最も長く苦しむ女神
(私は……私は普段通りの顔なのかしら……)
本格行軍練習に参加し、馬の上で揺れているルシールは、自分の微笑みに自信が無かった。
それも全ては、行軍前にとある枢機卿が齎した一報が原因である。
「リ、リズベットとケイさんを結ばせる計画があるのですか?」
「ええ。本当に理解に苦しむのですが……」
「どうして急にそのようなことが?」
「主張する者はウィンター家を引き寄せるためだと言っていますが、それはかなり今更な話なのですよ。なにか事情があるのだとは思いますが、私には心当たりがありません」
行軍前にルシールと秘密裏に面会した枢機卿は、この混乱に右往左往している者の一派だ。
彼自身もなぜそのようなことになっているのかはさっぱり理解できておらず、心底困り果てていた。
「な、成るのですか?」
「現実に起こり得る……かもしれないと思っていただきたいです」
「っ!」
「面目次第もございません……」
ルシールの強張った顔と青白くなった肌を見た枢機卿は、友人であるリズベットが男爵家の三男坊と結婚することにショックを受けたと解釈した。
それに所属が王国のレアは怪しかったが、リズベットの方は将来的にルシールの傍で控え、友人兼側近として扱われるのがほぼ確定していたので、女神は大事なものを失ってしまうのだ。
(私もっ⁉ な、何を考えているの!)
だが実際のルシールは友人を失ったショックではなく、脳裏に過ぎ去った願望を振り払えずに藻掻いていた。
仲のいいリズベットが結婚するから、自分もそれに引っ付いてケイの傍にいたい。そんな想像を女神ルシールがしていると言われた人間は、ほぼ全員が否定するだろう。
(でも、私だって……私だって……違う違う……! 私は女神……教会の象徴に……)
リズベットがケイの傍で微笑み、腕に小さな命を抱いている姿を脳に描いてしまったルシールは、胸が張り裂けそうな切なさを宿しながらも、己の役割を思い出して必死に律する。
レア、リズベットに比べて、ルシールは最も堕落し難い。
しかし神の教え以外で彼女を繋ぎとめているレア、リズベットが泥沼に沈み込むと、加速度的にルシールは女を持て余し始めるのだ。
「お気を付けください」
「……え?」
「聖女を外に出すのは明らかにおかしな動きです。それを考えると……」
「わ、私も?」
「いえ、流石に婚姻という話はないと思います。ですが、なにかしらの企みがあるのは間違いありません」
注意を促した枢機卿にルシールは狼狽えそうになる。
婚姻の否定はされたが……。
「っ。よろしければその計画を進めている方々のお名前を教えていただけますか?」
「勿論です」
口が乾ききっているルシールの言葉に枢機卿は大きく頷く。
彼女が企んでいる連中と接触しないために必要な措置だった。少なくとも枢機卿はそう思っていた。
(この方たちに接触すれば……)
ルシールの口と指が僅かに震える。
女神であると自認したばかりなのに、その一派と接触して何になるというのだろう。
明らかにケイに惹かれているレアも交えて、三称号全員がケイの女になる? そんなことはあり得ない。
「それではこれで失礼します。なにかあればすぐご連絡ください」
「はい。ありがとうございました」
枢機卿が帰った後、ルシールは震える己の体を抱く様に身を縮める。
「一人は……いやぁ……」
弱々しい声が漏れた。
学院に通う前は、卒業後に総本山で暮らして世間との関わりを断つのが当たり前だと思っていた。
しかし今ではレア、リズベット、そしてケイとは会えなくなる環境を想像すると、耐えがたい苦痛が襲い掛かってしまう。
それは行軍が始まった当日も同じだ。
一見すると普段通りのルシールだが、親しいレアには気が付かれるような変調で身を焦がす。
「……」
野営地が整い始め、男性生徒がそわそわしている最中、ルシールは表情筋に力を入れないよう必死に努力していた。
精神的に余裕があるレア。それぞれの部隊に女性が混ざっている理由に気が付いていないリズベットと違い、ルシールは全く余裕がない上で女性がいる理由が分かっている。
尤もこの状況に不潔、不純であるという考えがあるのではない。
(どうしてこんな考えが思い浮かぶの!)
なにせ彼女の頭の中で、やけに具体的で鮮明な不純が渦巻いているのだ。
野営のためそこらにある麻袋ですっぽり顔を隠し、ケイのテントに忍び込む妄想だ。
自慢に思ったことこそないが、己は男性が好むスタイルであることを自覚しているため、麻袋をはぎ取る必要はない。
あとはケイにとって名も顔も知る必要のない女として振舞い、こっそりテントに戻るのを毎日繰り返す。命を宿そうが神から授かったと言えばいい。
そんなあまりにも破滅的な妄想が凄まじい精度で描かれ、ルシールの頭で暴れ狂う。
(神よ、どうかお許しください)
だから神に縋るが応えはない。
代わりにケイへ話しかけたら確かな返答がある。
どうしても堕ち切れないせいで酷く苦しむ女神は、崖から蹴落とされるような後戻りできないきっかけを無意識に求めていた。




