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ドゴンッ!!!
深夜の魔の森に、地形を変えるレベルの三属性合成魔法が炸裂した。
「殿下、危ないッ!!」
「ひぃぃぃっ!!」
覚醒したはずのギデオンが情けない悲鳴を上げ、私は咄嗟に展開した防御結界の中で、嵐のような爆風と土煙に耐えていた。
結界の外では、氷の礫が飛び交い、雷が木々を薙ぎ払い、聖なる光の柱がすべてを焼き尽くしている。先ほどの瘴気のトレント戦など比べ物にならないほどの、規格外の破壊力だ。
(ヤバいヤバいヤバい! これ直撃したら私まで消し炭になる!!)
私はOL時代、激怒した取引先の社長をなだめた時の『クレーム対応の極意』を脳内で再生した。
怒り狂う相手には、まず『全面降伏』の姿勢を見せ、次に『相手の重要性を説く』のがセオリーだ!
「皆、待って!スタァァップ!! 報告・連絡・相談が遅れたのは謝る!! でも、これには海より深い事情があるんだ!!」
私は結界を解除し、両手を高く挙げて無抵抗のポーズをとりながら、土煙の中から進み出た。
私の背後では、ギデオンが「で、殿下ァ……」と拝むようにひれ伏している。
「……事情、ですの?」
リヴィアが、冷気を漂わせながら氷の扇をパチンと閉じた。
「……事情があれば、夜中に抜け出して、その泥棒騎士と森の奥で汗を流してもいいと?」
ユリウスが、杖の先端でパチパチと雷を鳴らしながら一歩前に出る。
「……殿下、私、お料理もお洗濯もがんばるって言ったのに……。大胸筋には勝てないんですか……?」
ミアリスが、ハイライトの消えた瞳で私の顔を覗き込んでくる。
(違う! 汗を流した意味が完全に曲解されてる!!)
私は深呼吸をし、極上のポーカーフェイスを作って堂々と宣言した。
「皆、あそこを見てくれ」
私が指差したのは、先ほどギデオンが両断した巨大な『瘴気のトレント』の残骸と、ひび割れたクリスタルだ。
三人の視線がそちらへと向かい、「……これは」と息を呑む。
「あのクリスタルから、危険な瘴気が漏れ出していた。私はその異変に気づき、元栓を閉めに来たんだ。あの魔物の死骸は、その時に討伐したものだよ。決して、森の奥でギデオンと……その、よからぬことをしていたわけじゃない」
「……では、なぜ私たちを起こさなかったのですか? 水臭いではありませんか」
リヴィアの怒りの矛先が少しだけ鈍る。チャンスだ!
「君たちを起こすわけにはいかなかったんだ!」
私は胸に手を当て、最もらしい――それでいて、相手の自尊心をくすぐる言葉を紡いだ。
「君たち三人は、このチームにおける『最重要のコアメンバー』だ。拠点防衛、環境構築、そして衛生管理。君たちがいて初めて、このパーティーは機能する。そんな君たちを、得体の知れない瘴気の調査という『下働きの雑務』に巻き込むわけにはいかないだろう?」
(意訳:あなたたちは優秀すぎて手がかかるから、面倒なバグ対応(魔物討伐)はこっちでコッソリ片付けたかったんです)
「あ……」
「兄上……」
「殿下……っ」
三人の表情が、劇的に変化していく。
「ギデオンを連れてきたのは、彼が私の『専属護衛(=肉体労働担当の部下)』だからだ。万が一の時、君たちのような才能溢れる人材を失うくらいなら、私とギデオンが危険を引き受けるべきだと思った。……君たちの安らかな寝顔を、こんな森の瘴気で穢したくなかったんだ」
キメ顔で放たれた私の熱弁に、三人は完全にノックアウトされた。
「ゼクス様……っ! わたくしたちの体を労り、泥仕事をすべて背負ってくださったのですね……! ああ、わたくし、なんて浅はかな嫉妬を……!」
「兄上……! なんという深い愛情……っ! 私を拠点に残したのは、私を信頼して背後を預けてくださったからなのですね! このユリウス、一生ついていきます!!」
「殿下ぁぁっ……! 私、殿下のためにもっともっと治癒魔法の腕を磨きますぅぅっ!」
三人はそれぞれに感動の涙を流し、私に向かって駆け寄ろうとした――その時だった。
「――そこまでだ!!」
ドンッ!
私の前に、剣を構えたギデオンが立ちはだかった。
「えっ、ギデオン?」
「お下がりください、殿下。……あなた方は、殿下の崇高な自己犠牲の精神を理解せず、あまつさえ殿下に向けて攻撃魔法を放った! いかに婚約者やご兄弟であろうと、今のあなた方は殿下の安全を脅かす『危険人物』です! これ以上、殿下には指一本触れさせません!!」
ギデオンが、獲物を威嚇する狼のような鋭い目で、三人を見据えた。
数時間前まで「胃が痛い」と泣き叫んで逃げ回っていた男と同一人物とは思えない、堂々たる騎士の姿である。
(ちょっと待って!! なんでここで急に火に油を注ぐの!? せっかくクレーム対応が完了しそうだったのに!!)
私の絶望をよそに、三人の表情が再びスッと絶対零度に冷え込んだ。
「……危険人物、ですって? ただの近衛騎士の分際で、公爵令嬢であるわたくしに盾突くおつもり?」
「……兄上の寛大な心につけ込んで、随分と偉そうに吠える番犬ですね」
「……殿下は、みんなの殿下なのに。一人占めするなんて、許せません」
バチバチバチッ!!
ついに、ギデオン(狂信的な忠犬)と、三人組(ヤンデレ・ブラコン・ガチ恋勢)の間に、明確な『派閥闘争』の火蓋が切って落とされてしまった。
前世の職場で一番胃を痛めた、『お局様と若手エースの社内政治』の再来である。
「や、やめないか皆! チーム内で争うのは禁止だ! さあ、拠点に戻って寝よう! ねっ!?」
私は半泣きになりながら彼らの間に割って入り、どうにかその場を収めることに成功した。
────
翌朝。
本来なら過酷なサバイバルになるはずの野営演習・二日目は、信じられないほど静かに幕を開けた。
なにせ、昨夜の私の接待(魔の森の深夜残業討伐)と、三人が放った超特大の合成魔法の余波により、Dエリアに生息していた魔物たちは嫌気を差して他エリアへ大移動してしまったのだ。
「ゼクス様。朝食のクロワッサンと、淹れたての紅茶ですわ」
「兄上、今日の気温に合わせてマントの温度調節魔法をかけ直しておきました」
「殿下、食後のデザートに森の果実を添えましたっ!」
氷の豪邸(グランピング施設)のダイニングテーブルで、私は三方向からの至れり尽くせりのサービスを受けていた。
「ありがとう、皆。……ギデオンは?」
私が周囲を見回すと、背後の壁際で直立不動の姿勢をとっているギデオンが、ビシッと敬礼した。
「ハッ! 私はここで、殿下の背後を狙う『不届き者』に目を光らせております!」
ギデオンはそう言いながら、リヴィアたちをジロリと睨みつけた。
「……なんですの、あの目。目障りですわね。後で凍らせて差し上げましょうか」
「兄上、あの犬は私が追い払ってきましょうか」
「あ、あの……喧嘩はダメですよ……っ」
水面下で飛び交う、致死量の殺気と牽制。
(あああ……派閥争いが激化してる! 私の胃袋、もう限界!)
私は冷や汗を流しながら、クロワッサンを水で流し込んだ。
その時だった。
氷の豪邸の外から、けたたましい笛の音が鳴り響いた。
「Dエリアの生徒はいるか!? 無事か!!」
ドタドタと足音を立てて現れたのは、演習の教官たちと、学園の警備隊だった。
彼らは氷の豪邸を見るなり、「な、なんだこの建造物は!?」と目を剥いて硬直した。
「……何かあったのですか、教官」
私が優雅に(内心はビクビクしながら)外へ出ると、教官は私の顔を見て安堵の息を吐いた。
「ゼクス殿下! ご無事でしたか! 実は昨夜、森の監視魔導具が、Dエリアで異常な魔力反応と、魔物『瘴気のトレント』を感知しまして……。緊急事態として、演習を一時中断して救助に向かってきたのです!」
(あ、しまった。やりすぎた)
深夜の残業が、完全に本部にバレてしまった。
「一体、何があったのですか? 討伐隊を組まなければ倒せないはずのトレントを、誰が……」
教官が尋ねた瞬間、ギデオンが一歩前に出た。
「教官。すべては、我が主君・ゼクス殿下の手腕によるものです」
「ギデオン!?」
「殿下は森の異変をいち早く察知し、他の生徒たちを危険に巻き込まぬよう、自ら単身で森の奥へと赴きました。そして、見事に元凶であるトレントを討ち果たされたのです! 私は、その威光の片鱗を間近で拝見したに過ぎません!」
(盛るな盛るな!)
私の心の中のツッコミを無視し、今度はユリウスたちが追撃をかけた。
「そうです。兄上は私たちを休ませるため、すべてを一人で背負われました」
「ゼクス様の深く気高い精神……教官たちも、しっかり学園長に報告してくださいませね」
「殿下は、私たちの英雄ですっ!」
三人が見事な連携(ただし、私を神格化する方向でのみ一致している)を見せ、教官に猛アピールを始める。
「おお……! なんという慈悲深さ、なんという実力! かつての横暴な振る舞いは、すべて本心を隠すための仮の姿だったのですね……!」
教官が、感涙に咽びながら私に向かって深く一礼した。
「ただちにこの功績を王宮と学園に報告し、Dエリアの安全宣言を出します! ゼクス殿下のチームは、見事、最高評価で演習クリアといたします!!」
私は真っ白になった頭で、歓喜に沸く教官たちの背中を見送った。
『目立たず、サボって、やり過ごす』という私の完璧な野営演習プランは、木っ端微塵に粉砕された。
それどころか、「仲間を守るために単身で魔物を討伐した心優しき英雄」という、次期国王にふさわしすぎる肩書きまで手に入れてしまった。
「さすがは殿下。素晴らしいご評価ですね」
ギデオンが、忠誠心120%の輝く笑顔で私に言う。
「ゼクス様、おめでとうございますわ♡」
「私の自慢の兄上です」
「殿下、かっこよかったです!」
三人が、それぞれに私を囲んで称賛の言葉を浴びせてくる。
(私の、辺境で畑を耕すスローライフの夢が、どんどん遠ざかっていく……!!)
王立魔法学園に戻る馬車の中で、私は一人、白目を剥いていた。




