疲れました
遺跡を朝方出発して、町へ戻った頃にはすでに日が傾き始めていた。
西の空が赤く染まり、街道を歩く四人の影が長く伸びている。
ミアは大きく伸びをした。
「……疲れました」
「そうね」
レナも肩を回す。
「さすがに今日は疲れたわ」
マリスは少し離れた場所を歩きながら、手にした古い紙を眺めていた。
「私はまだ調べたいことがあるけど」
「宿に着いてからにしろ」
アレンが言う。
「分かってるわ」
マリスは紙を畳んだ。
「でも、あの遺跡の文字は気になる」
「そうですね」
ミアも頷く。
「……」
アレンは答えなかった。
ミアが横顔を見る。
「聞かない方がいいですか?」
「今はな」
「分かりました」
ミアは素直に引いた。
レナが少しだけ笑う。
「聞き分けがいいわね」
「だって、アレンさんが話したくないことなら無理に聞きたくないですから」
「そう」
マリスが後ろから口を挟んだ。
「私は聞きたいけど」
「お前は聞きすぎだ」
「研究者として当然よ」
「研究者って大変ですね」
「ええ。知りたいことが増えるから」
「……」
アレンは三人の会話を聞きながら歩いていた。
遺跡での戦いが嘘のようだった。
昨日の今は地面が崩れ、岩が飛び、自分と戦っていた。
けれど今は。
宿を探すこと。
食事をすること。
明日の予定を決めること。
そんなことしか考えていない。
五千年前には、こんな時間はなかった。
アレンはそんなことを考えながら、町の門をくぐった。
冒険者ギルドへ入ると、受付嬢がすぐに四人に気づいた。
「あ、お帰りなさい!」
彼女は席を立った。
「アレンさんはウルフの討伐依頼と
マリスさんはその大元の大型魔物と思われる存在についての調査依頼ですよね?」
「ああ」
アレンが依頼書をカウンターへ置く。
「報告する」
「はい!」
受付嬢は書類を取り出した。
「ウルフと大型魔物について、何か分かりましたか?」
「原因は遺跡にあった」
レナが答える。
「遺跡内部に特殊な魔物がいたわ」
「特殊な魔物?」
「ああ」
アレンが続ける。
「かなり強い」
「被害は?」
「ない」
「……四人とも無傷ですか?」
「少し怪我しましたけど、ミアが治しました」
レナが言う。
ミアが笑う。
「軽傷です」
受付嬢は少し驚いた顔をした。
「分かりました。では、遺跡について分かったことを記録します」
書類にペンを走らせる。
「古代文字が残っていたことと、地下に特殊な魔物がいたこと。そして、魔物の異常行動は遺跡と関連している可能性が高い、と」
「ああ」
「遺跡そのものは?」
「内部は確認した」
アレンが答える。
「危険はなくなったと見ていい」
「分かりました」
受付嬢は深く頷いた。
「今回の依頼、正式に完了として処理します」
報酬の入った袋がカウンターへ置かれた。
ミアが覗き込む。
「結構ありますね」
「危険度が高かったので、追加報酬も出ています」
「やった」
ミアが嬉しそうに笑う。
レナも袋を見る。
「これなら、しばらく宿代には困らないわね」
マリスは興味がなさそうだった。
「古代文字の資料は?」
「え?」
「遺跡についての資料。ギルドに残ってる?」
「少しなら」
「見せてもらえる?」
「もちろんです」
マリスは受付嬢についていった。
レナがその背中を見送る。
「本当に遺跡が好きなのね」
「そうみたいですね」
「ミアは?」
「私は……」
ミアが報酬袋を見る。
「美味しいものを食べたいです」
レナが吹き出した。
「分かりやすいわね」
「だって、遺跡の中ずっと緊張してたんですよ?」
「それはそうね」
アレンは報酬袋を受け取った。
「飯にするか」「はい!」
ミアの返事だけが妙に早かった。
その日の夕食は、宿の近くにある小さな食堂で取ることになった。
店内には仕事帰りの客が多く、酒の匂いと料理の香りが混ざっている。
「何にします?」
ミアがメニューを眺める。
「肉」
アレンが即答した。
「またですか?」
「肉があるなら肉がいいに決まってる」
「魚もありますよ」
「肉」
「……じゃあ、私は魚にします」
レナが笑う。
「私はスープとパンでいいわ」
ミアに無理矢理連れて来られたマリスはメニューを見ながら首を傾げた。
「この料理、何?」
「知らない」
アレンが答える。
「食べたことない?」
「ああ」
「珍しいわね」
「俺だって全部知ってるわけじゃない」
「そう」
マリスは料理を注文した。
やがて料理が運ばれてくる。
肉。
魚。
スープ。
そして、よく分からない煮込み料理。
「いただきます!」
ミアが嬉しそうに手を合わせる。
三人も食事を始めた。
しばらくは、誰も遺跡の話をしなかった。
「この魚、美味しいです」
「そう」
「レナさん、少し食べます?」
「いいの?」
「はい」
「じゃあ、一口だけ」
ミアが魚を分ける。
レナが食べる。
「美味しい」
「ですよね」
「アレンは?」
「肉がある」
「聞いてないです」
「そうか」
ミアが笑う。
マリスも煮込み料理を食べながら、少しだけ口元を緩めた。
「……これ、悪くないわね」
「何ですか?」
「この料理」
「よかったですね」
「ええ」
遺跡の話もしない。
五千年前の話もしない。
ただ。
今日の料理が美味しいとか。
明日は何をするかとか。
次の町まで何日かかるかとか。
そんな話だけをする。
アレンは箸代わりの木製の道具を使いながら、三人の会話を聞いていた。
どうでもいい話だった。
昔なら、そう思っていた。
けれど今は。
その時間が嫌ではなかった。
翌朝。
宿を出る前に、ミアが買い物へ行きたいと言い出した。
「新しい薬草袋が欲しいんです」
「今のは?」
「昨日、破れました」
アレンがミアの腰を見る。
確かに、袋の端が裂けている。
「縫えばまだ使えるぞ?」
「そんな芸当出来るわけありません。出来るなら自分で修復してます」
「何なの君?」
「私も少し見たいものがある」
レナが言う。
「何を?」
「槍の手入れ道具」
マリスも続けた。
「私は紙」
「紙?」
「古代文字を書き写したい」
「……」
アレンは三人を見る。
「アレンさんは何か欲しいものあります?」
ミアが聞く。
「ない」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、荷物持ちですね」
「……そうなるのか」
四人で町を歩いた。
ミアは薬草袋を選び。
レナは槍の手入れ道具を買い。
マリスは大量の紙を買った。
アレンは三人の荷物を持った。
「重くないですか?」
「軽い」
「結構ありますよ?」
「この程度なら大した事ない」
「……」
マリスがアレンを見る。
「あなた、本当に力があるのね」
「普通だ」
「普通じゃないと思う」
レナが横から笑った。
「私もそう思うわ」
「そうか」
アレンは荷物を持ったまま歩く。
ミアが笑う。
「もう諦めた方がいいですよ」
「何を?」
「アレンさんが普通だって言うこと」
「……そうか」
四人の笑い声が、町の通りに響いた。
その日の午後。
四人は宿へ向かった。
四人部屋しか空いてない事もあり、素直に鍵を受け取る。
依頼はない。
急ぐ必要もない。
だから、珍しく全員がそれぞれ好きなことをしていた。
レナは武器の手入れ。
ミアは薬草の整理。
マリスは古代文字の書き写し。
アレンは窓際の椅子に座って街の様子を眺めていた。
何もしていない。
ただ外を見ている。
町の人々が歩いている。
子供が走っている。
店の主人が客を呼んでいる。
馬車が通り過ぎる。
平和な光景だった。
「……」
アレンはぼんやりとそれを眺める。
ミアがふと顔を上げた。
「アレンさん」
「なんだ」
「昔は、どんなところに住んでたんですか?」
アレンの視線が止まった。
「昔?」
「はい」
ミアは薬草を整理しながら言った。
「アレンさんって、いろんな場所を知ってますよね」
レナも手を止めた。
マリスも紙から顔を上げる。
「確かに」
レナが言う。
「古い文字も読めるし、昔の遺跡にも詳しい」
「それに」
マリスが続ける。
「私以上に知識があるように思える」
アレンは少し黙った。
「……小さな村だ」
「村?」
「ああ」
「どんな村ですか?」
アレンは窓の外を見る。
町の喧騒が、少し遠く聞こえた。
「小さい村だった」
それだけ言った。
ミアが笑う。
「それだけじゃ分かりませんよ」
アレンはしばらく黙っていた。
そして。
「……そうだな」
遠い記憶を辿るように、目を細める。
五千年前。
自分がまだ、ただの少年だった頃。
その村には。
魔王も。
勇者も。
世界の命運も。
何もなかった。
ありふれた、日常だった。




