守れるくらい
西へ向かう旅を始めてから、数日。
三人は、古い地図にだけ記されているという遺跡を目指していた。
遺跡があるのは、街道から外れた山間部。
周囲には人の気配がなく、草木すら少ない。
「……本当に、この先に遺跡があるんですか?」
ミアが古びた地図を覗き込みながら尋ねる。
「ある」
アレンは前を向いたまま答えた。
「どうして分かるんですか?」
「地形が合ってる」
「……それだけですか?」
「それだけだ」
ミアは少しだけ呆れた顔をした。
その横で、レナが地図を覗き込む。
「確かに、この辺りは昔から人が近づかない場所ね」
「理由は?」
アレンが聞く。
「知らないわ。古い記録には、何度か調査隊が向かったって書いてあるけど……戻ってきた人間は少ないみたい」
「危険なのか?」
「だから来たんでしょう?」
レナが槍を肩に担ぐ。
アレンはそれ以上何も言わなかった。
やがて三人の前に、巨大な岩壁が現れた。
その中央。
岩に埋もれるようにして、巨大な石造りの門があった。
「……これが」
ミアが息を呑む。
門には、見たことのない古代文字が刻まれている。
アレンはしばらく文字を見つめた。
「……古い」
ぽつりと呟く。
「読めるんですか?」
ミアが尋ねる。
「少しだけだ」
それ以上は答えない。
アレンが門に手を触れる。
すると。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
地面が震えた。
石門が、ゆっくりと左右に開いていく。
三人は顔を見合わせた。
「……歓迎されてるのかしら?」
レナが言う。
「分からない」
アレンは剣の柄に手を添えた。
「行こう」
三人は遺跡の中へ入った。
遺跡の奥。
そこには、巨大な地下空間が広がっていた。
壁も床も、すべて石。
中央には巨大な円形の祭壇があり、その上には何も置かれていない。
「何もないですね」
ミアが辺りを見回す。
その瞬間。
――ドン。
地面が大きく揺れた。
「っ!」
レナが槍を構える。
床が割れる。
そこから大量の岩が噴き上がった。
そして――
一体の巨大な存在が姿を現した。
人の形に近い。
しかし、その身体は岩石そのものだった。
巨大な腕。
厚い胸。
顔には二つの淡い光が浮かんでいる。
ミアが息を呑む。
「……魔物?」
アレンは黙っていた。
目の前の存在から感じる力は、これまで戦ってきた魔物とはまるで違う。
敵意もない。
殺気もない。
ただ、そこに存在している。
やがて岩の巨人が口を開いた。
「――人の子よ」
低い声が遺跡全体に響く。
「ここへ何をしに来た」
レナが槍を構えたまま答える。
「あなたは何者?」
「我は大地を司るもの」
その言葉に、アレンの目が僅かに細くなる。
「……地の精霊」
岩の巨人はアレンを見る。
「知っているか」
「名前までは知らない」
「我が名は――ノーム」
ミアが小さく息を呑んだ。
「精霊……」
ノームはミアを見る。
そして、その隣に立つアレンへ視線を移した。
「……妙だな」
アレンが眉を動かす。
「何がだ」
「いや」
ノームは静かに首を振った。
「古い記憶を思い出しただけだ」
「……?」
レナが不思議そうに二人を見る。
だがノームは、それ以上何も言わなかった。
やがて再びミアを見る。
「……見つけた」
「え?」
ミアが聞き返す。
ノームはミアを見つめている。
「お前だ」
「私……?」
「そうだ」
アレンが一歩前へ出る。
「何をするつもりだ」
ノームは答えなかった。
代わりに、地面へ手をついた。
――ゴゴゴゴゴゴッ!
「っ!」
レナの足元から巨大な岩壁が突き上がる。
一瞬で岩の檻が形成された。
「レナ!」
アレンが振り返る。
「大丈夫!」
レナは槍を振る。
だが、岩壁には傷一つつかない。
「硬すぎる……!」
ノームが告げる。
「その者は、この試練には不要だ」
「試練?」
ミアが聞く。
「選ばれるための試練だ」
アレンが剣を抜く。
「なら、俺もやる」
「お前も試練を受けるのか」
「ミア一人では危険だ」
ノームはしばらくアレンを見つめた。
その視線には、どこか懐かしむような色があった。
「……相変わらずだな」
「何がだ」
「いや」
ノームは首を振る。
「何でもない」
そして、地面を踏み鳴らす。
「ならば来い」
次の瞬間。
巨大な岩の拳がアレンへ飛んできた。
――ズドンッ!
アレンは横へ跳ぶ。
空を切った拳で床が砕ける。
「ミア、下がれ!」
「はい!」
ノームが腕を振る。
地面が隆起し、無数の岩槍が二人へ向かってくる。
アレンが剣を振る。
岩槍が次々と切り裂かれる。
だが、砕けた岩はすぐに地面へ戻り、再び形を変えていく。
「……面倒だな」
アレンが呟く。
「アレンさん!」
「分かってる」
ミアが光の障壁を展開する。
岩の塊がぶつかり、障壁が大きく揺れる。
「きゃっ……!」
「ミア!」
「大丈夫です!」
レナが檻の中から叫ぶ。
「アレン! 右!」
アレンが振り向く。
横から巨大な岩槍。
一閃。
切断。
「次、左!」
アレンが左へ跳ぶ。
地面が爆発する。
「そのまま前!」
アレンが踏み込む。
ノームの懐へ入り、剣を振り抜く。
岩の身体に大きな亀裂が走った。
しかし。
「……浅い」
ノームの身体が崩れ、再び元の形へ戻る。
ミアが驚く。
「傷が……!」
「地面そのものを使ってる」
アレンが呟く。
ノームは倒れない。
戦い続けても終わらない。
それでも二人は戦う。
アレンが攻撃を引きつけ、ミアが障壁を張る。
ミアが足場を作り、アレンが踏み台にして跳ぶ。
「アレンさん、今!」
アレンが剣を振り下ろす。
――ガァン!
巨大な岩の腕が砕ける。
しかし、また再生する。
「……まだですか」
ミアが息を切らす。
ノームは二人を見ていた。
戦っているというより、観察している。
そのことに、アレンも気づき始めていた。
「……そういうことか」
「え?」
「こいつは俺たちを倒したいわけじゃない」
レナが岩の檻の中から叫ぶ。
「なら、何を見てるの?」
ノームはミアを見る。
「心だ」
ミアの表情が固まった。
「力ではない」
ノームの声が響く。
「我が試しているのは、力ではない」
地面から伸びていた岩が止まる。
「お前が、何を求めてここへ来たのか」
ミアは黙った。
「私は……」
ノームが問う。
「何のために力を求める?」
ミアは答える。
「……人を助けるためです」
ノームは静かに言った。
「それだけか?」
「……」
「本当に、それだけか?」
ミアの視線が揺れる。
アレンは何も言わない。
ただ、ミアを見ている。
「私は……」
ミアは拳を握った。
「誰かが傷つくのが嫌なんです」
「それも本心か」
「……はい」
「ならば、何故お前はここまで来た」
ミアは答えられなかった。
地の精霊は、何も急かさない。
ただ待っている。
その時だった。
――ゴゴゴゴゴゴッ!
ノームの足元から巨大な岩盤がせり上がった。
「っ!」
アレンが跳ぶ。
だが、岩盤はアレンを追うように次々と立ち上がっていく。
「アレンさん!」
「下がれ!」
アレンが剣を振る。
岩壁を斬り裂く。
その向こうから、さらに巨大な岩塊が落ちてくる。
「……っ!」
アレンは受け止めようとする。
だが、岩塊は想像以上に重い。
床が砕け、アレンの足が沈む。
「アレン!」
レナが叫ぶ。
「ミア、離れろ!」
アレンが叫ぶ。
けれど、ミアは動かなかった。
「嫌です!」
「ミア!」
「嫌です!」
ミアは杖を握り締める。
「もう……嫌なんです!」
光の障壁を展開する。
それでも岩塊は止まらない。
障壁が軋む。
「私は……」
ミアの手が震える。
「また、アレンさんが一人で全部背負うのが嫌なんです!」
アレンが顔を上げる。
「……」
「最初は、本当に人を助けたかっただけなんです!」
障壁が砕ける。
ミアはそれでも立っている。
「強くなれば、もっとたくさんの人を助けられると思ってました!」
岩塊が迫る。
「でも……!」
ミアの目から涙が落ちる。
「アレンさんと旅をして……変わりました!」
「一緒にご飯を食べて!」
「一緒に歩いて!」
「くだらない話をして!」
ミアは震える声で叫ぶ。
「アレンさんと旅するのが……楽しくなりました!」
その瞬間。
岩塊がミアの目の前まで迫る。
アレンが叫ぶ。
「ミア!」
「だから……!」
ミアは杖を握り締める。
「アレンさんが、また一人になってしまうのが嫌です!」
――ドンッ!
地面が震えた。
ミアの足元から、淡い光が走る。
「私は……」
光が大地へ広がっていく。
「アレンさんに、ずっと一緒にいてほしい!」
大地が鳴動する。
岩塊がミアの目の前で止まった。
「だから――」
ミアが顔を上げる。
「私は、アレンさんを守れるくらい強くなりたい!」
次の瞬間。
――バキィィン!
岩塊が砕け散った。
その破片を、大地から伸びた無数の根が包み込む。
根は一瞬で巨大な岩を押し返し、地面へと戻していく。
ミア自身の足元から、緑の光が溢れ出していた。
アレンが目を見開く。
「……地の力」
ノームが静かにミアを見つめていた。
「ようやく、本当の言葉が出たな」
ミアは肩で息をする。
「……本当の、言葉?」
「お前が欲しかった力は、誰かを救うためだけのものではない」
ノームが告げる。
「大切な者を失いたくない」
「その願いもまた、生きる者の本心だ」
ミアの足元から、さらに大地の力が広がる。
石の床を押し分けるように、小さな草花が芽吹いていく。
ノームが頭を下げる。
「認めよう」
「お前こそ、我が力を託す者」
地面から溢れた光が、ミアの身体へ流れ込む。
「地は、命を支える」
「そして、守る者を支える」
ミアの胸元に、淡い光が宿った。
「我が力を受け取れ」
光が消える。
静寂が戻った。
しばらくして、ミアがゆっくりと目を開ける。
「……終わった?」
アレンが剣を下ろす。
「終わったな」
「……私、勝ったんでしょうか」
アレンはノームを見る。
ノームは首を横に振った。
「勝敗など、最初から存在しない」
「この戦いは、お前が自分自身の心を知るためのものだった」
ミアは自分の手を見る。
そこには、淡い緑色の光が残っていた。
「……これが」
「地の力だ」
ノームが答える。
アレンはミアの隣まで歩く。
「……そうか」
ミアが顔を上げる。
「アレンさん……」
アレンは少しだけ考えてから言った。
「なら、死ぬな」
ミアは目を丸くする。
そして、涙の残った顔で笑った。
「それ、アレンさんもですよ」
アレンは答えなかった。
ただ、ほんの僅かに口元が緩んだ。
その二人を、岩の檻から解放されたレナが見ていた。
「……なるほどね」
レナは小さく笑った。
しばらくして。
ノームの身体が、ゆっくりと光へ変わり始めた。
「待ってください」
ミアが声をかける。
「これから、どうすれば……?」
ノームは三人を見渡した。
「旅を続けよ」
「旅を?」
「この世界には、我と同じく古き力を守る者たちがいる」
アレンが顔を上げる。
「……他にもいるのか」
「いる」
ノームは静かに答えた。
「火を司る者」
「風を司る者」
「水を司る者」
そして、一瞬だけ言葉を止める。
「光と闇に連なる者もいる」
ミアが目を見開く。
「光と……闇?」
「お前たちが知る魔法よりも、遥かに古い力だ」
レナが尋ねる。
「その精霊たちは、どこにいるの?」
ノームは地面へ手をついた。
すると、石の床に淡い光が走った。
やがてそこに、簡素な地図が浮かび上がる。
西。
北。
南。
そして遠く離れた場所にも、いくつもの光点が現れる。
「それぞれの地に、古代遺跡がある」
「古き力を守る者たちは、その奥深くで眠っている」
ミアが地図を見つめる。
「じゃあ、そこへ行けば……」
「会えるとは限らぬ」
ノームは答える。
「選ばれるとも限らぬ」
「それでも」
地図上の光が一つずつ輝く。
「お前たちが進むなら、いずれ辿り着くだろう」
レナが腕を組む。
「どうして、私たちにそんなことを?」
ノームは答えず、アレンを見る。
長い沈黙。
「……古き力は、呼び合っている」
アレンの目が細くなる。
「どういう意味だ」
「お前たちがここへ来たことも、偶然ではない」
「……」
「特に――」
ノームの視線がアレンに向く。
「お前がいることがな」
アレンは黙ってノームを見返した。
「俺が?」
「……いや」
ノームは小さく笑ったように見えた。
「今は、まだいい」
その言葉に、レナが眉をひそめる。
「何の話?」
「古い記憶を思い出しただけだ」
ノームの身体がさらに光へ変わっていく。
「……五千年か、長かったな」
アレンの表情が、僅かに変わる。
ミアが振り返る。
「五千年……?」
だがノームは、それ以上言わなかった。
「行け」
低い声だけが遺跡に響く。
「古き力は、お前たちを待っている」
「そして――」
一瞬、ノームの視線がアレンに向く。
「失われたものもまた、いずれお前たちの前に現れるだろう」
光が消える。
静寂が戻った。
「……次は、どこへ行きましょうか?」
「まずは近いところからね」
二人が次の目的地を探し始める。
その後ろで、アレンは一人、立っていた。
「……失われたもの、か」
五千年前。
自分はすべてを失ったと思っていた。
力も。
役目も。
そして――。
「……アレンさん」
ミアの声に、アレンが振り返る。
「なんだ?」
「さっき、ノームが言ってましたよね」
「……何を?」
「五千年って」
アレンは一瞬だけ黙った。
「……ああ」
「何だったんでしょう?」
「知らない」
いつもの短い答え。
だが、ミアは少しだけアレンを見る。
「……そうですか」
その横で、レナも口を開く。
「アレン」
「なんだ」
「あなた、あの言葉を聞いたとき……少しだけ顔が変わったわ」
アレンはレナを見る。
「気のせいだ」
「そうかしら」
レナはそれ以上追及しなかった。
ミアも何も言わない。
ただ二人とも、アレンを見ていた。
アレンは二人から視線を逸らす。
五千年前。
誰にも知られることなく、魔王と戦った。
そして、一人で世界を救った。
その事実を、今はまだ話すつもりはなかった。
「……行くぞ」
「はい!」
「ええ」
三人は遺跡を後にした。
その背中を、誰も追及しなかった。
けれど――
二人の中に、一つの疑問だけが残った。
光が消える。
静寂が戻った。
ミアが地図を見る。
「……次は、どこへ行きましょうか?」
レナが地図を覗き込む。
「まずは近いところからね」
二人が次の目的地を探し始める。
その後ろで、アレンは一人、立っていた。
「……失われたもの、か」
五千年前。
自分はすべてを失ったと思っていた。
力も。
役目も。
そして――。
「……アレンさん」
ミアの声に、アレンが振り返る。
「なんだ?」
「さっき、ノームが言ってましたよね」
「……何を?」
「五千年って」
アレンは一瞬だけ黙った。
「……ああ」
「何だったんでしょう?」
「知らない」
いつもの短い答え。
だが、ミアは少しだけアレンを見る。
「……そうですか」
その横で、レナも口を開く。
「アレン」
「なんだ」
「あなた、あの言葉を聞いたとき……少しだけ顔が変わったわ」
アレンはレナを見る。
「気のせいだ」
「そうかしら」
レナはそれ以上追及しなかった。
ミアも何も言わない。
ただ二人とも、アレンを見ていた。
アレンは二人から視線を逸らす。
五千年前。
誰にも知られることなく、魔王と戦った。
そして、一人で世界を救った。
その事実を、今はまだ話すつもりはなかった。
「……行くぞ」
「はい!」
「ええ」
三人は遺跡を後にした。
その背中を、誰も追及しなかった。
けれど――
二人の中に、一つの疑問だけが残った。
アレンは、いったい何者なのか。




