【第1篇】第1話 『奇妙な出来事(1)』
【まえがき / 登場人物の表記について】
いつもお読みいただきありがとうございます!
作中の「Ren」と「Len」は、カタカナ表記だとどちらも**「レン」**になってしまいます。
お話しの中で名前が出てきた際は、文脈や呼び方で判別していただけますと幸いです。よろしくお願いいたします!
今回の章は長くなってしまい申し訳ありません!
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午前6時20分――カーテン紀元1889年8月4日
「……うぐっ」
途切れかけていた意識がゆっくりと浮上するとともに、口元から小さな呻き声が漏れた。重いまぶたを少しずつ開く。窓の隙間から差し込む朝の光が視界を直撃し、眩しさに反射的に瞳孔が収縮した。
身体を起こし、ゆっくりとベッドの上に腰を下ろす。
「……ここは、どこだ?」
見回した部屋の様子を視線でなぞる。ベッドの脇には整然と整頓された勉強机。少し離れた場所には、控えめな彫刻が施された木製の衣装タンス。壁には四枚の抽象画が規則正しく並べられ、ミニマルな空間に彩りを添えていた。そして部屋のドアのすぐ脇には、コンパクトな設備が揃った小さなバスルームへと続く扉がある。
冷ややかな静寂が部屋を包み込んでいた。
数秒の沈黙の後……。
「はぁ……」
長く息を吐き出した。
「そうか……ここが、あいつの部屋か」
視線を落とし、両手のひらを見つめる。指をゆっくりと開き、握りしめる。肌の質感と筋肉の感覚を確かめるように——この身体が間違いなく現実のものであると噛み締めながら。
「……ヴァレン・エインハイル」
その名が自然と唇からこぼれ落ちた。
直後、窓の外へと視線を向ける。黄金色の朝光が部屋に差し込み、フローリングの上に温かな影を落としていた。
「本当に……『作者』の野郎、俺を小説の世界に送り込みやがったか……」
しばし言葉を失い、『作者』によって脳内に直接注入され、システム化されて定着した見知らぬ記憶を辿る。
ヴァレン・エインハイル。 ごく普通の家庭に生まれ育った少年。 貴族の血など一滴も引いておらず、特別なバックボーンも持たない。
しかし十六歳の時、彼は『エヴァーガーデン学院』への入学を果たした。 帝国全土から才能ある若き貴族たちが集う豪奢な学院。平民にとって、その門をくぐるのは——少なくとも正規の手段では——ほぼ不可能な話だった。
だがヴァレンは、奨学金枠という狭き門を突破して見せた。 極めて厳しい資格基準をクリアした者にのみ与えられる特別な枠。限られた一握りの人間しか掴み取れない稀有な機会。家柄の後押しもなく、純粋な努力と才能だけで、ヴァレンは若き貴族たちと肩を並べる権利を手に入れたのだ。
「……」
再び窓の外の虚無を見つめる。すべての記憶とアイデンティティが頭と身体に完璧に根付いたとはいえ、この解離感はやはり奇妙極まりない。ほんの数分前まで、俺は『ホワイトプレイス』で『作者』と名乗る謎の存在と対峙していたはずなのだ。
そして今……俺は完全に、ヴァレン・エインハイルになっている。
一定の周期で時を刻む真鍮製の掛け時計に視線を移す。
[午前6時25分]
「……もうこんな時間か」
独り言をつぶやく。
「今日は新入生入学式の日だ。早めに準備を済ませよう」
午前6時41分――カーテン紀元1889年8月4日
制服に身を包み身だしなみを整えると、ヴァレンはゆうべ用意しておいた革の鞄を手にとった。時間を無駄にすることなく部屋を出て、木製の階段を下りて階下へと向かう。足音が、朝の温もりに包まれた空間に静かに響いた。
「おはよう、父さん」
玄関脇の靴箱へ急ぎ足で向かいながら声をかける。 食卓についていたローワン・エインハイルが振り返った。鋭い面持ちの顔に、中年男性特有の温かな笑みが浮かぶ。
「おはよう、ヴァレン」
ヴァレンは膝をつき、靴を取り出した。
「父さん、母さん、行ってくるよ」
間もなくして、厨房からアンナ・エインハイルが腰に巻いたエプロンで手を拭きながら姿を現した。
「忘れ物はないかい、ヴァレン?」
ヴァレンは靴紐の結び目を整えながら軽く頷いた。
「うん、全部揃ってるよ、母さん」
「それならよかったわ」
靴を完璧に履き終えたのを確認し、ヴァレンは立ち上がって鞄を肩にかけた。
「行ってきます」
アンナが優しく微笑む。
「ええ、気をつけてね」
二歩ほどドアの外へ踏み出したところで、ヴァレンはふと足を止めた。そして家の中へと振り返る。
「あ、そうだ、母さん」
アンナが動きを止めた。「ん?」
「ケーキの配達、帰ってきたら僕がやるよ。母さんは家で休んでて」
ヴァレンは静かに告げた。
アンナは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに感極まったような笑みを浮かべた。
「あらあら……学院で一日中過ごして疲れるんじゃないの?」
ヴァレンは首を横に振った。
「平気だよ。それに、初日の今日は早く帰れる予定だから」
息子の凛とした言葉を聞き、アンナはついに頷いた。
「それじゃあ……お願いしようかしら」
「うん」
ヴァレンの唇に微かな笑みが浮かぶ。直後、身体を翻して外のドアを開け、自宅の庭を後にして軽やかに走り出した。
「……」
吸い込んだ朝の空気がひんやりと肺を満たす。帝国のメインストリートは、一日の活動を始める人々の行き交いで賑わい始めていた。夜明けとともに露店を並べる商人たち、交易品を運んで通り過ぎる馬車。飛び交う話し声と足音が重なり合い、街をゆっくりと起こしていく。
その喧騒の中、ヴァレンは最初の目的地へと急ぎ足で向かった——『エヴァーガーデン学院』。
『エヴァーガーデン学院』の本館前広場に到着すると、巨大な掲示板がヴァレンを出迎えた。そこにはすでに大勢の新入生が群がっている。不安そうに名前の列を目で追う者もいれば、新しい知り合いとぎこちなさを払拭するように楽しげにおしゃべりへ興じる者もいた。
ヴァレンは列の後方に立ち、鋭い眼光で掲示板に張り出された発表用紙の数々を目で追った。
「……」
「俺の名前は……」
「あ、あった」
「1年A組……『マニフェスト学科』か」
クラス分けを確認すると、ヴァレンは小さく頷いた。
「よし……それじゃ、大講堂へ向かうか」
大講堂の重厚な扉の前に到着したヴァレンは、すぐには中へ入らず、扉の脇に設置された案内図に目を通した。
「座席は四つのブロック……学科ごとに四つのブロックに分かれているのか。左から順に並んでいるとすれば……1年A組の『マニフェスト学科』は一番左のブロックだな」
頭の中で座席配置のマップを描き終えると、ヴァレンは確かな足取りで大講堂の中へと足を踏み入れた。
「……」
だが、閾を跨いだ瞬間、彼の瞳がわずかに見開かれた。
(うわ……でけぇ……)
心の中で思わず感嘆の声を漏らす。
天井は遥か高くまで聳え立ち、立ち並ぶシャンデリアが絢爛豪華な光を会場全体に振り撒いていた。整然と並べられた数百もの彫刻入りの椅子には、すでに大勢の新入生が詰めかけ始めている。
(落ち着け、ヴァレン……田舎者みたいにキョロキョロするんじゃない)
自分自身にそう言い聞かせ、深く息を吐き出して冷徹で平静な表情を作り直した。
「左側……ということは、この列が1年A組だな。席は自由みたいだし、適当な場所に座るとしよう」
ヴァレンは空いていた中央寄りの座席を一つ選んで腰を下ろした。それからさほど時間を置かずして、広大な講堂の座席はほぼ満席となった。
まさに、その時——。
「やあ!」
隣から、急に明るい声が彼の集中を打ち破った。
ヴァレンは反射的に振り返る。
「あ……やあ?」
そこには、温かなオーラを放ちながら満面の笑みで手を振る一人の少年がいた。
「君、名前はなんていうの?」
「ヴァレン。ヴァレン・エインハイルだ」
少年の笑みがさらに深まる。
「僕はノワール・ノーチュン。よろしくね!」
「よ、よろしく……」
ヴァレンはノワールの姿をしばし観察した。
(この人……めちゃくちゃフレンドリーだな。初対面だっていうのに……)
ノワールには人見知りや気後れといった様子が一切見られなかった。まるで初対面の人間と打ち解けることが、生まれ持った天性であるかのように。
「そういえば、前はどこの学校に通っていたの?」
ノワールが興味津々に尋ねる。
ヴァレンは軽く首を横に振った。
「正規の教育を受けたことはないんだ。学ぶ場所としては、この学院が初めてになる」
ノワールの表情に一瞬の驚きが走った。
「えっ? じゃあ、平民の出身なの?」
「ああ」
ノワールはふむふむと頷いた。
「そうなんだ」
「……?」
そのあっさりとした反応に、ヴァレンは少し首を傾げた。
「……それだけか?」
ノワールはポカンとした様子でヴァレンを見返した。
「それ以外に何かある?」
ヴァレンは一瞬躊躇したが、意を決して問いかけた。
「その……俺のような奴と話していて、不快に感じたり嫌悪感を抱いたりしないのか?」
ノワールはニッコリと微笑んだ。
「どうして? この厳しい試験を突破して合格したんなら、君の実力が認められたってことでしょ。それだけで十分じゃないか」
ノワールは腕を組み、心地よい気楽さで続けた。
「誰かを嫌うなら、それなりの論理的な理由が必要だと思うんだ。単なる身分や家柄の違いだけで差別するなんて、すごくバカげていると思わない? そんなの、自分のプライドを満たすためだけの浅はかな差別でしかないよ。僕はそういうのが一番嫌いなんだ」
書籍の記述に違わぬその姿勢に、ヴァレンは胸の中で深く納得した。
そしてノワールは、右手をまっすぐに差し出した。
「改めまして、よろしくね! 僕はラインベルグ家の傘下にある、ノーチュン伯爵家の出身なんだ」
ヴァレンはその温かな手をしっかりと握り返した。
「ああ。よろしく頼む」
「……」
ヴァレンは再び講堂の正面へと視線を向けた。
(そうか……ヴァルハムト帝国の貴族がみんな、身勝手で傲慢な考え方をしているわけじゃないんだな。物語のシナリオに登場する特定のキャラクターだけが、こういう柔軟な思考を持っているんだと思っていたが……)
ヴァルハムト帝国において、平民の子供が教育を受けないまま育つことは決して珍しいことではない。高額な学費、奨学金枠の少なさ、そして「平民には生まれつき『パーティシスト』としての才能が欠落している」という根強い偏見——それらが巨大な壁となって彼らの前に立ちはだかっていたのだ。だからこそ、平民にとって『エヴァーガーデン学院』に足を踏み入れることは、単なる夢の実現にとどまらず、未知の世界で生き残るための命がけの賭けでもあった。
「ヴァレン」
考えに没頭していたヴァレンを、ノワールの声が呼び戻した。
「ん? どうした?」
「ご両親は何か商売をされているの?」
ヴァレンは片方の眉を跳ね上げた。
「急にどうしてそんなことを?」
「なんだか君の顔に見覚えがある気がしてさ。名前もどこかで聞いたような……」
「ああ、やってるよ」
ヴァレンは答えた。
「どんなお店?」
「ケーキ屋だ。聞いたことがあるかもしれないが、名前は『ローワン・ケーキ』。普段は注文を受けて直接配送していて——」
「うわぁ!」
ヴァレンが言い終わらないうちに、ノワールが目を輝かせて声を上げた。
「じゃあ君、あの有名なケーキ屋さんの息子さんなの?!」
ノワールの劇的な反応の変化に、ヴァレンは少し気押された。
「いや……親父の店だ。俺は配達の手伝いをしているだけで……」
(おいおい……急にテンション上がりすぎだろ)
ヴァレンは心の中で苦笑した。
ノワールは大声で笑った。
「同じことだよ! うちの両親、屋敷でパーティーや他の貴族との集まりがある時は、いっつもあそこのケーキを注文しているんだ。ってことは、君もノーチュン家の屋敷に入ったことがあるんじゃない?」
ヴァレンは首を振った。
「いや、一度もないよ。配達の時はいつも正門までしか入れなくて、衛兵さんに品物を渡すだけだったから」
「そっか……」
ノワールは納得したように頷いた。
「じゃあ、今度うちに遊びに来なよ! 門番の人たちに『ノワールの友達だ』って言えば、すぐに通してくれるからさ」
「……」
なぜだろうか——ノワールのその何気ない一言が、ヴァレンの胸をキュッと締め付けた。胸の奥深くで、見知らぬ温かな感情が波紋のように広がっていく。
(この感覚は……一体? 妙だな。これは元の『ヴァレン』の残滓としての感情なのか……それとも……レンとしての俺自身の感情なのか?)
「あ」
ノワールの声が、彼の内心の葛藤を打ち消した。
「見て、式が始まるみたいだ!」
ヴァレンは顔を上げた。講堂に集まった数百人の新入生の視線が一斉に正面のステージへと注がれる。
次の瞬間——。
パチッ!
天井に吊り下げられていたすべてのシャンデリアが、一斉に消灯した。先刻まで眩い光に満ちていた豪華な空間が、一瞬にして深い暗闇へと投げ出される。
しかし、その闇はわずか数秒しか続かなかった。一筋の白いスポットライトが静かに灯り、ステージ中央のマイク台を鮮やかに照らし出す。
そこに——。
黒髪を綺麗に整えた、威厳あふれる厳格な佇まいの中年男性が佇んでいた。
さきほどまで館内を満たしていた雑談のざわめきが、潮が引くように一瞬で消え去る。重苦しいほどの静寂が講堂全体を包み込んだ。
男性はマイク台へと歩み寄り、深く息を吸い込むと、指先でマイクの頭を軽く叩いた。
「あー……テス、テス」
壇上の中央に立つ中年男性は、鋭くも温かみを帯びた眼光で講堂の隅々までを見渡した。
「どうやら、おしゃべりは終わったようですね」
彼はくすりと小さく笑った。
「それでは、始めましょうか」
男性は薄く微笑み、目の前のマイクの位置を整えた。
「まずは、『エヴァーガーデン学院』への入学を果たした新入生の皆さん、歓迎いたします。ここまでたどり着くための皆さんの道のりと努力が、決して平坦なものではなかったことは、私もよく理解しています」
彼の重厚な声が、魔導スピーカーを通して講堂全体に威厳をもって響き渡った。
「自己紹介が遅れましたね。私の名前はゼオン・フォン・フェルトロン。『エヴァーガーデン学院』の学長を務めております」
一瞬にして講堂のざわめきが収まり、目の前の重要人物が放つオーラに全員が息を呑んだ。
「前置きはこれくらいにして、早速メインイベントへと移りましょう」
ゼオンは続けた。
「皆さんもご存じの通り、『エヴァーガーデン学院』は大きく三つの学科に分かれています。『ナイト学科』、『マニフェスト学科』、そして『アルケミック学科』です」
ゼオンはそこで言葉を一度止め、片手を軽く挙げた。
「各学科には、入試において首席という輝かしい成績を収めた特待生がいます。本日は、彼らを一人ずつ壇上へ呼び出し、その栄誉を称えたいと思います」
ゼオンは手元の羊皮紙に視線を落とした。
「まずは……『マニフェスト学科』代表、アルヴィナ・ラインベルグ」
その瞬間、万雷の拍手と歓声が豪華な講堂の隅々にまで爆発的に響き渡った。
「アルヴィナ様ー!」
「すげぇ……!」
「さすがラインベルグ家だ!」
ヴァレンの隣に座っていたノワールは、苦笑しながら首を振った。
「相変わらずだな……『ラインベルグ家』は」
ヴァレンもまた、メインステージへと視線を向けた。
「やっぱり、あの家名はかなり有名なんだな?」
「当然さ」
ノワールは確信を込めてうなずいた。
「『三大公爵家』が刻んできた伝説的な実績の数々を考えれば、これくらい熱狂的な反応になるのも当たり前だよ」
まさにその時、ステージの右袖から——。
雪のように純白な髪をなびかせた一人の少女が、ゆっくりと中央のマイク台へと歩み寄ってきた。その一歩一歩には、静かで精緻な自信が満ち溢れている。彼女の存在感は、あたかも会場の光すべてを吸い寄せるかのように、館内の数百の視線を自身へと釘付けにした。
ゼオンは柔らかな笑顔を浮かべ、演台の前を譲るように脇へ少し移動した。
「同級生の皆さんに、何か一言メッセージはありますか?」
アルヴィナは軽く頷いた。透き通るような美しい瞳が、目の前に広がる生徒の大群を見渡す。
「初めまして。『ラインベルグ家』のアルヴィナ・ラインベルグと申します」
彼女の声は落ち着いており、清らかで、完璧に整えられたリズムを刻んでいた。
「まずは……今日、この場所に立つことができたことを心から感謝いたします。私を支え、導いてくださった方々の存在がなければ、私は決してここまでたどり着くことはできませんでした」
雪髪の少女はそこで一瞬言葉を留めた。その視線が、突如としてより鋭く、確固たる意志を帯びたものへと変化する。
「ですが……私は、現状に満足するつもりはありません。多くの人は頂点に立つことを最終目標と捉えますが、私にとってそれは違います。頂点とは、さらに高い次の頂を眺めるための、単なる経由地に過ぎません」
アルヴィナは胸の前で、小さく華奢な拳を握りしめた。
「まだ登るべき場所がある限り……私は進み続けます」
短いスピーチが放つ圧倒的なオーラと鋭い野心に、講堂全体が一瞬静まり返った。
そして——。
パチ、パチ、パチ……!
次の瞬間、先ほどを遥かに上回る凄まじい拍手の嵐が爆発した。生徒たちの称賛の歓声が会場を満たす。
「なんて素晴らしいスピーチだ!」
「アルヴィナ様! 応援してます!」
「格好良すぎるだろ……!」
ゼオンは片手を空中に掲げ、場を制するジェスチャーをしてみせた。
「はいはい、そこまでにしなさい」
少しずつ、だが確実に会場を包んでいた騒がしい歓声が収まり、講堂は再び完全な静寂を取り戻した。
ゼオンは再び手元のリストに目を通した。
「続いて、『ナイト学科』代表……カロン・ゼノン。前へ」
端正な顔立ちの、艶やかな茶髪と深い群青色の瞳を持つ一人の青年が、ステージの階段を登ってきた。彼は優雅な足取りで歩みを進め、演台の脇に立ち、講堂を埋め尽くす新入生たちへと視線を向けた。
直後、再び耳を裂くような歓声と拍手が沸き起こった。しかし今回は、男子生徒よりも女子生徒たちの高揚した悲鳴の方が遥かに高く響き渡っていた。
「カロン様ーっ!」
「カッコよすぎる!」
「あの目を見てよ!」
ヴァレンの隣に座っていたノワールが、突然低く舌打ちをした。「チッ……」
彼は腕を組み、不機嫌そうな苦虫をかみ潰したような表情を浮かべた。
「今すぐ跳びかかって、あの上にいる美形の顔面を殴り飛ばしてやりたい気分だよ」
ヴァレンは眉をひそめ、ノワールのリアクションに少し驚いた。
「は? なんで急に?」
「あのクソ野郎の顔をよく見てみなよ」
ノワールはステージの方を控えめに指差しながら愚痴をこぼした。
「あんな顔をしていて、男なんて言えると思うか?」
「さ、さあな……」
ヴァレンは痒くもない首筋をかいた。
「お前の基準だとどうなんだよ?」
ノワールはカロンから険しい視線を外さなかった。
「あの顔は……まるで女だ! あいつが本当に男だなんて信じられないよ、ヴァレン! つまり……なんていうか……」
ノワールは突然首を傾げ、しっくりくる言葉を探すように頬をかいた。
「イケメンと美女のハーフみたいな感じなんだよ! ああもう……こういうの、なんて言えばいいんだ!? とにかく、そういうことさ!」
ヴァレンは額に手を当て、あきれたように首を振った。
(なんだ、この意味不明な反応は……)
ヴァレンは心の中でおかしくなった。
「まあいいじゃないか……」
ヴァレンはなだめるように言った。
「『ゼノン家』の出身らしいし、血筋的にそういう美形な家系なんだろ」
ノワールは再び鼻を鳴らし、ヴァレンの耳元で怪しげにささやいた。
「僕は100万ゴールド賭けてもいいね。本当は女で、男のふりをしてるんだ!」
「あはは……」
ヴァレンは、この新しい友人のくだらない陰謀論と戯言を聞きながら、苦笑いするしかなかった。
ゼオンは隣に立つ容姿端麗な青年を見つめた。
「何か一言、挨拶はありますか?」
カロンは前へ一歩踏み出した。深い群青色の瞳で講堂全体を静かに見渡してから、口を開いた。
「まだ私を知らない方のために、自己紹介を。『ゼノン家』のカロン・ゼノンと申します」
声量はそれほど大きくなかったが、そのイントネーションは非常に清廉で威厳に満ちていた。
「まずは、この世代で私とともに切磋琢磨することになる新入生の皆さん、おめでとうございます。上流貴族の出身であろうと、平民の出身であろうと……正義の前では、私たちは皆同じ土台に立っています」
カロンは騎士としての礼節を込め、右手を胸に当てた。
「そして『ゼノン家』の一員として……この国に長く根付く身分格差が、いつの日か完全に消え去るよう、私は闘い続けることを誓います」
再び講堂全体に拍手が鳴り響いた。今度は、女子生徒たちの歓声が先ほどよりも一層黄色く高らかに響き渡る。
ゼオンは軽くうなずき、その反応を微笑ましく受け止めた。
「ありがとう、カロン」
中年男性は再び観客席へと視線を戻した。
「それでは、最後に……『アルケミック学科』代表、ラオン・ルミナ。前へ」
『アルケミック学科』の少女が、ゆっくりとステージの階段を登ってきた。彼女が身にまとっている聖職者風の清らかな白いローブが、歩みに合わせてしなやかに揺れる。深い赤に金色の煌めきが混ざり合った髪は講堂の光を反射し、温かく、神聖で、心を落ち着かせるような印象を与えていた。
彼女はカロンの隣に静かに立ち、新入生たちの大群へと向き直った。
「何か一言メッセージはありますか?」
ゼオンが尋ねる。
ラオンは一歩前へ出た。講堂を埋め尽くす生徒たちを、非常に穏やかな笑顔で見つめる。
「まだ私を知らない方のために、自己紹介をさせていただきます。『ルミナ家』のラオン・ルミナと申します」
その声は、まるで心を癒やすメロディのように美しく響いた。
「今日、この場所に立つことができた新入生の皆さん、本当におめでとうございます。今日から私たちがともに、ただ強くなるためだけに学ぶのではなく……他者を理解することを学んでいけるよう願っています」
ラオンは胸の前で両手を優しく重ね合わせた。
「慈悲のない力は弾圧しか生み出しません。ですが逆に、勇気のない慈悲は誰も守ることはできないのです。私たちが皆、守るに足る強さと……許すに足る賢さを備えた人間になれますように」
彼女は一瞬、言葉を途切れさせた。
「助けを求める方がいれば、私はいつでも手を差し伸べます。ですが……故意に他者を傷つけるような者に対しては……」
先ほどまで柔らかだったラオンの瞳が、突如として遥かに鋭く、確固たるものへと変貌した。
「……私は、決して目を背けません」
ラオンが言葉を締めくくった直後、すぐに拍手を送る生徒は誰一人としていなかった。講堂全体が、まるで彼女の発したカリスマ性と温もりに魅了されたかのように、数秒間の静寂に包み込まれた。
秩序あるその沈黙を破るように——。
パチ! パチ! パチ!
先ほどよりも遥かに盛大で、心からの感謝がこもった拍手の嵐が鳴り響いた。生徒の中には、ラオンの言葉に深く感動し、目に涙を浮かべる者さえいた。
そのうちの一人が……ノワールだった。
「なんで急に泣いてんだよ、馬鹿」
目元をぬぐう友人の姿を見て、ヴァレンはあきれたように低くささやいた。
「わかんない……」
ノワールは鼻をすすりながら小さく呟いた。
「でも、なんだか急に胸の奥がすごく温かくなったんだ。まるで遠くから彼女に直接抱きしめられたみたいな気分だよ」
「お前、ラオンに抱きしめられたことなんてあんのか?」
ヴァレンは冷ややかで現実的なトーンで返した。
「まだないよ」
ノワールは嘘泣きの涙を拭いながら、突然ニカッと笑った。
「でも、もし本当に抱きしめてあげるって言われたら、断る奴なんていないだろ?」
ヴァレンはあきれ果てて目を丸くした。
「この調子いい奴が……」
壇上では、ゼオンが再び会場の注意を引き戻した。
「さて、これにて最初の自己紹介セッションを終了とします」
彼は両手を背中で組んだ。
「本日より、この三名の生徒をそれぞれの学科代表として正式に任命します」
ゼオンは右手を雪髪の少女へと向けた。
「『マニフェスト学科』代表、アルヴィナ・ラインベルグ」
続いて、その手は中央の端正な青年へと移動する。
「『ナイト学科』代表、カロン・ゼノン」
そして最後に、白いローブを着た少女へと掌を向けた。
「そして『アルケミック学科』代表、ラオン・ルミナ」
ゼオンはゆっくりと手を下ろした。
「当然ながら、この役職は一年生のみに適用されるものです。二年生および三年生の先輩方にも、それぞれの学科代表が存在します」
彼はマイク台の前で二、三歩ほど小さく行き来してから、再び立ち止まった。
「学科代表の主な務めは、各学科における秩序の維持、および生徒の行動の監督を補助することです。ですが、心配する必要はありません。業務を遂行するにあたっては、各クラスの学級委員たちが彼らをサポートします」らをサポートします」
ゼオンはマイクの位置を少し整えた。
「技術的・運用面に関する詳細な説明については、この後、担当の指導教官から伝達されます」
彼は脇に立っていた三人の代表たちを振り返った。
「学科代表の皆さんは、自席へお戻りください」
三人は一礼すると、ステージを後にした。
ゼオンは講堂を埋め尽くす生徒たちへ再び視線を向けた。先ほどまでの穏やかで親しみやすい表情は消え去り、突如として厳粛かつ冷徹なものへと変わる。
「続いて、一年生全員に対して伝えるべき、極めて重要な事項が一つあります」
彼は人差し指を一本、静かに天へと掲げた。
「皆さんが一年間の学業において達成すべき最終目標は、『パーティシスト』第二段階への到達です。情熱を持ってそれを超え、第三段階にまで至ることができれば、それはより一層素晴らしい成果と言えるでしょう」
和やかだった講堂の空気は一変し、重苦しい緊張感が全体を包み込んだ。
「しかし……」
ゼオンの声が低く響き、空間を切り裂く。
「一年が経過してもなお、少なくとも第二段階に到達できなかった場合……その者は『エヴァーガーデン学院』を退学処分とします」
大勢の生徒たちが息を呑んだ。
「この決定は絶対です。家柄や財力、あるいは実家が持つ強大な権力をもってしても、このルールが覆ることは一切ありません」
ゼオンの剣のように鋭い眼光が、貴族の生徒たちの列を一人ずつ射ぬいていく。
「ですから、肝に銘じなさい。この学院において……格差などというものは存在しません。貴族であろうと平民であろうと、全く同じ基準とルールによって評価され、扱われます。もし紛争が生じた場合は……正規の決闘をもって解決しなさい。それこそが、ひとりの『パーティシスト』として己の信念とプライドを証明する唯一の道なのです」
張り詰めた緊張感をしばらく漂わせた後、ゼオンは再び薄い笑みを浮かべた。
「私からは以上です。これより、各自のクラスへと移動していただきます。それぞれの学科の前に控えている指導教官の指示に従ってください」
間もなくして、講堂のメイン照明が再び明るく点灯した。光の束が、各クラスの列の前に居並ぶ整った身なりの指導教官たちを照らし出す。
ゼオンはマイク台から一歩下がり、言葉を続けた。
「教官の指示に従って移動を開始しなさい。新入生入学式をこれにて終了とします。ご清聴ありがとうございました……それでは、また」
短く一礼して挨拶を締めくくると、ゼオンはステージ脇の階段から壇上を後にした。
自分の列で、ヴァレン・エインハイルは前に待機している1年A組の指導教官を見つめていた。
(これで……)
ヴァレンは心の中で静かに呟く。
(俺のこの世界での学園生活が……本当に始まるんだな)
しかし、俺は知っている。この穏やかな入学式の裏で、すでに最初の『イベント』へのカウントダウンが始まっていることを——。
【第1篇】第1話 『奇妙な出来事(1)』— 完 —
次回:【第1篇】第2話 『奇妙な出来事(2)』
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
第2章もどうぞお楽しみに!




