幕間 孤月ってどんな技?
遺跡の中で野営をして翌朝。
四人は、街へ戻る街道を歩いていた。
昨日までの戦いが嘘のように、空は晴れている。
鳥の声が聞こえる。
風が草原を撫でている。
ミアは歩きながら、何度もアレンを見ていた。
昨日の遺跡の中での戦い。
五千年前のアレンと戦った、あの影。
そして。
その戦いの中で、アレンが口にした言葉。
孤月。
どうしても気になっていた。
「……アレンさん」
「なんだ?」
「昨日の技」
「技?」
「孤月って言ってましたよね」
「ああ」
「どんな技なんですか?」
アレンは少し考えた。
「一人で戦うための剣だ」
「それは聞きました」
「そうか」
「そうじゃなくて」
ミアが少し困った顔をする。
「具体的に、どんな技なのかなって」
レナも興味を持ったらしい。
「私も気になるわ」
「そうか」
アレンは前を歩きながら答えた。
「見たいか?」
「はい」
「私も」
レナが頷く。
少し離れた場所を歩いていたマリスも、こちらへ視線を向けた。
「私も見てみたいわ」
「……分かった」
アレンは街道の脇へ視線を向けた。
「少し広い場所がある」
三人もついていく。
街道から少し離れた草原。
周囲には低い木々があるだけで、視界を遮るものはない。
アレンは中央へ歩いていくと、腰の剣を抜いた。
刃が朝の光を受けて輝く。
「まず」
アレンは剣を低く構えた。
右手を腰の近くまで下げる。
切っ先は地面へ向けられている。
身体も正面を向いていない。
右肩を少し引き、左足を前に出している。
「相手に攻撃させる」
レナが首を傾げた。
「待つの?」
「ああ」
「それだけ?」
「最初はな」
アレンは構えたまま動かない。
静かだった。
風が吹く。
草が揺れる。
ミアは思わず息を止めた。
ただ立っているだけなのに。
アレンの周囲だけ、空気が違って見える。
「……私がやってみようか?」
レナが槍を手に取る。
「ああ」
「本気で?」
「軽くでいい」
「分かった」
レナは数歩離れた。
槍を構える。
「行くわよ」
「ああ」
レナが踏み込んだ。
槍が一直線に突き出される。
軽くとはいえ、その速さは折り紙つきだ。
だが。
アレンは動かなかった。
槍の穂先が胸へ届く、その直前まで。
そして。
半歩。
アレンの右足が、斜め右後ろへ滑った。
身体が槍の正面から外れる。
穂先が、胸のあった場所を通り過ぎる。
さらにアレンは、
右足を着いた瞬間。
今度は左足を踏み込む。
レナの槍の外側へ。
槍の穂先が進んでいく方向とは逆側。
つまり、レナの腕の外へ身体を滑り込ませる。
レナから見れば、アレンの姿が視界の端へ消えていく。
「……!」
その瞬間。
アレンの右手が動いた。
腰の近く。
低く構えていた剣が、下から上へ走る。
ただの斬り上げではない。
最初はアレン自身の右側。
地面に近い低い位置から始まり。
そこから左上へ。
レナの脇腹。
胸元。
首元。
その前を通過するように、刃が大きな弧を描く。
――シュッ!
刃の軌道は、完全な直線ではない。
アレンの身体の回転とともに、緩やかな円弧を描いている。
下から始まった刃が、相手の身体の前を斜めに横切りながら上へ抜ける。
そして。
刃が首元の高さへ達した瞬間。
アレンはさらに一歩、前へ踏み込んだ。
斬撃の勢いを殺さない。
剣を途中で止めない。
身体ごとレナの横を通り抜ける。
最後には、刃がアレンの左肩より後ろへ抜けた。
その頃には。
アレンはすでにレナの背後にいた。
剣先は斜め上。
身体はレナと同じ方向を向いている。
そして。
振り返らない。
数歩進んでから、アレンが足を止めた。
静寂。
レナがゆっくりと槍を下ろした。
「……」
ミアは目を丸くしている。
「今の……」
「これが孤月だ」
アレンが答えた。
レナは自分の身体を見る。
もちろん、刃は当たっていない。
だが。
もし実戦だったなら。
槍を突き出した勢いのまま、首元を斬られていた。
「避けてから斬ったんじゃないのね」
レナが言った。
「ああ」
「避ける動きの途中から、もう斬撃が始まってる」
「その通りだ」
「しかも、斬ったあとに止まらない」
レナがアレンの背中を見る。
「そのまま相手の横を抜けて、背後まで行く」
「そうだ」
マリスが静かに口を開いた。
「最初の半歩が重要なのね」
アレンが振り返る。
「よく分かったな」
「ただ横へ避けているわけじゃない」
マリスが続ける。
「相手の攻撃線から外れながら、次の一歩で相手の外側へ入るための位置を取っている」
「ああ」
「だから、相手が攻撃を終えたときには、すでにこちらの斬撃が始まっている」
「そういうことだ」
マリスはアレンの足元を見る。
「そして最後は、斬撃だけで敵を倒すんじゃない。身体ごと敵の横を抜ける」
「ああ」
「だから背後に出られる」
アレンは頷いた。
「剣だけを振っても、孤月にはならない」
「……なるほど」
レナが腕を組む。
「つまり、避ける、踏み込む、斬る、抜ける。この四つが一つの動きなのね」
「そうだ」
「途中で止まったら?」
「失敗だ」
「なるほどね」
レナはもう一度、アレンの動きを思い返す。
半歩。
外側。
踏み込み。
下から上へ。
弧を描き、通り抜ける。
そして背後。
「月っていうのは、あの斬撃の軌道?」
レナが尋ねた。
アレンは少し考えた。
「それもある」
「それも?」
「ああ」
アレンは剣を見た。
「斬撃の軌道が、三日月に見える」
低い位置から始まり。
敵の身体の前を弧を描いて通り。
最後には高い位置へ抜ける。
「だから孤月だ」
ミアが小さく呟く。
「……綺麗ですね」
「でも」
レナが槍を見た。
「複数相手には使いにくそう」
アレンは頷いた。
「その通りだ」
「やっぱり」
「孤月は一対一を前提にしている」
アレンは剣を軽く振った。
「相手が一人なら、攻撃を避ける」
半歩。
「外側へ入る」
一歩。
「斬る」
剣が下から上へ走る。
「そのまま抜ける」
アレンが身体を半回転させる。
「そして背後へ出る」
剣が止まった。
「相手が一人なら、これで終わる」
「でも、二人目がいたら?」
「背後へ回った瞬間、もう一人の攻撃を受ける」
「三人なら?」
「さらに難しい」
レナは腕を組んだ。
「つまり、強いけど条件が厳しい技なのね」
「そうだ」
「どうしてそんな技を?」
レナの問いに。
アレンは少しだけ黙った。
「……前は、それで十分だったからだ」
ミアが首を傾げる。
「十分?」
「ああ」
「どうして?」
「一人で戦っていたからな」
短い言葉だった。
それだけ。
けれど、三人は何も言わなかった。
アレンは再び剣を構えた。
「もう一度やる」
「え?」
ミアが目を瞬く。
「今度は、誰か一人が攻撃して、もう一人が邪魔してみろ」
「邪魔?」
「ああ」
レナが笑った。
「なるほど。孤月の弱点を試すのね」
「そうだ」
「じゃあ私が攻撃する」
レナが槍を構える。
ミアは少し離れたところへ立った。
「私はどうすれば?」
「俺の動きを見て、横から近づいてくれ」
「攻撃するんですか?」
「任せる」
「分かりました」
レナが踏み込む。
槍が突き出される。
アレンは先ほどと同じように半歩ずれる。
右足が斜め後ろへ。
槍が身体の横を通り過ぎる。
次の一歩。
左足がレナの外側へ入る。
ここまでは、同じ。
アレンの剣が低く構えられる。
そして。
「アレンさん!」
ミアが横から近づいた。
アレンの足が止まる。
ほんの一瞬。
それだけだった。
だが。
孤月の軌道は、そこで途切れた。
刃を振れば、ミアへ背中を向けることになる。
そのまま抜ければ、ミアのいる方向へ踏み込むことになる。
孤月は、次の敵を考えていない。
アレンは剣を振らず、後ろへ下がった。
レナも槍を止める。
「……なるほど」
レナが頷いた。
「二人目がいるだけで、完成しない」
「ああ」
「相手の背後へ抜けることを前提にしているから、そこを塞がれると使えない」
「そうだ」
ミアが少し考える。
「じゃあ、昨日の影と戦ったときも……」
「ああ」
アレンは剣を鞘へ戻した。
「あいつは孤月を知っていた」
「五千年前のアレンさんだから?」
「そうだ」
「だから、同じ技で戦っても勝てなかったんですね」
「ああ」
ミアは昨日の戦いを思い出した。
二人の剣は、まるで鏡だった。
どちらも相手の動きを知っていた。
どちらも同じ技を使えた。
だから。
一人では、決着がつかなかった。
「でも」
ミアが言う。
「昨日は、私たちがいた」
「ああ」
「だから勝てた」
アレンは答えなかった。
代わりに、少しだけ空を見上げた。
朝の空に、月はもう見えない。
「……そうだな」
レナがアレンを見る。
「孤月って、月が一人で浮かんでいるように見えるから?」
アレンは少し考えた。
「昔、そう思った」
「昔?」
「ああ」
「五千年前?」
「そうだ」
レナは黙った。
ミアが小さく笑う。
「じゃあ、名前も五千年前につけたんですね」
「ああ」
「アレンさんが?」
「そうだ」
マリスが口を挟んだ。
「ずいぶん詩的なのね」
「そうか?」
「ええ」
マリスは空を見上げる。
「一人で戦うための技に、孤月なんて名前をつけるくらいだから」
「……」
アレンは何も言わなかった。
ただ。
剣の柄へ手を置いた。
「もう一つ」
ミアが言った。
「何だ?」
「私たちにも使えますか?」
「無理だ」
「即答……」
ミアが頬を膨らませる。
「どうしてですか?」
「剣技だからな」
「剣を使えば?」
「君は杖以外使えないだろ」
「……」
ミアは杖を見る。
「レナさんは?」
「槍だ」
「マリスさんは?」
「弓」
「……」
ミアが少し考える。
「じゃあ、私たちは孤月を使えないんですね」
「ああ」
アレンはそう答えた。
けれど。
少しだけ考えてから。
「ただ」
「ただ?」
「同じ考え方なら、別の形にはできるかもしれない」
三人がアレンを見る。
「攻撃を避ける」
アレンが言う。
「相手の動きを利用する」
「そして、自分の攻撃へ繋げる」
レナが頷く。
「なるほど」
「武器が違えば、形も変わる」
マリスが静かに言った。
「つまり、孤月そのものではなく、その本質を使う」
「ああ」
アレンは頷いた。
ミアが笑った。
「なんだか、少し楽しみですね」
「何がだ?」
「いつか私たちにも、そういう技ができるかもしれないじゃないですか」
「……そうだな」
アレンは剣を鞘へ戻した。
そのとき。
ミアがふと尋ねた。
「アレンさん」
「なんだ?」
「五千年前も、こうやって一人で技の練習をしてたんですか?」
アレンの足が止まった。
「……ああ」
「ずっと?」
「ああ」
「一人で?」
「ああ」
ミアは少しだけ黙った。
レナも何も言わない。
マリスだけが、アレンをじっと見ていた。
けれど、誰もそれ以上は聞かなかった。
アレンは街道へ戻る。
三人も後を追う。
歩きながら、アレンは一度だけ振り返った。
さっきまで立っていた草原。
そこには、もう誰もいない。
五千年前。
同じように一人で剣を振っていた。
何度も。
何度も。
誰かに見せるためでもなく。
誰かに教えるためでもなく。
ただ、生き残るために。
その技に。
孤月という名前をつけた。
けれど今。
その技を見せた場所には、三人がいた。
ミア。
レナ。
マリス。
アレンは前を向いた。
「……行くか」
「はい」
「ええ」
「そうね」
三人の返事が返ってくる。
四人の足音が、街道に重なった。
孤月は、一人で戦うための剣だった。
五千年前のアレンには、それで十分だった。
けれど今。
その技を語るために振り返ったとき。
アレンは、一人ではなかった。




