24.追跡
そうして、待つこと数週間。
ようやくそれらしい人物を追跡することに成功した。
深夜。その夜もあの日と同じ、細い月が空に上がっていた。地面に伸びる影は薄い。光が弱いからだ。それでも、夜目が利けば灯りは必要ない。
俺はかぶった敷物の隙間から顔をのぞかせ様子を窺っていた。このためにすっかり土壁に同化するような敷物をまとっている。暗闇なら、ぱっと見そこに人が隠れているとは思えないだろう。
すると、何気ない様子で一人の男が、塀の角を曲がって姿を現した。
日中なら気にも留めないが、今は深夜。普通の人間なら寝入っている時刻だ。何気ないふうを装っても違和感はぬぐえない。
俺よりは若干身長は高めで、身体つきもがっしりしている。でも、巨躯というほどはなかった。
男はぴたりと塀の一か所でたち止まる。目星をつけてあった、あの庵の庭の側にあたる場所だ。しばらくして、ピーと鳥が鳴き声を上げた。
──来るぞ!
すると、思った通り、ひゅっと黒い小さな物がこちら側に降ってきた。どうやら錘のついた書付けらしい。
待っていた男は、地面に落ちたそれをさっと拾い上げ懐に仕舞うと、手にしていた笛を吹く。ピーと鳥が鳴く。そうして、そこを後にした。
──さて、ここからが本番だ。
俺は敷物をそこへ置いて男を追った。これでも、ウイラではダルマさんが転んだで子供らに負けた事がない。身のこなしの軽さには自信があった。
男はあてもなく歩き回った。右へ行ったかと思えば左へ行き、来た方向へ戻るときもあった。誰かにつけられることを警戒しているのだろう。かなり用心深い。
そうして、とある屋敷の勝手口まで来ると、周囲を見回したあと、中へと入っていった。
男が屋敷に入ったのを見届けると、表門へと回った。門にかけられた木札には名が彫り込まれている。ガナア国大使詰所と。
──やっぱり…。
ファジル国内には、同盟国から派遣された外交官の駐留する詰所があった。なにか問題が起こったり、取り決めの変更などがあった場合、そこで様々な話し合いを行い、また国へ連絡をする。
そのガナアの大使が駐留する詰所へ男は入って行ったのだ。男が手にしたものが何かは分からないが、どう見ても怪しい。
堂々と表立って宰相みずからが動くことはできないだろう。きっと連絡を取り合うなら、目立たないものを使うはず。
キヤーナなら自分の手駒。目立たず連絡を取らせることも可能だ。
──けど、あれは何なのか。
あの男から、それを奪えば話は早い。
──次の機会で、狙ってみるか。
もしそれが、ガナアと後ろ暗い連絡を取り合っている証拠なら、伝手を使ってアルジャンから、アルーン皇子へ渡してもらえばいいのだ。
男のほか、警護の者が付いている気配はない。あの男がどれほどできるかは分からないが、腕に覚えはある。ウイラで、それなりに鍛えてきた。なにも笛を吹くだけが取り柄ではない。不意をついて襲えば、奪うことは可能だろう。
──とにかく、次だ。
俺はふたたび男が現れるのを待った。
次の下弦の月が昇ったその日、前と同じ様に身を隠し、男が現れるのを待った。
真夜中、程なくして以前と同じ様に、塀の曲がり角から、のそりと男が現れる。
例の塀のあたりに来ると、前と同じ様に塀の向こうとのやり取りを繰り返し、投げ込まれたそれを拾い上げ、懐に入れると歩き出す。
──さて、どこで仕掛けるか。
とは言いつつ、ある程度、目星はつけていた。ガナアの詰所にほど近い通りだ。そこが一番細い通りとなる。
狭いから敵は逃げ道を限定される。もし、強襲が失敗して男が逃げ出しても、行く先は限定された。
が、襲う方も限定される。もし、追われたら行く先はどちらか一方しかないわけだが、それは折り込み済みだ。
とにかく、逃げる前に不意討ちを食らわせればいいだけのこと。一撃を食らわし、弱った相手から懐のものを奪う。
相手は俺より少し大柄だが、得物があれば簡単だ。得物は刃物でなくこん棒で、棒術を得意とした師匠に教わったものだ。
今回は背中に隠せる程の長さの物だが、実際はもっと長く身長を越えるものを使う。
これを使って昏倒させる。急所も心得ていた。相手の方が身長もあり手足も長いが、これで十分その差を補えた。
男は以前と同じように、行っては戻りを繰り返した後、ようやく屋敷近くにある細い通りに差し掛かる。
──ここだ!
身を隠していた路地から躍り出て、男に背後から迫った。と、不意に横の路地から猫が飛び出す。素早く駆けて走り去ったが、男が横を見たのと同時、俺の存在にも気づいてしまった。
「なんだ! ──お前、何者だ?」
男は振り向きざま、短剣を振りかざしてきた。
「っ!」
咄嗟に避けて、手にした棒で男の手を叩く。手にした短剣が地面に落ちると、それを素早く蹴り飛ばした。短剣は路地の暗闇に消える。
「ちっ!」
男は諦めず俺に飛びかかってきた。
それを避け棒でいなすが、ついた左足が運悪く、できていた轍に嵌り、横に転倒した。
「わっ!」
というか、普段ならこんなへまはしない。睡眠不足がたたったのだ。俺ははずみでこん棒を取り落とす。男は逃さず馬乗りになり、俺の胸倉をつかむと、拳を振り上げた。
「このっ!」
殴られる──。
俺は咄嗟に腕でかばうが、その前に男が横合いから来た何かに殴り飛ばされ、吹き飛んだ。そのまま商店の壁に頭をぶつけ昏倒する。
──いったい、なにが?
驚いて振り返ろうとすれば、半身を起こしかけた俺の肩を、誰かが掴み背後に引いた。
「?!」
その横を長身の男が通り過ぎる。
普段とは違い、黒い衣装を身に着けて、俺の前に出たのは──。
──アルジャン?
見慣れた背中だった。
呆気に取られたが、すぐに我に返って立ち上がろうとした──が、左足に痛みが走る。どうやら軽く捻挫した様だ。
──どうしてここに?
その間にも、アルジャンは俺がやろうとしていた行動をすでに取っていた。意識が朦朧としている男の懐を探って、何かを取り出す。例の書きつけだ。
「──これか?」
振り返ったアルジャンに問われ、俺はこくこくと頷いた。
「行くぞ──」
それを確認すると、立ちすくんだままの俺の腕を引いて走り出した。ひねった左足が痛んだが、それどころではない。
背後では、意識を取り戻した男が笛を吹く。先ほどとは違う吹き方だ。どうやら仲間への合図らしい。ほどなくして、狭い路地の向こうに人影が見えた。
「こっちだ!」
それを見たアルジャンが俺の腕を取り、さらに脇にあった細い路地に飛び込んだ。
大人がかろうじて通れるかどうかの路地だ。並んで駆けることはできない。ピーピーと鳴る笛が耳につく。
「アルジャン、どうして?」
「今は逃げることが先だ!」
俺の腕を掴むアルジャンの手にさらに力が込められる。けれど、俺は分かっていた。
──このままでは、遅かれ早かれ捕まる。
ファジルの街を歩き回った俺は、こういった狭い路地がたいてい、民家の塀に突き当たることを知っていた。近道のつもりが、行き止まりになっていて、歯噛みしたことが幾度かあったのだ。
この狭い通路は、下を通る水路の為に作られたもので、それは各家々に繋がっている。人が通る為に作られた道ではないのだ。
それに、痛む左足がこれ以上、走れないと悲鳴を上げている。これでは逃げきれない。足を引っ張るだけだ。
「──アルジャン!」
俺はアルジャンの手を解いて、立ち止まる。驚いたアルジャンがこちらを振り返った。
「リイン?」
意味が分からないと言った顔だ。俺は首から下げていた袋を取り出し、袋ごとアルジャンの胸元に押し付ける。
「──これを持って先へ行ってくれ。追手は俺が引きつける」
「ふざけるな! 俺はリインを守ると誓った。置いてなど行けるものかっ!」
「…この先は行き止まりだ。それに、どうやら左足を捻った。塀は越えられない。俺はなんとでもなる。先に行って、その書付をアルーン皇子に渡してくれ。きっと、ガナアと宰相を繋ぐ何かがあるはずだ。──さあ!」
追手の怒声が響く。すぐそこまで迫っていた。見つかるのは時間の問題だ。こんな狭い路地に二人でいては、二人とも捕まってしまう。それは避けたかった。
「だめだ。──俺は……っ!」
俺は立ちすくむアルジャンの胸を拳で突くと。
「俺はこれでも王家に生まれたものだ。先頭に立って民を守るのが当たり前。民を犠牲にすることは許されない。──行くんだ、アルジャン!」
「だめだ! 行かない! 守ると誓ったっ!」
俺は笑うと、アルジャンが握り締めていた袋を指さし。
「それは俺自身だ。そいつを守り切ってくれ!」
じゃあと手を振って、俺は来た道を戻る。
「リイン──!」
駆けても左足が痛むからぴょんぴょんと跳ねるしかない。途中で軒先に下がっていた大蒜を見つけ、ひとつ拝借した。理由はあるがそれは後でわかる。
「こう見えても、運はいい方だ! あとで会おう!」
ファジルに来てから、散々だった。
牛の糞に頭から落ち、侍女に下男と間違われ、廃屋寸前の庵に押し込まれ、食事もまともにありつけず。
──ま、それも、楽しかったけどな。
ことに、庵での生活は自由気ままで、ウイラでの日々を思い起こさせた。
笛も好きなだけ吹けた。アルーンとも僅かとは言え、親しくなれた。
──生まれて初めて、誰かを意識した──。
アルーンに嫁いで良かったと思えた。
あの、メノウのついた簪は、アルーンとの思い出が詰まる。
──俺、そのものだ。
狭い路地を出ると、わざと壁に積まれていた、防火用の手桶を転がし、大きな音を立てて追手を引きつける。
「いたぞ! こっちだ!」
──どうとでもなるさ。
俺は逃げずにそこに留まって、追手を待った。




