魔法にかけられて
夕食に顔を出した子供たち二人は、まるで夢の国に行ってきたかのような表情をしていた、己に不安を抱いていたティミーでさえも、すべての憂いを取り払い、綿菓子のような笑みを浮かべていた。アリエッタのような使用人も含め、家の者はみんな驚く。
「何かあったの?」
ライナスの問いに、キーラは太陽も斯くや、といった様子で目を輝かせた。
「ドラクロワ伯爵よりいただいた本が、とても素晴らしかったの!」
アリエッタは一瞬驚き、それから内心で苦笑した。勝手に開いてはいけない、と自戒していたのではなかったか。……おそらくは、ティミーを促す形で一緒に読むことになっただけなのだろうが。
「まるで、はじめてホウキで空を飛んだような気分よ」
念のため断っておくと、キーラは一度もホウキで空を飛んだことはない。ティミーもそのはずだが、彼もまたキーラに同調して頷いている。興奮と満足で顔を紅潮させたティミーに年相応のあどけなさが見えて、アリエッタは息を吐いた。
それはたぶん、旦那様方もそうであるらしい。
「どんな本だったの?」
読書好きの奥様が話を促す。フォークとナイフを皿の上に置いて、真剣に聴くつもりがあることを示している。
「物語よ。子ども向けだと思うのだけど」
それは、小さな魔女の冒険譚。使い魔の黒猫と一緒に、困ったひとを助けるため、ホウキであちこち飛び回る。冒険には、怖いものがいっぱい。でも、魔女は黒猫と力を合わせて切り抜ける。
「へえ、ドラクロワ伯爵の、とっておきがねぇ……」
大事にしていたと思われる伯爵の本が、まさかの児童書とは。アリエッタも意外ではある。子どもたちの笑顔を見ていると、確かに〝魔法の本〟ではあったようだけれども。
……本当に、魔法のようだ。それはあまりに、キーラとティミーのごっこ遊びに一致する。話を聞いていたアリエッタは、どうしてもその物語の魔女と黒猫にキーラとティミーの姿を当て嵌めてしまった。
そもそも伯爵は、二人のごっこ遊びのことをご存じだっただろうか。
知っていてもそうでなくても、その偶然の一致はまるで魔法のようだった。
このことは、ティミーの悩みを払拭するに至るのだろうか。
伯爵は、何故その本をティミーに渡したのだろう。
ゆらり、とベッドのサイドテーブルの上で灯りが揺れる。もうハロウィンまで指折り数えるほどの日数。来たるその日に向けてクルスが出したキャンドルライトを、キーラが一つ譲り受けて部屋に持ってきた。
そして今、ベッドの上からティミーと並んで二人でそれを眺めている。彼は今日、キーラの部屋で一緒に寝ることにしたらしい。一度キーラと一緒に寝て、甘えが出てしまったようだ。こういった甘えは一同むしろ大歓迎だったので、何も問題はない。夜じゅうティミーを気にかけてゆっくりと休めなかったメーガンも、今晩は何も気にせず休むようにできたことだし。
「あるお話ではね、魔女がキャンドルの光に導かれて、困っている蜘蛛女のところに行くの」
夕食を終えてなお、キーラとティミーはこうやってぽつぽつと〝魔法の本〟の話をアリエッタに聴かせた。何度も反芻して浸っているようだ。
お話に出てくる登場人物は、みな空想上の物の怪たちだった。むしろ人間は出てこないのだという。まさしく魔女の物語だ。
「蜘蛛女は、その見た目の所為でみんなから追い出されて、森の陰でひっそりと暮らしていた。でも、本当は華やかな世界にあこがれていたのね。それで魔女に頼んで、どうにか万霊節のパーティに行きたいってお願いするの」
魔女はそれを叶えた。魔法で蜘蛛女の姿を変えた。そうして喜んでパーティに行く蜘蛛女を心配して、魔女自身も姿を変えてパーティへ行く。
「まるでシンデレラですね」
うん、とキーラはキャンドルライトの灯りを見つめながら肯定する。光を弱めにしておいてよかった、とアリエッタは思った。こうも直視するようでは、目に悪い。
キーラもティミーも、物語の語り聞かせを続けなかった。
「不思議ね。物語の中のことって分かっているのに、本を読んでいる間は、まるで本当のことのように思えたの」
ベッドの上で寝転んで、頬杖を付いたキーラの眼差しは、何処か遠く深いところを見ているようだった。その姿は夢見る少女そのもののはずなのに、アリエッタには何処か大人びて見えた。
「灯りが揺れているだけなのに本物のように見えてしまう、まるでこのキャンドルライトみたい」
そして、子どもたちはすぐに眠りに落ちていった。穏やかな寝顔で、布団からはみ出た互いの手が硬く握りあわされていた。
休んでいるメーガンに代わりティミーの様子を見守っていたアリエッタは、肩を竦めた。
「……本当、いったいどのような魔法がかけられていたのかしら」
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蜘蛛女は、くるくる器用に糸を巻き付ける。
黒猫のからだを、まあるく綺麗に包んで、まるで繭玉のように仕立て上げる。
そして八角形の巣に吊る下げれば、甘い甘い夢が見られるゆりかごの出来上がり。
あとはじっくりゆっくり、溶かして啜って味わって。
「ねえ、蜘蛛女さん。あなたに騙されてあげた私も、さすがにこればかりは見過ごすことができないわ」
そこに現れる救い主。魔女の娘は、緑の目をギラギラと輝かせて、蜘蛛女を睨めつける。
「さあ、私の可愛い黒猫ちゃんを返してもらうわよ」
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「君たちには、ひとまず伝えておこうかな」
キーラとティミーが安定的に健やかに眠るのを確かめた頃。アリエッタとメーガンは、旦那様に呼ばれて夜分に執務室へと参じた。執務机にライナスがいるのはもちろんだが、来客用のソファーに奥様もいらっしゃった。アリエッタはメーガンと目を見合わせる。用件は件は察しが付いている。だが、それには不安が付き纏っている。ようやく子どもたちが安らかな夜を過ごせるようになったというのに。
「気づいていると思うけど、ティミーのことだ」
執務机に両肘を付いて、手を組んだライナスは、憂鬱そうに溜め息を吐いた。
「正確には、私の弟のこと。残念ながら、弟の家からスタルバーグのお二人を追い出すことは、難しそうだ」
言の端から滲み出る主人の悪意がどうでも良くなるほどに、アリエッタとメーガンは落ち込んだ。
「あの家は、もうケイトリンの手の中に絡め取られてしまっている。私ではもうどうにもできない。ティムエルが帰る場所は、もうない。いや、帰してしまったら、きっと彼は――
今度こそ心を潰されるかもしれない。
ティミーの父親はが息子を助けることは、期待できないようだった。〝しない〟のか〝できない〟のかは、アリエッタたちには判断できないが。父親は、息子を犠牲にするつもりなのだ。
「ティミー様は、これからどうなるんですか?」
アリエッタもメーガンも、自然と胸の前で自分の両の手を握り合っていた。祈らずにはいられなかった。まだ純粋な幼い子どもの幸せを。
ライナスは、視線を机に落とした。組んだ手を額に付ける。
「我が家で引き取ることも考えた。でも――」
ライナスは顔を上げた。
「もっと呪いが届かない場所に連れていくことも考えている」
「呪いが届かない場所……?」
それは何処だろうか、と考える。この家で引き取らないのならば、修道院か。それとも、寮制の学校だろうか。
いずれにしても、ティミーが誰かと笑っていられる場所であると良い、とアリエッタは思った。
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もののけたちのパーティに忍び込む。
魔女にとって、それはとても簡単なことだった。魔女だって、パーティの参加資格を持っているのだから。
だけど今回は、魔女であることは知られてはならない。
だから、魔女は変装をすることにした。
姿を偽り、もののけたちの目を欺いて、確実に目的のものを手に入れる。
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ハロウィンまであと一週間。そろそろパーティの準備をしなければならない。 ということで、アリエッタたちは、部屋でボードゲームを楽しむ子どもたちに希望の仮装を尋ねてみた。
「もちろん魔女よ!」
真っ直ぐに挙手するキーラの答えは分かりきっていた。しかも最近魔女の帽子やら衣装やらを引っ張り出していたので、あとは小物の準備くらいしか必要ない。こちらは取り立てて急ぐ必要はないだろう。
では、ティミーは?
少年は、ゲームの駒を指先で弄びながら、こちらから視線を逸らし、モジモジしていた。
キーラは、特に口を出さなかった。彼自身が決めるべきだと思っているのとはいえ、こちらも分かり切っているようなもので。
「……僕、黒猫が良い」
キーラのごっこ遊びでの扱いと、ドラクロワ伯爵の魔法の本と、魔女の傍にいる黒猫に、ティミーはすっかり感情移入してしまっているようだった。もしかすると、分身のように思っているのかもしれない。だが、それはとにかく前向きのものに感じられて、アリエッタもメーガンも内心ではほっとしていた。ティミーの様子は、この屋敷に来た当初と全然違う。まだ気弱なところは見えるけれども、キーラに引っ張りまわされるがままではない、心も行動も自発的で前向きなものとなっている。
「黒猫ですか。お耳としっぽは、確か以前のものがどこかに。そちらを調整して使いましょうか」
メーガンの声は、弾んでいる。いっときの相手とはいえ、おそらくこの家の誰よりもティミーのことを心配していたから。
「問題は、衣装ですね。黒いズボンとシャツを探して……あとは、手袋?」
「靴もよ!」
キーラの言葉に、メーガンは考える仕草を見せながら何度も頷く。
「ティミー様、改めてサイズをお伺いしてもよろしいですか?」
パーティの準備で、子どもたちはすっかり浮かれていた。二人の時間が終わりかけていることなど、忘れているようだ。
いつか来る問題の先延ばしでしかないと知りながら、アリエッタは内心安堵していた。
楽しい時間は、できるだけ長く続いてもらいたいから。
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鏡に映った自分たちの姿を見て、魔女は驚いた。自分たちは、他のもののけになりすましていたはずなのに。
魔女は、魔女に。黒猫は、黒猫に。
蜘蛛女は、人間に。
姿が変わっていたのだから。
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真っ黒なシャツに、真っ黒なズボン。コウモリやカボチャのワッペンが付いたサスペンダー。
肘まである黒いモコモコの手袋の、掌側にはピンク色の肉球。黒いブーツは膝まで。こちらも雪靴のようにモコモコしている。
「尻尾の長さも、ちょうど良さそうですね」
ズボンのゴムに挟み、尻側に垂らした布の尻尾が、膝裏の辺りで揺れている。猫が人間の姿に化けたらこんな感じなのかな、と鏡を見ていたティミーは思った。
これはまだ衣装合わせなので、ティミーは化粧をしていない。でも、鏡の中に映る自分は、人の姿から外れて別もののようだった。
今ここに、お化けに怯えた子どもはいない。
だからティミーは、この邸にお化けが来ても、勝手に何処かに連れて行かれたりしない。
「……ねえ、メーガン」
背後で服を直してくれている、お世話係のメイドに声をかける。メーガンはすぐに顔を上げてくれた。他の人もそうだけれど、彼女は特に素早くティミーに応えてくれる。
だから、つい甘えてしまう。
「僕は、狼男をやめられるかな」
この邸に来てから、ティミーは夜うろついたりすることも、物を壊したりすることもなかったらしい。はじめはみんな隠しているのではないかと疑ったが、長く過ごすにつれ、そうではないことに気が付いた。この邸の人たちがみな正直なこともあるけれど、物が壊れたり隠されたりしている様子がまるでなかったから。
「ティミー様は、この家に来たときからずっと、小さな男の子でしたよ」
メーガンもきちんとそのように教えてくれる。
それから、くす、と笑った。
「たまに、お嬢様の仔猫になっていらっしゃいましたけど」
ティミーもつられて笑った。だって、本当にそうなりたいくらい、キーラとの日々が楽しかったのだ。




