怖い
マリスと別れてから、数日が経った。
次の港町へ向かうため、西へ向かって歩く三人。
街道は次第に人の少ない道へ変わり、やがて深い森へ入っていく。
木々の間から差し込む陽光が、地面に細長い影を落としていた。
「……静かですね」
ミアが周囲を見回す。
「ああ」
アレンが答える。
その少し前を、レナが歩いていた。
槍を肩に担ぎ、時折足を止めて周囲を確認している。
「レナさん」
「何?」
「さっきから、ずっと周りを見てません?」
「そう?」
「はい」
レナは少し考えた。
「……なんとなく、気になるのよ」
「魔物ですか?」
「分からない」
アレンが前方を見る。
「魔物の気配はない」
「なら、大丈夫ですね」
「たぶんな」
「アレンさんまで……」
ミアが苦笑する。
レナも小さく笑った。
「まあ、何もなければそれでいいわ」
その直後だった。
森の奥から、かすかな風が吹いた。
明らかに先ほどまでと違う。
季節のものとは思えないほど、ひどく冷たい風だった。
レナが足を止める。
「……向こうからだ」
木々の向こう。
岩壁に囲まれた場所に、黒い石造りの建物が見えていた。
「遺跡?」
ミアが目を細める。
「ああ」
アレンが答えた。
遺跡の入口には、巨大な扉がある。
その中央には、黒紫色の紋章が刻まれていた。
ミアが近づく。
「これ……」
地の遺跡で見たものとは違う。
もっと暗い。
光を吸い込むような紋様だった。
「闇の力に関係してるのかしら」
レナが呟く。
アレンは紋章を見つめていた。
「間違いない」
「分かるの?」
「ああ」
「五千年前にも見た?」
「似たものをな」
レナが振り返る。
「じゃあ、ここも昔からあったのね」
「少なくともな」
アレンは扉へ歩み寄った。
その手を伸ばす。
しかし。
扉に触れる前に、黒紫色の光が走った。
――ゴゴゴゴゴ……。
地面が震える。
巨大な扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。
その奥は、完全な暗闇だった。
「……怖いですね」
ミアが小さく呟く。
「そうね」
レナが槍を握り直す。
アレンは暗闇を見つめた。
「行くか」
「はい」
「ええ」
三人は遺跡の中へ入った。
中は、外から想像していた以上に広かった。
壁には無数の黒い紋様が刻まれている。
火を灯す場所もない。
それなのに、足元だけはかすかに見える。
闇そのものが、道を照らしているようだった。
「……不思議」
ミアが壁を見る。
「怖いはずなのに、嫌な感じはしないです」
「闇だからといって、悪いものとは限らない」
アレンの返答にレナが反応した。
「どういうこと?」
アレンが前を歩く。
「闇はただの闇だ。そこに善悪というものは存在しない」
「アレンさん、そういうこと言うんですね」
「何が?」
「ちょっと賢そうです」
「……」
レナが笑った。
「ミア、それ本人に言う?」
「だって本当ですから」
「次の飯はお前野菜だけな」
「鬼がいました……」
アレンに突きつけられた絶望にミアは肩を落とした。
三人はさらに奥へ進む。
やがて。
巨大な広間へ出た。
天井は見えない。
床は黒い石でできている。
そして中央には――
一つの黒い結晶が浮かんでいた。
黒紫色の光が、ゆっくりと明滅している。
「……綺麗」
ミアが呟いた。
レナは結晶を見つめる。
胸の奥が、わずかにざわついた。
「これが……闇の原初?」
「間違いないだろう」
アレンが答える。
「近づいてみよう」
三人が結晶へ近づいた。
その瞬間。
黒い光が一気に広がった。
「っ!」
ミアが目を閉じる。
レナが槍を構える。
アレンが二人の前へ出る。
しかし。
何も起こらない。
光が消える。
その代わり。
広間の奥に、巨大な影が立っていた。
「……誰?」
ミアが身構える。
影がゆっくりとこちらを向く。
人の姿をしている。
黒い鎧。
長い槍。
顔は見えない。
だが、その身体から感じる魔力は凄まじかった。
「我は、闇を守る者」
低い声が響く。
「この力を望む者よ」
影の視線がレナへ向いた。
「前へ出よ」
レナは一歩前へ出る。
アレンが隣に立とうと同じく前へ出た。
「お前は不要だ。継承はこの女だけが権利を持つ」
「そうか」
アレンは素直に下がる。
影が続ける。
「だが、試練において力を貸すことは許す」
「なら、俺もいる」
「私もいます」
ミアも一歩前へ出た。
影がミアを見る。
「お前は?」
「レナさんの仲間です」
少しだけ間を置いて。
「だから、一緒にいます」
影はしばらく三人を見つめた。
「……よかろう」
その瞬間。
広間の床に、黒い紋様が広がった。
「始めよう」
床から無数の黒い影が立ち上がった。
人の形。
獣の形。
魔物の形。
数えきれないほどの影が三人を取り囲む。
「来る!」
レナが槍を構える。
最初の影が飛びかかる。
レナが槍で受け流す。
横から二体。
アレンが一瞬で間に入る。
剣が閃いた。
二体の影が消える。
「後ろ!」
ミアが叫ぶ。
レナが振り返る。
槍の石突きで影を打ち倒す。
「助かった!」
「はい!」
影は次々と現れる。
アレンが前を切り開き、レナが左右を抑える。
ミアは後方から二人を支える。
大きな傷を負えば、すぐに治癒魔法を使う。
それでも。
影の数は減らない。
「きりがない!」
レナが叫ぶ。
「倒す必要はない」
アレンが答える。
「試練だからな」
「じゃあ、何をすればいいの?」
「ミアの時を思い出せ」
「そう言う事ね!」
レナが影を突き飛ばす。
その瞬間。
影の一体がレナの背後へ回った。
「レナさん!」
ミアが叫ぶ。
レナが振り向く。
間に合わない。
だが。
アレンの剣が影を切り裂いた。
「……助かった」
「ああ」
「私がもっと早く気づいていれば」
「気にするな」
「でも」
レナが悔しそうに唇を噛む。
その瞬間。
影の姿が変わった。
一人の人間。
レナが知っている顔だった。
「……!」
レナの表情が固まる。
「どうした?」
アレンが聞く。
「……昔の仲間」
影は、かつてレナと共に戦った仲間の姿をしていた。
『レナ……』
影が呼ぶ。
『どうして助けてくれなかったの?』
レナの手が震える。
「……」
『どうして私たちを守れなかったの?』
槍を握る手に力が入る。
「違う」
『何が違うの?』
「私は……」
言葉が出ない。
影は笑う。
『あなたは、守れなかった』
『だから今度も、誰も守れない』
レナが槍を構える。
「黙って」
影が迫る。
レナは槍を振った。
影が消える。
だが。
別の影が現れた。
村人。
商人。
旅の途中で出会った人々。
そして。
ミア。
アレン。
二人の姿まで現れた。
「……!」
ミアの姿をした影がレナの前に立つ。
『レナさん……』
アレンの姿をした影がレナの前に立つ。
『……お前は誰も助けられない』
「やめて……」
レナの呼吸が乱れる。
「私は……」
槍が震える。
アレンが隣に立つ。
「レナ」
「……何?」
「これは試練だ」
「分かってる」
「なら、折れるな」
「……」
「今まで見てきたものを思い出せ」
レナがアレンを見る。
「俺たちは、ここにいる」
「……」
「まだ死んでいない」
ミアもレナの隣へ立った。
「私もいます」
「ミア……」
「私、勝手に死んだりしません」
ミアは少しだけ笑った。
「だから、今は目の前を見てください」
レナは二人を見る。
そうだ。
そこにいる。生きている。
自分と一緒に立っている。
それだけで。
胸の奥に張りついていたものが、ほんの少しだけ剥がれた。
「……そうね」
レナは槍を握り直した。
「私が守る」
影が笑う。
『私たちを見殺しにしたのに?』
「ええ」
レナが踏み込む。
「守れなかったことを、なかったことにはできない」
槍が影を貫く。
「失った人を、取り戻すこともできない」
もう一体。
「でも」
さらに一体。
「だからって、これから守れる人まで諦める理由にはならない!」
槍が黒い影を吹き飛ばした。
影が崩れる。
広間が静かになった。
しかし。
中央に立つ影だけは消えなかった。
「……それが、お前の答えか」
レナは槍を構えた。
「ええ」
「真実か?」
「ええ」
「では問おう」
影が姿を変える。
アレン。
孤独で。
一人で剣を握っている。
「この男にお前は必要か?」
レナの顔が強張る。
「……」
「お前の存在は足を引っ張っている」
「それでどうやって守る?」
レナは何も言えなかった。
それは事実だった。
どれほど守っても。
すべてを守れるわけではない。
アレンも。ミアも。自分自身も。
全てを守れる保証など無い。
「それでも」
レナが口を開く。
「私は、一緒にいたい」
影が黙る。
「失うのが怖い」
レナの声が震える。
「ずっと怖かった」
槍を握る。
「また誰かを失うのが」
「また、自分の力が足りないと思うのが」
「また、守れなかった自分を責めるのが」
レナは涙を拭った。
「でも」
まっすぐに影を見る。
「怖いからって、最初から一人になることを選ぶのは違う」
アレンが静かにレナを見る。
「守れないかもしれない」
「助けられないかもしれない」
「それでも」
レナは一歩前へ出る。
「私は、誰かと一緒に歩くことを選ぶ」
「その人たちが大切だから」
「失いたくないから」
「……それでも、前へ進む」
影が消えた。
広間に静寂が戻る。
中央の黒い結晶が、ゆっくりと輝き始めた。
「……試練は終わりだ」
低い声が響いた。
「お前は闇を恐れた」
「それでも闇から目を逸らさなかった」
黒紫色の光が、レナを包み込む。
「それでいい」
「闇とは、恐怖そのものではない」
「見えないものを抱えたまま、それでも歩く力だ」
レナの身体が光に包まれる。
「お前は失うことを恐れている」
「その恐れを捨てる必要はない」
「恐れを抱いたまま、それでも守る道を進め」
黒紫色の光が強くなる。
「それが――」
「闇の力を受け継ぐ者だ」
「……っ!」
レナが胸元を押さえる。
冷たい。
なのに、どこか温かい。
闇の力が身体の奥へ流れ込んでくる。
視界が暗くなる。
音が遠ざかる。
そして――。
レナは、自分の中に広がる巨大な闇を感じた。
そこには何もない。
ただ、不思議な光景が浮かび上がっていた。
まるで、この先に起きるであろう出来事が流れ込んでくるようだった。
「レナ!」
アレンが支える。
「大丈夫か?」
「……頭が痛い」
「無理するな」
「違う」
レナはゆっくりと顔を上げる。
「今、見えた」
「何が?」
「少し先」
「未来か?」
「……たぶん」
ミアが驚いた顔をする。
「未来が見えたんですか?」
「ほんの少しだけ」
レナは自分の目に触れる。
アレンはレナの瞳を見つめる。
あまりの真っ直ぐな視線にレナは目を逸らした。
「使えるのか?」
「まだ無理」
「なら、今は気にするな」
レナは目を閉じる。
もう一度開く。
何も見えない。
「……分かった」
黒紫色の光は消えている。
だが。
確かに宿った。
闇の原初。
そして、その力と共に芽生えた――
原初の魔眼の、始まり。
「レナさん!」
ミアが駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「怪我は?」
「ないわ」
「よかった……」
ミアが胸を撫で下ろす。
「継承できたんですね」
「ああ」
アレンが答える。
ミアは嬉しそうに笑った。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
レナは自分の手を見る。
そこには、黒紫色の紋章が浮かんでいる。
「……私が、闇の力を」
「似合ってますよ」
ミアが笑う。
「そう?」
「はい」
レナも少し笑った。
そして。
ふとアレンを見る。
「アレン」
「なんだ?」
「さっき言ったわね」
「何を?」
「私たちは、まだここにいるって」
「ああ」
「……ありがとう」
アレンは少しだけ目を細めた。
「別に大した事じゃ無い」
「そういうところよ」
ミアが笑う。
「アレンさんらしいです」
三人は遺跡を後にした。
夕暮れの森。
レナは歩きながら、何度か目を閉じた。
まだ未来は見えない。
意識しても、何も起こらない。
自由に使えるわけでもない。
頭痛もする。
それでも。
レナは思った。
未来が見えるから、強くなったわけじゃない。
未来が見えなくても。
怖くても。
失うことを恐れていても。
それでも誰かと歩くことを選んだ。
その覚悟を認められたからこそ。
闇は、自分に力を託したのだ。
レナは前を歩くアレンを見る。
その隣にはミアがいる。
「……ねえ、アレン」
「なんだ?」
「これからも、旅を続けるのよね?」
「ああ」
「なら」
レナは少しだけ笑った。
「未来がどうなるか、少しくらい見てみたいわね」
「無理するなよ」
「分かってる」
「ならいい」
「……本当にそれだけ?」
「ああ」
ミアが笑う。
「いつものアレンさんですね」
三人の笑い声が、夕暮れの森に小さく響いた。
そして。
その瞳の奥で。
黒紫色の光が、一瞬だけ揺れた。
まだほんのわずかな未来しか見えない。
けれど――
レナの旅は、ここから少しずつ変わっていく。
見えなかった未来へ。
自分の足で進むために。




