従弟がやってきた
「今日から一ヶ月、この子と一緒に暮らすんだよ」
そのことは、予め旦那様から聞かされていたので、従弟の少年を紹介されても、キーラお嬢様は特に驚くことはなかった。だけど、物珍しくはあるらしい。大きな目を瞬かせて。両手を腰の後ろに回し、前屈みになって。じろじろとその従弟を観察していた。
アリエッタが心配したように、少年は怯えてしまった。キーラから身を隠すように、旦那様の後ろに隠れてしまう。黒くて長くて癖っ毛の前髪に隠れた顔には、警戒の色が浮かんでいた。
ハチミツのような黄色の目が、じっとキーラの動向を窺っている。
人見知りかな、とアリエッタは予想した。九歳といえば、好奇心旺盛で活発な年頃だろうに。キーラのほうが上とはいえ、その差はたった三つ。気後れするほどではあるまいに、遊んでくれそうな相手にこの反応。繊細な子なのかもしれない。
果たして、彼はキーラと一ヶ月うまくやっていけるだろうか。アリエッタは心配になった。キーラお嬢様は、決して悪い子ではないが、少々人を振り回すところがお有りなので。
ふーん、と唸って、キーラは身を起こした。いつもより偉そうな感じで胸を張っているのが、アリエッタは気になった。
「なんか、猫みたいね」
白いシャツと、タータンチェックの茶色のズボンと。きちんと身なりは整えられていたけれど、少年の背は丸まっていた。その気の弱さが、キーラには怯えた猫のように見えたらしい。そう言われると、アリエッタにもそのように見えてくる。物陰に隠れて怯えながらも、こちらの様子を窺って毛を逆立てている黒い仔猫。明るい色の目が光って見えるのが、その印象を強めている。
どうやらアリエッタも、すっかり感性がお嬢様に影響されているようだ。これもお嬢様付きのメイドのさだめだろうか。
「ティミーって、言ったかしら」
従弟とはいえ、これまで交流のなかった間柄。キーラは相手の名前を確認するが、ティミーは頷くこともしなかった。手懐けるのは、なかなか容易ではなさそうだ。
それがまた、アリエッタのお嬢様の闘争心を煽る。
「今日から一ヶ月、よろしくね」
絶対に手懐けてみせるんだから、とお嬢様の目が語っていた。
だが、キーラの気合いに恐れをなしたのか、ティミーはキーラを避けていた。いや、キーラだけではなかった。伯父である旦那様も、奥様も、アリエッタたち使用人でさえ避けていた。彼がやってきた一昨日も、一日経過した昨日も、ご飯のときだけ顔を出して、だんまりのまま食事をかきこみ、あとは客室に引きこもり。
「そういえば、あの子は誰も連れてこなかったわね」
家族であれ、使用人であれ。誰一人あの子の知り合いはいない。互いの存在を記憶していないほど疎遠だった伯父も従姉も、ティミーにとっては〝見知らぬ人〟でしかない。
見知らぬ場所で、独りぼっち。それがティムエル・ルベットの現在の境遇。
もう少し早く気付くべきだったかもしれない。
「……もったいないわね」
自室のベッドに座ってアリエッタの反省を聞いていたキーラは、むすっとした様子で窓の外に目を向ける。そこには、ルベット邸の庭が広がるばかりだが――
キーラは勢い良く立ち上がると、お付きのアリエッタに何も相談することなく、クローゼットを勢いよく開けた。ずかずかと中に入り込み、たくさんの帽子の箱を、引っ張り出しては開けて。
「……お嬢様?」
「あったあった。これよこれ」
見つけたのは、大きな鍔の三角帽子。真っ黒の生地に紫のリボンを巻いたそれを被り、キーラは姿見の前で満足そうに笑った。
「街はもうすぐハロウィンで、面白いものがいっぱいあるの。楽しまなくちゃ、もったいないわ」
仮装用の魔女の帽子を被ったまま、その場でくるくると回る。いつものお気に入りの黄色いドレスが翻る。
「だけど、あのうじうじくんがあのままじゃ、せっかくのハロウィンが楽しめないわ。だから私、魔女になることにしたの」
『だから』の前後の結びつきが分からず、アリエッタは首を傾げた。だけど、キーラの中では納得できる方程式が出来上がっているらしい。何やら〝計画〟を立てることに夢中になっている。
「さあさあ、私のお手伝い妖精さん。今年はたくさんのいたずらをするわよ。まずは黒猫ちゃんに魔法をかけなきゃ」
まずは黒いドレスを出しなさい、と未完成な魔女様はブラウニーに命令した。
アリエッタは、慌てて旦那様に報告に行った。キーラお嬢様を止められるのは、この人しかいない、と思って。
「良いんじゃないか。キーラに任せよう」
だけど、ルベット家のご当主ライナスは、朗らかに笑った。
「大丈夫。あの子はたちの悪い悪さはしないから」
それに君がいるしね、と言われて、アリエッタは慄いた。つまりキーラは止めないが、アリエッタの監督責任はしっかり問われるというわけだ。面倒事を丸投げにされた。あまりにひどくはないだろうか。
今日からのおよそ一ヶ月の間の苦労を思い、アリエッタが執事に特別手当の相談をしようか迷っている間。キーラは早くもティミーの部屋に突撃したらしい。黒のワンピースに着替えて魔女らしい装いになったお嬢様は、抵抗せずうなだれたままのティミーの腕を引っ張って、庭外に出ようとしていた。後ろでティミー付きとなったメイド仲間のメーガンがオロオロしている。
早速アリエッタの監督が必要なようだった。
「お嬢様」
事前に何の相談もなくお客人を外に連れ出そうとしたことを注意する。
「ちょっとそこまで。前庭に出るだけよ。さすがに私も、怯える仔猫ちゃんをいきなり街中に連れて行くことはしないわ」
どうやらキーラの中では、この従弟を仔猫扱いすることが決まっているらしい。アリエッタはティミーの顔を窺うが、俯いて暗い顔をしている彼の心情は推し量れない。
――大丈夫だろうか。お嬢様のごっこ遊びに振り回されていないだろうか。
「今日、飾り用のパンプキンが届く日でしょう? それを見せてあげるのよ!」
なんだかお節介とか余計なお世話とか思わなくはないが、まだ遊び盛りのティミーが部屋に引き籠もってばかりなのも良くはないだろう。無茶をしなければ良いか、とアリエッタは何も言うことはせず、キーラとティミーの後をついていくことにした。
さて、ハロウィンといえばカボチャである。昔はカブだったらしいが、街ではカボチャが主流なので、ルベット家もそれに倣っていた。
ただし――
「おや、お嬢様。早速来ましたか」
玄関を出て、ちょっとしたロータリーを通り抜け。敷地の入口となる格子門と邸の、ちょうど真ん中くらいの位置になるだろうか。灰色の作業服を着て分厚い軍手をつけた初老の男性が、キーラたち御一行を出迎えた。
「まだ運んだばかりで、加工していませんよ?」
「構わないわ。そりゃお顔があったほうが良いけれど、カボチャだけでも見応えがあるもの」
さて。ティミーがどう感じているか。後ろにいるアリエッタには、窺うことはできなかった。だが、なんとなく驚いていることは、頭の動きから察することができた。
キーラに促され、しぶしぶ顔を上げたティミーの頭は、カボチャのほうを向いて固定されている。さもありなん。ルベット家が毎年このお祭りで用意するカボチャは、前に立つ庭師クルスのような標準的な身長の男性の、脚の長さほどの直径を有しているので。
「どう? すごいでしょう! 我が家は毎年、このくらいの大きなパンプキンを用意するの」
それをクルスが器用に加工して、まさにお化けと言いたくなるようなジャック・オー・ランタンが、祭りが終わるまでずっとルベット家の庭に滞在するのだ。
「こんな大きなジャック・オー・ランタン……」
ティミーの声が震えている。さすがの仔猫ちゃんも興奮したのかと思ったら。
「大丈夫なの!? こんなものお庭に置いて、お化けがたくさん来たりしない!?」
キーラの頭に疑問符が浮かんだように、アリエッタには見えた。アリエッタ自身も、なんだか様子がおかしいな、と思い始めた。
しばらく呆然としていたキーラは、慌てたように頷く。
「そ、そうよ! これだけ大きなランタンが、お化けの目に入らないはずがないじゃないの! 我が家はこれから、たくさんのお化けをお招きするんだから。せいいっぱいおもてなしするのよ!」
あ、これ悪手だ。
アリエッタの予感の通り、ティミーは身体を震わせた。
「いやだ! ぼく……ぼく……お化け屋敷に、一ヶ月もいなきゃいけないの!?」
そんなのいやだ! と叫んで、ティミーは門のほうへと走って行ってしまった。キーラはまた呆然とし、子どもの掛け合いを面白がっていたクルスもまた少年を見送り、お世話係のメーガンが慌ててティミーを追いかける。彼女が追いかけているなら良いか、とアリエッタは焦るのを止め、お嬢様に苦言を申した。
「さ、さすがに、本気にするとは思ってなかったわ……」
強がってみせるが、三角帽子の先端が萎れてしまいそうなほどに、キーラは意気消沈していた。
「私も夢見がちなほうだと思うけど……あの子のほうが、想像力たくましいみたいね」
がっくり、と魔女は肩を落とした。
「まったくもう。しょうがないわねぇ」
キーラは溜め息を吐き、門のほうへと駆け出した。失敗から逃げず、きちんと始末はつけるつもりであるらしい。こうやって責任をしっかり持とうとするからこそ、旦那様も彼女の好きにさせるのだろう。
さて、ティミーは門の手前にいた。敷地内外を仕切る門は閉ざされており、これ以上逃げ出すことができなかったのだ。
ティミーは門の格子を両手で握るだけで、黙って静かに立っていた。メーガンが説得しようとしているが、何も反応しない。怯えてはいないようだが――アリエッタは、その背中に何処か哀愁のようなものを感じた。
キーラは堂々と、それでいながら慎重に、ティミーの傍まで歩いていった。その肩に手を置くと、迷子の仔猫のような顔で、ティミーが振り返る。
「どうしてお化けが怖いの?」
「お化けは……僕たちを連れていこうとするから」
「あら。何処に?」
「…………お化けの世界」
昔から、大人たちは子どもの夜遊びを嗜めるためにお化けを利用した。早く寝ない子は、お化けに連れ去られてしまうよ、なんて。小さい頃にしか通用しない冗談だけれど。
でも、ティミーは九歳になった今も、信じて怯えているようだ。キーラの言う通り、想像力豊かなのだろう。『お化けの世界に行ってみたい』などと言っていたキーラとは、方向性が違うようだけれど。
さて、我らがお嬢様はどうするだろう。アリエッタたち大人は見守る。
「そうね。確かにお化けは、私たちを何処かに連れていきたがる」
うんうん、と頷き、キーラは少しだけ前に身体を折った。歳下の男の子に目線を合わせる。
「でもね。お化けって、実はそんなに強くないのよ。怯えるような子は、騙したり脅かしたりして、簡単に連れていけるけど。こっちがちょっとでも強いって分かったら、借りてきた猫のようにおとなしくなるんだから」
怯えた表情のティミーの眉根が少しだけ寄る。期待と不安の目で、歳上の従姉の話に真剣に耳を傾けていた。
「あなたは、私が守ってあげる。魔女だから簡単よ」
そうして身体を起こし、胸を張った。
「だから、あなたはその間に強くなりなさい。お化けなんて、簡単に跳ね除けられるくらいに」
キーラを見上げるティミーの目の色が変わる。尊敬か憧れか。アリエッタには正確には読み取れなかったけれども、少年が従姉に心を許してきているのは感じ取れた。
アリエッタは心の中で、密かにキーラに拍手を贈る。彼女は子どもの扱いが上手いようだ。一人っ子なのに、何処で覚えてきたのやら。
「……僕にできるかな?」
「少なくともやってみないことには、できるようにならないわ」
「そっか……」
納得しつつも、まだ不安そうだ。
「しょうがないわね。それじゃ、私がいないときもあなたを守ってくれるお守りをあげる」
キーラはドレスのポケットを弄った。取り出したそれを、ティミーのシャツのポケットに留める。
月とコウモリのピンバッジだ。満月にかかるように、翼を広げたコウモリが描かれている。あれは昨年のハロウィンに街で配られていたものだ、とアリエッタは思い出した。奥にしまい込んでいたというのに、いつの間に引っ張り出していたのだろうか。
「悪霊が来ないよう満月がいつも監視をしているし、万が一悪いものがやってきたらコウモリが追い払ってくれる。これで私がいないときも安心よ」
ティミーは服を引っ張り、バッジをしげしげと眺めて、ようやく安堵の表情を浮かべた。キーラはまんまと彼の心を開くことに成功したようである。
それにしても、大した思いつきだ。日頃本に親しんでいるからだろうか、お嬢様はなかなかの即興力がおありのようである。
Day 1. 黒猫
Day 2. 魔女の帽子
Day 3. パンプキン
Day 4. お化け屋敷
Day 5. 月とコウモリ




