修学旅行編 最終話
「先に、自分たちの道を探してくれ……。」
その声が聞こえた瞬間。
五人が同時に振り向く。
「あ。」
「きりせん。」
桐谷先生だった。
腕を組み、じっとこちらを見ている。
怒っているようにも見える。
呆れているようにも見える。
何とも言えない表情だった。
遥菜が乾いた笑いを浮かべる。
「えへへ。」
「……。」
先生は何も言わない。
唯月が恐る恐る口を開く。
「先生、その……。」
「大道芸を見てたら……。」
「気付いたら……。」
「いなくなってました。」
「……。」
また沈黙。
先生は深く息を吸った。
「全員。」
「はい。」
「無事だな。」
「はい。」
「それでいい。」
五人は顔を見合わせる。
(怒られない……?)
ところが。
先生は次の瞬間、小さく笑った。
「いや、よくない。」
「先生、心臓止まるかと思った。」
「すみません!」
五人全員が頭を下げた。
「ちゃんと謝れるならいい。」
桐谷先生は少しだけ表情を緩める。
「ただな。」
「はい。」
「お前らを探して京都を歩き回ってたら。」
ポケットから一枚の紙を取り出す。
「これ。」
おみくじだった。
『最凶』
奏音が吹き出しそうになる。
音波も肩が震えている。
「笑うな。」
「すみません。」
「今日だけで外国人に道を聞かれるし。」
「鹿せんべい売ってる場所聞かれるし。」
「それ奈良です。」
琉生が思わずツッコむ。
「知ってる。」
先生は真顔だった。
「知ってるけど、向こうは京都と奈良を一緒だと思ってた。」
遥菜が笑い出す。
「先生、英語で答えたんですか?」
「……単語。」
「Deer。」
「Not Kyoto。」
「Nara。」
「以上。」
部屋中ならぬ、京都の路地に笑い声が響いた。
「通じました?」
唯月が聞く。
「通じた。」
「すごい。」
「ジェスチャーが八割。」
「なるほど。」
奏音が笑う。
「きりせんも英語話せるじゃん。」
「話せない。」
即答だった。
「お前ほどじゃない。」
先生は奏音を見る。
「さっきの英語。」
「普通に通じてたな。」
「ありがとうございます。」
少し照れくさそうに笑う奏音。
「助かった。」
その一言に、奏音は少し驚いた。
「え?」
「先生、遠くから見てた。」
「向こうの人、ちゃんと笑顔になってた。」
「案内してくれてありがとう。」
「……。」
奏音は少しだけ照れて笑う。
「どういたしまして。」
音波がぽつり。
「奏音、照れてる。」
「照れてない。」
「耳赤い。」
「赤くない。」
「赤い。」
「音波。」
「なに?」
「あとで覚えてて。」
「ごめん。」
「早い。」
遥菜が笑う。
その空気に、桐谷先生も思わず笑ってしまう。
「よし。」
先生はパン、と手を叩く。
「班別行動、再開。」
「でも。」
五人を見る。
「今度は寄り道禁止。」
「「はーい。」」
元気な返事。
……一秒後。
奏音が前を指差した。
「あ。」
「和菓子作り体験。」
音波も同時に。
「あ。」
「楽しそう。」
遥菜まで反応する。
「え、やりたい!」
唯月も看板を見る。
「予約制だって。」
琉生は静かに言った。
「寄り道禁止。」
四人。
「……。」
しょんぼり。
桐谷先生は満足そうに頷いた。
「よし。」
「今日は勝った。」
そう思った。
その五秒後だった。
「きりせーん!」
別のクラスの男子が全力で走ってくる。
「先生!」
「財布落としました!!」
「……。」
桐谷先生は静かに空を見上げた。
(最凶、まだ終わってなかった。)
その姿を見た五人は顔を見合わせる。
そして。
誰からともなく笑い始めた。
修学旅行最後の午後は、まだまだ終わりそうになかった。
班別自主研修を終え、生徒たちは集合場所へ戻ってきた。
「全員いるな。」
先生たちが人数を確認していく。
桐谷先生も名簿を見ながら、一人ずつ名前を呼んだ。
「遥菜。」
「はい!」
「唯月。」
「います。」
「琉生。」
「はい。」
「如月奏音。」
「はーい。」
「如月音波。」
「います。」
五人とも無事。
桐谷先生は小さく息を吐いた。
(やっと揃った……。)
「それじゃあ、バスへ。」
生徒たちが次々と乗り込んでいく。
窓際に座った遥菜は、まだ元気だった。
「楽しかったー!」
「抹茶ソフトまた食べたい!」
唯月も笑う。
「お土産、家族喜んでくれるかな。」
奏音はガラス細工の箱をそっとリュックへしまった。
「割れてない。」
音波も自分の箱を確認する。
「大丈夫。」
「よかった。」
バスがゆっくり動き出す。
窓の外では京都の街並みが少しずつ遠ざかっていく。
「ばいばい、京都。」
遥菜が小さく手を振った。
奏音も窓の外を見つめる。
「また来たいな。」
「うん。」
音波も頷く。
しばらくすると、バスの中は静かになっていった。
朝から歩き続けた疲れが、一気に押し寄せてくる。
遥菜が大きくあくびをする。
「……眠い。」
「寝れば。」
琉生が笑う。
「まだ寝な……。」
言い終わる前に。
コテン。
遥菜の頭が窓にもたれた。
「……。」
「寝た。」
唯月が苦笑する。
その十分後。
唯月も。
「……。」
こくり。
「唯月も寝た。」
琉生が小さく笑う。
さらに数分後。
音波も目を閉じる。
「……すぅ。」
奏音は隣を見る。
「寝ちゃった。」
妹の頭が少し揺れていた。
ガタン。
バスが小さく揺れる。
音波の頭が窓へ当たりそうになる。
その瞬間。
奏音は自分の肩を少し寄せた。
音波の頭が、こつんと肩へ乗る。
起きないように。
自然に。
音波は安心したように、そのまま眠り続けた。
琉生はその様子を横目で見て、小さく笑う。
(やっぱりこういうところは姉なんだな。)
奏音も窓の外を見る。
流れていく京都の景色。
寺。
川。
町並み。
ゆっくり遠ざかっていく。
「……。」
やがて奏音も眠気に負けた。
目を閉じる。
数秒後。
こくり。
その頭が反対側へ傾く。
琉生は少し驚いた。
「……。」
迷ったあと。
何も言わず、自分の肩を少しだけ寄せる。
奏音の頭が軽く肩へ触れる。
そのまま静かに眠った。
(起きたら怒られるかな。)
そんなことを考えながら、琉生は窓の外を見続けた。
前の席では、桐谷先生が振り返る。
「……。」
五人とも寝ている。
いや。
琉生だけ起きていた。
先生と目が合う。
桐谷先生は何も言わず、小さく親指を立てた。
「……。」
琉生は少し照れくさそうに苦笑した。
先生は前を向く。
(ようやく静かになった。)
心の中でつぶやく。
二日間。
体育祭並みに走り回る生徒がいて。
修学旅行では迷子になって。
外国人を案内して。
先生は最凶を引いて。
……本当に、いろいろあった。
それでも。
こうして全員が無事に帰れる。
それが一番だった。
バスは駅へ向かって、静かに走り続ける。
修学旅行も、残すところあと少しだった。
新幹線を降り、バスを乗り継ぎ。
見慣れた街並みが少しずつ増えていく。
「あっ。」
遥菜が窓の外を指差した。
「もう学校の近くだ。」
「ほんとだ。」
唯月も窓を見る。
いつも通るコンビニ。
見慣れた交差点。
毎朝歩く道。
たった二日しか離れていなかったのに、どこか懐かしく感じた。
「帰ってきたね。」
奏音が小さく笑う。
音波も頷く。
「帰ってきた。」
バスがゆっくりと学校へ入る。
ブレーキの音とともに停車した。
「到着しました。」
先生の声が響く。
「忘れ物のないように降りてください。」
生徒たちは荷物を持って次々と降りていく。
「疲れたー!」
「でも楽しかった!」
「お土産早く渡したい!」
校門をくぐると、いつもの校舎が迎えてくれた。
グラウンドも。
体育館も。
全部、見慣れた景色だった。
整列が始まる。
桐谷先生は前へ出て、生徒たちを見渡した。
二日間を一緒に過ごした顔。
日焼けした顔。
眠そうな顔。
どの顔も、出発の日より少しだけ柔らかく見えた。
「二日間、お疲れ。」
静かな声だった。
「途中で迷った班もあった。」
五人が目をそらす。
「予定より買い物が長くなった班もあった。」
また何人かが苦笑する。
「先生たちも、いろいろ大変だった。」
桐谷先生は一度言葉を切る。
「でも。」
少し笑った。
「全員そろって帰って来られた。」
「それが一番だ。」
校庭が静かになる。
「今日はゆっくり休め。」
「そして。」
先生は少しだけ笑いながら続けた。
「家に帰るまでが修学旅行。」
「寄り道しないで帰れよ。」
「「はーい!」」
元気な返事が響く。
解散。
一斉に生徒たちが動き始める。
「じゃあねー!」
「また明日!」
「あ、お土産ありがとう!」
校門の前は一気ににぎやかになった。
五人も歩き始める。
遥菜は大きく伸びをした。
「終わっちゃったね。」
「うん。」
唯月が笑う。
「ちょっと寂しい。」
奏音は空を見上げた。
青空が広がっている。
京都で見た空とは少し違う。
でも、それも悪くなかった。
「また行きたいな。」
「今度はプライベートで。」
音波も頷く。
「また五人で。」
「約束。」
遥菜が小指を差し出す。
「十年後の約束も忘れてないからね!」
「覚えてる。」
奏音も小指を絡める。
音波も。
唯月も。
最後に琉生がため息をつきながら手を出した。
「はいはい。」
「忘れない。」
五人は笑った。
その様子を、少し離れた場所から桐谷先生が見ていた。
「……。」
自然と口元が緩む。
(いい班だったな。)
元気すぎて。
自由すぎて。
振り回されて。
頭を抱えることも多かった。
それでも。
この五人だから見られた景色が、確かにあった。
「きりせーん!」
遥菜が手を振る。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
唯月も頭を下げる。
音波もぺこりと一礼する。
奏音は笑顔で大きく手を振った。
「また月曜日!」
「はいはい。」
桐谷先生も軽く手を振り返す。
「宿題忘れるなよ。」
「えぇぇぇ!?」
遥菜の叫び声に、みんなが吹き出した。
「修学旅行の余韻に浸らせてよ!」
「無理。」
琉生が笑う。
「現実だ。」
「厳しい……。」
奏音が笑う。
「現実も楽しいよ。」
「またみんなと会えるし。」
その一言に、四人が顔を見合わせる。
「だね。」
「また明日!」
「またね!」
夕日に染まり始めた通学路へ、それぞれが歩き出す。
修学旅行は終わった。
けれど。
笑い合った時間も。
夜更かしした部屋も。
京都で見た景色も。
迷子になったことも。
先生の「最凶」のおみくじも。
全部が、五人の大切な思い出になった。
そして明日からまた。
いつもの教室で、新しい一日が始まる。




