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修学旅行編 第六話

恋バナの熱が少し落ち着いた頃。

部屋の空気は、さっきよりも柔らかくなっていた。

布団の上で、遥菜がごろんと転がる。

「ねぇさ、さっきの続き気になるんだけど」

「まだ引っ張るのか。」

琉生が即答する。

唯月は天井を見ながら笑っていた。

「でも、なんか分かる気もする。」

「何が?」

「奏音って、好きって言われたら一途っぽい。」

その言葉に、奏音は少しだけ目をそらした。

音波は隣で静かに笑う。

「奏音、そういうとこあるよ。」

「音波。」

「ほんとだもん。」

軽いやり取りなのに、どこか空気が落ち着いていく。

窓の外はもう真っ暗だった。

虫の声が一定のリズムで流れている。

旅館全体も、少しずつ眠りへ向かっていた。

そのとき。

遥菜がふと布団を見ながら言った。

「そういえばさ」

「ん?」

「双子ってさ、ほんとにそっくりだけど」

「性格はちょっと違うよね。」

その一言で、空気が少し変わる。

奏音と音波は顔を見合わせた。

「違う?」

「どこが?」

遥菜は少し考える。

「奏音はさ、なんか……勢いあるっていうか」

「音波は、ちょっと落ち着いてる。」

唯月も頷く。

「分かるかも。」

琉生も珍しく同意した。

「役割分担みたいな感じだな。」

奏音は少し考えたあと、布団に寝転がったまま腕を伸ばす。

「そうかな。」

音波はその隣で同じように伸びる。

「でも昔は逆だったよ。」

その一言で、部屋の空気が止まった。

遥菜が目を丸くする。

「逆?」

音波は天井を見上げたまま続ける。

「奏音のほうが、泣き虫だった。」

「え。」

唯月が思わず声を漏らす。

「奏音が?」

奏音は少しだけ黙ったあと、小さく笑った。

「……昔ね。」

遥菜は興味津々で身を乗り出す。

「どんな感じ!?」

音波が少し懐かしそうに話し始める。

「人見知りで、すぐ隠れてた。」

「私の後ろ。」

「ずっと。」

奏音は少しだけ顔を隠す。

「やめて。」

「本当だもん。」

音波は淡々と続ける。

「初めての遠足のときも、バス乗るの嫌って言ってた。」

「覚えてる。」

遥菜は驚きすぎて固まる。

「今と全然違うじゃん!」

奏音は布団に顔を半分埋める。

「……慣れただけ。」

その声は少し小さい。

そのときだった。

音波が少しだけ声を落とす。

「でもね。」

四人の視線が集まる。

「奏音、変わったの。」

「誰かの前に立つの、怖くなくなった。」

部屋が少し静かになる。

遥菜がぽつりと言う。

「それって……すごくない?」

唯月も小さく頷く。

「うん。」

琉生は天井を見たまま言う。

「今の方が合ってるんだろ。」

奏音は少しだけ笑った。

「そうかも。」

音波も続ける。

「でも、今でも残ってるよ。」

「なにが?」

遥菜が聞く。

音波は少しだけ間を置いて。

「怖いときは、私の袖掴む。」

一瞬。

奏音が動きを止めた。

「……音波。」

「内緒って言ったのに。」

「言ってない。」

「言った。」

「言ってない。」

軽いやり取りなのに、どこか優しい空気だった。

遥菜は思わず布団に倒れ込む。

「え、それ可愛い……」

唯月も小さく笑う。

「意外すぎる。」

琉生は少しだけ目を細めた。

「今の奏音からは想像できないな。」

奏音は小さく息を吐く。

「昔の話だよ。」

でも。

その言葉とは逆に、音波の袖を少しだけつまんでいた。

誰にも気づかれないくらい、自然に。

遥菜がその光景を見てしまう。

「……今もじゃん。」

「違う。」

「違わない。」

「違う。」

そのやり取りにまた笑いが起きる。

でも笑いの奥に、少しだけ温かいものが残っていた。

窓の外では、風が木々を揺らしている。

旅館の夜は静かだ。

でもこの部屋だけは、まだ少しだけ起きていた。

そして。

廊下の向こうで、足音が近づく。

コツ……

コツ……

琉生がすぐに反応する。

「来る。」

一瞬で全員が布団に潜る。

灯りが消える。

静寂。

襖が開く。

桐谷先生が中を覗く。

五人。

全員。

完全に静か。

(……今日は本当に優秀だな。)

先生は小さく頷いて襖を閉める。

足音が遠ざかる。

……

……

遥菜が小さく息を吐く。

「セーフ……」

唯月も小さく笑う。

「今の、ほんとに寝てたみたい。」

琉生が静かに言う。

「もうプロだな。」

そのとき。

布団の端で、小さな声。

「ねぇ。」

奏音だった。

「なに。」

音波がすぐ返す。

「明日も、こうやって笑えるかな。」

音波は少しだけ間を置いて。

「笑えるよ。」

即答だった。

奏音は少しだけ安心したように目を閉じる。

誰にも聞こえないくらい小さく。

「……うん。」

旅館の夜は、ゆっくりと深くなっていった。


部屋の空気は、さっきより少しだけ落ち着いていた。

布団の中で、それぞれが適当に寝転がる。

まだ完全には眠る気配はない。

遥菜が天井を見ながらぽつりと言った。

「奏音ってさ、ほんと昔と違うんだね」

その言葉に、奏音のまぶたが少しだけ動く。

「……そう?」

「うん。なんか今は普通に落ち着いてるし」

唯月も小さく頷く。

「前の話聞いてると、想像できない」

琉生は腕を組んだまま天井を見ていた。

「人って変わるもんだろ」

そのときだった。

音波が、いつも通りの淡々とした声で言った。

「昔の奏音はね」

空気が一瞬止まる。

奏音が少しだけ顔を向ける。

「ちょっと待って」

音波は気にせず続けた。

「普通に怖かったよ」

「……は?」

遥菜が固まる。

「怖かった?」

「うん」

音波は布団の中で寝返りを打つように横を向いたまま話す。

「小学校の頃、知らない人が絡んできたときとか」

「奏音、普通に睨んでた」

「めっちゃ」

琉生が目を細める。

「睨むってレベルじゃないやつか?」

「うん」

音波は頷く。

「ヤンキーみたいだった」

その瞬間。

部屋が完全に静かになった。

遥菜がゆっくりと奏音を見る。

「え……ヤンキー?」

奏音は布団に顔を半分埋めた。

「音波、それやめて」

音波は少しだけ首をかしげる。

「でも本当だよ」

唯月が恐る恐る聞く。

「どのくらい?」

音波は少し考える。

「『そこ通るな』って言ったら通らなくなるくらい」

「それ普通に怖い」

琉生が即答する。

遥菜は目を輝かせた。

「え、逆にかっこいいんだけど」

「やめて」

奏音が即座に反応する。

音波は続ける。

「あと、先生に怒られたときも」

「普通は謝るじゃん」

「奏音は黙る」

「そして」

少し間を置いて。

「相手が引くまで目をそらさない」

「怖いってそれ!」

遥菜が笑いながら布団をバンバン叩く。

唯月はもう笑いをこらえきれていない。

「今と真逆すぎる……」

琉生は腕を組み直す。

「今は逆に丸くなったな」

その言葉に、奏音は小さく息を吐いた。

「……子どもの頃の話だし」

音波は淡々と続ける。

「でもね」

今度は少しだけ声が柔らかくなる。

「私の後ろには来るの変わってない」

一瞬。

奏音の動きが止まる。

「音波」

「なに」

「それは言わなくていい」

「事実」

「事実じゃない」

「事実」

そのやり取りに、遥菜が吹き出した。

「なにそれ最高じゃん」

唯月も笑いながら言う。

「なんか、守られてる感じする」

琉生は少しだけ視線を落とす。

「役割変わっただけか」

奏音は小さく顔を横に向ける。

「昔は……」

少しだけ間を置く。

「音波の方が、前に出るの得意だった」

その言葉に、今度は音波が止まった。

「……そうだっけ」

「そう」

奏音は少しだけ笑う。

「音波、最初は誰よりもしゃべってた」

「先生にも普通に突っ込んでたし」

遥菜が目を丸くする。

「え、今と全然違うじゃん」

音波はしばらく黙っていたあと、小さく言った。

「覚えてない」

「忘れた」

「えぇ」

唯月が驚く。

奏音は少しだけ視線を落とす。

「でもね」

今度は音波が言う。

「今の方が好き」

その一言で、部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。

遥菜がぽつりと笑う。

「なんかいい話になってる」

琉生も小さく息を吐いた。

「修学旅行って感じだな」

そのとき。

廊下からまた足音。

コツ……

全員が一瞬で布団に潜る。

静寂。

襖が開く。

桐谷先生が覗く。

五人。

完璧な静止。

先生は少しだけ頷く。

「よし」

襖が閉まる。

足音が遠ざかる。

三秒。

四秒。

遥菜が小さく息を吐く。

「セーフ……」

その瞬間だった。

音波がぽつりと言う。

「でも奏音、昔ほんと怖かったよ」

「音波」

「今もちょっと怖い時ある」

「音波!!」

遥菜が布団の中で爆笑する。

唯月も涙を拭いている。

琉生は天井を見ながら一言。

「どっちなんだよ」

奏音は布団に顔を埋めたまま小さく言った。

「もう寝る」

その声は、少しだけ照れていた。

旅館の夜は、また静かに笑いを包んでいった。

部屋の時計を見る。

午前一時五十八分。

本来なら、とっくに夢の中の時間だった。

……なのに。

二〇三号室だけは、まだ小さな笑い声が続いている。

遥菜が布団の中で寝返りを打つ。

「ねぇ。」

「ん?」

唯月が小さく返事をする。

「あと二分で二時。」

「ほんとだ。」

琉生は時計をちらっと見る。

「だから?」

「なんか、夜更かしって二時になると勝った気分にならない?」

「何に。」

「自分。」

「意味分からん。」

即座に返される。

部屋にまた笑いが広がる。

奏音は枕を抱えながら笑っていた。

「遥菜らしい。」

音波も頷く。

「うん。」

そのまま時計の秒針だけが静かに進む。

カチ。

カチ。

カチ。

そして。

二時ちょうど。

「やったー!」

遥菜が小さくガッツポーズ。

「勝った!」

「だから何に。」

琉生はもう突っ込む気力もない。

その様子を見て、奏音がくすっと笑う。

「眠くないの?」

「全然!」

遥菜は即答した。

「逆に目が覚めてきた!」

「それ、一番危ないやつ。」

唯月が笑う。

そのとき。

奏音が何気なく窓の外を見た。

障子を少しだけ開ける。

夜風がそっと入ってきた。

「星。」

小さくつぶやく。

四人も自然と窓の方を見る。

夜空には、小さな星がいくつも瞬いていた。

昼間とは違う京都。

山は静かで。

街の明かりも少なくて。

空が近く感じる。

「きれい……。」

唯月が思わず声を漏らす。

「東京だとこんなに見えないよね。」

「うん。」

音波も静かに頷いた。

遥菜まで珍しく黙って見上げている。

しばらく誰も話さなかった。

その静かな時間を破ったのは。

もちろん。

遥菜だった。

「星ってさ。」

「うん。」

「取れそうじゃない?」

「届かない。」

琉生が即答。

「夢がない!」

「現実だ。」

奏音は笑いながら窓を閉める。

「でも、少し近く見える。」

「それは分かる。」

唯月も頷いた。

部屋の灯りだけが静かに照らしている。

そのとき。

遥菜が突然起き上がった。

「そうだ。」

「また何?」

「十年後。」

四人が首を傾げる。

「十年後もさ。」

「みんなで集まれたらいいよね。」

一瞬だけ。

部屋が静かになる。

奏音が少し笑った。

「いいね。」

音波もすぐ頷く。

「また旅行しよう。」

「今度は自分たちだけで。」

唯月も笑顔になる。

「社会人になってから?」

「その頃には運転できるね。」

遥菜は目を輝かせる。

「ドライブ!」

「まだ免許もない。」

琉生が笑う。

「でも……悪くないな。」

その一言で。

五人は自然と顔を見合わせた。

「約束ね。」

奏音が右手を少しだけ前へ出す。

「十年後。」

音波も重ねる。

「また五人で。」

唯月。

「うん。」

遥菜。

「絶対!」

最後に。

琉生がため息をつきながら手を重ねた。

「忘れるなよ。」

五人の手が重なる。

その瞬間だった。

コツ……

コツ……

コツ……

「……。」

五人の顔色が変わる。

遥菜が小声で叫ぶ。

「先生!」

「電気!」

「布団!」

「早く!」

一秒。

二秒。

三秒。

全員が布団へ飛び込む。

灯りが消える。

襖が開く。

桐谷先生が懐中電灯を持って部屋を覗いた。

「……。」

静か。

五人とも眠っている。

……ように見える。

先生は少し近づく。

遥菜。

口元が少し緩んでいる。

(笑うな。)

唯月。

目を閉じている。

(さっきより上手くなった。)

琉生。

普通。

(まあ起きてるだろ。)

そして。

奏音。

音波。

二人とも、本当に眠っているようだった。

寝息も自然。

顔も穏やか。

指先一つ動かない。

(……この二人は本当に寝るのが早い。)

桐谷先生は安心したように頷いた。

「よし。」

襖を閉める。

足音が遠ざかる。

……

……

十五秒後。

奏音が小さく目を開けた。

「行った?」

音波も同時に目を開ける。

「完全に。」

二人は顔を見合わせる。

小さく笑った。

遥菜が布団から顔だけ出す。

「なんで毎回バレないの!?」

「教えて!」

奏音は少し考えてから答えた。

「動かない。」

音波も続ける。

「考えない。」

「え?」

「眠いって思い込む。」

「思い込めるの!?」

遥菜は本気で驚く。

琉生は苦笑した。

「もう特技じゃなくて才能だな。」

唯月も笑う。

「先生、本気で信じてたよ。」

奏音は照れくさそうに笑った。

「成功。」

音波も同時に。

「成功。」

二人の声が重なる。

その瞬間。

五人はまた声を押し殺しながら笑い合った。

修学旅行の夜は、少しずつ終わりへ近づいていた。



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