怖いわよ
山道を進む間、レナは何度も足を止めた。
「……やっぱり、おかしい」
「何がですか?」
ミアが尋ねる。
レナは地面に残った足跡を見つめていた。
「魔物の数よ」
「多いんですか?」
「多いだけなら、まだいい」
レナは立ち上がり、山の奥へ目を向けた。
「種類が混ざりすぎてる」
アレンが周囲を見回す。
「狼型が六体。ゴブリンが十以上」
「本来、この辺りで一緒に行動する魔物じゃないわ」
「仲が悪いんですか?」
「そういう問題じゃないの」
レナは苦笑した。
「魔物にも縄張りがある。違う種類同士なら、普通は一定の距離を取るものよ」
「でも、今は?」
「同じ方向へ移動している」
レナの表情が険しくなる。
「……何かから逃げているみたいに」
ミアが不安そうに山を見上げた。
「何から……?」
「それを調べるために、村へ戻るのよ」
三人は再び歩き始めた。
しばらく進むと、山の斜面に小さな村が見えてきた。
木柵に囲まれた畑と、十数軒の家。
規模の小さな村だった。
だが、妙に静かだった。
「……誰もいませんね」
ミアが呟く。
レナは足を止め、槍を構えた。
「アレン」
「ああ」
「何体いる?」
アレンが村の中へ視線を走らせる。
「八体。家の中に人がいる」
「怪我人は?」
「……いる」
レナの顔から表情が消えた。
「行くわよ」
三人が村へ駆け込んだ。
直後、家の陰から魔物が飛び出す。
「来る!」
レナが踏み込み、槍で先頭の魔物を貫いた。横から迫った二体目を柄で弾き、返す穂先で喉を突く。
「ミア、下がって!」
「はい!」
残る魔物がミアへ向きを変えた。
その前に、アレンの剣が走る。
一体目の首を断ち、続く二体を間髪入れずに斬り伏せた。
「……相変わらずね」
レナが呟く。
「何か言ったか?」
「もういいわ」
村の奥から叫び声が上がった。
「助けてくれ!」
「こっちだ!」
レナが駆け出し、アレンとミアも続いた。
村の中央では、十数人の村人が魔物に囲まれていた。
「レナさん!」
村人の一人が叫ぶ。
「来てくれたのか!」
「話は後!」
レナは周囲を見渡した。
「子供と老人は中央へ! 動ける人は家の中に入って、窓と裏口を塞いで!」
村人たちが一斉に動き出す。
「弓を使える人は?」
「二人いる!」
「屋根へ! 正面だけじゃない。左右から回り込む魔物を狙って!」
「分かった!」
レナはミアへ向き直った。
「怪我人が出たら治療をお願い!」
「任せてください!」
「アレン!」
「ああ」
「右側をお願い。私は正面を抑える。左は村人たちに任せるわ」
「分かった」
アレンが右側へ走る。
レナは一瞬だけ目を丸くした。
「……素直ね」
「何か言いました?」
「なんでもない!」
魔物の群れが一斉に襲いかかった。
レナは正面から飛び込んできた狼型魔物を槍で迎え撃つ。穂先が一体の胸を貫き、横薙ぎの一撃が二体目の足を払った。
その隙を突き、別の魔物が背後から迫る。
「右!」
アレンの声が飛んだ。
レナは身をひねった。爪が頬をかすめる。
反撃の槍が魔物の腹を貫いた。
「助かった!」
「まだ来る」
右側では、アレンが群れの中を駆けていた。魔物が飛びかかるたび、最小限の動きでかわし、剣を一度だけ振る。倒れた魔物の向こうから、さらに二体が迫った。
「アレン、少し下がって!」
「分かった」
アレンが退いた直後、屋根の上から矢が放たれた。
魔物の額に突き刺さる。
「今よ!」
レナが踏み込み、残った魔物を連続して突き伏せた。
「左から二体!」
ミアの声が響く。
レナが振り向くより早く、二体の魔物が崩れ落ちた。
アレンが剣を振り抜いている。
「本当に、頼りになるわね」
「そうか?」
「ええ」
その間にも、ミアは負傷した村人のもとを駆け回っていた。
「動かないでください!」
淡い光が傷口を包み、血が止まる。
「次の人をお願いします!」
レナが戦場を読み、アレンが危険な場所を潰す。ミアが傷ついた者を癒やし、村人たちが隙を埋める。
魔物の群れは、少しずつ押し返されていった。
やがて、最後の一体が倒れる。
村に静寂が戻った。
「ありがとうございました!」
村人たちが頭を下げる。
ミアは笑顔で応じた。
「皆さんが無事でよかったです」
だが、レナは村の外へ続く足跡を見つめていた。
「……終わってない」
「え?」
ミアが振り返る。
「魔物は村を狙ったんじゃない」
レナは地面に残る足跡を指した。
「何かから逃げて、ここへ流れてきたのよ」
アレンが頷く。
「俺もそう思う」
レナが彼を見る。
「やっぱり?」
「ああ」
「なら、原因を調べる必要があるわね」
「どこを?」
「山の奥。古い洞窟がある」
ミアが不安そうに尋ねた。
「行くんですか?」
「ええ。原因が分からないままじゃ、また村が襲われる」
アレンが立ち上がった。
「行くか」
レナが驚いて振り返る。
「あなたたちも来るの?」
「ああ」
「依頼だから?」
「それもある」
アレンは山の奥を見た。
「気になる」
レナはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……そう。じゃあ、お願いするわ」
三人は再び山へ向かった。
村を出ると、背後から村人たちの声が聞こえた。
「本当に助かった!」
「レナさん、また頼むぞ!」
レナは振り返らなかった。
振り返れば、足が止まってしまいそうだった。
村人たちの顔には、安堵が浮かんでいる。
けれど、その奥には隠しきれない恐怖もあった。
今回、村を守れたのは偶然に近い。
もしアレンたちがいなければ。
もし魔物の数がもう少し多ければ。
もし、次に襲ってくるものが今回と同じとは限らなければ。
レナは槍を握り直した。
自分は村を守るために戻ってきた。
それなのに、結局はアレンの力に頼った。
もちろん、彼の助けを恥じているわけではない。
一人で全てを守れる人間などいない。
それは、過去に仲間を失ったあの日から、何度も自分に言い聞かせてきたことだった。
それでも。
「もっと早く気づけていれば」
レナは小さく呟いた。
「何か言った?」
ミアが隣から尋ねる。
「……何でもないわ」
レナは前を向いた。
自分はまだ足りない。
敵を倒す力だけではなく、異変を見抜く力も。
仲間を動かす判断力も。
そして、守るべき人々を安心させるだけの強さも。
村を守るためには、もっと知らなければならない。
もっと強くならなければならない。
だからこそ、洞窟へ行く。
危険があると分かっていても、原因を放置するわけにはいかなかった。
「レナさん」
今度はミアが声をかけた。
「怖くないんですか?」
「怖いわよ」
レナは正直に答えた。
ミアが少し驚いた顔をする。
「怖いんですか?」
「ええ。怖くないように見える?」
「……少し」
「そう見せてるだけよ」
レナは苦笑した。
「怖がっている暇がないだけ」
ミアはしばらく黙っていた。
やがて、杖を握る手に力を込める。
「私も、怖いです」
「そうでしょうね」
「でも、村の人たちを置いていくのは嫌です」
ミアは背後の村を振り返った。
「私、まだ治癒魔法も十分じゃありません。戦うことだって、アレンさんやレナさんみたいにはできない」
「比べる必要はないわ」
「分かってます。でも……」
ミアは自分の手を見つめた。
村人の傷を癒やしたとき、淡い光は確かに傷口を塞いだ。
けれど、もし重傷者がいたら。
もし自分の魔力が足りなかったら。
もし、誰かが目の前で倒れたら。
そのとき、自分は何もできないのではないか。
そんな不安が、胸の奥に残っていた。
「できることを増やしたいんです」
ミアは顔を上げた。
「怖くても、逃げるだけにはなりたくない」
レナはミアを見た。
まだ幼さの残る顔だった。
それでも、その目には確かな意志がある。
「……そう」
レナは短く答えた。
「なら、できることを一つずつ増やせばいいわ」
「はい」
「無理に前へ出なくていい。あなたが後ろにいるから、私たちは前で戦える」
ミアは目を瞬いた。
「それって……役に立ってるってことですか?」
「ええ。十分に」
ミアの表情が少しだけ和らいだ。
その会話を、アレンは少し前から聞いていた。
だが、口を挟まなかった。
彼には、レナやミアの不安が完全には理解できない。
危険があるなら進む。
敵がいるなら斬る。
それで大抵のことは片づいてきた。
長い間、そうやって生きてきた。
誰かを守るために迷ったことも。
自分の力が足りないと悩んだことも。
もう、遠い昔のことだった。
けれど、村を出てからの二人の様子を見ていると、胸の奥に奇妙な感覚が生まれていた。
レナは何度も後ろを振り返る。
ミアは杖を握ったまま、村の方角を気にしている。
二人とも不安を抱えている。
それでも歩いている。
アレンには、それが少し不思議だった。
不安があるなら、なぜ進むのか。
危険だと分かっているなら、なぜ戻らないのか。
考えているうちに、アレンは自分の足元へ視線を落とした。
自分も同じだった。
洞窟の奥に何がいるのかは分からない。
魔物を追い払った存在が、どれほどのものかも分からない。
それでも、気になるから進む。
村が再び襲われる可能性を残したまま、立ち去る気にはなれなかった。
それは依頼のためだけではない。
ミアが村人を心配しているからでも。
レナが一人で背負おうとしているからでもある。
アレンは、いつの間にか二人の隣を歩いていた。
一人なら、もっと速く進める。
一人なら、誰かの不安を気にする必要もない。
それでも今は、二人と歩く速度を合わせている。
「……変わったな」
アレンは誰にも聞こえない声で呟いた。
「何がですか?」
ミアが振り返る。
「いや」
アレンは首を横に振った。
「何でもない」
レナが前方を見たまま、静かに言った。
「洞窟はもう近いわ」
三人は足を止めなかった。
洞窟の入口は、山の斜面に隠れるように口を開けていた。
中から冷たい風が吹き出している。
ミアが身震いした。
「寒いですね……」
「地下水があるのかもしれない」
レナが槍を構えた。
洞窟の暗闇を見つめる。
怖くないわけではない。
この先に何がいるのか分からない。
村を襲った魔物たちが逃げ出した理由も。
その原因が、どれほど危険なものなのかも。
それでも、ここで引き返すわけにはいかなかった。
「私が先頭を行く。アレンは後ろをお願い」
「ああ」
「ミアは中央に」
「はい」
ミアは一度だけ村の方角を振り返った。
もう、村の姿は木々に隠れて見えない。
それでも、あの場所には自分たちを待つ人々がいる。
だから、戻らなければならない。
そのために、今は進む。
アレンは剣の柄に手を添えた。
レナは槍を握り直した。
ミアは杖を胸元で構えた。
三人は洞窟へ入った。
しばらく進むと、レナが手を上げた。
全員が足を止める。
「前にいる」
アレンが低く告げた。
「何体?」
「七」
レナは槍を握り直した。
「私が引きつける。アレンは隙を突いて」
「分かった」
「危ないですよ」
ミアが心配そうに言う。
レナは振り返り、笑った。
「アレンがいるから大丈夫」
魔物が暗闇から姿を現した。
レナが先に踏み込む。
槍が一体の胸を貫き、続く一撃が二体目の顎を跳ね上げた。だが、横手から別の魔物が飛び込んでくる。
「アレン、右!」
「分かった」
剣閃が走り、魔物が崩れ落ちる。
「左!」
アレンが身を翻す。
迫った魔物の爪をかわし、首を斬り落とした。
「後ろ!」
ミアの声に反応し、アレンが振り向く。
同時に、ミアの杖から放たれた光が魔物の動きを鈍らせた。
アレンの剣が、その隙を断ち切る。
「助かりました!」
「まだいる!」
レナが叫び、槍で正面の魔物を押し返す。
アレンが横から回り込み、レナの死角にいた一体を斬る。
最後の魔物がミアへ向かって跳んだ。
レナの槍がその進路を逸らし、アレンの一撃がとどめを刺した。
魔物の身体が地面に落ちる。
洞窟に、荒い息だけが残った。
「……終わった」
ミアが息を吐く。
レナは槍を下ろし、アレンを見た。
「不思議ね」
「何が?」
「あなたと戦っていると、一人で戦っているように見えるのに、ちゃんと私たちの動きを見ている」
「そうか?」
「ええ」
レナは小さく笑った。
「悪くないわね」
アレンは答えず、洞窟の奥へ視線を向けた。
「……まだ奥にいる」
「何が?」
「分からない」
レナが槍を構え直す。
「なら、行きましょう」
ミアが頷く。
「はい」
レナが先頭に立ち、ミアが続く。アレンは最後尾から二人を見守った。
三人の足音が、暗い洞窟の奥へ消えていく。
その先で、三人は知ることになる。
大量の魔物が逃げ出した理由を。
そして、アレンさえ知らないものを。




