子供の頃には分からなかった事
氷塔の破壊は成功に終わった。
続く挟撃も成功に終わり、アブディクル軍は旧ディザンに於ける支配力を著しく低下させた。
ラーズ公国とア連はここで、兵を一旦退くつもりだったが、旧ディザン王国の反バグダル派が蜂起した為にそれを援護。
北ディザンをやむを得ず、解放すると言う流れとなった。
アブディクル軍は無法地帯と、南ディザンに兵を結集し、二方からの攻撃により、再び侵攻しようとしている。
ア連とラーズ公国及び、旧ディザン王国の反バグダル派は、これに先駆けて無法地帯の荒地の尖塔を潰そうとしていた。
レンデホルツはディザン王国のかつての首都であった街だ。
ここには今、二万の兵が集まり、次の作戦の開始を待って居た。
その内訳は人間や、半魔や魔物という混成軍で、一度は魔物に蹂躙されたレンデホルツの住民達は、それに対して懐疑的だった。
昼だというのに店を閉め、通りの上には人影も無い。
外板を開けて遠巻きに見て、近くになると閉める家が、殆どという状態である。
だが、これは近い内に、上から通達が出されるというので、住民達もやがては慣れて、魔物や半魔を受け入れてくれるだろう。
私とレーナは道を行き、現在、王宮を目指している。
誰かに呼ばれたと言う訳でなく、そこに居るラーシャスに会う為だった。
「申し訳ありませんが会議中でして…いつ終わるかと言うのもはっきりとは…」
係の兵士はそう言って、申し訳なさそうな顔を見せた。
彼には責任が無い事なので、「そうですか」と返して王宮を後にする。
「ゲートを使わせて貰うか…」
と、呟くと、レーナが小さく「そうですね…」と言った。
行きたい場所は私の故郷で、行く理由は親父の埋葬だった。
どうせならば母と同じ地に眠らせてやりたいと考えたのだ。
その為にラーシャスの翼を借りて、言えば、楽をしようとしたのだが、生憎の多忙で目論見が壊され、手段がゲートへと移行した訳だった。
ここから一番近いゲートは北西におよそ10キロと言う所。
親父を背負っての移動となるので、2時間半から3時間はかかるだろう。
「(まぁ、最後の親孝行と思えば、だな…)」
そう考えて宿に行き、シートに包んだ親父を担ぐ。
「ああ、ありがとう」
ずり落ちかけたのを支えて貰い、レーナに向かって礼を言った。
「本当に、安らかな顔をしてますね」
親父の顔を見てレーナが言うので、見えはしないが「ああ」と返す。
「親父は…後悔はしてないのかな」
「ボソリ」と言うとレーナは考え、「していないと思いますよ」と、微笑んで言った。
その目が親父の寝顔にあるので、私は「そうだな…」と、微笑んで頷いた。
宿を後にして街を出て、休憩を入れつつゲートに向かう。
そして、3時間と少しをかけて、ようやく目的地のゲートに着いた。
幸いにもゲートのドリアードは無事で、頼むとゲートを開いてくれた。
私達はそれに礼を言って、故郷の近くのゲートに飛んだ。
ゲートを抜けた私達は、かつての我が家に向かって歩いた。
1時間程歩いただろうか、懐かしきあの村が視界に入る。
「かなり昔の事になるが、この村の学校に通っていたんだ。随分と寂れてしまったが、まだ、所々に面影はあるな…」
立ち止まって村を見て、遠い目をしながら私が語る。
聞いたレーナは私の横で、「そうなんですか」と言って村を眺めた。
「良い村ですね。のどかな感じで」
その言葉には「そうだな」と言い、「ふっ」と笑って歩き出す。
「小さな頃ってどんな感じだったんですか?」
そう聞きながらレーナが続くので、「あまり変わらんなぁ…」と笑って答えた。
「え?それって外見の事ですか?それとも性格の事ですか?」
「うーん…どちらかというと性格の方だな。昔から内気でネガティブだった。悪い方に考えて置けば、そうなった時のダメージが低いというのが、ポリシーというか持論だったな」
続くそれにはそう答え、「分かる気はしますケド…」という苦笑いを頂く。
「外見の方は、20代の中盤に今のままで止まってしまった。高齢になって止まるよりは良いから、これには普通に感謝をしてるがね」
「ですね。わたしもそんな感じです」
私が言って、レーナが微笑む。
ちなみにレーナは何才だ?と、流れで聞こうと思ったが、レディに聞くのは失礼なので、それは言わずに飲み込んでおく。
「彼女とかは…居たんですか?」
「なっ…」
不意の質問に足を止める。
「あ、いえ!答えたくなかったら、内緒のままで構いません!」
両手を振ってレーナが言った。
その顔は若干焦っているように見える。
「いや、別に隠す必要は無いが…そうだな、特には居なかった。典型的な引き立て役という奴で、私もいつしかそう思うようになっていた。好きになっても無駄だぞ、と、どうせフラれて傷つくんだぞ、と、自分に言い聞かせていたフシがあるな」
足を動かしてそう言うと、レーナは「あら……」と絶句した。
「で、でもそれは思い込みですよ!好きになってくれた人だって、きっと居たと思います!」
が、すぐに後ろに続き、そう言ってくれたので「だと良いがな」と返した。
「そうですよ…だって…」
だっての先は何なのか?
待って居たがレーナは続けず、目前に人が見えた事で、その先の言葉は有耶無耶となった。
その人物は私達の前方の、山道の脇で何かをしており、こちらの姿に気付いた後も、その場で作業を続行していた。
見た目の年齢は70半ばの、腰の曲がった老婆である。
まさかと思って警戒したが、レーナが「こんにちは」と声をかけたので、警戒を解いて挨拶をした。
「はいこんにちは。山登りですか?」
老婆の言葉に「いえ」と言う。
「そうですか」
と言って作業に戻るので、ちょっとの間それを見つめた。
地面を見回しては木の葉を除けて、倒木の近くを調べたりしている。
どうやら何かを探しているらしい。
「探し物ですか?」
と、質問すると、「まぁ、そんなもんです」と言う答えが返る。
レーナを見ると頷いたので、「お手伝いしましょうか?」と声をかけた。
「あらあら、お若いのに親切な事で…それではお願いしましょうかねぇ」
その言葉には「ええ」と言う。
それから親父を地面に置いて、顔の部分をシーツで覆った。
「それで、何をお探しですか?」
「ちょっと足音を落としてしまいまして。この辺りに落としたと思うのですがねぇ」
聞いて、返った言葉がそれなので、私とレーナは眉根を寄せた。
靴なら分かるが足音を落とす等、普通であれば無い事だからだ。
「(靴の事じゃないですか?お婆さん靴を履いてないですし)
レーナが小声で言うように、老婆は右足に靴を履いて居なかった。
ボケた…と言うのは失礼なので、靴と言うのと間違ったとして、「わかりました」と言って捜索を開始した。
「しかし、登山でないとすると、こんな山奥まで一体何用で?」
探しながらも老婆が聞いてくる。
「あー…少し墓参りに。かなり昔に住んでいまして」
同様に探しつつ返答すると、老婆は「そうですか」と納得してくれた。
「そう言えば少し前にも、同じ目的の方が来ましたなぁ。あなたに良く似た男性でしたが、もしかして、お知り合いか何かですか?」
これには止まり、振り返り、その上で「多分、親父です」と答える。
聞いた老婆は「にこり」と笑い、「見つかりました」と靴を見せて来た。
「噂通りの親切な方ですな。何かお礼がしたいのですが…」
と、続けて言ってきた為に、「噂通り?」と、顔を顰める。
が、老婆が「うん?」と言ったので、ボケ…では無く、気の迷いだと思う事にした。
「とりあえず、お礼は必要無いです。実際、何もしていないですから」
そう言ってから親父を担ぎ、「それでは」と言って歩き出す。
レーナが頭を下げた事を見てから、進行方向に顔を向けた。
「良かったですね。すぐに見つかって」
「そうだな。しかしあの人、あそこで何をやっていたんだろうな。特に道具も持って居なかったし、山に入った理由が謎だが」
レーナが言って私が答える。
「家…があるんじゃないですか?村に行った帰り道とか」
少し考えてからレーナが言ったので、「そうか…」と返して納得する事にした。
「…ん?」
何気に振り向くと老婆が居ない。
道の脇にも先にも見えない。
時速100キロで走ったとしても、視線の彼方にはまだ居るはずだ。
「ええっ!?」
目を大きくしているとレーナも振り向き、そこに老婆が居ない事に気付く。
少し戻って探して見たが、茂みの奥にも老婆は見えない。
「おばあさーん!居ますかー!!」
念の為に呼んでみても、返ってくる言葉は一切無かった。
「気持ちが悪いな…」
一言言って、周囲を見てから歩き出す。
だが、そこからは何も起きなかったので、次第に緊張を緩めて行った。
1時間半から40分程を歩き、私達はようやく目的地に着く。
「なっ…」
そこは、燃やしたはずの家が残る、私にとっては異様な場所だった。
そこには私の家があった。
誰かが建てたという訳では無く、以前のままの私の家だ。
丸太で組んで作られた家は、四方の一ヶ所の出っ張りまでがそのままで、それを見た私は茫然として、何も言えずに立ち尽くしていた。
「さっきのお婆さんの家ですかね?」
レーナが言って近付いて行く。
それに対して「いや…」と言えたのは、レーナが4歩程を歩いた後だった。
「これは完全に私の家だ。夢か幻かまやかしかは知らないが、この作りは間違いなく私の家だ」
そう言いながらレーナに近付くと、玄関が開いて誰かが出てきた。
「えっ!?」
「嘘だろう…」
私とレーナが同時に驚く。
驚かれた相手は「あん?」と言って、僅か2段の階段を降りて来た。
「お客さんとは珍しいな?まさか魔女狩りの連中じゃねぇよなぁ?」
それは今、背中に居るはずの、私の親父その人だった。
訝しげな顔でこちらを見た後に、「なんてな♪」と言って近付いて来る。
「今時そんな時代錯誤はいねーわなぁ?迷子か何かだろ?登山の途中か?」
そして、両手を腰に当て、私とレーナを見ながら言った。
「あラァ?兄さん銀髪か?めっずらしいなぁ。…て事はアレか?あんたもこっちじゃ客人のクチか?」
前半部分は普通に言って、後半部分は口に手を当てる。
困惑の為に黙って居ると、親父は「そうかー」と一人で納得した。
「んじゃ、あれか、彼女さんと、お別れの前の旅行って所か。お互い悲しい身の上だよなぁ?」
言って、私の肩に手を置く。
「いや…」
と、なんとか返したが、親父は「わかるよ」と訳知り顔だった。
「それでそいつは?サーフボード?」
続けての対象は背中のシート。
つまり、自分の体の事だ。
「これはその…」
と、戸惑っていると、親父は勝手に中を覗き見た。
「うおっ!コエェ!!どんな趣味だよ!」
親父が言って距離を取る。
わざとらしいオーバーアクションだが、らしいな、と、不思議に納得できた。
「どんな趣味と言われても…」
そう言いながら地面に下ろす。
「んん!?」
すぐにも気付いたその中身は、修羅のような顔の仏像となっていた。
「別の意味でも普通に怖いですね…」
レーナの言葉に「ああ…」と言う。
事情を知らない親父は「ん?」と、目を瞬かせてこちらを見ていた。
「どこに行くつもりか知んねーが、困ってるんなら泊めてやろうか?ただし、俺とヨメさんのイチャイチャチュッチュに耐えられるならの話だが」
「ヨメさん…!?かあさ…いや…奥さんが居るのか?」
驚き聞くと、「ああ」と言う。
「居ねーように見えたか?まぁ、若く見えるからなー」
と、なぜだか一人で喜び出したが、それを放置して家を見つめた。
母さんが居る。
その事が、私の視線を釘付けにさせた。
良い思い出は特に無い。
むしろ、辛い思い出ばかりだ。
だが、そこに母親が居るという事に、私は懐かしさと喜びを感じていた。
「おいおい、熱烈なラブビームだな。言っとくがあいつは俺に夢中だぞ?そして俺もあいつに夢中だ。あんたはあんたの彼女だけ見てろ。ほら、置き去りにされて呆然としてんだろ」
言われた為にレーナを見てみる。
言葉の通りに呆然としていたが、それは多分この場所をどう取って良いのかに悩んでいる為だ。
私もそうだ。
悩んでいる。
だが、もし、そこに居るのなら、ここがどういう場所であれ、母にもう一度会ってみたかった。
「先生、泊めて貰いましょう。夢でも何でも、そうした方が良いです」
悩んでいると、レーナが言ってきた。
後ろに手を組んで優しく笑っている。
「良いのだろうか…?」
と、返すと頷いてくれたので、悩みはそこでどこかに消えた。
「それではお言葉に甘えさせて貰います」
そう言いながら親父に向かう。
「おう。甘えろ甘えろ」
聞いた親父はそう言って、「俺はシドナだ。あんたらは?」と、こちらの名前を質問してきた。
「私はイ……」
と、名乗り掛け、それではマズイと言葉を濁す。
「…ル…マーニです」
そして、適当に言葉を紡ぎ、気付けばイルマーニという名が完成していた。
「珍しい名前だな…彼女さんは?」
「あ、レーナです…」
親父が言ってレーナが答える。
偽名を察して苦笑いをしていたが、レーナは本当の名前を名乗った。
「ああ、言い忘れてたが赤ん坊が居る。ピーピーうるせえがそれが仕事だ。わりぃが大目に見てやってくれ」
それには「ああ…」と言葉を返し、自分の事だと理解する。
状況的には親父が呼ばれて1年も経たない世界のようだ。
一体どういう事かは不明だが、私達はここに留まる事にし、家へと向かう親父に続いた。
「んっ?」
「えっ…?!」
次の瞬間、私達は家の中へと入っていた。
親父と共に母の部屋の中に居て、本を読んでいた母親に顔を向けていたのである。
髪の毛は黒で、目の色は緑。
落ち着いているというよりは、やはりは暗い印象である。
私の記憶では大抵は黒いローブを着ていたのだが、今は普通の服を着て、私とレーナを「じっ」と見ていた。
こうして見ると何となくシヤに似ているような気がして、彼女を一目で好きになった理由が、今更ながらに分かった気がした。
「……初めまして。ユーファよ。この人が良いというから泊めてあげるけど、勝手にモノは触らないでね」
母、ユーファはそれだけ言って、読んでいた本へと視線を戻す。
親父は「たはは…」と苦笑いして、「気にすんな。ちっと内気なんだよ。別に悪気があるって訳じゃねぇ」と、母の態度にフォローを入れて来た。
「ええ、それは…分かりますよ」
息子なのだから当然である。
内気と言うよりは頑ななのだが、親父は良い方へと変換したらしい。
「レーナです。よろしくお願いします」
レーナが言って頭を下げる。
母はそれに一瞥もせず、一言も発さず本を見続けた。
「い、イルマーニです…よろしく」
一応言うと、「ちらり」と見て来る。
一瞬、不思議な顔をしたが、母は言葉は発さなかった。
「なっ…」
次の瞬間にはテーブルについていた。
右手にレーナ、正面に親父と、その右に母が座っている。
ロウソクで照らされたテーブルの上には、質素だが、懐かしい料理が並んでおり、レーナが後で教えてくれた所では、私はそれを見つめて微笑んでいたらしい。
「カボチャのスープ…懐かしい匂いですね…」
そう言いながら一口を掬う。
口に入れると懐かしさが広がり、私は意識せず両目を閉じた。
「俺は最初は苦手だったが、自分の育てたカボチャとなるとな…まぁ、水みてぇなものだと思えば、かてぇパンを食うのも捗るだろう?」
親父が言って「ははは」と笑った。
目を開けると母が親父を睨み、それに気付かないフリをする親父が見えた。
「わたしは好きです。おいしいですこれ。良かったら作り方を教えていただけませんか?」
これはレーナで、聞いた母は目を大きくして瞬かせていた。
が、親父に「ホレ」と突かれ、「別に良いけど…」と一言を返答。
少し歩いて紙を取って来て、スープの作り方を書いて行った。
「このカボチャは親父…いや、シドナさんが作っていたものだったんですね。失礼ですが、日がな一日、好きな事をしてぶらついている方だと思っていました」
顔を戻して私が言うと、親父は「おいおい」と驚いて見せた。
「俺だって一応家庭持ちだからな。やらなきゃならねぇ事は済ませてから遊ぶさ。って言うか、初対面でそこまで言うかァ?俺の全てを見て来たような言い草だなぁ…?」
そう言って、顔を顰めた為に、「これは失礼を…」と謝罪を入れる。
だが、怒ったと言う訳では無かったようで、すぐにも「良いんだけどよ」と返答してきた。
この時には母のレシピ書きも終わり、無言でレーナに「つい」と渡す。
受け取ったレーナは礼を言い、一読した後に服にしまった。
「それで、実際の所、あんたらは何でここに来た?ハッキリ言ってなーんもねぇし、旅行をするにも他があんだろう?」
パンを千切りつつ親父が聞いてくる。
釣られた私もパンを取り、千切りながらに答えを考えた。
「強いて言うなら墓参りですね……昔、この辺りに住んでいた人の…」
やがて出て来たそれを言い、千切ったパンを口に入れる。
聞いた親父は「ほーん…?」と言って、水の代わりにスープを飲んだ。
「昔っつうとどれくらいだ?この辺にはずっと人は居ねえよな?」
それから母に向かって聞いて、
「少なくとも20年以上は居ないと思うわ」
と返される。
聞いた親父は「だよなぁ」と、一人で勝手に納得していた。
「まぁ何でも良いや。ここで会ったのも何かの縁だ。気が済むまでゆっくりして行ってくれ。尤もォ?俺とこいつのラブラブオーラに耐えられるならの話だがなぁ?」
そして言って、母の肩を抱き、「ちょっと…!」と困惑されるのである。
「良いだろ~?見せつけてやろうぜ~?そしたらこいつらも今夜はバーニングで、良い事尽くしだろうがよ~?」
ここら辺は人間では無く、魔族独特の考え方で、聞いた私とレーナは赤面し、視線を逸らして食事を続けた。
「んっ…んん…っ…♡」
どうやらキスを始めたらしい。
見えこそしないが激しいものだ。
他人のものならまだ良いが、両親のそれ等聞きたくは無く、私は「ちょっとトイレに…」と言って、食事を止めて立ち上がった。
「ああ、場所は…」
「分かります…」
親父が言いかけ、私が返す。
「そうか」
と言った後にはキスを続行し、耐えられなくなったレーナも立った。
「お、お、覚えてきますね!トイレの場所ォ…!」
そう言いながらついて来て、「おっぱじめる気だぜ」と言う言葉に「違います!」と怒って返す。
「すまないな…」
と、私が謝罪し、「いえ…」と短くレーナが返した。
次の瞬間、私達は家の外の庭に立っていた。
時刻は朝。
目の前では親父が薪を割っていた。
「おぉー!ひっさしぶり!イ…ルマニアとレーナだっけ?」
こちらに気付き、親父が言ってくる。
何と名乗ったかは忘れていたので、それには「ええ…」と困惑しつつ返した。
「イイネ!まだ別れて無かったか!二人の絆はもう完璧だな!」
そう言いながら近寄って来て、両腕に巻き込んで私達を寄せ合う。
「うっ…」
「あっ…」
その為、レーナと頬が触れ、お互いの耳が一気に染まった。
それを見た親父は「おいおい、まだまだウブだねぇ~」と言い、両腕から解放して私達を茶化した。
「あ、あの、久しぶりと言いましたが、どの程度の…?」
照れつつ聞くと親父は「んー…」と言い、「1年位か?」と、逆に聞いて来た。
質問に質問で返すなと言いたいが、親父の感覚が確かであるなら、1年位は経った後らしい。
「(一体どういう原理なんだ…?幻などでは無さそうだし…)」
思いながらレーナを見てみる。
先程の事を思い出したのか、レーナは照れて視線を逸らした。
「おんやぁ~?お前らまだやってねーな?道理で反応がウブな訳だ」
親父が言って「がはは」と笑う。
言われた私達は揃って赤面。
「す、す、するかッ!」
と、なんとか言葉を返し、「いかんなぁー」と親父に言われた。
私達の背後が騒がしくなり、誰かが来たのはその時の事。
振り向くと、そこには農具を持った6人の男達の姿があった。
「あ、あんたがユーファの旦那か?」
男の内の一人が言った。
聞いた親父は「ああ…」と言い、訝し気な顔で男達を見ている。
私とレーナが振り向くと、男達は一瞬「ビクリ」としたので、態度としては強気だが、内心はビビっている事が分かった。
「お、俺達は村の代表のモンだ。あんたと話がしたいって言うか、これからどうしたいかを聞きたいんだ。聞けば、あんた魔物だって言うじゃねぇか?皆、正直恐れてんだよ」
「ユーファだって昔はああじゃなかった。村にだって顔を出してたんだ…あんたが…何かしたんじゃねぇのか!」
一人が言って、もう一人が言う。
その言葉には他の4人が、
「どうなんだ!」
「答えろよ!」
と続けて答えを急かした。
「なんだか良く分かんねーが、俺と話がしたいって事か…?」
頭を掻いて親父が返す。
聞いた男達は「ああ…」と言い、親父の出方を伺っている。
「ヤダね。そんなのメンドクセー。全部あんたらの誤解じゃねーか。わりーことはしてねーし?あんたらに迷惑もかけてねー。なんで俺が言い訳みてーにわざわざ説明しなきゃいけねーんだ?」
男達を睨み、親父が言った。
男達は「ヒイッ…!」と言い、農具を構えて数歩を下がる。
「おっ?やんのか?あ?やんのか?」
と、顔色を変えた親父に向かい、「ちょっと良いですか」と声をかけた。
「あんだよ…オメーまであいつらの味方か?」
「ギロリ」と睨んで親父が言った。
それにはまず首を振り、思う所を正直に伝える。
「いや、そう言う訳では無いですが…奥さんと子供の事を考えるなら、きちんと誤解は解いておくべきです。あなたはいずれ魔界に帰る…私にはそれが分かっている。ならば、その後の家族の事をもっと考えて上げても良いのでは?」
それには親父は「うーーーん……」と言い、地面を見つめて少し考えた。
そして、やがて「分かった…」と言い、「あんたの言う通りだな」と、肩に右手を置いて来た。
「驚かして悪かったな。で、何が聞きたいんだ?洗いざらい話してやるよ」
それから男達に向かって言って、
「そ、それじゃ村まで来てくれるか?村長が会いたいと言っているんだ」
と、一人の男から頼まれる。
親父はそれに「分かったよ」と言い、私達に右手を見せた後に、男達について歩いて行った。
「なっ…」
親父の姿がすぐに消え、男達の姿も道から消える。
少し歩いて山道を見たが、そこには誰も存在しない。
時刻は夕方。
しかし戻ると、ある一線から朝方になる。
「この空間だけが独立している感じだな…」
「誰かの見せている幻でしょうか…?」
戻りながら呟くと、レーナが言ったので、「わからんが…」と返した。
「おいおい…」
直後に雨が降ってくる。
時刻はおそらく夜だと思われる。
「あっ…」
窓を閉めかけた母と目が合い、親父が出て来たのは数秒後の事。
「おーい!久しぶりだなぁ!そんな所に突っ立ってないで入って来いよー!」
と、親父が玄関で手を振ったので、レーナと共にそこに走った。
「お父さんこの人達だれー?」
玄関には親父の他に、3才位の子供が立っていた。
言うまでもなく昔の私で、警戒心むき出しでこちらを見ている。
「(これはたまらんな…)」
これは結構傷つく顔だ。
こういう顔で見ていたかと思うと、絡んでくれた大人に申し訳が無くなる。
「イ…ザーク?だっけ?イザークとレーナだ。ほれ、イアン、挨拶しろ」
親父が言うが、子供の私は親父の後ろに隠れてしまった。
イアンと言われて挨拶しかけたのは、これは仕方が無い事だろう。
「こんばんは。わたしはレーナ。イアン君って言うんだ?良い名前だね?」
体を屈めてレーナが言うと、子供の私は後ろから出て来た。
その上で「ありがとう…」なんて言うので、「このエロガキが!」と、内心で呆れる。
「今度は二年ぶり位か?あんたらも随分暇なんだなぁ?」
そう言いながらに親父は歩き、私達を家の中へと招く。
「そういや、あん時はすまなかったな。お蔭であいつらの誤解が解けた。もし、俺が居なくなっても、あいつらに酷ぇ事はされねーだろう」
「そうですか…それは何よりです」
通り過ぎ様に小声で言われ、私がそれだけを短く返す。
どうやら夕食が終わった後らしく、母は食器を片付けていた。
「お腹が減っているのなら何か作るけど」
「ああ、いや、お構いなく…」
母が言って私が返す。
私達の胃の中では、先程のスープとパンがダンスをしていたが、それを言う訳にはいかないので、それだけを親切の返答とした。
「あれ?イアン君右目が赤いね?どうしたのそれ?」
「わかんない。朝からひりひりするの」
それはレーナの言葉であった。
振り向き、顔を見てみると、確かに右目が赤くなっている。
調べてみると結膜炎と分かり、私はそれを親父に伝えた。
「ケツマクエン??良く分かんねぇが、医者に診せれば治るのか?」
「抗生物質入りの目薬を貰えば、すぐに治ると思います」
聞かれた為に答えを返す。
親父は「そうか」と言った後に、私(子供)を担いで家を出て行った。
「お父さん、いえ、シドナさんは、凄い子供想いですね…」
「ああ、知らなかったがそうだったんだな…」
その背を見送ってレーナが言って、聞いた私が呟くように言う。
「ちょっと良い?」
と、唐突に声をかけられたので、振り返って母に「何ですか?」と返した。
「あの人、シドナは、何時頃になったら魔界に帰るの?」
その質問には声を詰まらせる。
知ってはいるが、迷ったからだ。
言って、どうにかなるものならば勿論それを言った方が良い。
だが、どうにもならないのなら、母の苦しみを増すだけである。
「いえ、私もその辺りの事は…」
結果として私は嘘をつき、知らない風を装った。
「そう…」
どう感じたかは不明であるが、母はそう言って歩き出した。
「ですが…」
と言うと足を止めたので、思っていた所を言って見る事にする。
「必ず、いつかは帰ります。それは突然の事かもしれません。もしかしたらあなたはシドナさんに捨てられたと思ってしまうかもしれません。でも、それは思い違いです。シドナさんも戻りたくは無かった。自分の魔力を消耗してまで、最後の瞬間まで頑張っていたはずです。だから、その事では思い悩まず、息子さんの言う事を良く聞いて、食べるものはきちんと食べて下さい」
そう言うと、母は「そうね」と言って、後片付けの為に台所に向かった。
私達は直後には家の外に居て、悶える親父を目にしたのである。
「ああ、あんたらか…もう来ないかと思ってたぜ…」
時刻は夜。
寒い夜だ。
親父は全身汗まみれで、頭を抱えて切り株に座っていた。
こちらに気付いてそう言った後、再び「ぐうっ…」と呻き出す。
「あれから何年…?」
と、私が聞くと、親父は「12~3年ってとこか…?」と、顔を上げずに答えてくれた。
「(という事はそろそろか…というか、まさに今日なのかもしれんな…)」
思いながら見つめていると、親父は更に苦しみ出した。
「あんたには分かるな…?そう、時間切れだ……多分、朝までもたねぇだろう…顔を合わせると張り裂けそうでな…こうやって卑怯にも、一人になってる…」
その言葉には「そうですか…」と言う。
レーナは訳は分からないのだろうが、親父の肩を抱えてくれていた。
「すまねぇなお嬢ちゃん。つってもあんたも歳とらねぇし、俺達と同じだったんだな…?」
それにはレーナは「はい」と言い、辛そうながらにも笑顔を返した。
「今度はいつ来れるかな…無茶したから回復に時間がかかるな…あいつら無事に生きて行けるのかな…」
地面を見ながら親父が呟く。
そのすぐ後には家を見たが、異常に気付いて「へへっ」と笑った。
親父の左手が消えかけていたのだ。
「いよいよだ。無念だぜ…」
それは見る見る広がって行き、すぐにも腕にまで到達する。
「200年…おそらくはそれくらいの時間がかかるでしょう」
この事を伝えるのは今しか無い。
そう思った私が口を開く。
「ですが、息子さんはなんとか頑張ってます。それなりに幸せに生きています。だからもう、こちらには戻らない方があなたの為です。こちらに来ればあなたはおそらく、命を失う事になる…」
「やっぱ、それくらいかかっちまうか…」
聞いた親父がそう言った。
消失部分は肩まで届き、右足の先も消えかけて来た。
「で、なんで俺は死ぬんだ?カボチャスープにあたって死ぬのか?」
親父が笑い、聞いてくる。
私は真面目に「いえ…」と言い、「息子さんを…助ける為です」と、本当の事を教えてしまう。
すると親父は「なんだ」と言って、右手で頭を「ぽりぽり」と掻くのだ。
「だったら親父として本望じゃねーの。会いに来なきゃな。ぜってーに」
そして、頬までを消して言い、右手で私の腕を掴んだ。
「ありがとよイアン。また会おう」
最後にそう言い、親父は消えた。
「気付いていたのか…」
と、私が言って、レーナが「みたいですね…」と小さく言った。
私とレーナは直後には、夕焼けに背中を照らされており、右手にあった懐かしき家は、跡形もなく消え去っていた。
シートの中には遺体があった。
仏像では無く親父の遺体だ。
「一体…どういう事だったんだろうな…」
言いながら、親父を担ぎ、母が眠っている墓へと移動する。
埋葬の作業は30分程で終わり、夜になりかけた頃に私達は帰路に着く。
その途中でレーナが老婆を見つけ、立ち止まった上で「あ!」と言った。
老婆は夜の山道脇に立ち、「にこにこ」しながらこちらを見ている。
「やはり、あなたの仕業ですか?」
怖いと言えば怖い図だったが、私は老婆にそう聞いた。
返って来た答えは「ええ」と言うもの。
「ですが、きっかけしか与えておりません。あの方、あなたのお父上が、あなたに何かを伝えたがっていたので、ほんの少しだけお手伝いをしたのです」
続けてそう答えてくれたので「そうですか…」と言って頭を下げた。
「あの、あなたは何者なんですか?」
これはレーナの質問で、これには老婆は「はて」と返す。
「私自身にも良く分かりません。ですが、山には良く居る者ですよ。どこの山にも一人は居る者。そちらの男性は見た事があるでしょう?どこぞの山で杖をついた老人を」
更に言ったその言葉で、私は「はっ」と息を飲んだ。
山の神、或いは魔物。
そのどちらかはハッキリしないが、私は確かにそれと会っていた。
一度は死んだが、助かったのも、その者の力のお蔭であった。
「まぁ、そういう曖昧な存在です。それでは帰り道お気をつけて…」
老婆は言って姿を消した。
私はもう一度頭を下げて、「ありがとうございました…!」と、声に出して言った。
親父の魔力か、山の者の魔力か。
それは永遠の謎でございます。




