第9話
【異変】
――西園寺本邸 少女の病室
「おい、全然見つかんねぇぞ。」
魁斗が不機嫌そうに眉を寄せながら、病室の扉を閉める。
「魁斗くん、声大きいよ!この子まだ寝てるから。それにしても……どこ行っちゃったんだろ。」
湊は口元に人差し指を当て、魁斗に静かにするよう促した。
それから部屋を見回し、小さく首を傾げる。
「とりあえず、厳さんにも聞いてみよっか。」
そう言って、二人は少女の病室を出た。
「厳さん、今どこにいるかなぁ。」
湊が扉を静かに閉めながら、魁斗に問いかける。
「どこだろうな。とりあえず部屋に行くのが一番だろ。」
魁斗はそう言いながら、一足先に厳の部屋へ向かって歩き始めた。
その時だった。
――ガラガラ。
背後から、扉の開く音がした。
二人の肩がびくっと跳ねる。
恐る恐る振り返ると、そこに立っていたのは、ついさっきまで眠っていたはずの少女だった。
二人は叫びそうになるのを必死に堪え、少女を見つめる。
少女は病衣の袖をぎゅっと握りしめ、不安そうにこちらを見ていた。
「……ここの書庫はどこ、ですか?」
「……え?」
湊が目を瞬かせる。
「おい!?目、覚めたのか!?」
魁斗も思わず目を見開いた。
「……って、書庫?」
少女は小さく頷く。
「はい……。」
弱々しい声だった。
けれど、その瞳だけは妙に真っ直ぐだった。
二人は顔を見合わせる。
しばらく考え込んだあと、先に口を開いたのは湊だった。
「うーん……実は僕たちも場所は分かんないんだよね。……やっぱ厳さんに聞こうか。」
湊は困ったように笑う。
「ちょっと待っててね。」
湊side
助けた少女が突然話しかけてきた時は驚いたけど、目が覚めて本当に良かった。
……それに、“書庫”ってどういうことだろう。
その時、厳がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
湊は小さく深呼吸をして、厳へ視線を向けた。
「厳さん、お疲れ様です。」
湊と魁斗は軽く頭を下げる。
「僕たち今、翠さんを探しているのですが、女の子の容態を確認しに行くと聞いてから、まだ帰ってきていなくて……。」
隣では、魁斗が落ち着かなさそうに頭を掻いている。
「あと先程、先日の少女が目を覚ました様子で、“書庫はどこか”と聞いてきたのですが……どちらにありますか?」
その瞬間、厳の目がわずかに細まった。
「……書庫か。」
低い声で呟く。
「書庫のことは、私と側近、それから翠しか知らない。……なぜ奴が知っている?」
空気が少しだけ張り詰めた。
湊は小さく息を呑む。
「それは僕にも存じ得ないのですが……、邸宅内で翠さんを探しても見つからなくて。もしかしたら、少女の病室に寄ったあと、書庫に行ったのではないかと……。」
わずかな間が空く。
厳はしばらく考え込むように目を伏せたあと、湊と魁斗に背を向けた。
「……まぁいい。翠はお前らを信用している。なら、お前らが翠を信じる気持ちも本物なのだろう。」
その声は静かだった。
けれど次の瞬間、湊と魁斗を見定めるように視線を向けた。
「……これから行く場所は、今言った者しか知らない。」
空気が張り詰める。
「口外したらどうなるか、分かるな?」
「はい、もちろんです。」
湊は即座に頷いた。
厳の視線が魁斗へ向く。
「おい、そっちのお前はどうなんだ。」
魁斗は眉を寄せたまま、低く返す。
「翠の名が落ちること、俺にする気はない。」
――西園寺本邸 書庫前階段
薄暗い空間は奥の方にかけて暗闇が増している。
階段を降り始めた瞬間だった。
「……?」
湊が足を止める。
どことなく、鉄臭い。
進むにつれて徐々に鼻の奥に張りつくような匂いが強くなる。
「……厳さん、ここっていつも鉄の匂いするんですか?」
厳もわずかに眉をひそめた。
「いや、こんな匂いはしない。」
声が低くなる。
「……おかしい。」
厳は壁を指差した。
「そこに電気がある、つけろ。」
「……うっす。」
魁斗がスイッチへ手を伸ばす。
――カチッ。
薄暗い階段に、ゆっくり光が灯っていく。
手前から。
少しずつ。
そして。
「……は?」
魁斗の声が止まった。
階段に、血痕が点々と続いている。
まるで、誰かが引きずられたみたいに。
「この血……なんですか!?」
湊の声が震える。
三人の脳裏に、最悪の可能性が浮かぶ。
「……静かにしろ。」
厳の声が鋭く落ちた。
空気が凍りつく。
そして最後の電気が灯った瞬間。
三人の思考が止まった。
扉の前。
そこに倒れていたのは、翠だった。
三人が恐れていた最悪の予感は、的中した。
「……っ、すい!」
頭から血を流し、呼びかけてもぴくりとも動かない。
三人の呼吸が一瞬止まる。
湊は慌てて翠の側へ駆け寄った。
「ねぇ、翠ちゃん!どうしたの!?」
震える指で、翠の髪をそっと掻き上げた。
額から流れる血。
額を覆うほどのあざと大きな傷口に、湊の顔が強張る。
「……っおい!翠!!」
魁斗の声も明らかに焦っていた。
厳はすぐに翠の状態を確認すると、鋭く声を飛ばす。
「おい、赤髪。医者を呼んで来い。」
「……っす!」
魁斗は踵を返し、来た道を全力で駆け戻っていった。
静かな階段に、小さい足音だけが響く。
「翠ちゃん、聞こえる?ねぇ、大丈夫?」
湊が何度も呼びかける。
すると、翠の指先がわずかに動いた。
「……っん、なに、?」
「翠ちゃん!」
ゆっくり瞼が開く。
焦点の合わない目が、ぼんやりと湊を見た。
「あれ……?なんでここに……。」
翠は小さく眉を寄せる。
「突然眠気が襲ってきて……階段から落ちたの、?」
その言葉に、厳の表情が険しくなる。
「おい、翠。今、能力は使えるか?」
低い声に、わずかな焦りが滲んでいた。
「再生を使え。」
普段の厳からは想像できないほど、わずかに動揺が滲んでいる。
「……ん、やってみる。」
翠は手を震わせながら、自分の頭へ手を当てた。
淡い光が滲む。
すると、額から流れていた血が止まり、裂けていた傷口が少しずつ塞がっていく。
湊はようやく息を吐いた。
「あ、良かった……。」
胸を撫で下ろす。
「傷は大丈夫そうだね。医者が来るまで一旦待機しよっか。」
翠の身体を支えながら、静かに続ける。
「頭打ってるし、変に動かすと良くないから。」
小さいながらも徐々に走る足音が聞こえてきた。
「……っおい!連れてきたぞ!!」
魁斗が医者を背負い、勢いよく階段を駆け下りてくる。
「翠は!?翠どうしたっ!?」
「さっき一瞬目を覚ましたよ、今はまた意識を失ってるけど。」
湊がすぐに説明する。
「傷は能力で塞いでもらったから、出血はもう大丈夫だと思う。」
「……そうか。」
魁斗は短く息を吐いたあと、すぐに医者を睨む。
「おい医者!早く翠を見ろ!」
「は、はい!」
医者は慌てて翠の前へ膝をついた。
傷口と頭の状態を確認した。
医師は小型のライトを取り出し、翠の瞳に光を当てた。
「傷は塞がっているようですし、今なら動かしても問題ありません。」
医者は真剣な表情で頷いた。
「すぐ医療室へ運びましょう。」
「了解。」
湊はそっと翠を抱き上げる。
翠は意識を失ったまま、縋るように小さく湊の服を掴んだ。
「行くぞ!」
魁斗は再び医者を背負い直す。
湊は翠をできるだけ揺らさないよう気をつけながら走り出す。
それに続き、三人は一斉に医療室へ向かった。
今回はちょっと短めです。
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