愛と贖罪で足掻く聖勇者
(ふー。気合入れないとね)
ズボンを着用して白馬に跨っているレアは、本格行軍が始まる前に体の調子を確認していた。
王都行軍が終わってからは公爵令嬢、聖勇者よりも女を優先していて、ダリル、リズベット兄妹の茶会に紛れ込み、ケイとの逢瀬を楽しんでいたレアだが、流石に全体の行事になれば相応しい振る舞いをしなければならない。
が。
(あれやってほしい……!)
抱きつくように馬を撫でまわしている男、ケイを見た瞬間にそんな気合は消し飛んだ。
(馬を羨ましがる日が来るなんて!)
ケイに頭を撫でられるだけではなく体をまさぐられても、はいどうぞと言いかねない程に堕ち切っているレアだったが、流石に馬を羨む自分が馬鹿なことを自覚しているらしい。
(ケイ君に我慢させちゃってるなあ……私が相手に出来ないのが悪いんだから、気にしなくてもいいのに……)
それと同時にレアは、女性を同伴する子弟が多い中、周囲に女がいないケイに罪悪感を抱いた。
ケイの予想通り、愛人や妾が当たり前の上流階級で育ったレアは、男性への理解があり過ぎた。
沼へ浸かりきる前の藻掻いている時期は、無意識にケイの欲求を解消する手段にしてほしいと思っていたが、今はもう婚約が事実上確定しているため、精神的にかなり余裕がある。もしケイが適当な女に手を出しても、大騒ぎすることは無いだろう。
(ちょっと慎重にならないといけなんだよねえ……)
望みが果たされつつあるレアは、将来的に直面する問題に頭を悩ませていた。
王国とレアの兄ネイハムの考えでは、ケイとレアの夫婦が外様の貴族にあいさつ回りをして、各所の橋渡しをする予定だ。
それがいきなり、レアが妊娠したので動けません。となれば予定が崩れるどころの話ではなく、ケイは一人であいさつ回りすることになり恥をかかせてしまうだろう。
(あ、ケイ君。うん。いつも通りだって言いたいんだよね)
そんな時、訓練仲間意識なるものに接続した気分のケイが、レアと視線を合わせて訴えるような眼差しを送る。
この試みは一応上手くいっていたのだが……。
(気にしなくていいタイミングになったら、私頑張るから)
訓練仲間意識は色ぼけ乙女回路に接続されてしまう諸刃の剣だった。
「ケイ・ウィンター!」
「はい!」
「先行して異常がないかを確認しろ」
「はい!」
レアの脳が桃色になっているのを気にせず事態は進んでいく。
(ケイ君が先行隊。皆が適任はケイ君だって口を揃えた結果だものね。仕方ないかあ)
思わずレアは苦笑しそうになった。
ケイが先行隊に任命された理由が、最近接点が多いレア、リズベットから彼を引き離すため……などといった上位の子弟のくだらない感情から生み出されていたなら、レアは己の権力を使うことを厭わなかった。
しかし事実は、現場を預かる立場の男爵、子爵の子弟全員が、先行隊の適任はどう考えてもケイだと口を揃えた結果だ。
(まあ、私もこの感情が無ければケイ君に任せるもの)
これには公的な立場のレアも異論はない。
本隊から離れて行動する先行隊には、ある程度の自己判断が出来て観察力が高い人間が必要だ。
そのため今代の下位貴族が推薦するのは纏め役のケイ一択となり、ダリルだってそれを否定せず親友が相応しいと思っていた。
ただ感情とは面倒なもので、合理性を考えたら正解でも、レアの中で燃え盛る恋心は違う意見を持っており、彼女はそれを抑えるのに苦労していた。
(それはそうと……)
レアはちらりと同胞の様子を確認した。
「あ、あの、その……兄様」
「一日の確認と次の日の打ち合わせがあるから、その時に一緒に行こう」
「は、はい!」
レアの鋭敏な感覚は、ひっそりとしたダリル、リズベット兄妹のやり取りを聞き取った。
(ダリル君はリズベットの感情に気が付いて、後押ししようとしてる)
リズベットのあやふやな言葉に、望んだ通りのものを返したダリルの様子から、レアは予想を確信に変えていく。
(ケイ君のお兄さん。ロジャーさんを中立にするため、教会も似た判断をしたのかな?)
レアの視点からすると、ダリルがリズベットの思いを後押ししても、教会との関わりを考えるとかなり難しい。単なる感情だけで行動するには、リズベットに絡みつく柵が多すぎるのだ。
結果、ダリルには何らかの目途がついているから、行動しているようにレアの目には映った。
(リズベットの気持ちが痛いほど分かる)
レアにとって今のリズベットは、王都に向かっている途中の自分だ。
ケイと訓練で毎日会っていたのに、王都行軍のせいで突然顔も見れなくなり、狂おしい感情で藻掻き苦しんでいた時と同じ。
(それに……)
視線を変えたレアが女神ルシールを見る。
「……」
微笑んで馬に乗っているルシールは、一見するといつもの微笑を浮かべている。
だが堕ち切っているレアには分かる。
ルシールは、何故自分は堕ちてはいけないのか。いや、堕ちていい筈がない。でも女でありたい。違う、自分は女神だ。
と、苦しみ抜いている。
(ルシール様……)
レアに罪悪感が大きくのしかかる。
ひょっとすれば何かあるのかもしれないリズベットの環境と違い、女神ルシールが教会外部の男と結ばれる可能性は限りなくゼロだ。
尤も現実は少々奇妙なことになっているのだが、それをレアは知る立場ではない。
……………。
………。
レアには、人のことを考える余裕はない筈だ。
その日の夜、またしてもレアは夢に。精神世界に堕ちていく。
「あ、ああああ、ああああ! ごめんなさいケイ君! ごめんなさい! ごめんなさい!」
レアは呑気に人の恋路に顔を突っ込む前に、自分の贖罪を果たせと自身を責め、謝罪の言葉を叫ぶ。
だが最近全く触手が精神世界を訪れていないため、現実から流入する感情の方が大きくなってしまっていた。
「す、好きなの! ケイ君のことが大好きなの! ど、どうしよう! 赤ちゃんほしい! う、うううううう!」
精神世界での絶望が現実世界に影響を与えたように、現実世界での希望が精神世界のレアに大きな感情を抱かせる。
世間体があるために抑えている尋常ならざる愛が溢れ、藻掻けば藻掻くほど甘い沼により深く沈み込んでしまう。
「ケイ君……!」
足掻いて伸ばした手の先。
彼女と精神世界を隔てている無色透明の壁がピシりと軋んだ。
割れてはいない。だが、確かに軋んだ。
それがどうなるかは、まだ誰も分からない。




