22.道行き
お湯から上がったアルジャンは、まだ落ち込んでいるようだった。気配からわかる。
ロウソクの灯りを受ける褐色の髪はまだしっとり濡れていた。不思議な色だと思った。自分の様に薄い紅でもない。灰色が混じるそれは見たことのない髪色だった。
──アルジャンは、どこの出身なんだろう?
そう言えば、聞いた事がなかった。
今、鉱山にいるのは仕事だからだろう。まだ生い立ちや出身地を聞いていないが、気軽に尋ねていいものか悩む。
言わないと言う事は言いたくない、と言う事にもつながる。好奇心を満たすためだけに聞くのは躊躇われた。
顔半分は既に覆われていたが、口元を軽く覆う程度で、いつもの様に鼻や口の形が分かるほど、きっちり巻かれてはいない。
俺は隣り合わせに敷かれた床に横になりながら、
「…アルジャン。覆い、取ってもいいぞ。暗くて見えないし、俺しかいないから…」
気にしないと伝えたのだが、アルジャンはゆるく首を振ると。
「気づかいありがとう。──けれど、この方が慣れているんだ。取ると落ち着かない…」
「そうか…」
気落ちしたアルジャンをどう慰めようかと言葉を探していれば、
「リイン…。次は必ず、守る。…危険な目にはあわせない」
自分の手元を見つめたまま、アルジャンは口にした。
「けど──」
自分のことは自分で守れる、そう言いたかったのだが、
「誓わせてくれ。せめて、ここにいる間だけは…」
ひたと銀の双眸がこちらに向けられ、何も言えなくなる。
「…わかった。ありがとう。アルジャン」
俺の言葉を聞くとうなずき、そのまま髪を拭き出した。ロウソクの灯りの中、揺れるアルジャンの影を眺めているうち、眠りについていた。
次の日。城に向かう前に、街の薬師リーフを訪ねた。
代々この街で薬師をしている家系で、薬のみならず、関わるものならなんでも引き受けてくれる。事情を話し、俺の症状を見せ、腕輪に付着したカビについて調べてほしいと言うと、一も二もなく、応じてくれた。
「しばし時間が必要だが…。色々調べてみよう」
長い茶色の髪を一束にまとめ眼鏡をかけた男は、鳶色の瞳をくりくりさせながら、興味深げにカビのついた腕輪を見た後、こちらに目を向けてニッと笑んだ。
「リーフ。よろしく頼んだ。分かったらすぐに知らせてくれ。調査含め、かかった費用はこちらにつけてくれていい」
「リイン王子の頼みなら、ただでかまわんよ。このカビには個人的な興味もあるしな」
「けど、それじゃ──」
そこへアルジャンが割って入る。
「この依頼は、ファジルの鉱山に関わるものだ。金を受け取らないのであれば、医療や薬作りに必要なものを書き付けに記しておいてくれ。それを全て用意しよう」
「ほうほう。それは気前がいいな。──わかった、ではお言葉に甘えてそれで手を打とう。道中、気をつけてな」
「ありがとう! リーフ、また!」
手を振って、そこを離れた。
馬首を並べて、城へ向かう途中、アルジャンがぽつりと漏らした。
「…リインがここに残りたいという気持ちがよくわかる。皆、本当にリインを好いている…」
「けど、それはもう昔の話だ。昨日の夜も言ったけどさ。俺は今、ファジルの妃だ。だからファジルのために尽くそうと思っている」
もう、戻りたいとは思わない。俺はやるべきことがあるのだ。
すると、アルジャンはふっと息を漏らし、
「リインは、上に立つ者の素質がある…」
「うーん。どうだろうなぁ。好き勝手やるから、きっと周りが振り回されて困るだろうな。ルンがいい例だ」
そう言って笑えば。
「リインは方向を間違わない。きっと、自分の独りよがりじゃなく相手の事を思って行動するからだ。…見習いたい」
「あはは! 買い被りってやつだ、それ。俺はそんな立派じゃないって。ほーんと、好きな事をしているだけさ」
そんな会話をしていれば、城の門が見えてきた。
すでに外には荷馬車と馬を引き連れた技術者らしきものが二名、待機している。彼らは俺たちの後からついてくる予定だ。
「リイン、ちゃんと役目を果たすんだぞ?」
わざわざ自ら見送りに出てきたカセムが、馬上の俺に向かって、酷くまじめな顔をしてそう口にする。
王であり神子であるカセム以外、見送りに出ないのはしきたりだった。それは以前ここを出た時と変わらない。
「わかってるって。──それじゃあ、皆によろしく。父上も息災で」
「ああ、おまえもな。それと──」
カセムは視線を背後に控えていたアルジャンに向け。
「…アルジャン殿。勝手ばかりの不肖の息子だが、よろしく頼んだ」
「はい。かならず、お守りいたします」
その言葉に笑みを浮かべるとうなずき。
「みな、気をつけて。精霊のご加護を!」
手にしていた錫杖をシャンと鳴らし、見送ってくれた。
しばらく進んだところで、アルジャンが尋ねてくる。
「錫杖を鳴らしたが、あれは──?」
「神子の祝福だ。あの音で邪気を払うんだ。あんな父上だけど、かなり力はある。弟のラトもその力を引き継いだ。この先もウイラは安泰だ。──まあ、ファジルが安泰であれば、の話だけどな」
「…精霊の力、か」
「ファジルでも、春と秋の祭りの時は、神子が祠へ祈りをささげに行くだろ? 同じように各地を回るから、かなり体力気力を消耗する。年齢を重ねるにつれ、身体の限界が来て神子の声が聞き取りづらくなる。それで交代になるんだ。父上はまだまだ元気だから、交代は先だろうなぁ」
「リインは──神子になりたかったのか?」
「はは。なりたくてもなれるものじゃないって、物心ついた時から叩き込まれたからなぁ。力があったら、って思うこともあった。…けど、今は思わない」
「そうなのか?」
「神子になっていたら、こうしてあちこち出歩くこともままならなかっただろう? 神子はウイラにある神殿で、精霊の声を聞き、また願いを聞き入れてもらうのが仕事だ。基本、ウイラからはでられない。せいぜい、国を出られるのは、正式な招待がある時か、祭りの時だけだ。俺は力がないから、こうして自由でいられる…」
「確かに、そうだな…」
「──とは言っても、俺の将来は決められていたからな。それでも、ファジルでの生活に苦を感じてはいないよ。今だってこんな勝手気ままに動けているからな?」
望んだことではないにしろ。
外に放り出されたのは予想外だったが、おかげでファジルのことを知ることができている。悪いことばかりでは決してないのだ。
「…リインは、強いな」
「またまた。俺は楽天的なだけさ」
「リイン…」
「なんだ?」
「俺は、リインが神子でなくて良かったと思っている。でなければ、こうして話すことも会うこともできなかった。…精霊に感謝したいくらいだ」
「アルジャン…」
「きっと、それがリインの役目なのだろうな」
アルジャンが微笑む。口もとは見えていないが、目元がゆるみ、そんな気配を感じたのだ。
「うん…。俺もそう思ってる」
アルジャンの言葉に励まされる自分がいた。
それから半日かかって、夕方近くにファジルの鉱山へと到着した。
すぐに荷を下ろし、検品したあと、配ることにする。すでに技術者が住まう場所は用意されていて、それは山のふもとに作られていた。
そこは鉱夫達が住んでいる場所で、鉱山にも近い。病が出る心配もあったが、もし、カビが主な原因であれば、鉱山の中に入らない限り、そう影響はないはずだった。
「ふう…。だいたい、大丈夫なようだな…」
技術者の二人と手分けして五百ほど検品し終えた。すぐには使わず、数名ずつ試していき、様子を見て問題がなければ全員に配布する予定だ。
保護眼鏡と共に顔につければピタリと目と鼻、口を覆い、細かい粒子は入ってこない。カビを防げるかは、様子を見てみないと分からないが、今よりましにはなるだろう。
「あとは…この、坑道内の空気を循環させるべきだろうな…」
俺は検品後、鉱山のすぐ麓にある小屋で、坑内の地図を睨みながら唸った。
すでに空気穴もそこへ空気を送る装置も各所に置かれている。この置かれている位置を変え、数も多くするのが得策と思えた。
それをアルジャンと、鉱夫長と共に額を突き合わせ、意見をまとめる。
「──作業の手間が増えるし、その分、人手も必要になる…。今までより作業効率は落ちるかもしれないが、中で働く人間の命を守ることが先だ。これでなんとかならないか?」
今までの倍の、送風装置や空気穴、人手が必要となる。だが、こうでもしなければ、この病に侵される者は減らないだろう。
それに、彼らの犠牲によって採掘されている鉱物は、かなり希少で高値で取引されている。倍になっても、その分を補えるほどは収入を得ているはずだ。
「そうだな…」
アルジャンは鉱夫長と言葉を交わした後、
「──マスク程度なら報告はいらないが、内部をいじるとなると、上の許可が必要になる。これは国で管理している鉱山でもあるからな…。今の宰相アスワドがこれを見て、早々許可するとは思えない。──だが、鉱夫たちの命やその家族への影響を考えれば、すぐにでも行うべきだろう。…アスワドを通さない方法を考える」
「進言しておいてなんだが、通さないって、…大丈夫なのか?」
「大丈夫──とは言い切れないが、なんとかするさ。手はある…」
アルジャンの目に強い光が宿った。
それでお開きとなり、作業に取り掛かるのは早速明日からとなった。俺は小屋を出た所で、アルジャンを呼び止めると。
「なにか手はあるようだけど、無理はするな? とりあえず、ウイラの面具があれば当座はしのげるし──」
「心配ありがとう。──だが、大丈夫だ。それなりに、手は考えている」
「すまないな…」
「どうして謝る?」
「…俺に力があればいいんだが、今の所、王宮の隅に追いやられ、何の力もない。本当に、『妃』とは名ばかり、だ…。せめてアルーン皇子に進言できる仲であればいいんだが…」
──そんな気配があった時期もあったが…。
そこまでは行かなかった。
「皇子とは……仲が良くなかったのか?」
「──どうだろう…。一時は、良かった気もするが──わからないな…」
「皇子は…きっと、今頃、後悔している」
「なにをだ?」
「リインを側に置かなかった事を、だ。もっと目の届く場所に置いていれば、今の状況にはならなかったはず──。守るために遠ざけたのだろうが…」
「守るため? 俺が庵にいたのもか?」
アルジャンはうなずく。
「流石に皇子が言い張れば、近くの他の宮にも移れただろう。──けれど、そうしなかった。今の王宮内の状況を見れば、宰相らの目の届くところからは遠ざけたいと思うだろうな。けれど、それが裏目に出た」
「…俺は、そこまで大事にされているんだろうか…。嫁ぐ前に会ったことはあったが、一度きりだ。──そこまで思い入れがあったとは…思えない」
するとアルジャンは、俺の頭をくしゃりと撫で。
「一度きりでも、印象に残った、そう言うことだろう? 大切にしたいと思えたんだ」
「そう、だろうか?」
「そうさ。──俺だったらそう思う。…リインはもっと自信をもて。内面から出る輝きや美しさを、リインは持っている…」
頭に置かれていた手が頬に滑る。大きな手が温かい。
「…うん。ありがとう。アルジャン」
──アルジャンの言葉には力がある。
なぜか分からないが、言われるたび、心に響いた。




