が入り込む部屋で、今にも灰になってしまいそうだった。
だが、物腰の柔らかさも相変わらずで、ティミーは自分で思ったよりも緊張することなく挨拶をすることができた。
「あの……本をありがとうございました」
伯爵から借りた本について話題を持ち出すと、伯爵はソファーから嬉しそうに身を乗り出した。
「どうでしたか?」
「とても楽しくて……夢みたいでした」
それから少しだけ迷って、付け加えた。
「あの世界に行きたい、と思いました」
怖いこともあったけれど、いつも魔女と一緒の黒猫。何かあっても魔女が助けてくれる。抱きしめてくれる。安心できる場所に絶対に帰ってこれる。そんな黒猫が羨ましかった。
「本の世界には連れていけませんが、私は貴方と、はじめて会ったあのお化け屋敷で一緒に住むことはできます。そのお話をしに、今日は来ました」
ティミーはドラクロワの言葉にしばらく俯いていた。予め聞いていたことだ。そうなった経緯もきちんと聞かされていたし、ドラクロワがいやなわけでもない。が、ティミーは徐に顔を上げて、隣の伯父を仰いだ。
「……僕は、このおうちにはいられないんですよね?」
ティミーを優しく見下ろすライナスは、唇を引き結んで頷いた。
「私は、君のお父さんとの縁を切ることができない。だがそうすると、君の継母とも接することがあるだろう。完全に君を守ってあげることは、できないだろうね」
この邸に継母の訪問を許すことも、これから度々あるだろう。もしかすると不意の訪問もあるかも。そのたびにティミーを逃し遠ざけることは、必ずしもできるわけではない。いくらライナスに家長としての権力があるとはいえ、あちらの実家の方が家格が上だ。何かあったときに、必ず守れるとは言い切れない。
ティミーの本当の安全を考えると、この邸に居ないほうが安全なのだ。
「私は異国の人間ですから。亡命者とはいえ、この国の人がおいそれと手を出すことのできない立場にいます」
理由はどうあれ、国が保護した人物だ。ドラクロワを受け入れたのは国の決定で、安易に覆すことはできない。どれほどの権力者であろうとも、ドラクロワが国の厚意を無下にしない限り、彼に手を出すことはできない。
「私なら貴方を守ってあげられる」
ライナスの精一杯も知っていたし、会ったのは一度だけだとはいえ、ドラクロワを信用していた。わがままを言ってもキーラたちを困らせるだけだし、ドラクロワに引き取られることは〝我慢〟呼べるようなことでもないと感じていた。
しかし、それでもティミーの中には躊躇うものがあった。
「……良いのかな。僕だけ逃げて。戦わなくて」
もとはティミーの家で起こっていることだ。父が戦えないのなら、ティミーが戦うべきではないのか。問題をすべて放り出して、嫌なことがないところで安穏と過ごしていていいのだろうか。
自分の軟弱さに、ティミーは頭を悩ませた。正直に言えば、気持ちのほうはもう答えが決まっていた。
ティミーの心を見透かしてか、ドラクロワは口を開く。
「生き残らねば戦えませんよ。そのために逃げるのも、一つの手段です」
故郷を捨ててこの国に逃げてきた異国の元伯爵は言う。
「でも、伯爵は親戚でも何でもない外国の人で、僕と何の関係もないのに」
「血の色が同じです」
ドラクロワは青い顔で淡く微笑んだ。
「同じ赤色。それだけで十分関わる理由になりますよ」
彼が是と言ってくれるのならば。甘えても良いのかもしれない、とティミーは思った。
「当初の予定の通り、十月はこの家で。ハロウィンが終わりましたら、私と一緒に暮らしましょう」
腰を浮かせたドラクロワが、ティミーに右手を差し出した。ティミーは立ち上がり、その手を右手で握った。
Day 26. カボチャ畑
Day 27. 魔法の薬
Day 28. 血の赤




