孤月
扉の向こうは、静かだった。
四人が中へ入った瞬間。
背後で、重い音が響いた。
――ゴゴゴゴゴ。
石の門がゆっくりと閉じていく。
「……閉じた?」
ミアが振り返る。
そこには、もう入口はなかった。
ただ、巨大な石壁があるだけだった。
レナが近づき、扉のあった場所を確認する。
「隙間もないわね」
マリスも壁へ手を触れる。
「魔法で閉じられたみたい」
「開けられるか?」
アレンが尋ねる。
「今は無理」
「そうか」
「随分あっさりしてるわね」
「開かないなら、先へ行くしかない」
「……合理的ね」
マリスが小さく呟いた。
アレンは気にせず、奥へ進んだ。
三人もアレンに続いた。
通路は長かった。
壁には古い文字が刻まれている。
ところどころ崩れているため、すべてを読むことはできない。
マリスが立ち止まった。
「この文字……かなり古いわ」
「読めるか?」
「一部だけ」
マリスは指先で文字をなぞる。
「でも、今まで見てきた古代文字とは少し違う」
アレンも壁を見る。
「……そうだな」
「アレンでも分からない?」
「全部はな」
マリスは少しだけ意外そうな顔をした。
だが、それ以上は聞かなかった。
四人は再び歩き始める。
やがて。
通路の先に、大きな部屋が現れた。
中央には、古びた石の台座がある。
その上には何も置かれていない。
「何もないですね」
ミアが首を傾げる。
「ああ」
アレンは台座へ近づいた。
そして。
手を置いた。
――カチ。
小さな音がした。
直後。
部屋全体に青白い光が灯った。
「――!」
レナが槍を構える。
「待て」
アレンが制した。
攻撃ではない。
台座の上に、淡い光が集まっていく。
それは一人の少年の姿になった。
黒い髪。
粗末な旅装。
腰には一本の剣。
年齢は、今のアレンより少し若く見える。
少年は何も言わない。
ただ、剣を抜いた。
目の前に現れた魔物へ向かって踏み込む。
一閃。
魔物が倒れる。
次の魔物。
また一閃。
倒れる。
さらに一体。
また一体。
少年は一人だった。
誰も隣にいない。
誰も背中を守らない。
誰にも指示を出さない。
ただ、自分だけの力で敵を斬り続けている。
「……」
アレンの足が止まった。
胸の奥に、古い感覚が蘇る。
血の匂い。
乾いた風。
焼けた大地。
そして。
自分の手に握られた剣。
あの頃は、それが普通だった。
敵がいた。
だから斬る。
危険がある。
関係なく自分で処理する。
誰かに頼るという発想そのものがなかった。
映像の中の少年が、最後の一体へ向かって踏み込む。
そして。
剣が一瞬だけ光った。
次の瞬間。
魔物が崩れ落ちる。
そこで映像は消えた。
部屋に静寂が戻った。
ミアがアレンを見る。
「……今の」
アレンはしばらく答えなかった。
やがて。
「俺だ」
三人がアレンを見る。
「あの時の俺だ」
それ以上は語らなかった。
部屋の奥を調べてみると大きな石の扉があった。
その中央には、剣を象ったような紋様が刻まれている。
アレンが近づく。
右手が熱を持った。
「……」
アレンは右手を握る。
「どうしたの?」
ミアが尋ねる。
「前にもあった」
「あの洞窟で?」
「ああ」
レナが扉を見る。
「この場所と、あの洞窟には何か関係があるのかしら」
「分からない」
アレンが答える。
だが。
その瞬間だった。
扉に刻まれていた文字が、淡く光り始める。
形が変わっていく。
アレンの目が細くなる。
「……」
「読める?」
マリスが尋ねた。
アレンは答えなかった。
その文字を知っていた。
「……そんなはずはない」
小さな声だった。
レナがアレンを見る。
だが、何も聞かなかった。
アレンは扉へ手を伸ばす。
触れた瞬間。
――ゴォン。
巨大な音が響いた。
石の扉が開いていく。
その向こうから、冷たい風が吹いてきた。
さらに先へ進むと巨大な空間が広がっていた。
天井は見えない。
床は黒い石で覆われている。
そして。
その中央に、一人の男が立っていた。
黒い外套。
腰に剣。
黒い髪。
顔立ち。
アレンと同じだった。
「……え?」
ミアが息を呑む。
レナが槍を構える。
マリスは弓へ手を伸ばした。
男が顔を上げる。
「……久しぶりだな」
声まで同じだった。
アレンの目が細くなる。
「お前は何だ」
「分からないか?」
男が剣を抜く。
「なら、思い出させてやる」
アレンも剣を抜いた。
金属音が響いた。
「全員下がれ」
アレンが言う。
「アレンさん」
「大丈夫だ」
レナが少し迷ったあと、槍を構えたまま後ろへ下がる。
「危なくなったら入るわ」
「ああ」
マリスも一歩下がった。
「観察しておく」
「頼む」
ミアだけが不安そうにアレンを見る。
「無理しないでください」
「分かってる」
男が笑った。
「随分と変わったな」
「……」
アレンが剣を構える。
「来い」
男が一瞬で間合いを詰めて来た。
アレンも踏み込む。
――ガキンッ!
二本の剣がぶつかった。
互いの剣が弾かれる。
同時に距離を取る。
アレンが斬る。
男が避ける。
男が斬る。
アレンが受ける。
右。
左。
踏み込み。
後退。
剣が交差する。
また離れる。
「……」
ミアが息を呑む。
「同じ……」
レナも目を細める。
「足の動きまで同じね」
マリスは黙って二人を見ていた。
剣の角度。
間合い。
重心。
攻撃のタイミング。
すべてが酷似している。
いや。
同じなのだ。
男が突きを放つ。
アレンは身体を傾ける。
そのまま横薙ぎ。
男が受ける。
アレンが一歩下がる。
男も一歩下がる。
まるで鏡だった。
どちらも相手の次の動きを知っている。
なぜなら。
相手は自分自身だからだ。
戦いは長く続いた。
どれほどの時間が経過したのか。
未だに決着がつかない。
アレンが攻撃すれば、男は先に動く。
男が攻撃すれば、アレンはその軌道を読む。
フェイントも。
誘いも。
足運びも。
すべて知っている。
男が剣を振る。
アレンが受ける。
アレンが返す。
男が受ける。
同じことが何度も繰り返される。
やがて。
男が口を開いた。
「……弱くなったな」
アレンの剣が止まる。
「五千年前のお前の方が強かった」
男が踏み込む。
剣がアレンの肩をかすめた。
黒い外套が裂ける。
「アレンさん!」
ミアが叫ぶ。
「大丈夫だ」
アレンが答える。
男が笑う。
「今のお前は遅い」
「……そうかもしれない」
アレンは否定しなかった。
確かに。
五千年前の自分は、今より速かった。
強かった。
迷いもなかった。
あの頃は。
一人で戦えばよかった。
自分が傷ついても、自分の問題だった。
誰かの動きを待つ必要もない。
誰かの命を守りながら戦う必要もない。
最短の動き。
最速の一撃。
それだけを求めればよかった。
男が再び踏み込む。
アレンが受ける。
力が押し込まれる。
剣が震える。
男の動きは完璧だった。
それは。
勇者だった昔の自分だから。
アレンは一度、距離を取った。
荒い息を吐く。
視線の先には、五千年前の自分。
その姿を見て。
ふと。
あの頃の記憶が浮かんだ。
荒野と月明かり。
周囲には無数の魔物。
そしてその中心には自分一人。
少年だったアレンは、剣を握っていた。
誰もいない。誰も助けに来ない。
だから。
自分が斬る。
自分が進む。
自分が終わらせる。
それが当たり前だった。
少年が踏み込む。
月明かりが剣を照らす。
一閃。
魔物が倒れる。
その剣は。
あまりにも静かだった。
まるで。
夜空に浮かぶ月が、ただそこにあるように。
アレンの記憶の奥から。
一つの言葉が浮かんだ。
「……孤月」
アレンが呟いた。
男の動きが止まる。
「思い出したか」
「ああ」
アレンは剣を構える。
「俺が使っていた剣技だ」
「そうだ」
男が笑う。
「なら、使ってみろ」
男が踏み込む。
アレンも踏み込んだ。
二本の剣がぶつかる。
男が同じ技を放つ。
アレンも同じ技で迎え撃つ。
――孤月。
二つの斬撃が交差する。
火花が散った。
男が押し込む。
アレンが受ける。
力では敵わない。
速度でも敵わない。
技も同じ。
なら。
どうする。
アレンは一瞬だけ、後ろを見る。
ミア。
レナ。
マリス。
三人がいる。
五千年前には。
いなかった。
「アレン!」
レナの声が響く。
「右!」
アレンが反応する。
男の剣が右から迫る。
アレンが受ける。
「今!」
レナが槍を突き出した。
男が後ろへ跳ぶ。
「……!」
ほんの一瞬。
男の動きが止まった。
ミアが地面へ手をつく。
「アレンさん!」
大地が隆起する。
男の足元が崩れた。
「――っ!」
男が体勢を崩す。
アレンが踏み込む。
だが。
マリスの声が飛んだ。
「左!」
アレンが身体を傾ける。
男の剣が頬をかすめる。
直後。
マリスが放った風が、アレンの背中を押した。
ほんの一瞬。
身体が軽くなる。
アレンはそのまま踏み込んだ。
男が剣を構える。
アレンは。
そこで初めて。
五千年前には存在しなかった動きを選んだ。
男の正面へ行かない。
右でもない。
左でもない。
ミアが作った足場。
レナが作った隙。
マリスが生んだ風。
そのすべてを繋げる。
一人なら。
絶対に選ばない軌道だった。
アレンの身体が、男の視界から消える。
「――!」
男が振り向く。
遅い。
アレンの剣が走った。
男の胸を斬り裂く。
光が溢れた。
「……俺の知らない剣だ……」
男が呟く。
アレンは剣を下ろした。
「そうだ」
「なぜ……」
男の身体に亀裂が走る。
「五千年前の俺には、できなかった」
アレンが答えた。
「今の俺だからできる」
男がアレンを見る。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
「……変わったのだな」
男の身体が光へ変わっていく。
「それが……五千年ということか」
最後の言葉とともに。
男は消えた。
静寂が戻った。
アレンは剣を下ろしたまま、しばらく動かなかった。
「……終わった?」
ミアが尋ねる。
「ああ」
アレンが答える。
その瞬間。
右手が淡く光った。
「……!」
アレンが手を見る。
身体の奥へ。
何かが流れ込んでくる。
記憶。
感覚。
剣を握る角度。
足を踏み込む位置。
呼吸。
そして。
一つの剣技。
アレンは目を閉じた。
「……思い出した」
「何を?」
ミアが近づく。
「剣技だ」
アレンは右手を握った。
「五千年前に使っていた技を、忘れていた」
レナが尋ねる。
「今の影が戻してくれたの?」
「ああ」
マリスが静かに口を開く。
「じゃあ、あの影はあなたの記憶を持っていた?」
「たぶん」
「なるほど」
マリスはそれ以上、追及しなかった。
アレンは剣を見る。
力そのものが戻ったわけではない。
魔力が増えたわけでもない。
ただ。
昔の自分が使っていた剣技を、一つ思い出した。
「……孤月」
アレンが、その名前を口にする。
ミアが首を傾げる。
「それが技の名前ですか?」
「ああ」
「どんな技なんですか?」
アレンは少し考えた。
「一人で戦うための剣だ」
レナが黙ってアレンを見る。
アレンは続けた。
「五千年前の俺には、それしかなかった」
ミアが小さく息を吐く。
「……今は?」
「……」
アレンは答えなかった。
ただ。
さっきの戦いを思い出す。
レナが隙を作った。
ミアが足場を作った。
マリスの風が背中を押した。
その結果。
五千年前の自分にはできなかった一撃が生まれた。
「今は……」
アレンは三人を見る。
「少し違うのかもしれないな」
ミアが微笑む。
「そうですね」
レナは槍を肩に担いだ。
「少なくとも、さっきの動きは一人じゃできなかったわ」
マリスも静かに頷いた。
「理屈としては、そうね」
アレンは何も言わなかった。
ただ。
ほんの少しだけ。
剣を握る手の力が抜けた。
部屋の奥で。
新たな扉が開いた。
その向こうには、さらに深い通路が続いている。
壁には古い文字が刻まれていた。
アレンが目を向ける。
「……失われし力を求める者よ」
ミアが耳を傾ける。
「何て書いてあるんですか?」
「世界を巡れ」
「世界を……?」
レナが眉を寄せる。
アレンは黙っていた。
五千年前。
自分は、力を失ったのだと思っていた。
魔王を封じるために。
すべてを使い果たしたのだと。
けれど。
もし違うのなら。
自分の力は。
どこかに残っている。
そして。
それを探すためには。
世界を巡らなければならない。
「……行くか」
アレンが言った。
「はい」
ミアが答える。
「そうね」
レナも頷く。
マリスは壁の文字をもう一度見た。
「私も、この先に何があるのか気になる」
アレンは歩き出した。
三人も続く。
誰も。
まだ仲間だとは言わない。
誰も。
アレンの過去をすべて知っているわけではない。
ただ。
同じ道を進んでいる。
それだけだった。
最後尾を歩きながら。
アレンは右手を見た。
もう、光は消えている。
それでも。
胸の奥には、確かに残っていた。
五千年前の剣。
孤月。
それは。
一人で戦うための剣だった。
けれど。
今日。
その剣を思い出したとき。
アレンは、一人ではなかった。
それが。
ほんの少しだけ。
悪くないと思えた。




