あなた、何者?
海を越えた船が、ゆっくりと港へ入っていく。
甲板から見える街並みは、ルーヴェンとは少し違っていた。
高い石造りの建物。
白い壁に青い屋根。
港には大小さまざまな船が並び、行き交う人々の姿も多い。
人間だけではない。
獣の耳を持つ者。
小柄な身体の者。
長い耳を持つエルフの姿も見える。
「……本当に、隣の国なんですね」
ミアが甲板から街を眺めながら呟いた。
「国境を越えただけで、こんなに違うんですね」
「港町だから、余計にそう見えるのかもね」
レナが答える。
アレンは二人の少し後ろで、黙って街を眺めていた。
昔来た時とは違う街。
知らない建物。
知らない船。
知らない人々。
それでも、潮の匂いだけは変わらない。
「アレンさん?」
「なんだ?」
「降りないんですか?」
「今降りる」
アレンは短く答え、二人とともに船を降りた。
港を出ると、すぐに大きな通りへ出た。
道の両側には店が並び、商人たちが声を上げている。
見慣れない文字が書かれた看板も多い。
「読めます?」
ミアが看板を指差してアレンに確認する。
「ああ」
「全部?」
「だいたい」
「……すごいですね」
レナが横から口を挟む。
「あなた、本当にどれだけの場所を旅してきたの?」
「いろいろだ」
「また曖昧」
ミアが笑った。
アレンは答えず、先へ進んだ。
しばらく歩くと、冒険者ギルドが見えてきた。
建物はルーヴェンのものより大きい。
入口をくぐった瞬間、三人は少しだけ足を止めた。
中にいる冒険者たちの雰囲気が違う。
装備が重い。
大剣を背負っている者。
全身鎧を着た者。
魔法使いらしい杖を持った者。
誰もが、これまで見てきた冒険者より一段上の雰囲気を持っていた。
「……なんだか、強そうな人が多いですね」
ミアが小声で言う。
「そうね」
レナも周囲を見る。
アレンは何も言わなかった。
ただ、入口から見える掲示板へ視線を向けた。
依頼書が並んでいる。
討伐。
護衛。
採取。
遺跡調査。
その中に、魔物討伐の依頼がいくつもあった。
ミアが一枚を手に取る。
「街道に出る魔物の討伐……」
依頼書を読む。
「推奨ランク、B……」
「B?」
レナが眉を上げた。
「この辺りでは普通なのかしら」
アレンが依頼書を見る。
討伐対象は、グレートウルフ。
群れで街道を襲い、すでに商隊が二度被害を受けているらしい。
報告されている数は五体以上。
だが、正確な数は不明。
「これにしましょう」
ミアが言った。
レナがアレンを見る。
「どう思う?」
アレンは依頼書を読み直した。
「……強いな」
「え?」
ミアが目を丸くした。
アレンが魔物の強さを認めた。
それだけで、二人の表情が変わる。
「今までの魔物とは違う」
アレンは続けた。
「群れで動くなら、厄介だ」
レナが少し笑う。
「珍しいわね。あなたがそこまで警戒するなんて」
「警戒はする」
「一人で倒せる?」
「ああ」
即答だった。
ミアが呆れたように言う。
「じゃあ、さっきの話は何だったんですか?」
「強いから警戒するだけだ」
「……なるほど」
レナが腕を組む。
「でも、今回は三人で行きましょう」
「そうだな」
アレンも頷いた。
「そのつもりだ」
ミアが少しだけ驚いた顔をする。
以前なら、強敵と聞けばアレンが一人で前へ出ていた。
けれど今は違う。
三人で戦う。
それが自然なことになっていた。
街を出て、街道を東へ進む。
依頼書によれば、魔物が現れるのは街から半日ほど離れた森の近く。
三人は街道を歩きながら、周囲を警戒していた。
「アレン」
レナが呼ぶ。
「何だ?」
「どう?」
「気配は感じる」
アレンが足を止めた。
「何匹?」
「……八」
ミアが周囲を見る。
「見えませんけど……」
「まだ出てきていない」
レナが槍を構える。
「じゃあ、来る前に位置を取るわ」
レナが前へ出る。
「ミアは後ろ。私が正面を受ける」
「はい!」
アレンは二人の少し横へ移動した。
森の中から、低い唸り声が聞こえた。
一つ。
二つ。
三つ。
やがて木々の間から、巨大な狼が姿を現した。
通常のウルフより一回りどころか、二回り以上大きい。
灰色の毛並み。
鋭い牙。
そして、身体から淡い魔力の光が漏れている。
「……これが、グレートウルフ」
ミアが息を呑んだ。
「思ったより大きい……」
レナが槍を構える。
「来る!」
一匹が地面を蹴った。
速い。
レナが槍を横へ構える。
爪と槍がぶつかった。
「――っ!」
レナの身体が後ろへ滑る。
「重い!」
さらに二匹。
左右から同時に襲いかかる。
「レナさん!」
ミアが杖を掲げる。
地面が盛り上がり、岩の壁が二人の間に現れた。
グレートウルフの爪が岩を削る。
「今!」
アレンが踏み込んだ。
剣が閃く。
一匹の脚を斬り、動きを止める。
だが――
背後から別の個体が迫った。
「アレン、後ろ!」
レナの声。
アレンは振り返らない。
半歩だけ身体をずらす。
爪が外套を掠めた。
そのままアレンは剣を返し、魔物の首元へ刃を走らせる。
一匹が倒れた。
「……強いな」
アレンが呟く。
今まで戦ってきた魔物とは明らかに違う。
力も。
速度も。
連携も。
何より――
「魔力を使ってる」
アレンが言った。
グレートウルフの身体から漏れる魔力が、一瞬だけ強くなる。
「え?」
ミアが見る。
「魔法を使うんですか?」
「違う」
アレンは魔物の動きを見ながら答えた。
「身体に魔力を流している」
レナが槍を構え直す。
「つまり、強化してるってこと?」
「ああ」
グレートウルフたちが一斉に地面を蹴った。
「来る!」
レナが叫ぶ。
正面から二匹。
右から一匹。
左から二匹。
さらに後ろから三匹。
完全に囲まれた。
「ミア!」
「はい!」
地面から岩壁が立ち上がる。
後方から迫っていた三匹の進路を塞ぐ。
「レナ、右!」
「分かった!」
レナが槍を振る。
一匹の牙を弾き、続けて穂先を突き込む。
アレンは正面の二匹へ向かう。
剣と爪がぶつかる。
重い。
一撃ごとに、腕へ衝撃が伝わる。
アレンは眉を僅かに動かした。
「……本当に強くなってるな」
その瞬間だった。
グレートウルフの胸元に、淡い紫色の光が走った。
ほんの一瞬。
毛の隙間から、文字のような紋様が浮かび上がる。
「……!」
森の上から、誰かの声がした。
「――やっぱり」
次の瞬間。
一本の矢が飛んできた。
風を纏った矢が、グレートウルフの前脚を正確に撃ち抜く。
魔物が地面へ転がった。
致命傷ではない。
だが、立ち上がることもできない。
「……?」
レナが周囲を見渡す。
ミアは倒れたグレートウルフを見る。
「今の……わざと急所を外してる?」
「ええ」
木々の上から声が返ってきた。
「殺す必要はないから」
三人が一斉に上を見る。
木の枝に、一人の女性が立っていた。
淡い銀灰色の髪が、風もないのに静かに揺れている。
陽の光を受けた肌は白く、整った顔立ちには、長い年月を生きてきた者だけが持つ静かな落ち着きがあった。
細身の身体を包む衣服は、森の影に溶け込むような深緑色。
その背には、彼女の身長ほどもある長弓があった。
女性はゆっくりと枝から降りる。
風が足元を包み、落下の勢いを完全に殺した。
ほとんど音もなく地面へ着地する。
彼女は三人ではなく、倒れたグレートウルフへ歩み寄った。
しゃがみ込み、その身体へ手をかざす。
指先に、淡い緑色の光が集まった。
「……やっぱり」
女性が呟く。
グレートウルフの胸元に、先ほど浮かんだ紋様が再び現れた。
「この魔力……」
女性の表情がわずかに険しくなる。
アレンが尋ねた。
「何だ?」
女性が顔を上げる。
「あなた、これが見えるの?」
「少しな」
「そう」
女性は立ち上がった。
「なら話が早いわ」
レナが槍を下ろさないまま聞く。
「あなた、何者?」
「マリス」
女性は短く名乗った。
「エルフよ」
ミアが目を丸くする。
「やっぱり……」
「何か?」
「いえ、実際に見るのは初めてで……」
「そう」
マリスは特に気にした様子もなく答えた。
そして、再びグレートウルフへ視線を戻す。
「私は、この群れを追っていたの」
「討伐依頼?」
レナが尋ねる。
「ええ。ただし、あなたたちとは目的が違う」
マリスは立ち上がった。
「私はグレートウルフを追っていたわけじゃない」
森の奥を見る。
「この群れをまとめている、大型魔獣を探しているの」
レナが眉を寄せた。
「大型魔獣?」
「そう」
マリスは静かに続けた。
「この辺りで最近、グレートウルフの行動がおかしくなった」
「おかしい?」
ミアが聞き返す。
「普通なら、群れで狩りをするときも一定の範囲から離れない。でも、この群れは違う」
マリスは足元の土を指差した。
「街道へ何度も出てくる」
「……」
「しかも、全個体が同じ方向から来ている」
アレンが森の奥を見る。
「何かに誘導されている」
「その可能性が高い」
マリスは頷いた。
「私が追ってきた痕跡も、全部東へ向かっている」
アレンの視線が僅かに動いた。
「東……」
「ええ」
マリスは彼を見る。
「そして、さっきの紋様」
倒れているグレートウルフを指差す。
「普通の魔物が持つ魔力じゃない」
「古い魔法か?」
アレンが聞く。
「まだ断定はできない」
マリスは首を振る。
「でも、少なくとも最近生まれたものではないわ」
その言葉に、アレンの表情がわずかに変わった。
ほんの一瞬だった。
マリスはそれを見ていた。
だが、何も言わない。
そのとき――
森の奥から、低い咆哮が響いた。
空気が震える。
グレートウルフたちが、一斉に動きを止めた。
先ほどまでアレンたちへ襲いかかっていた魔物たちが、森の奥へ視線を向ける。
何かに怯えている。
「……来る」
アレンが言った。
マリスも同時に弓を構える。
「ええ」
レナが槍を握り直す。
「これが、その大型魔獣?」
「たぶんね」
ミアが杖を構える。
「私たちも戦います」
マリスがミアを見る。
「あなたたちの依頼は、グレートウルフでしょう?」
「はい」
「なら、無理に戦う必要はないわ」
ミアは首を横に振った。
「でも、あれがグレートウルフを街道へ追いやっているなら、倒さないと同じことが続きます」
レナも頷く。
「私たちの依頼とも無関係じゃない」
アレンが剣を抜いた。
「それに――」
森の奥を見る。
「強い奴がいるなら、放っておく理由もない」
マリスがアレンを見る。
「……あなた、本当に変な人ね」
「よく言われる」
「そう」
マリスは小さく息を吐き、弓を引いた。
風が集まっていく。
森の奥から、再び咆哮が響いた。
木々が大きく揺れる。
グレートウルフたちが一斉に道を開ける。
その奥から、大きな影が姿を現した。
グレートウルフより遥かに大きい。
四本の脚。
黒褐色の毛皮。
額から伸びる一本の角。
そして、身体を覆うように流れる濃い魔力。
魔物はゆっくりと歩きながら、こちらを睨んだ。
マリスが目を細める。
「……やっぱり、あいつ」
「知っているのか?」
レナが尋ねる。
「姿を見るのは初めて」
マリスは答えた。
「でも、痕跡はずっと追ってきた」
アレンが魔物を見る。
魔力の流れが異常だった。
強い。
だが、それだけではない。
魔物の身体の奥に、何か別の力が混ざっている。
「……強いな」
アレンが呟く。
レナが僅かに笑った。
「今度は私も、同じことを言おうかしら」
「必要ない」
アレンは剣を構えた。
「分かってる」
レナも槍を構える。
ミアが杖を掲げる。
大地が低く震える。
マリスは弓を引き絞った。
風が矢の周囲へ集まっていく。
「行くわよ!」
レナの声が響いた。
四人が同時に踏み込んだ。




