子どもたちの冒険
こうして黒猫を手懐けた魔女は、次の日から早速猫を街中に連れ回した……かったことだろうが。
生憎、キーラには日常があった。平日は、学校に行かなければならない。
「ティミーも連れていければいいのに」
とキーラはこぼすが、旦那様はティミーをこの街の学校に行かせる予定はなかったらしく、彼はおとなしく家でお留守番だ。
「退屈していないかしら」
あれだけのことを言っておいて現実は、ということで、気にしているらしい。ティミーのほうは聞き分けが良くて、キーラに文句を言ったり拗ねたりすることもなく、本を読んで過ごしているのだが。
そして、彼はこの家にも慣れてきたらしく、旦那様や奥様、アリエッタたち使用人とも言葉を交わすようになった。特に、ティミーのお世話をしているメーガンとはだいぶ打ち解けたようだ。
「それなら良いんだけど……」
アリエッタから話を聞いたキーラのほうが不満そうだった。大方、ティミーが自分以外に懐いてしまったのが、ちょっぴり面白くないのだろう。
「まあまあ、そう腐らず。お楽しみは、ちゃんとご用意しているのでしょう?」
「まあね」
キーラの部屋のデスクの上には、籠が一つ置いてあった。病院へのお見舞いに持っていくような大きさの、手提げの籠。取手の付け根にオレンジと紫のリボンが一つずつ蝶結びにされている。その中には、透明な袋に入った棒付きキャンディや、クッキー、カップケーキなどのお菓子の数々。
「ハロウィンには、お菓子が付き物でしょう?」
魔女はいよいよ週末から動き出すようだ。
「フランケンシュタインって知ってる?」
週末を迎えたキーラは、アリエッタの目を盗んでティミーの部屋を訪れた。朝食を食べ終わり、家人たちがゆっくりできる時間帯。一方で、使用人たちは、今一番忙しい時間帯。
「えっと……人造人間を作ったっていう博士だっけ? 怪奇小説の」
「そう。フランケンシュタイン博士。有名よね。じゃあ、そのフランケンシュタイン博士みたいに人造人間を造ろうとした人が、この街にもいたって言ったら?」
ティミーは息を呑み、目を瞠って固まった。しばらくして震えだし、おずおずとキーラを上目遣いで見つめる。
「……本当?」
「さて、どうかしら。私は噂を聞いただけで、本当のことは知らないの。だから、確かめてみない?」
「確かめるって……」
「この街の外れに、古いお屋敷があるの。今は誰も住んでいない。その理由は、誰も知らない」
それからキーラは、周囲をきょろきょろと見回した。ティミーの部屋の中には、キーラたちの他には誰もいない。メーガンも今は、階下で雑事をこなしている。
よし、と頷いて、キーラは声を潜めて囁いた。
「でもね。その人造人間を造り出そうとした人が、研究に失敗して逃げ出したから、なんて噂があるの」
ティミーは恐れ慄いた。胸のあたりのシャツを掴んで、表情を引き攣らせ。今もしキーラが大声を出したら、彼は悲鳴を上げるだろう。
でも、その瞳に好奇心が宿っていることを、キーラは見逃さなかった。
「来たるハロウィンに備えて、我が家は招待するお客様を選ぶ必要があるわ。もし、その人造人間がいたのなら……相応しいお客様だと思わない?」
ティミーはしばらく俯いて、何も答えなかった。彼の小さい身体の中で葛藤が渦巻いているのに、キーラは気づいていた。
「僕……」
キーラが与えた月とコウモリのお守りが、ティミーによって角度を変えられて、チカチカと光っている。
「……行く」
「そうこなくっちゃ!」
キーラは興奮して立ち上がった。それからくるりと身体を回転させて、踊るようにティミーの部屋の机に近寄った。そこには、キーラの部屋から持ってきた、お菓子入りの籠が置いてある。籐で編まれた取手を掴み、ティミーを振り返る。
「じゃあ、早速行きましょう。お節介な妖精さんたちが、私たちを捕まえに来る前に」
キーラとティミーが居ない、とアリエッタが気付いたのは、真っ白な洗濯ものを竿に干し、シーツをお日様に当てた後のことだった。仕事も一段落してキーラの部屋に行ってみたが、お嬢様の姿はなく。ティミーの部屋に行っても、お客人揃って見当たらず。菓子の籠がなかったことに気が付いたアリエッタは、キーラとティミーがたった二人で邸から出掛けたことに思い当たった。
「ああ、もう! 油断していたら!」
まさか子どもたちだけで出掛けることはないだろう、と思っていた。キーラがアリエッタをごっこ遊びに加えていたので、たかをくくっていた。まさか出し抜かれてしまうなんて。
非常に困る。アリエッタは、旦那様から子どもたちの監督役を任されているのだ。
アリエッタはただちに街へと出た。
行き先は知らない。だが、キーラが大人に内緒でこっそり出掛けたというのなら、心当たりはある。大人に「駄目だ」と言われる場所。でも、ティミーを連れて行っているから、そこまで危険ではない場所。
――街外れの、無人のお屋敷。
前にキーラが興味を持っていたことを、アリエッタはしっかり覚えている。
昼日中にあっても静かな高級住宅街を、足早に抜ける。通り過ぎる邸宅は、大なり小なりハロウィンの飾り付けがされていた。オレンジや紫、黒のガーランド。カボチャや箒の置物。門の上の犬の像が帽子を被っていたり、ポストにお化けのシールが貼られていたり。
この街は、祭りに対して全力だ。特に子どもたちにとっては、楽しい街だ。
はじめは引き籠もりがちだったティミーも、この祭りの空気に浮かされるようになってきた。
――だからといって、お嬢様が内緒で連れ出すのを、容認するわけには行かないけれど。
はしゃいで調子に乗る気持ちは分からなくもない。
整った家並みも徐々に寂れていき、いつの間にか辺りは薄暗くなってきた。背の高い木々が立ち並ぶ。森の入口に差し掛かってきたのだ。
件の屋敷は、その中に建っていた。灰色の石で築かれた、ゴシック調の建築物。傾斜のきつい三角屋根の三階建てに挟まれて、中央に円塔が聳え立つ。長い事無人とあって、周囲は背の高い雑草に囲まれて、壁は風化で痛んだ様子が見られ。ティミーはルベット邸を『お化け屋敷』などと呼んだが、こちらのほうがずっと〝お化け屋敷〟だ。
背の高い窓の向こうが、白く揺れる。カーテン、だと思う。まさか幽霊などと、そんなはずあるまいが……。
アリエッタは唾を飲み込み、無人の屋敷の敷地内に踏み込んだ。ここが幽霊屋敷であれ、なんであれ。不法侵入だとしても。子どもたちを見つけなければならない。
その無人屋敷の中は、埃っぽかった。石の床に降り積もって、足元は滑りやすい。キーラは慎重に屋敷の中を探索する。ティミーが左腕に絡みついていて、これまた動きづらい。
「ここ……本当に、誰か居るの?」
ティミーの質問に、キーラは答えなかった。居るはずがないと思っていた。というか、居たら困る。怒られる。無人だと確信しているからこそ、キーラはここを探検の舞台に選んだのだ。
大きな窓が取り入れる白い光を頼りに暗い屋敷を進んでいくと、絨毯の敷かれた大階段に差し掛かる。他と同じで埃被っていたけれど――
「……あら?」
その絨毯を観察して、キーラは気が付いた。
「足跡がある」
「えっ」
ティミーがキーラの影から顔を出した。
ほとんど白く染まった絨毯の上に、ポツポツと赤い靴跡が付いていた。元の生地の色が、誰かが歩いたことで表に出てきたのだ。足跡は、階段の上に続いていた。何度も通ったという感じではないが、確かに誰かが屋敷内を歩いた跡だ。
「……まさか、本当に人造人間が?」
「……………………まさかぁ」
あれは、ティミーがこの街のことをよく知らないのに付け込んだ、キーラの作り話だ。そんなことがあるわけがない。
あるわけはない、が。
明確な靴跡は、二人に恐怖と、それを上回る興奮を抱かせた。間違いなくこれは、冒険の予感だ。
キーラは階段へと足を向けた。ティミーは何も言わなかった。二人は自然足音を忍ばせた。絨毯が靴音を吸い込んでいく。
屋敷の中は静かで、冷たくて。日頃キーラたちがいる世界とはまるで違っていた。背筋が冷たくなるような恐ろしさを覚える中で、しかし二人は誘われるように、屋敷の二階へと上がっていった。壊れた置物が、二人を出迎える。顔の欠けた石膏像と顔を突き合わせ、心臓が止まる思いをする。それでも二人は引き返さなかった。まるでクモの糸に絡め取られているかのように。
階上で子どもたちを待ち構えているのは、顎を拡げた大きなクモか。それとも――
「誰かいるのか?」
突如降ってきた男の低い声。見上げると、階段を見下ろす二階の手すりから、細長い影があった。髪を後ろに撫で付けて、黒のスーツのような服を着て。顔は白く、目尻は吊り上がり。
そんな男を前にして、キーラもティミーも喉を引きつらせて凍りついた。
男はことんと首を傾げる。
「……子どもがどうしてここに」
訝しげな二言目が、子どもたちのスイッチを押した。
キーラもティミーも悲鳴を上げて、転がるように階段を下りていった。屋敷の壁に天井に声が反響し、それがまた恐怖を引き立てる。
もつれる足で階段を下り玄関に向かっていると、逃げ道を示すように扉が開かれた。
キーラは、白い光の向こうにアリエッタの姿を認め、その身体に飛び込んだ。
「吸血鬼が! 吸血鬼が!」
「フランケンシュタインの怪物じゃなかった! 吸血鬼だったんだ!」
なんとか倒れず子どもたちを受け止めたアリエッタは、眉を顰めて首を傾げた。身体にしがみつく子どもたちを宥めながら、屋敷の中を覗き込んだ。ちょうど大階段を下りたところに細い影があり、アリエッタは驚く。
その人は、時折床に屈み込みながら、こちらへと向かってくる。拾い上げたそれは、棒付きのキャンディーだ。見れば、キーラが下げていた籠からお菓子がこぼれ落ちている。
「あの、これ……落とし物なのですが……」
細長い男は、おずおずとキャンディーをアリエッタたちに差し出した。子どもたちはビクリと身体を震わせたが、その頃には男も光射す中に入ってきて、その姿があらわになった。
アリエッタは、その人を知っていた。
「あの……申し訳ございません、ドラクロワ伯爵。お嬢様たちがご迷惑を……」
子どもたちを抱えたままどうにか頭を垂れようとしたところで、ティミーが顔を上げる。
「ドラキュラ?」
「違います。ドラクロワ伯爵です」
聞き取りづらかったか、とアリエッタはゆっくりと発音する。
「数ヶ月前より、異国から御親戚を頼って来られた方で――」
その話はキーラも聞いていたのか、振り返って男を仰いだ顔が、みるみる青くなっていく。ようやく無礼を働いたことに気がついたらしく、アリエッタは肩を竦めた。
「……人間?」
「人間ですよ、紛れもなく」
まあ、吸血鬼と疑ってもおかしくはないほど、顔色が青くていらっしゃるのだが。
失礼はぐっと呑み込んで、アリエッタは子どもたちを身体から引き剥がした。彼らはアリエッタからしてみれば主人にあたるのだが、あちらはその主人よりも格が上の御仁である。ならば、主人たちに礼儀を示すよう指導するのが、使用人の勤めだ。
「お騒がせして申し訳ございません、ドラクロワ伯爵。大変なご無礼をいたしました」
「いやいや」
昼の光の中に出てきたドラクロワは、ヘラリとした様子で笑う。三十を過ぎたかと思われるその人は、まだキャンディーを持て余していた。アリエッタは両手を差し出して、それを受け取る。
彼はすごく穏やかで気さくな人のようだ。
だから、アリエッタもつい気を抜いて、訊いてしまう。
「あの、ドラクロワ伯爵は、どうしてこのような場所にいらっしゃるのですか?」
Day 6. キャンディとお菓子
Day 7. フランケン
Day 8. ゴースト
Day 9. クモとクモの巣
Day 10. ドラキュラ




