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王冠の下の約束  作者: 朝凪


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2/3

薔薇の棘を知る年頃

ロズレ王国の春は、薔薇から始まる

城壁を超えて吹く風さえ、花の香りを纏っていた

王宮の回廊は白く磨かれ、窓辺には蕾を抱いた枝が飾られる

祝祭の季節。国民は歌い、貴族は微笑み、誰もが「薔薇の国」を誇るーーそれは、外から見れば完璧な幸福の絵だった


けれど、ロズリーヌが16を迎えてから、同じ景色が少しずつ違って見え始める


「ロズリーヌ王女殿下は、まるで薔薇の女神のように美しい」

「リオネル様も、神が創りたもうた彫刻のような美しさだ」


2人に向けられる称賛は、幼い頃から日常だった

だが成長するにつれ、その言葉は祝福というより、決めつけの鎖になってゆく


ーーお似合いだ

ーー結婚するのだろう

ーーいや、王家の掟が

ーー後宮に入るのでは?


最後の囁きが、いつも耳の奥に残った


ロズリーヌは、勉強が増えた。政治、外交、法、歴史。女王になるための全て

女官長カミーユは、柔らかい笑みで、容赦ない現実を渡してくる


「ロズリーヌ殿下、これは“理想”ではなく“現実”でございます」


薄い紙に書かれた条文ーー女王継承、女王専用の後宮、血筋の確実な存続

文章が、薔薇の棘のように鋭い


「……わたくしは、母上のような女王になれますか」


ロズリーヌが小さく尋ねると、カミーユは一瞬だけ目を伏せた。そこには慈しみがあった

けれど次の瞬間、彼女は女官長の顔に戻る


「なれます。ならねばなりません。殿下の“なりたい”は、すでに国の“ならねば”と同じでございます」


その言葉は、優しいのに冷たかった

ロズリーヌの胸の奥で、何かが音を立てて閉じる。幼い頃は、未来は無限に広がっていると信じていたのに、今は道が1本に絞られていく


ーー同じ頃。リオネルもまた、急に大人にならざるを得なくなっていた


モントルイユ家ーー裕福で、古く、政治に太い家

四男である彼は、これまで「自由に生きられる」と言われてきた。長男は家督、次男は軍、三男は官僚。四男の彼には、趣味や学問に生きる余白がある、と

けれどある晩、父アルチュールは夕食の席で静かに言った


「お前は後宮に入る」


リオネルはナイフとフォークを握った指に、微かな震えを感じた


「父上、それは……」

「王女殿下のためだ。いや、王国のためだ。ーーお前の意思は関係ない」


その瞬間、リオネルは悟る

ーー自分は、自由な四男ではかった。“使える駒”として、最も価値が高い位置に置かれていただけだ


「……僕は、殿下を支えたい」

「支える?言葉は美しいな。だが本質は違う。殿下の心がどこにあろうと、お前は役目を果たせ。国が揺れたら、お前も責任を取ることになる」


言われなくても、わかる

後宮に入るということは、愛する人の人生に“制度”として入り込むことだ

自分がどれだけ彼女を想っていても、その想いは国の都合で簡単に踏み潰される


リオネルはその晩、1人で庭園に出た

薔薇の葉に露が落ち、月の光が濡れた棘を光らせている

幼い頃、ロズリーヌと結婚式ごっこをした場所が、脳裏に蘇る

あの時、彼女はヴェールを揺らして、笑いながら言った


“病める時も、健やかなる時も、リオネルを大好きでいるの”

“……大好き?”

“大好き!”


言葉が胸を刺す。ロズリーヌはこれから、後宮を持たなければならない

それでも彼は、彼女のために役目を果たすしかない

愛するということが、守るということなら。守るためには、笑って飲み込むしかない


翌日、2人は王宮の廊下ですれ違った

子どもの頃なら駆け寄って、無邪気に手を取っただろう。けれど今は周囲の視線がある。女官の耳もある。噂の種はどこにでも転がっている。そして、噂は時に人の命を奪う


「ロズリーヌ」


リオネルが小さく名前を呼ぶ

彼女は、いつものように優雅に微笑み、けれどその目の奥に、薄い影を宿していた


「………リオネル、お勉強は進んでいて?」

「……君こそ、寝ている?」


言いかけた言葉を、互いに飲み込む


ーー後宮の話を聞いたの?

ーー君は怖くない?

ーーわたくしは、あなたが遠くなるのが怖い

ーー君を、誰かに渡したくない


そんな本音を、廊下では言えない

2人は、“良い”子どもになっていた。大人が求める言葉を選び、大人が求める微笑みを作る。そうして、誰よりも早く“大人の仮面”を覚えてしまった


ーーその夜。ロズリーヌは母ローゼルの部屋へ呼ばれた

母は相変わらず美しかった。娘と同じ金髪碧眼の、薔薇の国の女王

けれど最近、灯りの下で見る頰は、少しだけ痩せて見える。病が忍び寄っていることを、ロズリーヌはまだ認めたくなかった


「ロズリーヌ」


母は娘の手を取った。その温度が、少しだけ低い


「あなたはもう知っているわね。後宮のこと」


ロズリーヌは喉の奥がつまり、うまく息ができなくなる

知っている。でも、知りたくなかった


「あなたが女王になれば、あなたの身体はーー国のものよ」

「お母様……」

「でも、あなたの心まで差し出す必要はない。そこは……あなたが自分で守りなさい」


守れるのだろうか。後宮という制度の中で、“心”だけ守るなんて

薔薇の香りに満ちた牢獄で、自由を握りしめ続けることができるのだろうか


「ねぇ、ロズリーヌ。あなたには信じられる人がいる?」


母の声は、女王ではなく母の声だった

ロズリーヌは、すぐに思い浮かぶ名前を、口に出すのが怖かった

出した瞬間、その名前が制度に汚されてしまう気がして


「………います」


そう答えると、母はホッとしたように微笑んだ

その微笑みが、何故だか“別れ”の香りを含んでいるようで、ロズリーヌは拳を握りしめた


ーー同じ頃。リオネルは偶然、父と議員たちの会話を聞いてしまう

扉の向こう、低い声


「次代はロズリーヌ殿下、血筋の確実性が第一」

「後宮の整備を急げ。周辺国との婚姻は条約の要だ」

「モントルイユの四男を入れるのはいい。だがそれだけでは足りない」

「もちろん。“初夜”の相手は議会で決める」


言葉の並びが、残酷なほど滑らかだった

誰かの人生が、政略の紙の上で簡単に折られていく


リオネルは扉の前で立ち尽くす。怒りより先に、理解が来る。これが“現実”だと

ロズリーヌは、この現実の中心に立たされる

彼女の涙さえ、条約のインクに変えられてしまう世界


その夜、2人は庭園で会った

偶然を装った約束。薔薇の香りが濃く、月が白く、棘が黒い影を落としている


「………リオネル。最近、あなたが遠いわ」


ロズリーヌが先に言った。言葉は責めていないのに、胸が痛い

リオネルは一呼吸置いて、微笑みを作る。それがひどく大人びていて、ロズリーヌはむしろ悲しくなる


「殿下こそ、女王になる準備で忙しいだろう?」

「ここでは……ロズリーヌって呼んで」


その願いは小さいのに、贅沢だった

リオネルは周囲を確かめてから、低い声で言う


「……ロズリーヌ」


その名前が、薔薇の香りのように甘く、棘のように痛かった

ロズリーヌは、胸に溜め込んだものを吐き出そうとする。でも、うまく言葉にならない

「後宮」の2文字は重すぎる

「議会」の2文字は冷たすぎる

「初夜」は、口にするだけで自分の身体が誰かのものになる気がした

代わりに、彼女はこう言った


「……昔の結婚式ごっこ、すごく幸せだったわ」


それを聞いたリオネルは、壊れそうな笑顔のまま頷いた


「うん。君がヴェールを被ってーー僕の手を取った」

「そう、あなたは薔薇の冠を被っていたわよね。“ずっと一緒”って言ってくれた……」


ロズリーヌが言うと、リオネルの目が一瞬だけ揺れた

嘘はつきたくない。けれど真実を言ったら、彼女を泣かせる

だから、彼は少しだけ言葉を変えた


「………今もずっと、君を愛している」


それは誓いで、同時に降伏だった。“一緒”ではなく、“愛している”

現実に押しつぶされない形に、愛を作り変えるしかない


「………わたくしね、怖いの」


リオネルが一歩近づき、けれど手を伸ばすのを躊躇った。王女に軽々しく触れることはできない。ここは庭園で、暗がりがあっても制度は消えない

ロズリーヌはその躊躇を見て、笑ってしまう。その笑いには涙が含まれていた


「触れてくれないの?」

「………君が、遠くに行っちゃう気がするから」


言ってしまった本音に、リオネル自身が驚いた

嫉妬、恐怖、独占

それを口にした瞬間、彼は自分が子供だと思う。愛する人を守るには、もっと大人にならなければならないのに

ロズリーヌは、そっとリオネルの手を取った

王女の手。白く、細く、温かい

その指先が、彼の指に絡む


「遠くへ、行きたくて行くんじゃないわ。………国が、わたくしを引っ張るの」


月明かりが、薔薇の棘を光らせる

この国は美しい。けれど、美しさの裏には必ず棘がある

2人は、その棘が自分たちの未来に絡みつくことを、理解してしまった


「………僕は、君を支える。君が女王になるならーー僕は、君の味方であり続ける」

「味方………」


ロズリーヌは、その言葉に救われたように見えて、同時に悲しくなった

恋人ではなく、味方。今の2人にはその形しか許されない

ーーその時、ロズリーヌの指先にチクリと痛みが走った

薔薇の棘が彼女の指先に、ほんの少し血を滲ませていた


「あ……」


リオネルはすぐにロズリーヌの指を取る。血はわずかで、すぐに止まる程度。それでも赤い血が、やけに鮮やかに見えた


「この国は……薔薇に似てるね」


リオネルは苦い笑みを浮かべた


「綺麗で、優しくて、でも棘がある」


ロズリーヌは言い返せなかった。彼女は血の滲む指を握った


「……ねえ、リオネル。……わたくしたち、どうしたらいいのかしら」


リオネルは即答できなかった

正しい答えなんてない。国が、家が、制度が、2人に複雑に絡みついているのだから

それでも、彼は答えるしかない。彼女の前では、強くなりたい


「………どうにもならないことがあるのなら、せめて……せめて、僕の前で君が泣けるようにする」


ロズリーヌは頷いた。涙は落ちそうで、落ちなかった

女王になる少女は、もう泣き方まで学ばされている


庭園の薔薇は、風に揺れる

幼い頃は、ここが世界の全てだった

今は、世界の残酷さを知った2人が、ここで息をする

帰り際、ロズリーヌは振り返り、薔薇の花を見つめた

咲き誇る花々は、祝福のように見える。けれど棘は確かにそこにあり、指先のキズがそれを証明している


ーー大人になるってこういうことなのだろうか


幸福を信じたままではいられない。けれど、信じた幸福を捨てることもできない


ロズリーヌは歩き出す。女王になる道へ

リオネルも歩き出す。後宮に至る道へ

同じ方向に進んでいるのに、ほんの少しずつ距離が生まれて行く


薔薇の香りが追いかけてくる。甘く、優しく、そして棘の気配を隠しながら


その夜、2人は初めてはっきりと知った

愛するだけでは足りない。愛するためには、早く大人にならなければならないーーこの国では

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