21.夕餉
ウイラでの食事は他国と勝手が違う。
普通は大きな長机に豪華な食事を並べ、王を上座にその親族らが食卓を囲む。
が、ウイラでは違う。床に分厚い敷物を敷き、王も家族もその他大勢の人々も、クッションを背もたれに円を描くように座ると、同じく床に置かれた皿から、それぞれ好きなものをとって食べるのだ。
身分関係なく、皆同じ場に座って食べる。それが、アルジャンにはめずらしかったらしい。
「…ウイラは上の者も下の者も、同じ場所で食べるんだな」
感慨深げにそう口にした。俺は手元の皿へ、鶏肉の蒸したのを取ると、同じものをアルジャンにも取った。上にニンニクと果物で作った甘じょっぱい調味料がかけられていて、食欲をそそるのだ。好物でもある。
アルジャンは食べる時だけ、その口元を覆う布を取った。思いのほか、口元は綺麗で病の痕は見られない。
「そうだ。みんな一緒さ。王だけが特別偉い訳じゃない。──それは、精霊の声を聞くから一目置かれるけれど、あとは取りまとめ役といったところだからな? ウイラはみなが偉いのさ」
「そうか…」
「ほら、ぼやっとしてると、食いはぐれるぞ? 俺の弟たちはそれは飢えた野獣のようだからな? ラトだって、あんな大人しい顔してて、食欲は大人顔負けなんだ」
それを聞き逃さなかった、向かい側に座っていたラトが、
「それをいうなら兄さんだって。食い意地は兄弟の中で一番です。成人の式の時だって、兄上がどうしても食べたい魚がいるからって、ぎりぎりまで粘って…。確かに欲しかった魚は獲れて、皆が喜びましたけど、おかげで、せっかく用意した衣装も着ずに終わって──」
「ラト…。それはさっき父上にも言われた…。もう、その話は終わりだ。過ぎたことは仕方ない。これでルンもいたら、さらに追い打ちをかけられるところだった…。──ルンは俺の従者をしているんだ」
「ふうん…」
俺は最後の一切れを口にして、その指についた煮汁をぺろと舐めると。
「…でも、俺の異母兄弟でもある。ひとつ下でさ。口うるさくて気は強いが、器量はいいし心根の優しい奴だ。…本当はルンの方が妃に向いてると思ってた」
「そうなのか?」
「そうさ。だって初めてマシュリクに行った時もルンの方に侍女はかしずいたんだ。──その時、俺は轍に嵌った牛車を押したせいで、泥だらけの上に牛糞まみれ。──いや、ちゃんと川で沐浴はしたけどさ」
今、思い出しても笑ってしまう。
「それに限らず──俺は終始、そんな調子だから妃なんて本当は向かない…。狭い庵に追いやられたって、そっちが楽しいし楽だと思うんだ」
「庵? 宮殿じゃないのか?」
「まぁ、色々あってな…。入る予定の宮殿に牛糞が蒔かれていたんだ。その後、綺麗にしたけれど、俺は庵の方がよくって…。笛は吹き放題だし、誰の目も気にしなくていいし…。おかげでルンには小言を言われっぱなしだったけど」
「そうか…」
アルジャンは目を細める。
「だから俺としては、ルンを薦めたい所だったんだ。──が、皇子の噂を聞いてな。幸せになれるとは到底思えなかった。──それなら、俺が妃の方がいいと思ったんだ…」
「…いい噂ではなかった?」
「──そうなんだ。かなり好色な人物で、後宮に側と妾を山のように抱えてるって…」
「好色…」
「…けど、実際はちがった。確かに後宮に側や妾を沢山抱えていたし、中にはやたら美人な妾もいた。性格に問題あり、だったけどさ。──その側や妾も、アルジャンの話なら、全部、宰相アスワドの差し金なんだろ?」
「そうだな…」
俺は足を投げ出すと、後ろに手をつき、大きく取られた窓の外に目をむけた。そこからは夜空とともにくっきりと浮かぶ月が見える。
「──それに、会って話すようになったら、思っていたよりずっとまともで…」
──だって、並んで一緒に作ったぼた餅を食べたんだ。
昼寝にもきて。俺の膝を枕にしてた。夜更けに黙って俺の笛を聞いていた。
多くは語らなかったけれど、想像していたような軽薄な人物じゃなかった。やはり、精霊と見間違うほど、美しいひとで。もしかして、もっと近づけるんじゃないか、なんて。
──でも、今、そのひとは遠く離れた。
俺は王宮の外に放り出され、アルーン皇子はほかの娘に夢中──。
外に放り出されたのは、後でどうとでもなる。しかし、皇子の心変わりはどうしようもない。
誰だって美しいものに惹かれる。女性だろうと男性だろうと。当たり前のことだ。仕方ないと分かっていても、惹かれていたのを自覚して以来、この手の事を考えると胸が痛む。
──今もどこかでその相手と、俺といた時と同じように、過ごしているのだろうか。
たいして会話もしていないのに。ただ、そこにいて、穏やかな時間を過ごしただけなのに。胸の痛みは治まらなかった。
◇
「…リイン?」
アルジャンの声に我に返る。
「いや、何でもない。──結局、俺はルンの方が──なんて思ってたことも忘れてた。ま、もう後の祭りなんだが…」
「どうしてだ? また王宮に戻れば、皇子はいるんだろう?」
「…いるけど。きっと俺にはもう目も向けない。どこか外に美しい娘をみつけて、夢中になってるって話だ…。──それがなくたって、俺への好奇心なんてなくなってる…。少しは近づけたけれど、あれも一時のものでさ。物珍しかったんだろう。──神子になれなかった王子がさ…」
それでも、あの一緒に過ごした時間はかけがえのないものだった。
宰相の件がなんとか落ち着けば、また城に戻れるだろう。そうして、俺はまた笛を吹き続ける。バカみたいに、いつか皇子が現れるのを待ちながら。
「…リインは、綺麗だ」
「アルジャン?」
すると、アルジャンは何を思ったのか、手を伸ばすと俺の口の端に指で触れ。
「とても、心が綺麗だ。…俺はそんなリインを好ましく思う」
「……」
ドキリとする。
アルジャンは口の端に触れていた手を取り、それを自分の口元へもっていった。どうやら付いていた煮汁を取ってくれたらしい。
どうするのかと思えば、それを舐めとってしまった。
「…っ」
「──王宮に戻りたくないなら、このまま、俺と一緒にいればいい」
「何を冗談──」
「冗談じゃない。宰相のことが治まっても、王宮に戻れば窮屈な生活が始まるんだろう? 皇子だって、リインを放っておくだけなら、このまま王宮に戻らず、俺たちと暮らせばいい」
「……」
真摯なまなざしに、継ぐ言葉を失うが。
「──ありがとう。アルジャン…。けど、これは国同士の結びつきの為に必要なことなんだ。俺個人の思いは関係ない。これを反故にすれば、亀裂が入らないとも限らない。──俺はこの生き方を納得して選んだんだ。気持ちだけ、ありがたく受け取っておく…」
本当に、ありがたい申し出だった。なんせ、多少なりとも、ぐらりと心が揺れたのだから。
「…わかった。すまなかった。変な事を言って…」
「変じゃないさ。俺のことを心配していってくれたことだろ? ──嬉しいよ」
そう言ってにこりと笑えば。
「──天然だな…」
ぼそりとアルジャンは呟くが、聞き取れなかった。
「なんだ?」
「なんでも。──この果物、美味しいな? ファジルで見かけたことはない」
アルジャンは、果物の盛られた皿から、外皮が固い皮に包まれた果物をつまむ。
「ああ、それは──」
話題はほかへと移って行った。
◇
その後、長い夕餉が終わり帰途についた。
皆にはかなりしつこく泊まっていけと言われたが、それを最後まで固辞し、小屋へと戻ったのだ。一度嫁したものが、おいそれと実家には戻れない。戻るなら、正式に招待を受けてから戻るべきだ。
暗い夜道を馬首を並べて、アルジャンと共に戻る。
「小屋にも風呂があるからさ。小さいからすぐに沸くよ」
「リインが先に使ってくれ。この病が移らないとも限らない」
「何を今さら…。移らないって分かってる。──けど、わかった。先に使うよ。人の入った後の方がいい湯加減になるしな?」
「そう言うわけじゃ…」
「あはは。冗談だって。──ああ、あれ? 煙突から煙が…。ああ、きっとみんなが用意してくれてたんだな。これは帰ってきて正解だった。じゃなきゃ無駄にするところだったよ」
見えてきた小屋からは明かりが漏れていた。けれど人気はない。
俺は馬を厩につなぐと、アルジャンと共に小屋に入る。見れば小屋の中にはしっかり分厚い敷物が敷かれ、寝具も整っていた。それもふかふかだ。
「うわ! ありがたい!」
「ここまで気を使ってくれて。…リインは本当に好かれているんだな?」
「はは。ありがたいことだ。このおかげで、ファジルに嫁すのが、少し辛かったんだが…。過ぎた話だ。──じゃ、先にお湯使わせてもらうな?」
「ああ…」
俺は断りを入れて先に浴室に向かった。
そこには本当に小さな、大人一人が入ればやっとの風呂釜があって、ちょうどいい湯加減のお湯が満々と満たされていた。
俺は上着を脱いだところで、ちくと手首に違和感を感じた。見れば左手首にくるりと輪を巻いたような赤い痕がある。
──なんだ?
触れてみると、熱を持っていてちくちくと痛んだ。荒れているらしい。
──なにか触ったのか?
毒虫でもない。薬でもない。と、そこで袖口についたカビを思いだした。
──まさか。
慌てて左手首に巻いていた腕輪を見る。そこは僅かだが、黒く変色した跡がある。例のカビだ。壁に手をついた時、付着したのだろう。
──気付かなかった…。
あの後、服は着替えたが、腕輪のことは気にも留めていなかった。どう考えても、このただれはカビが原因だ。鉱物やカビが悪さをしているとは思ったが。
──これは思った以上に厄介なカビだな…。
普通見かけるカビとは質が違う。どうやら皮膚炎を起こさせるらしい。
──これを調べれば、何か治療方法が分かるかもしれない。
腕輪を外すと、手近な布でそっと包んだ。明日、街の薬師の所へ行って調べてもらおうと決めた。
◇
「アルジャン、先にありがとう。使ってくれ」
髪を拭きながら戻って来ると、声をかけた。浴室は廊下を挟んだ向こうにある。
「ああ、わかった──」
言って座っていたアルジャンがこちらを振り返り、言葉を途切れさせた。それで、アルジャンの視線が、自分の左手首にそそがれていることに気が付く。
「あ? ああっと、これ──」
答える前に飛びつくようにアルジャンが俺の手を取った。
「──やっぱり、出たか。これは皮膚の弱い所から症状が出るんだ。注意したんだが…」
「腕輪に例のカビが少しだけついていた。どうも、このカビが悪さをしているらしいな…。明日知り合いの薬師に、腕輪に付いたカビを調べてもらおうと…。──アルジャン?」
「連れていくべきじゃなかった…」
アルジャンは俺の手首を見つめたまま、唇を噛み締めた。
「大したことない。ちょっと触れた時間が長かっただけだ。俺はきっと耐性もないから、こうも腫れたんだ。カビに触れなければすぐに治る」
アルジャンは黙って、その手首にくちづける。冷えた、でも柔らかな感触がそこに触れて、ビクリと肩が揺れた。
「…すまない。防げたのに、俺は──」
「おい! アルジャン!」
俺の声に今度はビクリとアルジャンの肩が揺れる。俺はアルジャンの胸元を自由な右手で手でつくと。
「──俺が行きたいと頼んだんだ。なにかあっても承知の上。これくらいのことで、気に病むな。これはアルジャンの責任じゃない。俺の責任だ。勝手に背負うな」
「……すまない」
「わかればいいんだ。──ほら、冷めないうちに入って来いよ。少し薪も足しておくから」
「わかった…」
それでも、肩を落としたまま、アルジャンは浴室へと向かった。それを見送ってホッと息をつく。
これは、誰のせいでもないのだ。増して、アルジャンが責任を感じる必要もない。
アルジャンの背を見送ってから、用意された床に座る。寝巻と言い、着替えといい、村人たちがすべて新品を用意してくれてあった。頭の下がる思いだ。
「ん?」
見ればアルジャンの分のそれが、床の上に置きっぱなしだった。さっきの件で持って行き忘れたのだろう。このままでは素っ裸でこちらに来ないといけない。
「アルジャン! 着替えを忘れてる──」
俺は急いで廊下に出て、浴室のドアを開けた。
──まだ着替えてはいないはず──。
「──? ああ、済まない…」
アルジャンは上衣だけ解いたところだった。
均整の取れた筋肉のついた背中がこちらに向けられていた。そこには所々赤い痕があるものの、思っていたより症状はひどくはなかった。それは口元を見た時と同じ感想だ。
「──ごめん、勝手に開けて。これここに置いておく」
「ありがとう…」
なるべくその背中を見ないようにして、着替えを近くの籠に置く。ドアを閉めようとした際、ちらとアルジャンの頭髪が見えた。
解きかけていたかぶりものから僅かに見えた髪は、灰色みを帯びた褐色だった。




