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ホワイトピーコック&スパロウ  作者: マン太
第六章 団円

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27.居場所

「…さて、──いかないと、な…」


 俺はそこに腕をつき、ゆっくり上体を起こす。

 流れた血が床に染みを作っていた。今もまた、ぽたぽたと胸やわき腹から落ちて、その染みを広げていく。半ば貧血状態だ。身体は熱を持っていて、あちこちずきずきと痛み悲鳴を上げている。

 キヤーナの言葉を認めたくないが、確かに一人でここを抜けられるかどうか。


「…っ、っと…!」


 それでも、なんとか牢獄の格子を掴み、そこへ立ち上がった。扉はどこも開いていた。足枷も外されている。自由にはなったが、歩くのもやっとで。

 足を引きずるようにして、ようやく地下牢の階段を上がった頃には、屋敷はすっかり炎に包まれていた。


 ──さて、どちらに逃げるべきか。


 壁に手をつくが、その壁もやたら熱い。行く先々に黒い煙が見えた。かなり火が回っているのだろう。

 頭の中では、アルーン皇子とルンとの婚儀がちらついていた。もとはそれを望んでいたはず。ルンの方が似合うのでは──と。

 でも、アルーンを知ってからは、そう思えなくなっていた。たとえ、友人関係でもいい。その傍にいたいと思った。


 ──笛が吹けるだけ。何の力もない俺だけれど、傍らに立ちたかったんだ…。


 胸が強く痛む。


「ふ、ふふ…。はは…」


 苦い笑いが漏れる。


 ──実際そうなると、こうも苦しいとは。


 自分の気持ちに嘘はつけないものだ。

 このままここを出てどこへ向かえばいいのか。ウイラにはもちろん帰れない。父カシムに、役に立てと言われたのに──。


『王宮に戻りたくないなら、このまま、俺と一緒にいればいい』


 ふいにアルジャンの言葉が頭に浮かんだ。


 ──アルジャンのもとに。あそこになら、俺の居場所があるんだろうか。


 あの河原に、鉱山に。皆の笑顔が見える。


 ──でも、本当は……。


 左足を引きずりつつ、ふらつく足元を壁で支えていたが、その壁が突然、向こう側へ崩れ落ちた。


「──っ!」


 支えを失って、そのまま壁と一緒に倒れこむ。土ぼこりが熱風と共に辺りを取り巻いた。埃と熱に喉がやられて、強く咳き込む。

 頭上には今にも焼け落ちそうになっている梁があった。寝転がった俺はそれをぼんやりと眺める。


 ──あれが落ちたら、俺はお終いだ。


 逃げなきゃ。身体を起こさなきゃ。そう思うのに、動かない。


 ──どうしたらいい? 俺は──。どこに行けば──。


 熱い涙が頬を伝ったその時。


「リイン──!」


 緊張した声音。駆けつける足音が聞こえたかと思えば、がっしりとした腕に抱え上げられた。ふわりと身体が宙に浮く。


 誰だ? いったい、誰が──。


「──行くぞ」


 と同時、今まで横たわっていた場所に、梁がメキメキとけたたましい音を立てて崩れ落ちてきた。どっと炎が立ち上がる。間一髪だ。

 俺はゆっくりと、自分を抱える人物に視線を転じた。褐色を帯びたなんとも不思議な色をした灰色の髪。身体をすっぽり包む白い衣。姿はアルジャンだ。


 ──けれど。


「……アルーン…?」


 朦朧とした意識の中、目の前の人物に、思い当たる名を口にした。 


「──そうだ。リイン…」


 布に覆われていない顔。涙に潤んだ銀の瞳は、こちらをひたと見下ろしていた。

 アルジャンと同じ色だと思った。


 ──どうして……?


 言葉を紡ごうとした、その矢先──。


「──行かせないぞ」


 地を這うような低い声。見上げるアルーンの顔にが一気に険しくなり、俺を抱く手に力がこもった。

 アルーンの視線を辿れば、見覚えのある顔があった。浅黒い肌をした男。キヤーナの侍従だ。


「…逃げればいいものを」


 アルーンは俺を降ろし、左腕で支える様に腰を抱きかかえると、侍従と相対する。


「そいつを生かしておくなと、キヤーナ様のご命令だ。ここで張っていれば、そいつを助けに皇子の手の者がやってくるかもしれないと。──正解だったな。しかし、まさか皇子自ら来るとは…。二人とも、ここから生きては帰さない」


「…そうか。そのつもりなら、俺も遠慮はしない──」


「──やっ!」


 侍従が手にした剣を振り上げ、飛びかかってくる。アルーンはそれをひらりとかわし、腰に帯びた剣を抜くと、再び飛びかかってきた侍従の剣を、刃の上に滑らすようにして弾き、片手のみで押し返した。

 アルーンは俺を腕に抱えたままだ。これでは自由に動けない。


「アルーン…、放せ…!」


 その胸元を軽く引くが、


「二度と離さないと決めている──」


 不敵に笑うアルーンは、侍従から目を離さずにそう口にした。


 ──なにをバカなことを。今はそんな戯言を言っている場合じゃ──。


 そうして、間合いを取る侍従に向かって剣を差し向け。


「ほら、かかってこい。俺は動きを制限されているぞ」


 アルーンの髪がふわりと宙に舞う。

 銀の髪が透けるように、炎の色を映した。身体からゆらりと焔のような白い光が立つ。

 そこにいるのはアルーンであるのに、まるで別人の様にも見えた。


 ──これ、は──。


 いつか見た、精霊を思い起こさせる。


「──ふん、分かっている!」


 額に汗を浮かべた侍従が鋭い突きを向けた瞬間、それを剛力で薙ぎ払い、ひるんだすきに返した刃で男の脇腹を突いた。

 それは一瞬のことで。刺された男もわけがわからず目を瞠ったほど。そのあと、膝から崩れ落ち、あとは地面に伏したまま動かなくなった。


 ──早い…。


 人の動きなのかと疑うほど。アルーンは刃についた血のりを払うと、再び腰に差し。


「──さあ、行こう」


 何事もなかったようにそう口にする。

 俺は今、目の前にいるのが、アルーンなのか思わず疑ってしまったが。

 髪はすでに見覚えのある色に戻っていた。たたずまいも同じ。不思議な燐光は見られない。


「…うん」


 俺はアルーンの腕に抱えられ、崩れ落ちる屋敷を後にした。



 炎の中、逃げ惑う人々。

 その中には、キヤーナとその配下のものもいた。ファジルにあった詰所から脱出し、ここガナアの居城まで逃げてきたのだ。

 そのガナアにはファジル帝国の兵が城門のすぐそばまで迫ってきている。城下を通り抜け、まっすぐ城へと向かっているのだ。大国の兵の数はガナアの兵をはるかにしのぐ。勝ち目はなかった。


 ──あれだけ苦労して、長い時間をかけて情報を仕入れたのに…。いったい、どこで間違った?


「ザラーム! ザラーム!」


 キヤーナは長年、連れ添った恋人の名を呼ぶ。

 彼はガナアの高官だった。出会いはファジルの娼館。キヤーナをいたく気に入ってくれ、娼館に通うようになると、すぐにいい仲となった。

 そんなある日、自身の身分と計画を打ち明けられる。自分はガナアの高官で、ファジル内部の情報を知りたいと思っている。ついては、後宮に入ってファジルの情報を探ってくれないか──と。

 その頃、すっかりザラームにのぼせ上がっていたキヤーナは直ぐに応じた。

 そうして、ガナアと通じていた宰相アスワドの力を借り、アルーン皇子の妾となった。


 ──愛しい人の為。


 彼が好んでつけた香りを纏い、ただただ言われた通りに動いた。それがザラームへの愛の証。しかし、自分は捨て駒だったのだと知ったのは今さっき。

 ザラームは自分を置いて、城を脱出したのだ。部屋で待っていろ、そう言ったのに、捨てられた。人数が多ければ多いほど、ひと目につく。キヤーナは逃げるのに邪魔になったのだ。


「ザラーム…!」


 狂ったようにその名を呼んで、それでもひとかけらの期待をもって、城内を探し回っていれば、背後で悲鳴があがった。

 振り返ると廊下いっぱいに広がった紅い炎が見える。

 いや違う。まだ城内に火の手は上がっていなかった。なら、あれはなに。


 ──紅い──鳳凰?


 翼を広げ、目まで真っ赤な鳥がゆっくりとこちらに向かってくる。羽根を羽ばたかせる度、逃げ惑う侍従が宙に舞った。


 嘘だ。あれは──幻だ──。


 嘴で人を咥え投げ捨て、脚で踏みつける。みな、リインを痛めつけたキヤーナの手下だ。

 その目はじっとこちらを捕らえて離さない。


「キヤーナ様! 逃げてくださ──っ…!」


 侍従がそう声を上げたが、途端、悲鳴を上げる間もなく、その身体は炎にのまれた。


『神子を虐げたものは──』


 神子の出来損ないの言葉。だが、今はその言葉が恐怖となって蘇る。


 あれは──幻だ──。


 次の瞬間、大きく羽ばたき宙に舞った鳥はキヤーナの目の前に降り立った。


『虐げたものは──』


 カッと見開かれた紅い目。

 それがキヤーナが生きて見た、最後の景色だった。



 次に目を覚ました時、河川敷の天幕の中に寝かされていた。


 ──俺は──?


「ああ、よかった…。目を覚ましたか」


 懐かしい、シルバの声だ。


「まだ、動いちゃいかんよ? 医者も動くなと言っていたし、なにより、動けばわしがアルジャンに叱られる…」


 ──アルジャン…。いや。あれは──。


 すると、天幕の外に人の気配がした。それはすぐに俺の傍らに片膝をつくと。


「具合は? まだ身体が痛むだろう? 熱は──?」


 そう言って、大きな手のひらを額にあててくる。心地よい。ヒンヤリとして、でもほっとする。所々、胼胝(たこ)のある──。


「今、目を覚ましたばかりだよ。そう、急いて尋ねるな。まだ答えられないさ。アルジャン」


「…分かってる。ただ、心配で…」


 そう言って覗き込む男の顔に覆いはない。シルバは笑いながら席を外した。来るまで看ていてくれたのだろう。俺は笑みを作ると。


「……アルジャン、って…?」


 すると、問いかけの意図を悟ったアルーンは。


「──そうだ。…アルジャンだ。ここではな…」


 ──ふふ。なんだよ。ずっと、傍にいたんじゃないか…。


 笑う端から、零れた涙が頬をつたった。


 ──止まらない。止められない。


 ずっと、放っておかれたと、離れてしまったのだと思っていたのに。


 ──もう、会えないと…。


 顔を片手で覆う。すると、アルジャンはそんな俺の涙を指ですくい取り。


「もう、大丈夫だ」


「…ん」


「王宮に帰したいが、今はあちらも危険だ。すぐそばにガナアの兵が迫っている。──俺も行かねばならない…。ここは安全だ。だから、もうしばらくここにいてくれ。──かならず、戻って来るから…」


「……ん…」


「──リイン…」


 顔を覆っていた手を外されたと同時、唇に温もりが落とされる。優しくそっと触れるだけだ。間近で銀の瞳が見下ろしてくる。


「…帰ってきたら、一緒に沢の湧き水を見に行こう。それから、正式にリインをお披露目する。ルンのこともウイラの発表も、すべて、ガナアを欺くためだ。──だから、俺を信じて待っていてくれ」


「……うん。わかった…」


 ──わかってる。あなたの気持ちが、今はとてもよくわかる──。


 そうして、もう一度、名残惜し気に唇の端に口付けると、アルジャンことアルーンは、後ろ髪を引かれる様に振り返りながら、俺のもとを去った。



 そして。

 ガナアは堕ちた。アルーン皇子率いる帝国軍に圧倒され、最後に王は討ち取られ、逃げた部下もすべて捕らえられ、または討ち取られた。

 城内には、なぜか外傷もないのに、息絶えた者たちがいたという。その中に、キヤーナの姿もあったとか。目を見開いたまま、驚愕の表情を浮かべていたらしい。

 何があったのか、誰一人知るものはいなかった。


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