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生徒会長シリル・ヴァン・アシュフォードの陥落により、私のインスペクター(不正摘発官)としての権力は、もはや学園の枠を越えて暴走を始めていた。
「ゼクス殿下。本日の学園内パトロールの報告書です。規律違反者はゼロ。全校生徒が殿下の威光に平伏し、息を潜めて生活しております」
シリルが、銀縁眼鏡を光らせながら完璧に製本された分厚いファイルを差し出してくる。
「……うん。皆が真面目なのはいいことだね。息を潜める必要はないと思うけど」
執務机で胃薬をかじりながら、私は室内を見渡した。
右には、私の紅茶の温度を秒単位で管理しているリヴィアとミアリス。
左には、窓の外から飛んでくる落ち葉すらも「暗殺者の手裏剣かもしれない」と雷で迎撃しているユリウスと、大剣を抱えて直立不動のギデオン。
そして正面には、私の放った一言一句を「殿下語録」として猛烈な勢いでメモしているシリル。
(……息が詰まる!! ここは独裁国家の司令室か何かなの!?)
前世のOL時代、有能すぎる部下(しかも全員自分にガチ恋or狂信)に囲まれたことなどないため、この異常なプレッシャーだけで寿命がマッハで削れていく。
そんな私の胃痛をよそに、学園は大きなイベントの時期を迎えようとしていた。
王立魔法学園における秋の一大行事――『学園祭(創立記念祭)』である。
各クラスや部活動が屋台や展示を出し、外部からの来賓(貴族や王族)も訪れる華やかなイベント。乙女ゲームにおいては、気になる攻略対象と一緒に回って好感度を稼ぐ『デートイベント』の宝庫だ。
「ゼクス殿下。学園祭の予算会議が明日に迫っております。インスペクターである殿下には、各団体の予算申請の最終承認をお願いいたします」
シリルが書類の山をドンと置いた。
「……私が、この全校生徒の予算を決めるのかい?」
「はい。殿下の海より深い知恵で、愚かな生徒たちの無駄遣いを一刀両断していただきたいのです」
(……キタ!! これだ!!)
私は死んだ魚のような目に、わずかな希望の光を灯した。
『予算の承認権限』。
これは、私がインスペクターの座を追われる(=面倒な仕事から解放される)ための、千載一遇のチャンスではないか!
(ここで私が、特定の団体に法外な予算を与え、裏でキックバック(賄賂)を受け取るような『横領』の証拠を残せばいい! そうすれば、さすがのシリルたちも「殿下は汚職まみれのクズでした!」と愛想を尽かし、私をインスペクターから引きずり下ろしてくれるはず!)
完璧な作戦だ。前世の知識(コンプライアンス研修の反面教師)をフル活用し、わざと穴だらけで不正がバレバレの予算を通すのだ。
ターゲットはすでに決まっている。
乙女ゲームにおける四人目の攻略対象――大商会『ヴァレンティノ商会』の次男坊であり、学園一の守銭奴、ルカ・ヴァレンティノだ。
彼はゲーム内でも金に汚く、ゼクスと利権を巡って対立するキャラクター。彼に話を持ちかければ、喜んで不正な予算計上に乗ってくるに違いない。
「シリル。明日の会議の前に、ルカ・ヴァレンティノを私の執務室に呼んでくれ。彼が申請している『錬金術研究会』の予算について、少し……『個人的な話』がある」
私が口角を上げて悪役っぽく笑うと、シリルは「ハッ。殿下がわざわざ一介の商人の息子を……? 承知いたしました。ただちに連行いたします」と一礼した。
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数十分後。
インスペクター室に、金のメッシュが入った茶髪と、緩めたネクタイが特徴的なチャラ男――ルカ・ヴァレンティノが連行されてきた。
「いやー、ゼクス殿下! インスペクター就任おめでとうございます! 俺みたいな平民の商人を呼び出すなんて、何か儲け話っすか?」
ルカは飄々とした態度で笑いながら、揉み手をして見せた。
しかし、その周囲を取り囲む五人の側近たちからは、凄まじい殺気が放たれている。
「馴れ馴れしいですわね。その口、凍らせましょうか?」
「兄上、こいつの財布ごと燃やしていいですか」
「殿下に近づかないでください! 不潔です!」
「貴様、殿下の御前でその態度はなんだ! 腹を切れ!」
「インスペクター室の空気を汚さないでいただきたい」
「ひぃっ!? な、なんか親衛隊の皆さんの圧が強すぎません!?」
ルカが引き攣った笑いを浮かべて後ずさる。
「皆、下がってくれ。彼とは二人だけで話したい」
私がそう命じると、五人は渋々といった様子で部屋の隅に退いた(しかし、全員が武器や魔法を構えたままルカを凝視しているため、プレッシャーは全く減っていない)
「さて、ルカ。単刀直入に言おう」
私はデスクに身を乗り出し、声を潜めた。
「君の『錬金術研究会』が申請している予算、本来なら金貨十枚といったところだが……これを、特別に金貨百枚で承認してやろう」
「……は?」
ルカの目が点になる。
「百枚!? いやいや、いくらなんでも多すぎっすよ。学園祭の屋台一つにそんな予算……」
「もちろん、タダでとは言わない」
私はニヤリと笑い、一枚の羊皮紙(契約書)をルカに滑らせた。
「その百枚のうち、半分の五十枚を『資材の調達費』という名目で、私が指定するダミー会社に振り込んでほしい。つまり、残りの五十枚は君たちの利益、そして五十枚は私の懐に入るというわけだ。どうだ、悪くない話だろう?」
(よし! これぞ完璧な『キックバックの要求』! 横領の証拠となる契約書もバッチリ渡したぞ!)
これでルカは私を「私腹を肥やすクズ王子」と軽蔑し、この契約書を生徒会や教官に告発するはずだ。そうすれば私は目出度くクビ! スローライフへ一直線!
ルカは怪訝な顔で契約書を手に取り、その内容に目を通した。
「……ダミー会社への送金……?」
商人の息子である彼の目が、鋭く細められる。
そして、数秒後。
「――ッ!!!」
ルカが、肺の空気をすべて吐き出すような衝撃の息を漏らした。
「ど、どうした?(ほらほら、私の不正に気づいたかい?)」
ルカの脳内で、凄まじい勢いで『数字の計算』と『信じがたい真実(勘違い)』が結びつき、大爆発を起こしていた。
(こ、このダミー会社……! ただの幽霊会社じゃない。学園指定の備品を納入している大手工房の『隠れ蓑(子会社)』だ! そこに金貨五十枚を流すということは……)
ルカの頭脳が、ゼクスの真の狙い(妄想)を導き出した。
(ゼクス殿下は、学園祭という名目を隠れ蓑にして、学園外部の工房に莫大な資金を注入しようとしているんだ。おそらく、新たな魔導具の開発、あるいは貧困にあえぐ下町の職人たちへの『極秘の救済(助成金)』!)
ルカは震える手で契約書を握りしめ、私を愕然と見つめた。
(そして、この穴だらけの契約書……。もしこれが露見すれば、殿下は『横領の罪』を一人で被り、失脚することになる。殿下は……自分の地位と名誉を捨ててまで、国の経済を底辺から救い上げようとしているのか!?)
「ルカ? どうした、震えているが。この条件が飲めないなら、予算は下ろさないぞ」
私が悪役っぽくプレッシャーをかけると、ルカは「くっ……!」と顔を伏せ、肩を震わせた。
「……俺は……俺は、商人の端くれとして、自分が恥ずかしい……!」
「えっ」
「ゼクス殿下!!」
ルカが突然、バンッ!とデスクに手をつき、涙ぐんだ瞳で私を真っ直ぐに見つめてきた。
「あなたのその『自己犠牲の経済回し(マネーロンダリング)』、このルカ・ヴァレンティノが心底惚れ込みました!!」
「は?」
「殿下に泥など被らせません! この契約書は俺が完璧な形に書き直します! 利益の五十枚? そんなものいりません! 俺の商会の私財もすべて投じて、殿下が救おうとしている下町の工房に、表立って正当な投資を行います!! それでこそ、商人としての矜持です!!」
(いやいやいや!! なんで私が下町の工房を救うことになってるの!? 私、純粋に自分の懐にお金を入れるつもりで書いたんだけど!?)
「さすがは兄上! あの強欲なヴァレンティノ商会の息子すら、その高潔な精神で感化してしまったのですね!」
ユリウスが感動の声を上げる。
「ええ……。己の身を呈して国を潤そうとする殿下のお心、わたくし、また惚れ直してしまいましたわ」
リヴィアがうっとりと頬を染める。
「殿下! 私、学園祭でクレープ焼いて、売り上げを全部殿下に献上しますっ!」
ミアリスが鼻息を荒くする。
「殿下の深謀遠慮、まさに神の如し!! このギデオン、感動でむせび泣いております!!」
「ゼクス殿下。この見事な予算の采配、私には到底思いつきませんでした。すべて記録させていただきます」
シリルが羽ペンを猛烈な勢いで走らせている。
「待って、皆! 違う、これは不正で、横領で……!」
「ご安心ください殿下! 俺がヴァレンティノ商会の全ネットワークを使って、殿下の『極秘プロジェクト』を大成功させてみせますから! 明日から俺も、親衛隊の末席に加えてくださいッ!!」
ルカが私の手を取り、ブンブンと上下に振り回した。
かくして。
私が仕掛けた『横領による失脚作戦』は、乙女ゲームの攻略対象(商会息子)をも狂信的なファンに変え、学園祭の裏で動く「下町工房救済の巨大プロジェクト」へと謎の進化を遂げてしまった。
インスペクター室の人口密度(親衛隊の数)は、とうとう六人に達してしまったのである。




