修学旅行編 第五話
館内放送が静かに流れる。
『まもなく消灯のお時間です。本日はお疲れ様でした。』
部屋の中では、五人が布団を囲んでいた。
「広げるよー!」
遥菜が押し入れから布団を運ぶ。
「そっち持つ!」
奏音もすぐに駆け寄る。
「よいしょ!」
音波も反対側を持ち上げる。
「これ重くない?」
「二人で持てば大丈夫!」
畳の上に布団が一枚。
二枚。
三枚。
「五人並ぶと狭いね。」
唯月が苦笑する。
「これぞ修学旅行!」
遥菜はもう楽しそうだった。
「川の字!」
「五人だから"川"じゃない。」
琉生が布団を整えながら返す。
「じゃあ……五!」
「字じゃない。」
笑い声が部屋に広がる。
布団を敷き終えると、自然と輪になるように座った。
時計を見る。
まだ消灯まで少し時間がある。
「ねぇ。」
遥菜がにやりと笑う。
「やる?」
「何を?」
唯月が首を傾げる。
返事の代わりに。
ぽふっ。
枕が飛んだ。
「わっ!」
奏音が両手で受け止める。
「始まった!」
「いくよー!」
今度は奏音が投げ返す。
ふわっ。
遥菜の顔へ一直線。
「うわぁ!」
命中。
「当たった!」
「やったぁ!」
音波も参戦した。
ぽーん。
ぽーん。
部屋中を枕が飛び交う。
「琉生!」
「巻き込むな。」
そう言いながらも、飛んできた枕を片手で受け止める。
「ほら。」
軽く投げ返す。
「参戦した!」
遥菜が笑う。
「唯月も!」
「えっ!」
慌てて投げた枕は。
ふにゃっ。
自分の布団へ落ちた。
「弱っ!」
「ご、ごめん!」
その瞬間だった。
奏音が飛んできた枕を見もせずにつかむ。
「もう一回!」
そのまま、くるっと体を回して投げ返す。
ぽふっ。
遥菜に命中。
「なんで!?」
「見てなかったよね!?」
「勘!」
「勘じゃない!」
音波は笑いながら拍手する。
「奏音すごーい!」
「もう一回!」
「受けて立つ!」
部屋中が笑い声でいっぱいになる。
そのとき。
廊下から。
コツ……
コツ……
コツ……
誰かが歩いてくる音。
琉生の表情が変わった。
「先生。」
その一言だけだった。
三秒後。
さっきまで大騒ぎしていた部屋は。
しん……
五人とも布団に入っていた。
電気も消えている。
襖が開く。
「失礼するぞ。」
桐谷先生だった。
部屋を見回す。
遥菜。
目は閉じている。
……でも。
肩が小さく震えていた。
(笑ってる。)
唯月。
寝返りを打とうとして途中で止まっている。
(固まった。)
琉生。
目は閉じている。
しかし。
寝息が妙に一定だった。
(演技だな。)
先生は心の中で苦笑した。
(まあ、起きてるのは分かる。)
「もう寝ろよ。」
返事はない。
「明日も早いからな。」
静かに襖を閉める。
足音が遠ざかっていく。
……
……
……
五秒。
六秒。
七秒。
遥菜がそっと目を開ける。
「行った?」
琉生が小さく頷く。
「たぶん。」
唯月もゆっくり起き上がる。
「危なかったぁ……。」
その瞬間。
ガラッ。
襖が勢いよく開いた。
「やっぱり起きてるじゃないか。」
「「「うわぁぁぁ!!」」」
三人の悲鳴が重なった。
桐谷先生は腕を組んで立っている。
「先生を甘く見るな。」
遥菜が布団へ潜る。
「なんで分かったの!?」
「笑ってた。」
「え。」
「唯月。」
「は、はい。」
「途中で固まる寝返りなんてない。」
「……。」
「琉生。」
「はい。」
「寝息が真面目すぎる。」
「……。」
見事に全員撃沈だった。
桐谷先生はため息をつく。
「今度こそ寝ろ。」
「「「はーい……。」」」
先生は満足そうに襖を閉める。
廊下を歩きながら、小さく笑った。
(これで全員だな。)
部屋の中。
静寂。
……
……
十秒後。
布団の端がもぞっと動いた。
奏音がゆっくり顔だけ出す。
「……行った?」
音波も同じように顔を出した。
「完全に。」
二人は顔を見合わせる。
そして。
くすっ。
声を殺して笑った。
「危なかったね。」
「うん。」
「でも、奏音。」
「なに?」
「私たち、一回も見られてない。」
「寝息もしてなかった。」
「してない。」
「なのに。」
二人は小さく笑い合う。
「寝てるって思われた。」
「成功。」
そのやり取りを聞いていた遥菜が、布団から勢いよく起き上がる。
「えぇぇぇぇ!?」
「二人とも起きてたの!?」
「最後まで!?」
唯月も驚いて目を丸くした。
「全然気付かなかった……。」
琉生は額に手を当てる。
「先生まで騙してたのか。」
奏音は照れ笑いを浮かべる。
「昔から得意なんだ。」
音波が続ける。
「気配消すの。」
「何その特技!」
遥菜が笑い転げる。
「忍者じゃん!」
「忍者じゃないよ。」
奏音も笑う。
「ただ、お母さんに『寝なさい』って言われる前に寝たふりしてただけ。」
「子どもの頃からね。」
音波がうなずく。
「成功率百パーセント。」
「方向性がおかしい!」
部屋はまた笑い声でいっぱいになった。
その笑い声が、廊下に漏れることはなかった。
五人は声を押し殺しながら、布団の中で肩を震わせる。
修学旅行の夜は、まだ少しだけ続いていく。
廊下へ笑い声が漏れないように。
五人は布団の中で顔を見合わせる。
遥菜は堪えきれず肩を震わせた。
「もう無理……。」
声にならない笑いがこぼれる。
奏音も布団を口元まで引き上げた。
「危なかったね。」
音波が小さく頷く。
「先生、ほんとに戻ってきた。」
琉生はため息をついた。
「俺たち三人だけ見抜かれたな。」
「二人だけ何であんな完璧なの?」
唯月が不思議そうに尋ねる。
奏音は少し考えるように首を傾げた。
「……クセ?」
「クセ?」
「お母さんが『寝る時間だよ』って部屋に来るじゃん。」
音波が続きを話す。
「その前に寝たふりする。」
「お母さんが出ていく。」
「「成功。」」
二人が同時に頷く。
遥菜は吹き出した。
「それ、小さい頃からやってたの!?」
「うん。」
「成功率高かった。」
「百パーセント。」
「誇ることじゃない!」
笑いがまた広がる。
そのとき。
廊下からまた足音が聞こえた。
コツ……
コツ……
コツ……
五人の動きが止まる。
「また!?」
遥菜が慌てて布団へ潜る。
唯月も横になる。
琉生も目を閉じた。
奏音と音波は。
さっきと全く同じ姿勢。
呼吸まで静かだった。
襖が少しだけ開く。
桐谷先生だった。
部屋を覗く。
(……。)
さっき騒いでいた三人。
今度は動かない。
(ちゃんと寝たか。)
視線は自然と双子へ向く。
二人とも規則正しい寝息。
微動だにしない。
(この二人は最初からよく寝るな。)
先生は小さく頷く。
「よし。」
静かに襖を閉めた。
足音が遠ざかる。
十秒。
二十秒。
三十秒。
遥菜が目だけ開ける。
「……。」
誰も動かない。
さらに十秒。
奏音が片目だけ開けた。
「完全に行った。」
「うん。」
音波も起き上がる。
遥菜は布団を抱えたまま叫びそうになる。
「また騙した!」
「静かに。」
琉生が慌てて口を押さえる。
「また来る。」
「たしかに。」
五人は小さく笑った。
静かな時間が流れる。
窓の外では虫が鳴いている。
旅館全体が少しずつ眠り始めていた。
遥菜が天井を見ながらぽつりと言う。
「眠くないね。」
「全然。」
奏音も笑う。
唯月が寝返りを打つ。
「せっかくだし……。」
少し間を空けて。
「恋バナでもする?」
一瞬。
部屋が静かになった。
遥菜が勢いよく起き上がる。
「いいじゃん!」
音波も目をぱちぱちさせる。
「恋バナ?」
「そう!」
遥菜は布団を抱えたまま笑う。
「好きなタイプとか!」
「気になる人とか!」
琉生はすぐ横を向いた。
「俺はパス。」
「えー!」
「班長逃げた!」
「逃げてない。」
唯月がくすっと笑う。
「じゃあ私から。」
四人の視線が集まる。
「私は……。」
少し考える。
「優しい人かな。」
「王道!」
遥菜が笑う。
「でも分かる。」
「遥菜は?」
「面白い人!」
「即答だ。」
琉生が苦笑する。
「一緒にいて楽しい人がいい!」
「なるほど。」
話は自然と盛り上がっていく。
そして。
遥菜がにやりと笑った。
「じゃあ次。」
視線がゆっくり動く。
「奏音。」
「え?」
「好きな人いる?」
部屋が静かになる。
奏音は一瞬だけ固まった。
「……。」
その反応だけで。
全員が察した。
遥菜の目が大きく開く。
「いるよ」
「えっ!?」
唯月まで起き上がる。
音波は口元を押さえて笑っていた。
「奏音。」
「言っちゃう?」
奏音は耳まで赤くなる。
「ちょ、ちょっと……。あ…え…あうぅ」
「いるんだ!」
遥菜は興奮を抑えられない。
「誰!?」
「同じ学校?」
奏音は首を横に振った。
「違う。」
「え?」
「じゃあ塾?」
「ある意味合ってるけど、違う」
「習い事?」
「ある意味合ってるけど、違う。」
「じゃあ誰!?」
奏音は少し恥ずかしそうに笑った。
「幼馴染。」
四人が同時に固まる。
「幼馴染!?」
「えぇぇ!?」
「そんな人いたの!?」
唯月まで驚いていた。
「知らなかった……。」
音波はにこにこと頷く。
「昔から仲良し。」
「でも学校は別。ここ、受験校だからね。その子、落ちちゃったの。」
「へぇ……。なんかごめんね。」
遥菜は布団を抱き締める。
「でも、どんな人!?」
「顔ちっちゃくて、背高くて、イケメン。」
「名前!」
「秘密。」
「写真!」
「あるけど見せない。」
「ヒント!」
「秘密。」
「何にも分からない!」
部屋中が笑いに包まれる。
琉生だけは腕を組んだ。
「……意外だった。」
奏音が首を傾げる。
「そう?」
「恋愛に興味ないタイプかと思ってた。」
奏音は照れ笑いを浮かべる。
「私だってあるよ。」
音波が少し得意そうに言った。
「奏音、昔から一途だから。」
「音波!」
「えへへ。」
「それ以上は内緒。」
音波は口の前で小さく人差し指を立てた。
「約束。」
四人は顔を見合わせる。
そして。
「気になるーー!!」
声を押し殺しながら、布団の中で転げ回るのだった。
廊下では。
桐谷先生が最後の見回りを終え、静かに頷く。
(今日は全員ちゃんと寝てるな。)
その頃。
二〇三号室では。
「だから秘密だってば。」
「お願い!」
「教えて!」
「だめ。」
笑いを必死にこらえながら、小さな恋バナはまだまだ終わりそうになかった。




