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19/21

怖い


マリスと別れてから、数日が経った。

次の港町へ向かうため、西へ向かって歩く三人。

街道は次第に人の少ない道へ変わり、やがて深い森へ入っていく。

木々の間から差し込む陽光が、地面に細長い影を落としていた。


「……静かですね」


ミアが周囲を見回す。


「ああ」


アレンが答える。

その少し前を、レナが歩いていた。

槍を肩に担ぎ、時折足を止めて周囲を確認している。


「レナさん」

「何?」

「さっきから、ずっと周りを見てません?」

「そう?」

「はい」


レナは少し考えた。


「……なんとなく、気になるのよ」

「魔物ですか?」

「分からない」

 アレンが前方を見る。


「魔物の気配はない」

「なら、大丈夫ですね」

「たぶんな」

「アレンさんまで……」


ミアが苦笑する。

レナも小さく笑った。


「まあ、何もなければそれでいいわ」


その直後だった。

森の奥から、かすかな風が吹いた。

明らかに先ほどまでと違う。

季節のものとは思えないほど、ひどく冷たい風だった。


レナが足を止める。


「……向こうからだ」


木々の向こう。

岩壁に囲まれた場所に、黒い石造りの建物が見えていた。


「遺跡?」


ミアが目を細める。


「ああ」


アレンが答えた。

遺跡の入口には、巨大な扉がある。

その中央には、黒紫色の紋章が刻まれていた。


ミアが近づく。


「これ……」


地の遺跡で見たものとは違う。

もっと暗い。

光を吸い込むような紋様だった。


「闇の力に関係してるのかしら」


レナが呟く。

アレンは紋章を見つめていた。


「間違いない」

「分かるの?」

「ああ」

「五千年前にも見た?」

「似たものをな」


レナが振り返る。


「じゃあ、ここも昔からあったのね」

「少なくともな」


アレンは扉へ歩み寄った。

その手を伸ばす。


しかし。

扉に触れる前に、黒紫色の光が走った。


――ゴゴゴゴゴ……。


地面が震える。

巨大な扉が、ゆっくりと左右へ開いていく。

その奥は、完全な暗闇だった。


「……怖いですね」


ミアが小さく呟く。


「そうね」


レナが槍を握り直す。

アレンは暗闇を見つめた。


「行くか」

「はい」

「ええ」


三人は遺跡の中へ入った。





中は、外から想像していた以上に広かった。

壁には無数の黒い紋様が刻まれている。


火を灯す場所もない。

それなのに、足元だけはかすかに見える。

闇そのものが、道を照らしているようだった。


「……不思議」


ミアが壁を見る。


「怖いはずなのに、嫌な感じはしないです」

「闇だからといって、悪いものとは限らない」


アレンの返答にレナが反応した。


「どういうこと?」


 アレンが前を歩く。


「闇はただの闇だ。そこに善悪というものは存在しない」

「アレンさん、そういうこと言うんですね」

「何が?」

「ちょっと賢そうです」

「……」


レナが笑った。


「ミア、それ本人に言う?」

「だって本当ですから」


「次の飯はお前野菜だけな」

「鬼がいました……」


アレンに突きつけられた絶望にミアは肩を落とした。



三人はさらに奥へ進む。

やがて。

巨大な広間へ出た。


天井は見えない。

床は黒い石でできている。

そして中央には――


一つの黒い結晶が浮かんでいた。

黒紫色の光が、ゆっくりと明滅している。


「……綺麗」


ミアが呟いた。

レナは結晶を見つめる。

胸の奥が、わずかにざわついた。


「これが……闇の原初?」

「間違いないだろう」


アレンが答える。


「近づいてみよう」


三人が結晶へ近づいた。

その瞬間。

黒い光が一気に広がった。


「っ!」


ミアが目を閉じる。

レナが槍を構える。

アレンが二人の前へ出る。


しかし。

何も起こらない。


光が消える。

その代わり。

広間の奥に、巨大な影が立っていた。


「……誰?」


ミアが身構える。

影がゆっくりとこちらを向く。


人の姿をしている。

黒い鎧。

長い槍。

顔は見えない。


だが、その身体から感じる魔力は凄まじかった。


「我は、闇を守る者」


低い声が響く。


「この力を望む者よ」


影の視線がレナへ向いた。


「前へ出よ」


レナは一歩前へ出る。

アレンが隣に立とうと同じく前へ出た。


「お前は不要だ。継承はこの女だけが権利を持つ」

「そうか」


アレンは素直に下がる。

影が続ける。


「だが、試練において力を貸すことは許す」

「なら、俺もいる」

「私もいます」


ミアも一歩前へ出た。

影がミアを見る。


「お前は?」

「レナさんの仲間です」


少しだけ間を置いて。


「だから、一緒にいます」


影はしばらく三人を見つめた。


「……よかろう」


その瞬間。

広間の床に、黒い紋様が広がった。


「始めよう」






床から無数の黒い影が立ち上がった。

人の形。

獣の形。

魔物の形。


数えきれないほどの影が三人を取り囲む。


「来る!」


レナが槍を構える。

最初の影が飛びかかる。

レナが槍で受け流す。


横から二体。

アレンが一瞬で間に入る。

剣が閃いた。

二体の影が消える。


「後ろ!」


ミアが叫ぶ。

レナが振り返る。

槍の石突きで影を打ち倒す。


「助かった!」

「はい!」


影は次々と現れる。

アレンが前を切り開き、レナが左右を抑える。

ミアは後方から二人を支える。


大きな傷を負えば、すぐに治癒魔法を使う。

それでも。

影の数は減らない。


「きりがない!」


レナが叫ぶ。


「倒す必要はない」


アレンが答える。


「試練だからな」

「じゃあ、何をすればいいの?」

「ミアの時を思い出せ」

「そう言う事ね!」


レナが影を突き飛ばす。

その瞬間。

影の一体がレナの背後へ回った。


「レナさん!」


ミアが叫ぶ。

レナが振り向く。

間に合わない。


だが。

アレンの剣が影を切り裂いた。


「……助かった」

「ああ」

「私がもっと早く気づいていれば」

「気にするな」

「でも」


レナが悔しそうに唇を噛む。

その瞬間。


影の姿が変わった。

一人の人間。

レナが知っている顔だった。


「……!」


レナの表情が固まる。


「どうした?」


アレンが聞く。


「……昔の仲間」


影は、かつてレナと共に戦った仲間の姿をしていた。


『レナ……』


影が呼ぶ。


『どうして助けてくれなかったの?』


レナの手が震える。


「……」

『どうして私たちを守れなかったの?』


槍を握る手に力が入る。


「違う」

『何が違うの?』

「私は……」


言葉が出ない。

影は笑う。


『あなたは、守れなかった』

『だから今度も、誰も守れない』


レナが槍を構える。


「黙って」


影が迫る。

レナは槍を振った。

影が消える。


だが。

別の影が現れた。


村人。

商人。

旅の途中で出会った人々。


そして。

ミア。

アレン。

二人の姿まで現れた。


「……!」


ミアの姿をした影がレナの前に立つ。


『レナさん……』


アレンの姿をした影がレナの前に立つ。


『……お前は誰も助けられない』

「やめて……」


レナの呼吸が乱れる。


「私は……」


槍が震える。

アレンが隣に立つ。


「レナ」

「……何?」

「これは試練だ」


「分かってる」

「なら、折れるな」


「……」

「今まで見てきたものを思い出せ」


レナがアレンを見る。


「俺たちは、ここにいる」

「……」

「まだ死んでいない」


ミアもレナの隣へ立った。


「私もいます」

「ミア……」

「私、勝手に死んだりしません」


ミアは少しだけ笑った。


「だから、今は目の前を見てください」


レナは二人を見る。

そうだ。

そこにいる。生きている。

自分と一緒に立っている。


それだけで。

胸の奥に張りついていたものが、ほんの少しだけ剥がれた。


「……そうね」


レナは槍を握り直した。


「私が守る」


影が笑う。


『私たちを見殺しにしたのに?』


「ええ」


レナが踏み込む。


「守れなかったことを、なかったことにはできない」


槍が影を貫く。


「失った人を、取り戻すこともできない」


もう一体。


「でも」


さらに一体。


「だからって、これから守れる人まで諦める理由にはならない!」


槍が黒い影を吹き飛ばした。

影が崩れる。


広間が静かになった。

しかし。

中央に立つ影だけは消えなかった。


「……それが、お前の答えか」


レナは槍を構えた。


「ええ」

「真実か?」

「ええ」

「では問おう」


影が姿を変える。


アレン。

孤独で。

一人で剣を握っている。


「この男にお前は必要か?」


レナの顔が強張る。


「……」

「お前の存在は足を引っ張っている」

「それでどうやって守る?」


レナは何も言えなかった。

それは事実だった。


どれほど守っても。

すべてを守れるわけではない。


アレンも。ミアも。自分自身も。


全てを守れる保証など無い。


「それでも」


レナが口を開く。


「私は、一緒にいたい」


影が黙る。


「失うのが怖い」


レナの声が震える。


「ずっと怖かった」


槍を握る。


「また誰かを失うのが」

「また、自分の力が足りないと思うのが」

「また、守れなかった自分を責めるのが」


レナは涙を拭った。


「でも」


まっすぐに影を見る。


「怖いからって、最初から一人になることを選ぶのは違う」


アレンが静かにレナを見る。


「守れないかもしれない」

「助けられないかもしれない」

「それでも」


レナは一歩前へ出る。


「私は、誰かと一緒に歩くことを選ぶ」

「その人たちが大切だから」

「失いたくないから」

「……それでも、前へ進む」


影が消えた。

広間に静寂が戻る。

中央の黒い結晶が、ゆっくりと輝き始めた。


「……試練は終わりだ」


低い声が響いた。


「お前は闇を恐れた」

「それでも闇から目を逸らさなかった」


黒紫色の光が、レナを包み込む。


「それでいい」

「闇とは、恐怖そのものではない」

「見えないものを抱えたまま、それでも歩く力だ」


レナの身体が光に包まれる。


「お前は失うことを恐れている」

「その恐れを捨てる必要はない」

「恐れを抱いたまま、それでも守る道を進め」


黒紫色の光が強くなる。


「それが――」

「闇の力を受け継ぐ者だ」


「……っ!」


レナが胸元を押さえる。

冷たい。

なのに、どこか温かい。


闇の力が身体の奥へ流れ込んでくる。

視界が暗くなる。

音が遠ざかる。


そして――。

レナは、自分の中に広がる巨大な闇を感じた。


そこには何もない。

ただ、不思議な光景が浮かび上がっていた。

まるで、この先に起きるであろう出来事が流れ込んでくるようだった。


「レナ!」


アレンが支える。


「大丈夫か?」

「……頭が痛い」

「無理するな」

「違う」


レナはゆっくりと顔を上げる。


「今、見えた」

「何が?」

「少し先」

「未来か?」

「……たぶん」


ミアが驚いた顔をする。


「未来が見えたんですか?」

「ほんの少しだけ」


レナは自分の目に触れる。

アレンはレナの瞳を見つめる。

あまりの真っ直ぐな視線にレナは目を逸らした。


「使えるのか?」

「まだ無理」

「なら、今は気にするな」


レナは目を閉じる。

もう一度開く。

何も見えない。


「……分かった」


黒紫色の光は消えている。

だが。

確かに宿った。


闇の原初。

そして、その力と共に芽生えた――

原初の魔眼の、始まり。




「レナさん!」


ミアが駆け寄る。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫」

「怪我は?」

「ないわ」

「よかった……」


ミアが胸を撫で下ろす。


「継承できたんですね」

「ああ」


アレンが答える。

ミアは嬉しそうに笑った。


「おめでとうございます」

「ありがとう」


レナは自分の手を見る。

そこには、黒紫色の紋章が浮かんでいる。


「……私が、闇の力を」

「似合ってますよ」


ミアが笑う。


「そう?」

「はい」


レナも少し笑った。

そして。

ふとアレンを見る。


「アレン」

「なんだ?」

「さっき言ったわね」


「何を?」

「私たちは、まだここにいるって」

「ああ」

「……ありがとう」


 アレンは少しだけ目を細めた。


「別に大した事じゃ無い」

「そういうところよ」


ミアが笑う。


「アレンさんらしいです」


三人は遺跡を後にした。

夕暮れの森。

レナは歩きながら、何度か目を閉じた。


まだ未来は見えない。

意識しても、何も起こらない。


自由に使えるわけでもない。

頭痛もする。


それでも。

レナは思った。


未来が見えるから、強くなったわけじゃない。

未来が見えなくても。

怖くても。

失うことを恐れていても。


それでも誰かと歩くことを選んだ。

その覚悟を認められたからこそ。


闇は、自分に力を託したのだ。

レナは前を歩くアレンを見る。

その隣にはミアがいる。


「……ねえ、アレン」

「なんだ?」

「これからも、旅を続けるのよね?」


「ああ」

「なら」


レナは少しだけ笑った。


「未来がどうなるか、少しくらい見てみたいわね」

「無理するなよ」

「分かってる」


「ならいい」

「……本当にそれだけ?」

「ああ」


ミアが笑う。


「いつものアレンさんですね」


三人の笑い声が、夕暮れの森に小さく響いた。

そして。

その瞳の奥で。


黒紫色の光が、一瞬だけ揺れた。


まだほんのわずかな未来しか見えない。

けれど――

レナの旅は、ここから少しずつ変わっていく。


見えなかった未来へ。

自分の足で進むために。

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