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王立魔法学園の学生食堂は、ただの「食堂」という言葉では片付けられないほどの豪華さを誇っていた。
吹き抜けの高い天井には巨大なシャンデリアが輝き、大理石の床には一糸乱れぬテーブルセットが並ぶ。特に、王族や高位貴族のみが使用を許される二階のVIPテラス席は、専用の専属シェフが常駐し、フルコースから軽食まであらゆるオーダーに応えてくれるという、前世の五つ星ホテルも顔負けの空間だった。
「……はあ、天国かなここは」
私はテラス席のふかふかのソファに深々と腰掛け、運ばれてきた『季節の果実とローストビーフの特製サンドイッチ』を頬張りながら至福の溜息を漏らした。
柔らかいパンの食感、ジューシーな肉の旨味、そして絶妙な酸味のソース。前世のOL時代、昼休みにパソコンのキーボードを叩きながらコンビニのパサパサのおにぎりを水で流し込んでいた日々を思うと、涙が出そうなくらいの美味である。
(しかも、顔面国宝級のイケメンを眺めながらのランチ。最高すぎる)
私はサンドイッチを咀嚼しながら、テラスの入り口付近で直立不動の姿勢をとっている専属護衛騎士、ギデオンをうっとりと眺めた。
相変わらず私から一定の距離を保ち、こちらと絶対に目を合わせようとしない。しかし、陽の光に照らされた彼の横顔は彫刻のように美しく、騎士服越しにわかる厚い胸板は「私を守る壁」としての安心感と色気に満ちていた。
「ギデオン、立ったままじゃ疲れるだろう? こっちに来て一緒に食べないか? あーん、してあげようか?」
「結構です!! 私はここで警護の任務がありますので!! あと、そのサンドイッチの具材に毒が仕込まれていないか、すでに毒見役が確認済みですので、私に食べさせる必要は一切ありません!!」
声が裏返り気味のギデオンの反論に、私はクスクスと笑った。
(相変わらずガードが堅いなあ。まあ、三ヶ月かけてゆっくり口説き落として、辺境でのスローライフに連れ込む算段だから焦る必要はないわね)
そんな風にのんびりと構えていた私の平和なランチタイム。
、しかし、唐突な来訪者たちによって無惨にも打ち砕かれることとなる。
「――ゼクス兄上。ご一緒してもよろしいでしょうか」
テラスに現れたのは、第二王子のユリウスだった。
昨日、訓練場で私と手合わせ(という名の、私の接待試合)をしたばかりの弟である。これまでのゼクスの記憶では、彼は私を見ると親の仇のように睨みつけてきたはずなのだが……。
今日のユリウスは、なぜか私の顔を見るなり、頬をほんのりと桜色に染め、瞳をキラキラと輝かせていた。
(ん? なんかオーラが変わってない?)
「ああ、構わないよユリウス。座るといい」
私が鷹揚に頷くと、ユリウスは私の真正面の席に座り、恭しく頭を下げた。
「昨日は、素晴らしいご指導をありがとうございました。兄上の見事な剣捌きと、私の未熟さを指摘してくださったあの深いお言葉……一晩中、反芻しておりました。兄上は、わざと私に勝ちを譲ってくださったのですね」
「えっ」
思わずサンドイッチを咥えたまま、眉を上げて目を見開いてしまった。
(いやいやいや! 指導!? 勝ちを譲った!? 違う違う、本当は内心怖くて(フラグとか万が一叩かれたり)で降参しただけなんだけど!?)
どうやら、私の「相手を褒めちぎって気持ちよく勝たせる」という接待プレイが、彼の脳内で「兄上の圧倒的な実力による愛の鞭」に変換されてしまったらしい。
「兄上が私のために悪役を演じ、私を成長させようとしてくださっていたことに、今まで気づけなかった自分の愚かさを恥じております。これからは、兄上の右腕として、このユリウスが全身全霊で兄上をお支えいたします!」
そうきたか〜。今までの悪行が演技だったのなら、完全にイッてる人だよ? ユリウスが、熱烈な忠誠心(と、重度のブラコンの気配)を孕んだ瞳で私を見つめてくる。
「あ、うん。ありがとう、ユリウス。……その、あまり無理はしないでね」
引きつる笑顔で返すのが精一杯だった。なぜだ。フラグを折ったはずなのに、なんだか別の厄介なフラグが立っている気がしてならない。詰まりそうになったサンドイッチを無理やり飲み込む。なんか胃に止まった……。
「あら、ユリウス殿下。随分と熱心なことですわね」
背後から、氷のように冷たく、それでいて甘ったるい声が響いた。
振り返ると、そこには豪華な三段の重箱(どう見てもピクニック用サイズ)を抱えた、私の婚約者リヴィア・エル・カスティナが立っていた。
今日の彼女は、昨日よりもさらにメイクが洗練され、髪には私が「好きだ」と言った(ような気がする)青い薔薇の髪飾りが添えられている。
「ゼクス様。本日はわたくし、ゼクス様のために朝から厨房に入り、手作りのお弁当をご用意いたしましたの」
「えっ、リヴィアが!? 公爵令嬢が自分で料理を!?」
少しだけ嫌な予感がする。
「ええ。ゼクス様は最近、お疲れのようでしたから。栄養満点で、スタミナのつくものを……。さあ、あーんして差し上げますわ♡」
リヴィアは私の隣にぴったりと座り(その際、見事な胸の谷間が私の腕に押し当てられた)彼女、やってるわね。単純に食べにくいわ。箸で色鮮やかな肉料理をつまんで私の口元へと運んできた。
(公爵令嬢の『あーん』なんて、断ったら不敬罪フラグとか?)
私は慌ててパクッとそれを食べた。
「……美味しい! お肉が柔らかくて味付けも絶妙だ(棒)」
激まず展開を想像していたが、割と普通だった。
「ふふっ、良かったですわ。さあ、次はこちらのお野菜を……」
私、結構お腹きてるんだけど……あら? そうでもない。やっぱり男だからかも。カムヒーカムヒー。
リヴィアが嬉しそうに微笑む。その様子は、どこからどう見ても「愛する婚約者に尽くす献身的な淑女」だ。しかし、彼女の視線は、向かいに座るユリウスを鋭く威嚇していた。
「ユリウス殿下。ゼクス様はわたくしの『婚約者』ですのよ。あまりご負担をかけないでいただきたいですわね」
どういうベクトルの嫉妬? 世界バグってない? 元庶民の私は手作りの味が結構好きだったので、勝手に摘む。この舌は普通って思ってるけど、心ではなんだか懐かしくて美味しいと感じる。なにこれ。
「リヴィア公爵令嬢こそ。兄上は次期国王となられるお方。あなたのような嫉妬深い女性が隣にいては、兄上の政務の妨げになります。お弁当などという家庭的なアピールは、王族には不要です」
「なんですって?」
「事実を申し上げたまでです」
バチバチバチッ!
次々摘む私を挟んで、氷の令嬢と天才弟王子の間に、恐ろしいほどの火花が散っている。
(ちょっと待って、もうややこしい)
OL時代、派閥争いをするお局様と若手ホープの板挟みになった時のトラウマが蘇る。なぜ私は異世界に転生してまで、こんな人間関係の調整に神経をすり減らさなければならないのか。
「あ、あの……っ!」
その修羅場に、さらに投下される特大の爆弾。
テラス席の入り口に、おどおどとした様子で立っていたのは、特待生のヒロイン、ミアリス・ノアだった。
今は来るなー!
彼女の登場に、リヴィアとユリウスの空気が一瞬で「絶対零度」まで下がった。
(今ここに来ちゃダメ絶対!)
私の心の叫びも虚しく、ミアリスは小さな包みを胸に抱き、震える足で私の元へと歩み寄ってきた。
「ゼ、ゼクス殿下……っ。これ、昨日のお礼に、私が焼いたクッキーです。お口に合うかわかりませんが……っ」
あら? クッキー? 結構好きなのよね〜。
顔を真っ赤にして差し出された小さな包み。
本来のシナリオであれば、これは攻略対象たちに向けられるべき「手作りお菓子のイベント」だ。それを私が受け取ってしまっては、完全にルートが私に向かってしまう! でも素朴な味で美味しそう。
「貴様……平民上がりの特待生風情が、兄上に気安く近づくなど……」
ユリウスが低い声で唸る。
「泥棒猫……わたくしの目の前で、ゼクス様に手作りのお菓子を渡すなど、いい度胸ですわね」
リヴィアが扇の裏で、ギリッと歯ぎしりをする。
(ヤバいヤバいヤバい! 二人ともミアリスちゃんを殺す気満々じゃない! 私がなんとかしなければ!)
私は脳内の『クレーム対応&トラブルシューティング・マニュアル』を全開にした。
ここで私がもしクッキーを受け取れば、ミアリスは二人の嫉妬の標的になる。かといって突き返せば、私がミアリスを冷遇したことになり、「ヒロインいじめ」のフラグが復活してしまう。
ならば、取るべき道は一つ!
「ありがとう、ミアリス嬢。君の心遣いに感謝するよ」
私は優しく微笑んでクッキーを受け取った。ミアリスの顔がパァッと明るくなる。
直後、私はその包みを、向かいに座るユリウスへとスッと差し出した。
「ユリウス。昨日の手合わせで、君も随分と体力を消耗しただろう? これは君が食べなさい。ミアリス嬢からの、君の成長へのささやかなエールだ」
「えっ……?」
ユリウスが目を丸くする。
ミアリスも「えっ?」と戸惑いの声を上げた。
私は立ち上がり、今度はリヴィアの肩を優しく抱き寄せた。
「私は、愛するリヴィアの手作り弁当で胸がいっぱいだからね。他の女性の作った甘いものが入る隙間など、私の胃袋にも、心にもないんだ」
キメ顔で放った甘いセリフ。
これだ。これなら、リヴィアのプライドは満たされ、ユリウスにクッキーを渡すことで「ヒロインとヒーローの接触イベント」を強引に発生させることができる。我ながら完璧な采配である!
しかし。
「あ、兄上……っ!」
ユリウスはクッキーの包みを両手で握りしめ、ワナワナと震え出した。
「私のために、あえてご自身が受け取ったクッキーを譲ってくださるとは……っ。兄上の深い兄弟愛、確かに受け取りました! このクッキーは一生食べずに防腐処理を施し、家宝として飾ります!」
(違う、そうじゃない!! 食べて!!)
「ゼクス様……っ♡」
リヴィアは私の腕にすがりつき、完全にトロンとした目をしている。
「わたくしだけを愛していると……皆の目の前で、そのように熱烈な告白をしてくださるなんて。わたくし、もう殿下から絶対に離れませんわ!」
(違う、それも違う!! 私、男が好きな設定どこいった!?)
「で、殿下……っ」
ミアリスは両手で顔を覆い、ポロポロと涙を流し始めた。
「私の身の安全を考慮して、あえて他の方にクッキーを渡すことで、公爵令嬢様の怒りから私を庇ってくださったのですね……っ! なんて自己犠牲に満ちた、不器用な優しさ……! 私、殿下のお心遣い、絶対に忘れません!」
(深読みがすぎる!! 君たち、全員想像力が豊かすぎるよ!!)
三者三様の「勘違いのベクトル」が極大に達し、テラス席の空間には、私に対する重すぎる好意のオーラがカオスとなって渦巻いていた。
ヤバい。息が詰まる。このままでは、愛という名の物理的圧力で押し潰されてしまう。
私は助けを求めるように、唯一この狂気の空間から距離を置いている人物へと視線を向けた。
「ギ、ギデオン! お前も腹が減っただろう!? ほら、リヴィア様のお弁当の卵焼きを半分やろう! あーん!」
私は逃げるようにリヴィアから離れ、箸で卵焼きを掴んでギデオンの方へ駆け寄った。彼を盾にして、この修羅場から物理的に逃走するのだ。
「ひぃぃっ!? く、来るなと言っているでしょう殿下! なぜ私に迫るのですか! あと、公爵令嬢様の手作り弁当を私に食べさせようとしないでください、殺されます!!」
ギデオンが悲鳴を上げて後退する。
案の定、私の背後から、ユリウス、リヴィア、ミアリスの三人の、鼓膜が破れそうなほどの冷酷な殺気がギデオンに向かって放たれた。
『……私の愛する兄上(ゼクス様/殿下)に馴れ馴れしく近づく、あの邪魔な近衛騎士……。いつか必ず、排除しなければ……』
三人の心が、全く別の理由で完全に一つになった瞬間だった。
「ひぃぃぃぃっ! 私の胃がっ!!」
ギデオンは文字通り胃のあたりを押さえ、涙目でテラスから全速力で逃亡を図った。
「あ、待ってギデオン! 私を一人にしないでー!!」
私は愛しの推し騎士(にして唯一の逃げ道)の背中を追いかけ、豪華なテラス席から駆け出した。
卒業パーティーまで、あと八十五日。
私の「円満なスローライフ」への道は遠ざかるばかりか、なぜか護衛騎士の胃に致命的なダメージを与えながら、破滅へのカウントダウンを刻み続けていた。




