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【第1篇】第6話 『刻の叫び(1)』

相沢(あいざわ) 蓮(れん)。


それが、前の世界における俺の名前だった。


歩んできた人生のあらゆる局面において、俺はその時間を心から楽しむための十分な理由を見出せたことが一度もない。


すべてが、絶え間なく回り続ける車輪のように――退屈で、空虚で、ただ繰り返される毎日だった。


起きる。食べる。学校へ行く。遊ぶ。働く。眠る。


当然、すべてを投げ出して、諦めてしまいたいと思う瞬間はいくらでもあった。


けれど、自分勝手にそんな真似ができるわけもないことは分かっていた。


俺の周りには、俺を気遣ってくれる家族や友人がまだ存在していたからだ。


彼らの存在はまるで繊細な鎖のように、俺が踏み越えてはならない一線を越えないよう繋ぎ止めていた。


そんなある日、俺は一つの逃避場所を見つけた。


小説だ。


著者の創造した無数の物語が刻まれた、紙の束。


そこに描かれた空想の言葉の上を舞い、駆け抜けることが、どれほど美しかったことか。


生まれて初めて、俺はまったく異なる光景の世界で息をしているような感覚を覚えた。


その日を境に、俺は引きこもるようになった。


少しでも時間があれば、自分自身と外の世界との間に境界線を引くことを選んだ。


静まり返った部屋の中、そこにあるのは俺と、デスクライトの灯りと、眠りに落ちるまで一枚一枚めくり続ける紙のページだけだった。


自分が作り出した孤独を享受しながら、日々が過ぎ去っていった。


知らず知らずのうちに、人々の前から身を引く俺の習慣は、彼らが俺に向ける視線を変え始めていた。


両親も友人も次第に距離を置くようになり、俺が自分だけの世界へ深く沈んでいくのをただ見守るようになった。


扉を閉ざし、物語を楽しむことの何が悪いというのだろう?


だが、現実世界の喧騒から離れ、隔離された時間に長く身を置けば置くほど……俺の胸の奥にある何かが、少しずつ冷たくなり、鈍麻していった。


人間として感じ取るべき感情の波が、痕跡も残さずに消え去っていく。


自分の中の大切な部分が奪われ、死んでいくのを感じていながら、一人でいることに慣れすぎた俺には、それをまともに噛み締めることすらできなかった。


あの日が訪れるまでは。


「少しは母親のために涙の一滴くらい流したらどうなんだ、この親不孝者が!」


父親の憤怒に満ちた罵声が、墓地の冷たい土の匂いの中に響き渡った。


当時、俺はまだ十五歳だった。ゆっくりと土が被せられていく母親の棺を前にして、俺の胸の中は完全に空っぽだった。


息苦しさも、痛痒も、涙すらなかった。


俺はただ立ち尽くし、自分の目が乾いたままであるという理由だけで、なぜ父親がそこまで激怒しているのか、全く理解できずにいた。


母が去ってから、二年という歳月が流れた。


自分の中に巣食う異物感は、いよいよ制御不能なほど膨らんでいた。


あまりにも長く閉じこもっていたせいで失われた「人間らしさ」を覆い隠すため、俺は無理やり自分を偽るようになった――表情を模倣し、微笑みを貼り付け、まるで自分も彼らと同じ感情を持つ「人間」であるかのように振る舞った。


しかし、俺が被った仮面はあまりにもお粗末だった。関心があるフリをすればするほど、周囲の人々は嫌悪と恐怖の入り混じった視線を俺に向けるようになった。


そうしてついに、虚無の極致の中で、くだらない考えが頭をよぎった。


「いっそのこと……異世界にでも転生できたらどうだろうか?」


その時の俺は、自分がこの世界から消え去ったところで、心を痛める者など一人もいないと本気で信じ込んでいたからだ。


そしてある日、ちょうど一冊の本の最後のページを読み終えた、まさにその時――。


手にしていた本が突然、視界を焼き尽くさんばかりの眩い光を放ち始めた。


再び目を開けた時、俺の目の前に広がっていたのは、見渡す限り果てのない白い空間だった。


その瞬間、俺は悟った。


俺はもう、現実世界にはいない。


俺は……異世界へと足を踏み入れたのだ。


第1篇 第6話 『刻の叫び(1)』



午後4時03分――カーテン紀元1889年8月4日



◆ ◇ ◆

【 キャラクターシナリオ:『アルヴィナとヴァレン』の小さな断片が解放されました! 】

【 記憶の断片:1 / ?? を正常に受信しました!】

【 ――どうか、『???』の加護があらんことを。 】

◆ ◇ ◆



(……な、なんだこれ? システムウィンドウ……?)


眼前で揺らめく半透明のパネルを見つめたまま、ヴァレンは受け入れがたい現実の前に身を固くした。



(記憶の断片? なんでこの身体の記憶がいちいち段階を踏んで送られてくるんだ? 最初から全部俺の頭の中に叩き込んでくれれば済む話だろ? 作者ならそれくらい簡単にできるはずじゃないか)



ぎゅっと眉間を寄せると、次々と押し寄せる異常事態に頭痛が走り始めた。



(そもそも、なんでこのシステム画面が俺の前に出てくるんだよ!? こういう機能は主人公だけの特権だろ! でも、本当の主人公は遅れてやってくる転校生だから、登場するまでにあと三日もあるはずなのに……なんでこんな現象が俺に起きてるんだ?)



空中に浮かぶ文字をじっと見つめていたヴァレンの脳裏を、ぞっとするような悪寒が駆け抜けた。


(待てよ……まさか……)


システムが自分を認識しているということは、自分がただのモブキャラではないことを意味している。自分はこの物語の暴風域の真っ只中へ引きずり込まれてしまったのだ!


「くそっ、クソッ、クソがあぁぁぁ!!」


ヴァレンのけだもののような叫び声が、夕暮れの学園内に鋭く響き渡った。


歩道を歩いていた生徒たちが足を止め、怪訝そうな顔で一斉に振り返る。だが、ヴァレンは他人の奇妙を見るような視線など気にする余裕もなかった。荒い息を吐きながら、パニックに駆られるまま身を翻し、エバーガーデン学園の正門に向かって全速力で駆け出した。


(距離と時間を計算しても、アルヴィナの馬車はまだそれほど遠くへ行っていないはずだ! 今すぐ追いかけないと!)


正門を通り抜けた瞬間、ヴァレンの足がピタリと止まった。激しい動悸とともに、呼吸が荒く乱れる。


学園の外に広がる石畳の街道を、焦燥感に満ちた視線で激しく見回す。


(だけど……どうやって追いかける!? 今の俺は『パーティシスト』の段階2や3にすら達していないんだぞ! このままじゃ間に合わない……!)


ヴァレンは顔を覆いながら悔しそうに唸りを上げた。だが、すべての足掻きが絶望的に思えたその時、彼の視線が街道の右手隅にある光景をとらえた。


正門から少し離れた場所で、馬と荷車を路肩に止めたばかりの中年男性の姿があった。


ヴァレンの顔に、突如として捨て身の不敵な笑みが浮かび上がる。その瞳が鋭く輝いた。


(見つけた!)



午後4時07分――カーテン紀元1889年8月4日



ヴァルハムート帝国の喧騒に包まれた街道の中心で、猛スピードで駆け抜ける蹄の音と足音が鋭く響き渡っていた。


通り沿いでは、一人の主婦が露店で穏やかに買い物をしていた。


「おじさん、トマトを十個頂戴な」 「はいよ、奥さん。銅貨25枚ね」 「はい、ありがとう――」


主婦が最後まで言葉を言い切る前に、馬に跨がった一人の少年がそのすぐ背後を疾風のように駆け抜けていった。巻き起こった強烈な風圧が、主婦の身体を吹き飛ばさんばかりに揺らす。


「まあっ!?」 めくれ上がる服を慌てて押さえながら、主婦は悲鳴を上げた。


店主も目を見開いて呆然と叫んだ。「な、なんだってんだ今の奴は!?」


「どこへ行ったのよ、あの人は!?」 胸を撫で下ろし、まだ収まらない動悸を押さえながら主婦が叫ぶ。


店主は高く舞い上がる街道の土煙の先を遠く見つめた。「見たところ……ラインベルク領の方向へ向かったようだな」


疾走する馬の背の上で、ヴァレンの頭の中は激しく交錯する様々な可能性で埋め尽くされていた。


(今日を最初からやり直すことになってから、いくつかの仮説が俺の頭の中で渦巻いている……)


(第一に、登場人物たちの本来のシナリオから大きく逸脱した出来事が起きた場合、この世界がリセットされて一日が強制的にやり直される可能性)


(第二に、作中で重要なスポットライトを浴びるメインキャラクターの誰かが死亡した場合、このやり直しが引き起こされる可能性)


(第三に、俺自身がシナリオを歪めすぎる何かをしてしまった可能性。だが……三つ目の可能性は低い気がする。最初のやり直しが起きる前のアルヴィナとの交流なんて、ごくわずかでささやかなものだったはずだ)


(そして最後の、第四の仮説……さっきシステムウィンドウを見た時、本来の主人公が登場するまでにあと三日もあることを考えれば、一つの可能性が浮上する。現在……この世界によって、俺が突然『主人公』に仕立て上げられてしまったのではないか、ということだ)


夕暮れの風を切り裂きながら、ヴァレンは低く唸りを上げた。


(原作小説において、ああいうシステムウィンドウを見ることができるのは主人公だけだ。もしこの第四の仮説が本当に正しかったとしたら……あの糞作者を地獄の底まで呪ってやる!)


憤怒を抑えきれぬまま、ヴァレンは街道をがむしゃらに馬を走らせ続けた。


「くそっ! さっきから馬車の影すら見当たらないぞ!」


焦燥感に駆られた視線で、街道の左右を激しく見回す。立ち並ぶ建物群の只中に、ふと空へ向かって高くそびえ立つ一基の監視塔が視界に飛び込んできた。


(あった……あれだ!)


迷うことなく手綱を強く引き絞り、馬の進路をその監視塔へと向けた。


敷地に到着するや否や、ヴァレンは馬から飛び降り、建物を囲む木柵に手綱を大急ぎで括り付けた。しかし、勢いよく正面の扉へ押し入ろうとした瞬間、塔の番兵が前に立ちふさがり、彼の行き手を阻んだ。


「失礼、ボク。こんなところに一体何の用だい? 見たところ……相当急いでいるようだが」


ヴァレンは両膝に手をつき、荒く乱れた息を整えようと深く腰を折った。「ハァ……ハァ……っ、ちょっと、待ってください……っ」


「いいよ、納得いくまで息を整えなさい、ボク」番兵は理解を示して頷いた。


呼吸が少し落ち着くと、ヴァレンは顔を上げ、きっぱりとした声で頼み込んだ。「あの……中に入って、上の見張り台まで登らせてもらえませんか!?」


「一体何のためにだい?」


「両親の荷馬車が、ラインベルク領の近くへ荷物を届けるために出発したばかりなんです! 上から無事に目的地へ向かっているか確かめたくて……!」


「ふむ……」番兵は顎に手を当て、判断を迷うように小さく唸った。


(頼む……通してくれ、おじさん……!)ヴァレンは心の中で祈るように焦燥を募らせた。


「うーむ……よし、入ってもいいぞ。だが、あんまり時間はないからな。上には長居しないことだ」


「ありがとうございます、おじさん!」


ちょうどその時、塔の内側から木製の扉が開き、もう一人の男が足を踏み出してきた。どうやらこの塔に勤務する同僚の番兵らしい。


「何かあったのか?」番兵2が尋ねる。


「ああ、お前か。いやね、ご両親の荷馬車を上から見下ろして、道中が無事かどうか確かめたいっていうボクがいてね」番兵1が答えた。


番兵2はふむふむと頷いた。「そうなのかい? 入りなさい、ボク。どのくらい時間をあげたんだ?」


「そう長くはないよ」番兵1が応じる。


「ありがとうございます、おじさん!」ヴァレンは番兵2に向かって叫ぶように礼を言った。


「どういたしま――」


番兵が言葉を言い終える前に、ヴァレンはすでに案内口を潜り抜け、螺旋階段を猛烈なスピードで駆け上がっていた。


「なんなんだ、あの子は?」塔の階段の暗がりへ消えていくヴァレンの背中を見送りながら、番兵2は呆れたように首を振った。


「さあね。まあ、他人の事情に余計な口出しをする権利は俺たちにはないさ。案外、本当に差し迫った状況なのかもしれんしな」番兵1は気楽に返した。


しかし、塔の正面に立つ二人の番兵は、ある一つの異変に全く気づいていなかった。


塔のすぐ隣に位置する薄暗い路地の陰に、顔を頭巾で覆った全身黒づくめの二つの影が身を潜めていたのだ。暗闇の奥から、彼らの冷ややかな視線が刻一刻と事態を監視していた。


(原作小説の記述通りなら、この塔の最上階には監視用の望遠鏡のような器具が設置されているはずだ。あれさえ使えば、アルヴィナの馬車の居場所を特定できる……!)


荒い息を吐きながら螺旋階段を駆け上がるヴァレンの胸中で、焦燥と希望が激しく渦巻いていた。


足の裏が最上階の床を踏みしめた瞬間、ヴァレンの目は手すり際に設置された真鍮製の望遠鏡を捉えた。一秒たりとも無駄にせず駆け寄ると、レンズを覗き込み、眼下に広がる街道の幹線ルートへと照準を合わせた。


「どこだ……どこにいる……!?」


パニックに駆られながら呟き、望遠鏡の角度を縦横無尽に動かす。


夕暮れの喧騒を舐めるように動き続けていたレンズの視界が、ついに一つの点でピタリと止まった。


「見つけた! いたぞ!」


茜色に染まる夕空の光の下、望遠鏡のレンズはラインベルク家の屋敷の門へと着実に近づいていくアルヴィナの馬車をとらえていた。危険な兆候は何一つない。馬車は至極平穏に、目的地までの道のりを進んでいた。


ヴァレンは安堵の息を吐き、緊張にこわばっていた肩の力をゆっくりと抜いた。「よかった……」


だが、双眸と両手がまだ望遠鏡のグリップを強く握りしめていた――その瞬間。


ヒュッ!


一瞬の静寂を切り裂き、冷ややかな閃光が夕暮れの空を走った。


鋭い冷気が両腕を通り抜け、直後、生暖かい液体が飛散して彼の身を濡らす。激痛が脳に達するよりも早く、ヴァレンの両手首は身体から切断され――手すりの隙間を抜けて宙へと舞い落ちていった。


ヴァレンは凍りついた。


目の前の望遠鏡がぐらりと傾き、そのまま落下していく。彼の視線は、濃密な赤を勢いよく噴き出し続ける己の両腕の先端へと向けられた。


「え……?」


思考が、今起きた非現実を処理しきれずに停止する。一瞬の空白。それが直後、灼熱の凄まじい激痛へと変貌を遂げた。


「あぁぁぁぁぁぁっ、あああああぁぁぁぁぁぁっ――!?」


正気を失った悲鳴が塔の最上階の静寂を切り裂き、耐えがたい悶絶の呻きとともに狂おしくこだました。


(痛い! 痛い! 痛い痛い痛いっ!!)


眩暈がし始めた頭の中で、ヴァレンの絶叫が荒々しく響き渡る。新鮮な血が、塔の床板を刻一刻と赤く染め上げていった。


「一体、何が起こっ――くはっ!?」


言葉はあまりの激痛によって寸断された。ヴァレンは床に倒れ込み、二度と戻らない腕の残骸で必死に胸を抱きかかえるように丸くなった。身体を焼き尽くすような出血を少しでも止めようと、必死に体を縮こまらせる。


喘ぎ声と荒い息のただ中で、ヴァレンの右目がゆっくりと持ち上がり、上空を睨みつけた。


そこに、顔を頭巾で覆った全身黒づくめの二つの影が仁王立ちしていた。二人は言葉一つ発することなく、血の海の中で悶絶するヴァレンをただ冷ややかに見下ろしていた。


黒い頭巾の深淵の奥に、ヴァレンの霞む右目はあるシンボルが刻まれているのを捉えた。見覚えのない、未知の紋章。


(な、んだ……あの紋章は……?)


ヴァレンの意識はすでに限界を迎えていた。魂を削り取るような激痛の中、視界が急速に闇へと呑み込まれていき、もはや瞼を開けていることすらできない。


無情にも、頭巾の男の一人が一歩踏み出してきた。男は片手でヴァレンの左脚を掴み上げると、力なく横たわる少年の身体を手すりの向こう側へと放り投げた。


冷ややかな夕暮れの空を、ヴァレンの身体が宙を舞い、まっさかさまに落ちていく。そして次の瞬間、硬い地面へと激しく激突した。


――ガシャァンッ!!


頭部が地面に強打した瞬間、彼の意識は砕け散った。暗闇が命を奪い去る直前、彼の胸中に残されたのは、ただ一つの苦い呟きだけだった。


(あぁ……くそったれが)


午後4時49分――カーテン紀元1889年8月4日



午後4時50分――カーテン紀元1889年8月4日




午前6時20分――カーテン紀元1889年8月4日








◆ ◇ ◆


【 ヴァレンの記憶の小さな断片が解放されました! 】

【 記憶の断片:2 / ?? を正常に受信しました!】

【 この物語を読み進めますか? 】


◆ ◇ ◆






【第1篇】第6話 『刻の叫び(1)』 ―― 完

次話 ―― 第1篇 第7話 『刻の叫び(2)』




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