聖女の恋と絶望
「クーノ君、もう無理だ抑えきれん! すまんが娘は諦めてくれ!」
「はぁっ⁉」
クーノは同僚である肥えた枢機卿、サミュエルが殆ど半泣きで転がり込み、そんなことを言ってきたものだから大いに困惑した。
「穏健派が娘とケイ・ウィンターの婚姻を画策してる⁉ なぜですか⁉」
「私だって分からんのだ! 神に誓ったっていいが、本当に心の底から説得したのに聞き入れてくれない!」
「あの穏健派ですよね⁉」
「いつも協調を重視して、可能な限り枢機卿の仲を取り持ち、必要とあらば率先して矢面に立ってくるあの穏健派だよ! 操られていることも考えてコッソリ調査したが白だ! 借りがデカすぎてもう拒否できない!」
ぎょっと目を見開くクーノに、事情を説明すると蹲って号泣しそうなサミュエルが叫ぶ。
基本的に枢機卿は同じ立場として扱われているがそれは建前で、クーノを筆頭とするような外からやってきた者は下位も下位。意思決定に関わることも出来ず、基本的には最上位の枢機卿や教皇が下した命令に従う立場だ。
しかし今回はあんまりで、今日から海を山。山を海と呼べ。そんな無茶を命じられたようなものだ。
確かにクーノは自身と娘を救い、息子の話の殆どを占めているケイに大きな好感を持っていたが、どうして教会が娘と男爵家三男を婚姻させるような話になるのだと酷く混乱した。
「も、も、もう開き直ってロジャー・ウィンターを最低でも中立にする一手だと思うしかない。ここだけの話だが、どうも王宮は聖勇者とそのウィンター家三男を結ばせて、ロジャーを引き入れようとしているらしい」
「はいぃ⁉」
「ロジャーを引き入れるのは王太子の悲願だ。もうなりふり構ってられないのだろう。悪いが……本当に悪いが娘とウィンター家の婚姻は決定事項として扱ってほしい」
顔面蒼白なサミュエルが事実上の命令を伝える。
ケイに関係するフォスター公爵家と王家の話が具体性を帯びれば帯びるほど周囲に伝わるため、教会は独自の伝手でその情報を入手していた。
そしてサミュエルはクーノに話さなかったが、光の灯教の極々限られた者はずっとずっと、ある疑念をロジャー・ウィンターに抱いていた。
かつて派遣された七徳がイライジャの理不尽を紐解けず恐れ撤退しても、その疑念で最も畏怖しているのがウィンター家三兄弟の長兄なのだ。
それ故にロジャーが完全に王家側の立ち位置を得るのは絶対に駄目だ。最低でも教会とウィンター家の繋がりがほしいと考える武闘派枢機卿。特に後ろ暗い事柄に関わる者が、協調派の枢機卿に同調したことで決定打となり、ケイとリズベットの婚姻は加速度的に話が進められていた。
「ですが聖勇者との婚姻があるなら、尚更物理的に無理な話でしょう⁉」
「う、ううううう……!」
クーノが妙な表現をすると、サミュエルは仰る通りだと口にしかけて唸り声を漏らす。
「と、とり合えず息子さんの意見も聞かないかな? どうやらそのケイ・ウィンターと仲がいいようだし、案外聖女も……まあ、あの忌々しいオズボーンの件で関わりがあるんだ。彼を好んでいるかもしれないじゃないか」
実はこのサミュエルだがつい先日同僚から、十五歳ほどのイライジャに教会所属の七徳がボコボコにされて以来、ウィンター家と微妙な関係だから、ここでロジャーが完全に王家側に行くと本当にマズいと知らされ愕然としていた。
そのためなにがなんでも婚姻の話を進める必要があり、クーノに縋るように訴えた。
(あの子が婚姻に納得するとは思えない)
クーノは家族の時間のため、サミュエルには部屋の外で待つように頼むと、娘のリズベットが絶対に納得しないと考えた。
学院に預ける前のリズベットは信仰こそが人生であり、パワーバランスや派閥のために結婚してくれと言っても、絶対に頷くことがない女だった。
しかし、呼ばれて部屋にやってきたリズベットは……。
「ケ、ケイさんが良ければ、け、結婚……結婚したいです……!」
クーノが知らない娘がいた。
顔は上気し、思いつめた様な切ない感情を宿して、か細い声には不承不承ではなく確固たる意志がある。
「僕も大賛成。ケイ君なら間違いないもの」
「そ、そうは言うがなダリル……」
同席していた息子、ダリルの意見をクーノは無視することができない。
当時の王家と教会の圧力によってダリルを手放さざるを得なかったクーノは大きな罪悪感があり、ダリルが頼めば大抵のことは頷く必要があった。
しかし流石に男爵家の三男とリズベットの婚姻は超えるべき壁が多くある。
「ケイ君とのお茶会してるリズベットを見てたら、父さんも納得すると思う。もう本当にいじらしいんだよ」
「わ、私はそんな⁉」
「もじもじしてケイ君から目を離さない」
「~っ⁉」
ダリルの言葉でリズベットが慌てると、またもクーノは知らない娘がいるような錯覚に陥る。
あまり感情表現が得意ではないリズベットが、顔を真っ赤にしている姿は、クーノも知識でしか知らないものの、恋をしている乙女のようだ。
「リズベットは……彼が好きなんだね?」
「は、はぃ……」
確認を取るためクーノが問うと、か細い声が肯定する。
それならば教会の事実上の命令もあるため、クーノも拒否することができない。
「……分かった。話を進めるようにお願いしよう」
色々と翻弄されているクーノは、思わず息を吐きそうになって堪えると、そう言葉を漏らすのだった。
………………。
…………。
………………。
堕ちる。
夢に堕ちる。
リズベットが精神世界に堕ちていく。
「ひっ⁉ ひいいっ⁉ ひいいいいいいいっ⁉」
リズベットは過呼吸の様な発作と……現実の自分から燃え上がるような恋の感情に襲われる。
「うっ! あぐうううううううっ!」
苦しくて苦しくて堪らなかった。
思わず胸を押さえて蹲ってしまう。
最早見ず知らずの男が魂を燃やし、裂いているのではない。
誰よりも好きな相手がそんな禁忌を踏み越え、リズベットたちを守っているのだ。
「いやああ! ごめんなさい! ごめんなさい!」
現実の自分は魂を燃やしているケイを気にせず、呑気に恋を味わっている。
それは精神世界のリズベットにとって絶望でしかない。だが最近は全く触手がやってこないため精神世界で目覚める頻度が少なくなっており、溜めに溜めた現実での恋心が今現在のリズベットを洗い流してしまう。
「好きぃ……ああああっ! ケイさん! ふぐうううううう! ケイさん……ケイさん! ケイさん!」
好きになっていい筈がない相手への、我慢が出来ない愛情がリズベットを襲う。
聖女は神に助けを求めることはなく、ただ愛している男の名を叫ぶしかなかった。




