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心が冷えている聖女の妹と、温めようとする兄

(寒い……心が……寒い……痛い……)


 本格行軍練習が始まる直前、リズベットは心も体も冷え切っている自覚があった。


(ケイさん……)


 その原因は本格行軍練習でケイと遠ざかってしまうことにある。

 王都騒乱でケイに手を握られてから、リズベットは何度も何度もその感触と温かさを思い出していたのに、突然会うのが難しい行事に突入したのだ。


(……っ)


 リズベットの体が恐怖で震えかける。

 同じ神に従う者の筈なのに、七徳司祭オズボーンの暗躍で危うく父は拘束されかけ、ウィンター兄弟の推測が正しければ、リズベットは実質的な洗脳を受ける寸前だった。


 それ故にこそ教義の中で育ってきた彼女は騒動に大きな衝撃を受け、防いでくれたケイへの感情が爆発的に高まってしまった。

 正確には、元々燻っていた無意識がはっきりとした炎となり、初めての経験でコントロールが全くできなくなっていた。


(神よ。これが……これが好きという感情なのですか? わ、わ、私には分かりません)


 冷え切っていた心に温かさと混乱が宿る。

 幼い頃には母が亡くなり、通常の令嬢が好むような愛や恋を題材にした物語に触れる機会はなく、節制の中で生きていたリズベットには、男女の愛や恋という感情が理解できない。


 だから、ケイにふと視線を向ける。気が付けば彼のことを考えている。近くにいれば胸が高鳴り、離れてしまうと寂寥感を感じるのに、明確な答えを持てなかった。


(兄様にお礼を言いたい。でもなんて言えば……)


 リズベットの意識が兄のダリルに向かう。

 私生活でケイと接点がないリズベットにすれば、彼をお茶会に誘ってくれるダリルは素晴らしい兄だ。

 しかし、いざお茶会に出席すると、なにを言えばいいのか分からずもじもじしてしまうため、有効活用できた例が無かった。


 ちなみに根が純真過ぎるリズベットは、兄が企んでいることを全く察知しておらず、婚姻計画を知れば真っ赤な顔になって卒倒するだろう。


「聖女様、我らがお守りいたします!」

「はい。よろしくお願いします」


 きびきびとした声でリズベットは現実に戻った。

 本格行軍でリズベット、レア、ルシールに与えられた兵士は、鍛えられた女性の集団だ。

 称号や徳級が存在するこの世界では、男女の戦闘力はそれほど隔絶しておらず、集めようと思えば女性だけの部隊を編成するのは容易い。


(もう少し成長できる筈……)


 そんな集団を見たリズベットは、己の貧相な装備に気が付き項垂れそうになった。


 背が高く女性としての起伏もある集団は、すとーん! という擬音が相応しいリズベットに比べると圧倒的な戦力だ。

 それはリズベットが持つ六徳相応の力を蹴飛ばす女性としての戦闘力であり、僅かな願望を抱いている彼女の精神をけちょんけちょんにしてしまう。


(ル、ルシール様まではいかなくても、普通の大人の女性くらいには……)


 リズベットの近くに、暴力としか言いようがないスタイルのルシールがいることも、悲しい現実に向き合わざるを得ない原因だ。


「皆様に大いなる灯の加護がありますように」

「ありがとうございます」


 気を取り直したリズベットが使い古された言葉を兵士達に送る。


(……神の加護?)


 リズベットの頭の隅で邪な囁きが漏れた。

 加護が厚いはずの七徳、オズボーンは彼女たちを害するような行動をして、救ってくれたのは神ではなくケイだ。

 しかしあくまで、無意識な囁きに過ぎない。


「リズベット」

「兄様」


 近寄ってきたダリルに声をかけられたことで、囁きは止まった。


「現場と後方を繋ぐ役割を買って出たんだけど、よかったら一緒に行動しないかな?」

「は、はい。そうさせて頂きます」


 微笑んでいるダリルにリズベットは、自分が思っていた以上の力で頷く。

 つい最近まで男爵や子爵の中に混ざっていたダリルは、中核で指揮する者達と現場を繋ぐ役割として最適だ。

 それ故にダリルが、ぎこちない兄と妹の交流を増やすためリズベットも加えたいと言えば、特殊な事情があるので反対意見は出ない。


「兄様なら最適だと思います」

「あははは。皆とは訓練でひーひー言った仲だからね」


 リズベットが素直な意見を口にすると、ダリルは朗らかに笑った。


 あり得た分岐ではいきなり公爵家の跡取りになったダリルと、男爵、子爵家の子息の関わりは酷く冷めたものだったかもしれない。

 しかし捻じれ壊れ果てた今現在において、ダリルは馬鹿騒ぎの中心人物であるケイと行動しているので、全員と気安い仲だ。

 子息たちから見ても意見が言いやすい仲間が、公爵家の跡取りという立場で代弁してくれると心強かった。


 なお公爵家の跡取りになった当初は、子息たちもダリルにどう接していいか分からなかったが、ケイがあまりにも普段通りにしていたため、男爵子爵連合軍の友情はがっしりと肩を組んだままである。


「それじゃあ頑張ろう」

「はい兄様」


 穏やかなダリルにリズベットは頷いた。

 親友がいて周囲とも友情を育み、精神的に充足しているダリルは、兄としての振る舞いが完璧だった。

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