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1週間後。
王立魔法学園の裏手に広がる広大な『魔の森』の入り口で、私は前世の記憶を全力で呼び起こし、かつての職場で培った『中間管理職としての絶対的ポーカーフェイス』を顔面にペタッと貼り付けていた。
「……では、これより三日間の野営演習を開始する! 各班、安全に留意しつつ、指定されたエリアで魔獣の討伐とサバイバル技術を実践するように。解散!」
偉そうな教官の号令と共に、完全武装した生徒たちが次々と薄暗い森の中へと消えていく。
私たちも指定された『Dエリア』へと歩みを進めていたのだが……その道中の空気は、控えめに言って地獄だった。
「ゼクス様。足元がぬかるんでおりますわ。わたくしが『氷結』の魔法で道を凍らせて舗装しましょうか?」
「リヴィア公爵令嬢、森の生態系を破壊する気ですか。兄上、ご安心を。私の『風』の魔法で、兄上の周囲の泥濘だけを吹き飛ばし、常に乾いた道を……」
「あ、あのっ! 私、『浄化』の魔法で殿下のブーツの汚れをすぐに落とせますからっ! だからそのまま歩いていただいても大丈夫です!」
「……」
右にヤンデレ婚約者、左に激重ブラコン弟、背後にガチ恋ヒロイン。
三人の高位魔法使いたちが、私に対して「いかに自分が役に立つか」という熾烈なプレゼンバトルを繰り広げている。その熱気と、互いを牽制し合う特大の殺気が渦を巻き、周囲の木々がザワザワと怯えたように揺れていた。
本来なら襲ってくるはずの低級の魔物すら、この異常なプレッシャーを察知して蜘蛛の子を散らすように逃げていくのを感じる。というか、私が逃げたい。この場からも、婚約破棄パーティーからも。
(平和なのはいいことなんだけど……なんだか胃が痛い……!)
そして、私から十メートルほど後方。
「うぅ……は、吐き気が……」
専属護衛騎士であるギデオンは、三人の殺気の余波をモロに浴び、顔面を灰色にしてフラフラと歩いていた。もはや護衛というより、今にも倒れそうな要介護者である。
(ダメだ。このままじゃ演習の前にチームが内部崩壊する。ここはプロジェクトリーダーとして、明確な役割分担を与えなければ!)
私は立ち止まり、パンッと手を一度叩いて全員の注目を集めた。
「き、ゲホッ……聞いてくれ、皆!」緊張で、意外と喉が枯れてしまっていたみたい。
私が口を開くと、三人はピシッと背筋を伸ばし、獲物を待つ雛鳥のように目を輝かせた。
「この野営演習は、個人の武力を示す場ではない。チームとしての『連携』と『効率』を学ぶ場だ。よって、これより役割分担(タスク振り分け)を行う」
OL時代、気難しいベテランと自己主張マックスの激しい若手をまとめるために使っていた、伝家の宝刀『適材適所のラベリング』である。
「ユリウス。君の広範囲をカバーできる魔力と索敵能力は、このチームの生命線だ。君には『寝床防衛およびエリアの安全確保』という最も重要な任務を任せたい。頼めるかい?」
「……! はいっ! 兄上が背中を預けてくださるのなら、このユリウス、寝ずの番をしてでも完璧な結界を構築してみせます!」
よし、チョロい。これでユリウスを拠点の外周に固定できる。
「リヴィア。君の洗練された魔法技術と、公爵令嬢としての高い空間把握能力は、拠点の設営に不可欠だ。皆が安全に、そして快適に休める最高のキャンプ地案を構築してほしい。君のセンスを信頼しているよ」
「ゼクス様……っ! わたくしの美意識をそこまで高く評価してくださるなんて。お任せくださいませ、森の中に王宮に匹敵する極上のオアシスを作り上げてご覧に入れますわ♡」
よしよし、リヴィアも大喜びだ。彼女なら本当に土魔法と氷魔法で豪邸を建てかねない。
「そしてミアリス嬢。君の治癒魔法と細やかな気配りは、前線で戦う者の最大の癒しだ。食事の準備と、水質の浄化、そして医療用のハーブの選別をお願いしたい。君がいれば百人力だ」
「は、はいっ! 私、一生懸命がんばります! 殿下の胃袋を全力で満たしてみせます!」
ミアリスも顔を真っ赤にして、頑張るポーズを作っている。
(完璧……! これで三人の物理的な距離を離し、それぞれに「殿下に頼られている」という優越感を与えることで、争いを未然に防ぐ!)
私は内心でガッツポーズを決めた。我ながら、見事なチームビルディングだ。
「……あの、殿下。私の役割は……?」
息も絶え絶えのギデオンが、恐る恐る手を挙げた。
私は彼に向かって、最高に優しく、そして甘い微笑みを向けた。
「もちろん、君には一番私の近くにいてもらうよ。ギデオン、君は私と一緒に、夕食用の獲物を狩りに『森の奥へ偵察』に行くんだ」
「――ッッ!!?」
その瞬間。
拠点の設営に向かおうとしていた三人から、ギデオンに向かって物理的なダメージを伴いそうなほどの冷酷な殺気が放たれた。
『……泥棒猫め、ゼクス様と森の奥で二人きりになるつもりですか……』
『……兄上の無防備な背後を狙う気か、この下郎……』
『……あんな大柄な騎士より、私の手作りクッキーの方が絶対に殿下を癒やせるのに……!』
「ひぃぃぃぃっ!?」
ギデオンは情けない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「ほら、行くよギデオン。大胸筋を見せておくれ」
「嫌だァァァッ! もう故郷に帰りたい!!」
私は泣き叫ぶ推し騎士の襟首を掴み、三人の怨嗟の視線から逃げるように、足早に森の奥へと向かった。
────
「はあ……っ、はあ……っ。殿下、お願いですから、私をあの方たちの標的にしないでください……。私の寿命がストレスで縮んでしまいます……」
拠点から離れた森の獣道。
ギデオンは木の幹に手をつき、本気で泣きそうな顔で訴えかけてきた。
(ごめんねギデオン。でも、君を私から離したら、あの三人のうちの誰かが君を『私の恋の障害』として暗殺しかねないんだもの)
私は彼の命を守るために、あえて彼を自分の手元に置いているのだ。まあ、彼をからかうのが楽しいというのも三割くらいあるが。
「大げさだな、ギデオン。私たちはただ、ウサギか何かを狩りに来ただけじゃないか。ほら、静かに。魔物の気配がする」
私がそう言って声を潜めた瞬間。
ガサガサッ!!
前方の茂みが大きく揺れ、低い唸り声と共に『それ』は姿を現した。
漆黒の毛並み、血のように赤い双眸、そして大人の背丈ほどもある巨大な狼の魔獣――『シャドウウルフ』だ。たぶん。
まあまあ危険な魔物。学生が単独で遭遇すれば、命の危険があるレベルの相手である。という戒めに近い教訓があるとかないとか。
「なっ……なぜ、こんなところにシャドウウルフが!? 殿下、下がって!!」
ギデオンは胃痛など一瞬で忘れ去り、即座に腰の長剣を引き抜いて私の前に飛び出した。
その背中から放たれる、本物の騎士としての鋭い覇気。
(おぉ……! 普段はあんなにヘタレなのに、いざという時はちゃんと盾になってくれるんだ。さすがは攻略対象の一人、かっこいい〜……♪)
私は呑気に感心しながら、彼の広い背中を見つめていた。
シャドウウルフが咆哮を上げ、鋭い爪を振りかざしてギデオンへと跳躍する。
ギデオンが剣を構え、迎撃の体勢に入った――その時だった。
「「「――させません(させない)(させませんわ)!!!」」」
森の奥から、三つの巨大な魔力の波動が、まるで隕石のように飛来した。
ドゴォォォォォォンッ!!!
「えっ!?」
「はっ!?」
私とギデオンが呆然とする中、目の前で跳躍していたシャドウウルフは、
一瞬にして巨大な氷の塊に閉じ込められ(リヴィアの氷魔法)、その氷ごとの雷の柱によって打ち砕かれ(ユリウスの雷魔法)、散らばった破片は強烈な聖なる光の渦に飲み込まれて浄化され(ミアリスの光魔法)、文字通り、細胞の欠片すら残さずにこの世から消滅した。可哀想……。
時間にして、わずか一秒の出来事である。
爆煙が晴れた後には、クレーターだけが残されていた。
そして、そのクレーターの縁に息を切らした三人が立っていた。
「ゼ、ゼクス様……っ! ご無事ですか!? あなた様に少しでも危険が及ぶかと思うと、居ても立っても居られず……っ!」
「兄上! 拠点の防衛など意味がありません! 兄上のそばこそが、私が守るべき唯一の絶対領域です!」
「で、殿下……っ! かすり傷一つでもあれば、私が今すぐ全力で治癒を……っ!」
三人はそれぞれに熱烈なアピールを叫びながら、私の元へと駆け寄ってきた。
(えぇ……私の完璧な役割分担、開始十分で崩壊してるじゃん……リーダーシップ? とは)
どうやら彼らは、「ゼクスの役に立つ」ことよりも「ゼクスのそばにいる他の奴(主にギデオン)が許せない」という歪んだ感情が上回ってしまい、持ち場を放棄してこっそり後をつけてきていたらしい。まさに中間管理職の苦労の体現だった。
そして、三人の視線は剣を構えたまま固まっているギデオンへと一斉に向けられた。
「……ギデオン卿。あなたは護衛騎士でありながら、ゼクス様を危険に晒した上に、魔物の一匹も瞬殺できないのですか? 無能ですね」
リヴィアが氷点下の声で蔑む。
「そんな鈍ら剣では、兄上の美しい顔に傷がついていたかもしれない。やはり、近衛など不要。私が兄上の剣になります」
ユリウスが雷を纏った目で睨みつける。
「も、もう少し反応が遅れていたら、殿下が危なかったです……っ。もっとしっかりしてください!」
ミアリスまでもが、涙目でギデオンを非難する。
「…………ッ」
圧倒的な嫉妬や執着心を見せつけられ、さらに全方向からの罵倒を浴びたギデオンは、カチンと石像のように固まったまま、ついにその目から大粒の涙をポロリとこぼした。
「……うぅ……っ。私は……私はただ、普通に護衛の仕事がしたいだけなのに……っ。なんでこんな、理不尽な目に……っ」
ついに推し騎士が泣いてしまった。
大柄な青年が、剣を握りしめたままポロポロと泣く姿は、不憫すぎて見ていられない。
「や、やめないか三人とも! ギデオンは立派に私を守ろうとしてくれた! それに、あんなオーバーキルをしたら、夕食の肉まで消し炭じゃないか!」
私が慌ててギデオンを庇うと、三人は「「「ハッ」」」と息を呑んだ。
『……ゼクス様(兄上・殿下)に、嫌われた……!?』
三人の顔がみるみるうちに青ざめ、今度は「どうやって挽回するか」という新たな闘志(という名の狂気)の炎が燃え上がり始めた。
(あ、これ終わった。完全に終わった)
夕闇が迫る魔の森で。
魔物よりも恐ろしい愛情と執着のベクトルが乱れ飛ぶ中、私の胃痛は限界点を突破しようとしていた。
スローライフ(理想)への道のりは、今日も濃霧に包まれて見えない。




