ドラクロワ伯爵
アリエッタの質問に、ドラクロワは薄い眉を顰めて考え込んだ。それから、ふと顔を上げ、アリエッタたちを見回した。
「……お腹が空きませんか?」
話を逸らされたのだろうか。アリエッタは口の中が苦くなったのを表に出さぬよう、必死で隠す。
しかし、子どもたちは困惑を隠しきれなかったようだ。キーラに至っては憤慨しかけている。
「ああ、いえ。誤魔化そうっていうのではなくて。良い時間だし、お話しするならお昼を食べながらでどうかな、と思いまして」
よろしければうちまで、と住宅街のほうを示す。
お日様も天上まで昇ってきていた。まさしくお昼ご飯には良い時間。
「……いえ。お世話になるわけには」
どうか子どもたちが安易に承諾しませんように、と祈りながらアリエッタは断りを入れた。アリエッタには監督責任があり、もっと言うなら保護者の立場だ。だが、社会的な地位は、あくまでもキーラたちのほうが上。キーラが諾してしまったら、アリエッタは覆すことができない。
幸いにして、懸命なるキーラお嬢様は少しばかり残念そうにしながらも黙っていた。
ドラクロワ伯爵は、悲しそうにする。
「ご存じのとおり、私は余所者でしょう? ですから、お友だちがいなくて」
「なら、おじゃまします!」
アリエッタは空を仰ぎ、掌で両目を覆った。殺し文句だ。こう言われてしまっては、お優しいキーラお嬢様は飛びついてしまうし、アリエッタがそれに反対するのも躊躇われる。
ドラクロワがこんなに嬉しそうな顔をしてしまえば、なおさら。
「では、案内します。故国から連れてきたシェフの、タルト・オ・ポティロンは絶品ですよ」
「タルト、オ……?」
「ああ。ええと……パンプキンパイのことです」
ドラクロワはキーラをいっぱしのレディのごとく扱ってエスコートする。うきうきしているように見えるのは、アリエッタの錯覚ではないだろう。
ティミーがなんとなく嫌そうな様子で服を掴んでくるが、アリエッタにはどうすることもできない。仕方なくティミーを引きずって、二人に付いていった。
ドラクロワが身を置いているのは、アシュクロフト邸。アシュクロフトご当主の奥方が、彼のお姉様だとアリエッタは聞いている。
だが、彼が邸の使用人に親切にされているのは、その血縁関係だけが理由ではないだろう。おそらく、キーラたちやアリエッタに対しても丁寧に接するような人柄の賜物だ。つい心が絆されてしまう。……見た目は、吸血鬼のようであろうとも。
食堂に通され出されたパンプキンパイは、ドラクロワが自慢していただけあって絶品だった。そう、アリエッタまでご相伴に預かってしまった。それも、使用人用の部屋でなく、ご主人方用の食堂の端っこで。これも、子どもたちから目を離すのは不安だろう、とのドラクロワ伯爵のご厚意だ。有難い一方で、分不相応すぎてアリエッタの胃は極限まで縮まった。いっそ食事がないほうが気が楽だったのに。
ドラクロワ相手にあれだけ怯えていた子どもたちは、パンプキンパイですっかり懐柔されてしまった。無人屋敷を離れるまで怯えていたティミーまで、はにかむような笑顔を見せはじめている。お腹が膨れて不安も減ったのだろうか。良いことだが、あまりに簡単すぎて将来が不安にもなる。
「それで、伯爵はどうしてあそこにいらしたの?」
食後のお茶が配られたところで、キーラは尋ねる。ちなみにアリエッタは、この頃にはさすがに席を立ち、使用人らしく壁際に控えていた。
「伯爵はやめてください」
ドラクロワは、子ども相手だというのに恥じ入るように言った。故国での爵位は返上しているという。この国ではただの亡命者で、姉に頼っている居候に過ぎない、ただの異邦人でしかない、と自らを卑下していた。
「だから、そろそろ自立しようと思って。いつまでもご厄介になっていたら、義兄上に申し訳ないですから」
それで、まず住まいを探した。案内を受け候補に挙がったのが、あのゴシックな無人屋敷だ。今日は下見に訪れていたのだという。
それが、キーラたちのいたずらと重なって。なんて運命的なのだろう、とアリエッタは思った。
「あんな、怖いところに住もうだなんて……」
椅子の上で、ティミーが身体を震わせる。ゴシック建築の重々しさ、廃屋の古めかしさ、そして背後の暗い森は、如何にもな雰囲気を出していた。確かにわざわざあんなところに住もうとは、多くの人は思わないだろう。
「怖い……そうですね」
ドラクロワは白いカップを持ち上げ、そのまま停止した。ヘーゼルの視線は何処かあらぬほうへ飛んでいる。
「確かに、あの黒い森は怖ろしくもあります。でも……それがまた、私の琴線に触れてしまったのです」
ドラクロワの故郷は、国の縁にあった。隣国との境には、森が隔たっていたのだという。
「深く、陰鬱とした森でした。〝黒い森〟と言われていまして。入れば宵のように暗い、陽の光も差し込まないような森でした」
そんな森には、噂があった。森の奥にゾンビが出る、という。国境にあるだけあって、過去に戦の舞台となり、死人がたくさん出たことが起源だろう、とドラクロワは言う。
「本当に、いたんですか……ゾンビ」
びくびくしながら尋ねるティミーに、ドラクロワは笑った。
「まさか。方便ですよ。子どもを深い森に立ち入らせないための、ね」
だが、かえって子どもの好奇心を刺激したことは、想像に難くない。
「私が子どもの頃、肝試しが流行りました。森の奥に行き、ゾンビを見つけ、退治する。そして戦利品を持ち帰る」
いわゆるガキ大将にあたる少年が、その戦利品を見せびらかしたのが発端だ。刃の折れた錆だらけの隣国の剣。土で汚れていたが、だからこそ子どもたちは少年の言葉を真に受けた。自分の勇気を見せつけ宝を得るために、森に入っていったのだ。
多くの子どもは、宝を見つけることができなかった。でも、無事に帰ってはきた。
しかし、たった一人が行方不明になってしまったことで、それも終わりを告げる。
「私なんですよ。その迷子」
青白い顔で、ドラクロワは笑った。
「まあ、これでも良いところのお坊ちゃんでしたから。街では騒ぎになりまして」
大勢の大人を集め、捜索隊が組まれ。うっかり隣国に立ち入ってしまう可能性もあったというのに、みんな危険を顧みずに捜索してくれたのだという。
「一方、私はというと。それはもう、一人で心細くってですね」
西も東も分からず、歩けど歩けど木ばかり。日の光もまともに差さず、不気味な獣の鳴き声ばかりが木霊する。
たった一人、見通しが悪い中で、嫌な想像ばかりが頭に浮かんだ。
もし今ゾンビに襲われたら、誰も自分のことを助けてはくれない。
そして、一人で死んでしまって。
今度は自分がゾンビになって、街の人を襲うのだ。
「そう考えたら怖くて怖くて。私は泣きながら森を彷徨っていました」
アリエッタはその様子を思い浮かべようとして、うまく想像できなかった。青白く細長い吸血鬼めいた顔が、すっかりアリエッタの中で焼き付いてしまって。その顔のまま、頭身は子どもサイズで――となると、とてつもなく面白いなことになるので、心を無にして話を聴く。
「それこそ、夜まで」
季節は今と同じ秋の深まる頃。その年は実りが多かったのか、子ども一人で森を徘徊して、獣に襲われなかったのが幸いだった。
だが、幼子であったドラクロワは、何よりも独りであることが怖かった。このまま森を彷徨い続ける恐怖。そして、その末。
怯えているうちに、日は暮れて。ただでさえ暗い森は、闇に呑み込まれた。
「自分も闇に溶けて消えてしまうような、そんな錯覚を抱いた中で……私を救ってくれたのは、ガイコツでした」
アリエッタは頭に疑問符を浮かべ、キーラとティミーが目を丸くする。
真っ暗闇をふらふらと歩き続けたドラクロワの目に、いつの間にか白いものが入り込んだ。はじめは朧気な白い点。近づくにつれて、その丸いものは大きくなって、地面に落ちていることに気が付いた。首を傾げながらも誘われるようにドラクロワが近寄ってみると、突如空から白い光が降り注いだのだという。
そこだけ森が開けていた。枝葉の天蓋が取り払われたそこに、月の光が差し込んでいた。
そして月光は、スポットライトのように、草地に打ち捨てられた頭蓋骨を照らしていた。
「まあ……驚きましたよね。ですが、何故か恐ろしくなかった」
あれだけゾンビにおびえていたというのに、その時のドラクロワは頭蓋骨に魅入られた。拾い上げ、土を払って胸に抱きもした。
「そして気付いたら私は倒れ、森は朝を迎えていました」
そして再び森を彷徨うまでもなく村人に発見されて、ドラクロワは家に帰ることができた。
まさに夢のような出来事だった、という。
「あの屋敷の周りの森は、そんな神がかった故郷の森を思わせる。ですから、私はあの屋敷を住まいにしようと思ったのです」
アリエッタは無表情を貫くのに必死だった。興味深い話ではあると思う。だが、屋敷の購入理由にはまったく共感できない。
「……いいわね。素敵なお話」
「どこがですか、お嬢様」
夢見るようなキーラに、アリエッタは白い目を向けてしまう。
「だってドラクロワ様は、人ではないものに助けてもらっているのよ? ガイコツはちょっと不気味だけど……夢みたいな冒険をしたことがあるなんて、羨ましいじゃない」
「私は、恐ろしい体験はごめんです」
森で一人迷って怖い思いをするのも、迷った先で骸骨を見つけるのも、体験したくない。
さらに、仮に助かるのだとしても、キーラがそういう目に遭かもしれないと想像しただけで怖ろしい。
ドラクロワの朗らかな笑い声に、アリエッタは我に返った。あろうことか、本人の目の前で本音を口にしてしまった。
「お転婆ですね。そちらのお嬢様は」
アリエッタの無礼に触れることなく言ってくれるドラクロワに気まずくなるも、頷く。まったくもってその通り。アリエッタはいつも振り回されている。
一方、ティミーは何処か神妙な面持ちで俯いていた。
「伯爵は……そんなに故郷が懐かしいのに、帰ろうとは思わないの?」
「あそこはもう、私の帰る場所ではありませんから」
ドラクロワは、故国での権力闘争に負けてここへ来た、というのが専らの噂だ。亡命なんて話もある。
「僕は……帰りたい。知らない場所に居るのは、怖い。今はお姉ちゃんがいるからいいけれど……帰れないのは嫌だよ」
キーラがアリエッタを見上げる。だが、アリエッタもティミーの詳しい事情は知らない。一月だけキーラの邸に滞在する、としか。
そもそも、そうすることになった経緯でさえ、聞かされていないのだ。
ドラクロワは目を細め、覗き込むようにティミーの顔を窺う。
「君は、帰れないのですか?」
「分からない。でも、たぶん」
首を振るティミーを、キーラがもの言いたげな様子で見つめていた。だが、余計なことは言わずに黙っている。
「では、君に私から贈り物を差し上げましょう」
ドラクロワは、近くの使用人を呼び寄せると、何事かを耳打ちした。使用人は心得たように頷き、食堂を出ていく。
彼が戻ってくるまでの間、誰も何も喋らなかった。ティミーは困惑し、キーラは首を傾げ。アリエッタは、使用人の本分を思い出し空気のように立っていた。
戻ってきた使用人は、ドラクロワに一冊の本を差し出した。ドラクロワは、それを壊れ物であるかのように慎重に受け取り、席を立って、ティミーの椅子の横にしゃがみ込んだ。
「Voici mon secret」
少年には理解できていない言語で、その本を差し出す。革張りの立派な装丁の、厚い本。黒ずみつつも独特な光沢のあるそれは、長いこと使い込まれてきた証だろう。綴じられた紙の束も黄みを帯びていて、大切にされてきた年月を窺わせる。
ティミーは、差し出された本を前に固まっていた。何故これを渡されたのか理解できず、どうして良いのか判らないようだ。
仕方ないので、アリエッタは助け舟を出した。ようやく受け取ったティミーだが、やはりどうしてこれが贈られたのか、分からないよう。
ドラクロワは、そんな彼の手を包み込むように握った。
「君がその魔法の本を開くとき、きっと世界が変わるでしょう。私がそうだったように、ね」
Day 11. パンプキンパイ
Day 12. 黒い森
Day 13. ゾンビ
Day 14. ガイコツ
Day 15. 魔法の本




