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隣国ヴァルハルト帝国を「ジャンピング土下座」で属国化してしまったあの日から、私の精神は不思議なほどの凪を迎えていた。
人は致死量のストレスを浴び続けると、一周回って仏のような顔になるらしい。
「ゼクス殿下。本日のランチは、帝国から献上された最高級の飛竜のステーキですわ。わたくしが一口サイズに切り分けますね」
「ありがとう、リヴィア。……飛竜って美味しいんだね」
「殿下が望まれるなら、帝国の空からすべての飛竜を狩り尽くしてまいります!」
インスペクター室で優雅に肉を咀嚼しながら、私は静かにカレンダーを見つめた。
卒業パーティーまで、あと十五日。
もはや政治的、あるいは軍事的なスキャンダルで失脚することは不可能だ。私が何をしようと「高度な土下座外交」や「平和的威圧」に変換されてしまうのだから。
(ならば、原点回帰するしかない!)
私はフォークを置き、脳内の乙女ゲーム『王立魔法学園の恋人たち』のシナリオチャートを広げた。
そもそも、この世界の理は乙女ゲームなのだ。ならば、ゲームの『強制力』を利用すればいい。
つまり、ヒロインであるミアリスと、攻略対象たち(ユリウス、ギデオン、シリル、ルカ)の間に『恋愛イベント』を無理やり発生させるのだ!
彼らが本来のシナリオ通りに恋に落ちれば、「ゼクス殿下への狂信」というバグから目を覚まし、「愛するミアリスを虐げる悪役(私)」を断罪してくれるはずだ!
「皆、聞いてくれ。卒業パーティーも近いことだし、今日は講堂を貸し切って『社交ダンスの練習』をしようと思う」
私が提案すると、親衛隊の面々は一瞬ポカンとし、やがて歓喜に顔を輝かせた。
「殿下とダンス……! ついにこのステップを踏む時が!」
「待て皆! 今日は私じゃない。私はあくまで『指導』に回る」
私はビシッとミアリスを指差した。
「ミアリス! 君は平民出身でダンスの経験が浅いはずだ。だから今日は、ユリウス、ギデオン、シリル、ルカの四人が、彼女をエスコートして踊るんだ!」
「「「「えっ」」」」
四人の男たちが、露骨に嫌そうな顔をした。
「あ、あの、殿下? 私、殿下の護衛のために『熊を素手で倒すステップ』なら練習しましたけど、社交ダンスはちょっと……」
ミアリスが戸惑うが、私は有無を言わさず彼らを講堂へと連行した。
────
学園の大講堂。
私はディレクターズチェアにふんぞり返り、メガホン(風魔法で代用)を構えた。
「よし、まずはユリウス! ミアリスの腰に手を回して、情熱的に見つめ合うんだ! 甘い言葉の一つでも囁いてみろ!」
(さあ、義弟よ! 本来ならお前は「君の光魔法のように、僕の心も照らしてほしい」とか言う甘甘キャラのはずだ! 思い出せ!)
ユリウスは眉間を深く寄せながら、渋々ミアリスの腰に手を当て、至近距離で彼女を睨みつけた。
そして、地を這うような低い声で囁いた。
「……おい、平民。もしステップを間違えて兄上の視界を汚したら、その足、炭火焼きにするからな」
「ご心配なく、ユリウス様。もし私が殿下の御前で無様な姿を晒したら、自らの光魔法でこの網膜を焼き切る覚悟です!」
「……ふん。その覚悟だけは褒めてやる」
(違うぅぅぅぅぅぅぅッ!!)
私は頭を抱えた。甘い言葉どころか、マフィアの掟の確認みたいな会話になってる!
「次、ギデオン! もっと優しく、彼女を包み込むようにリードするんだ!」
「ハッ! 行くぞミアリス殿! 殿下の御盾となるための、体幹強化訓練だ!!」
ギデオンがミアリスの手を握り、凄まじい遠心力で振り回し始めた。
「ふんっ! はぁっ! ギデオン様、この程度の遠心力で私の大胸筋はブレませんよっ!」
「見事な体幹だ! これなら殿下を背負ったまま戦場を駆け抜けられるな!」
(社交ダンスが室伏広治のハンマー投げみたいになってる!!)
「シ、シリル! 君ならもっと知的でロマンチックな……」
「ミアリスさん。君の体重と筋肉量から計算すると、殿下を庇って物理攻撃を受ける際、少し左に重心を傾けた方が致死率が下がります。このステップで体に覚え込ませなさい」
「はいっ、シリル先輩! 殿下のための効率的な肉の壁になります!」
(知的なサイボーグ兵士を育成しないで!!)
「ルカ! お前はチャラ男キャラだろう! もっと色気を出せ!」
「いやー、ミアリスちゃん! 君のその『光のメリケンサック』、うちの商会で量産化して殿下の公式グッズとして売り出さない? 利益は殿下の銅像建設費に全額寄付で!」
「素晴らしいアイデアですルカさん! 乗りました!」
(ただの悪徳商法と信者の資金繰り相談だこれ!!)
ダメだ。完全に手遅れだった。
恋愛イベント(強制補正)の力をもってしても、彼らの脳髄まで染み込んだ『ゼクス教』の教義を上書きすることはできなかったのだ。彼らの頭の中には、「私にどう尽くすか」というベクトルしか存在していない。
(くそっ……! こうなったら、私が直接手を下すしかない!)
私は立ち上がり、近くのテーブルにあった『水差し』を手に取った。
乙女ゲームにおける悪役の代名詞――「平民ヒロインへの水かけ(いじめ)」である。
私がミアリスに理不尽な暴力を振るえば、いくらなんでも彼らも「殿下、それはやりすぎです!」と目を覚まし、ヒロインを庇ってくれるはずだ!
「ええい、お前たち! 見ていられないな!」
私はずかずかと五人の輪に割り込み、悪役っぽく顔を歪めた。
「ミアリス! 平民の分際で私の側近たちと気安く踊るなど、不愉快極まりない! 身の程を知れ!」
バシャァッ!!
私は勢いよく、持っていた水差しの水をミアリスの頭からぶちまけた。
(さあ、私を軽蔑しろ! そしてミアリスを抱き寄せて「大丈夫かい?」と庇うんだ!)
水をかぶったミアリスは、驚いたように目を瞬かせた。
親衛隊の男たちも、私の突然の暴挙に息を呑み、静まり返った。
よし、完璧な間だ。ついに彼らが私に刃を向ける――。
ジュワァァァァァァァッ……!!
突如、ミアリスの制服に染み込んだ水が、不気味な紫色の煙を上げて布地を溶かし始めた。
「え?」
私が間抜けな声を上げた瞬間、ミアリスの足元の床板までもが、ドロドロと溶け出したのだ。
ただの水ではない。それは、致死性の『超高濃度・魔法溶解液(スライムの胃液)』だった。
「――ッ!! 暗殺者の毒か!!」
ギデオンが瞬時に大剣を引き抜き、私を庇うように前に出た。
(は!? 毒!? なんで水差しの中に!?)
私の脳内がパニックを起こす中、シリルが冷や汗を流しながら眼鏡を押し上げた。
「……なんという事だ。我々のパトロールの隙を突き、何者かが休憩用の水差しに『遅効性の猛毒』を仕込んでいたというのか……」
「兄上……!」
ユリウスが、信じられないものを見るような目で私を見つめた。
「兄上は、ミアリスが毒入りの水を『飲もうとする』寸前に……わざと嫌われ者の悪役を演じ、彼女に水をぶちまけることで、毒の摂取を未然に防いだのですね……!!」
(違う!! ただ嫌がらせで水かけようとしたら、たまたま中身がヤバかっただけだ!!)
「ゼ、ゼクス殿下……!」
毒で制服の一部を溶かされたミアリスが、その場にへたり込み、ボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「私のような平民の命を救うために……あえてご自身の品格を落とし、いじめっ子の汚名を被ってくださったなんて……! 殿下の愛の深さ、海よりも、宇宙よりも広いですっ!!」
「おおおおっ!! 殿下の自己犠牲、またしても我らの想像を遥かに超えてこられた!!」
「毒を仕込んだ愚か者どもめ! 殿下の慈悲を汚した罪、万死に値する!! 全学園を封鎖し、犯人を炙り出せェェェッ!!」
ルカとギデオンが咆哮し、講堂の扉を蹴り破って飛び出していく。
「お待ちになって、ゼクス様」
ずっと壁際で静観していたリヴィアが、優雅な足取りで私に近づき、そっと私の頬に手を添えた。
「……殿下は、本当に不器用でお優しいお方。ですが、これ以上ご自身の手を汚す必要はありませんわ。裏の掃除は、わたくしたち『日陰の者』の役目ですから」
かくして、私が仕掛けた「悪役令息への転落作戦」は、またしても【暗殺からヒロインを救う究極のツンデレ救済イベント】へと自動補正されてしまった。
そして、この事件を重く見た教頭により、卒業パーティーまでの間、私の警護は「二十四時間・親衛隊六人による完全密着シフト(トイレ同行含む)」という、地獄のようなVIP待遇へと引き上げられることになったのである。
卒業パーティーまで、あと十五日。
私はついに、完全な『監視下の神様』として、一人の時間すら奪われてしまった。




