第19話 ドレスの注文のために下手に出る母娘
アンゲラとガブリエラ母娘がライナーと共にブラバント伯爵家の別荘へやって来た。
彼女達の目的は、富裕層に飛ぶ鳥を落とす勢いで売れているレオンティーネのドレスを大急ぎで作ってもらうためである。
だが、レオンティーネはその日、店で大事な顧客の予約があって在宅していない。
アレクサンドラは、翌日に延期してもらおうと必死に言いつのりながら、彼女達が納得しないのではないかと内心、ハラハラしていた。
案の定、ガブリエラがすぐに文句をつけてきた。
アレクサンドラがライナーと結婚すれば、彼女は義妹になる。だが彼女はアレクサンドラより4歳年上の22歳のため、初対面から何かと強気だった。
「そんなの駄目よ! あなた、夜会がいつだか分かっているの? 時間がただでさえないのに、1日遅らせるなんてとんでもないわ!」
「ガブリエラ、こちらからお願いするのにそんな態度はいけないわ」
「え、お母様……?」
前日にアンゲラが家で言っていたことと全く違うので、ガブリエラは目を丸くした。
「いいから、謝りなさい!」
ガブリエラがすぐに謝らないと見ると、アンゲラは眉を吊り上げて叱った。
だがガブリエラは、今度は納得できないといった様子で母に抵抗した。
「でも、お母様、夜会はもう来週よ。明日でも大丈夫なの?!」
「それよりも、とにかく謝りなさい! こちらはお願いする立場なのよ」
「え……?! どうしてよ?! 昨日言っていたことと……ウグッ! お母様、何す……グッ……!」
ガブリエラは最後まで言う前に口を噤まされた。
「あ、あの、公爵夫人、そこまでおっしゃっていただかなくても……」
予想もしなかった母娘の激しい口論にアレクサンドラは目を丸くし、おずおずと口を挟んだ。
「いいえ、私は娘が嫁ぐ前にきちんとした淑女にしなくてはいけないのよ。――さあ、ガブリエラ、アレクサンドラ嬢に謝りなさい」
「……ごめんなさい」
母に叱られたガブリエラは、渋々とふくれっ面でアレクサンドラに謝った。
「それでアレクサンドラ嬢、早速こんなことをお願いするのは気が引けるのだけど……」
ガブリエラの謝罪が済むと、アンゲラは言いにくそうに切り出した。
「……見本でも既製のドレスの直しでも何でもいいのよ。来週の離宮の夜会までに何とかならないかしら?」
「でも、公爵夫人と公爵令嬢にそのようなドレスを義姉は提供したくないはずです」
夫人の夫でライナーの父であった先代公爵は亡くなっているが、慣例的に未亡人のアンゲラも公爵夫人と呼ばれ続けている。何より彼女自身が公爵夫人の呼称に拘ってプライドを持っている。なのに次に彼女の口から出て来た言葉は、誇り高い彼女らしくなかった。
「実際、今から一から誂えるのは無理でしょう? こんなことをお話するのもお恥ずかしいのだけども、うちは苦しい状況で何年もドレスを新調できていないのよ。そんな私達がよその仕立て屋へ行っても急ぎで作ってはもらえないわ……」
「は、母上……?!」
公爵家の窮状を訴えるアンゲラにライナーは目を白黒させた。普段のアンゲラなら、このような誇り高き公爵夫人にあるまじき発言をしないはずだ。
アンゲラがプライドを賭した甲斐はあった。アレクサンドラは、彼女に同情して最初の考えを翻し、レオンティーネの店にツヴェルガー公爵一家を連れて行った。
◇ ◇ ◇
レオンティーネのドレス店のヒーム支店は、高級店が立ち並ぶ繁華街の一角にある。
瀟洒な建物のファサードには高価な1枚ガラスの大きな窓がいくつもついており、最先端のドレスや豪華なインテリアの店内が外からも見えるようになっている。
だが入口にはドアマンがおり、誰でもおいそれと気軽に入れる店ではない。
ドアマンは一行の中に店の広告塔を務めるアレクサンドラを認めると、恭しく礼をして彼女達を店内へ通した。
すると奥からマダム然とした女性が出て来てアレクサンドラ達を歓待した。
「店長、お義姉様は接客中よね?」
レオンティーネは、アレクサンドラの予想通り上顧客の接客中であった。
「……ですが私でよければ、ご用命をお伺いします」
「ツヴェルガー公爵夫人と令嬢が来週の離宮の夜会で着るドレスが欲しいの。今からでも何とかならないかしら?」
「展示されている見本のドレスのお直しなら、それまでに何とかなります。ですが……」
店長は、チラリとアンゲラとガブリエラを見て言葉を濁した。
「構いませんわ。むしろ急な日程で間に合わせていただけるのなら、こちらからお願いしたいぐらいです」
アンゲラ本人の後押しもあって、アンゲラ母娘は店内に飾られているドレスの中から選んでサイズ調整とアレンジをしてもらうことになった。
何年もドレスを新調してもらえなかったガブリエラは、目をキラキラさせながら、展示されているドレスを熱心に見て回った。
だが、ガタイのよい彼女のサイズに合うドレスがなかなか見つからず、徐々にテンションが下がっていった。
アンゲラは娘よりもかなり冷静で、素材や最近の流行などについて店長に都度都度尋ねていた。
彼女達母娘と店員が1着のドレスの前に来ると、とうとうアンゲラは立ち止まった。
「私はこれがいいわ」
「かしこまりました。試着できるように準備いたします」
店員がドレスをマネキンから外している間にアンゲラはガブリエラにこっそり耳打ちした。
「今は大人しくしておくのよ」
「どうして? 昨日、お母様が言っていたことと違うわ」
「そのほうがいいとさっき判断したからよ。言う通りになさい。分かったわね?」
ガブリエラは、不承不承頷いた。
◇ ◇ ◇
アンゲラとガブリエラがドレスを選んで試着している間、アレクサンドラとライナーは手持ち無沙汰になりそうになった。
でも、すぐに他の店員が店内のカフェスペースへ2人を導いてお茶を出してくれた。
お茶が届いても向かい合って座っている2人は、時々カップを口元へ運ぶだけでその場には気まずい雰囲気が漂っていた。だが、とうとうライナーがおずおずと口を開いた。
「あの……アレクサンドラ嬢のドレスはもう仕上がっているのですか?」
アレクサンドラのドレスはもう決まっている。彼女がそう答えると、ライナーは俯いた。
「すまない……君を初めてエスコートするのに、ドレスもプレゼントできないなど、自分が情けないよ」
「気になさらないでください。私達が知り合ったのがそもそもこの休暇シーズンではありませんか。それに私は夜会やお茶会で義姉のドレスを着て宣伝する代わりに無料でドレスを作ってもらうこともあるのです。今回も義姉が用意してくれました」
アレクサンドラのドレスは、艶のある水色のシルクタフタを使っており、デコルテやスカートの裾にアクセントとして白いラインが入っている。そのデザインは、つい先日、女性達の心を鷲掴みにした愛らしい王子の水兵服を彷彿とさせる。
アレクサンドラはライナーにそう説明したが、現物もスケッチも店にないので、ドレスに詳しくないライナーには想像がつかないのだろう。彼はピンと来ないような表情をしていた。
「そうですね……ドレスはもう別荘にありますので、今度お見せしますわ」
アレクサンドラがこう答えていると、向こうから線の細い男性が近づいてきた。緩くウェーブのかかったブルネットの髪は肩まであり、一般的な男性よりも長い。姿かたちも中性的な美しさが際立っている。
「いらっしゃいませ」
彼はまずライナーに丁重に挨拶をしてから、気軽な様子でアレクサンドラに話しかけた。
「いらっしゃい、アレクサンドラ!」
「マティアス、あなたもヒームに来ていたのね。お義姉様にあなたの店じゃないでしょってまた言われるわよ」
アレクサンドラは破顔してマティアスに話しかけた。
「私達の店はふたつでひとつのようなものよ」
「確かにそうね」
マティアスは、隣の紳士服を仕立てる店の社長で、レオンティーネ同様、ブラバント伯爵家の支援で独立して店を出した。
彼の店は、ヒームでも王都でもレオンティーネの店と隣同士に建っており、中で繋がっている。男女ペアで出席する夜会の衣裳を揃いで顧客が注文する時など、特にそのメリットを発揮している。
「紹介するわ。こちらは私の婚約者になる予定のライナー・フォン・ツヴェルガー公爵よ」
「当店にご来店いただき、誠に光栄でございます」
「……あらあら、マティアスはいつからこの店の店長になったのかしら?」
「お義姉様!」
冗談ぽくマティアスを茶化して登場したのは、レオンティーネであった。
「公爵閣下、お待たせして申し訳ございません」
「いや、こちらこそ先約があったのに押しかけて申し訳ない」
「いえいえ、思ったよりも早く終わりましたの。せっかくですから、アレクサンドラのドレスに合わせて閣下の服もマティアスに見繕ってもらうのはいかがでしょうか?」
「いや、そこまでしてもらわなくても……」
「いえいえ、そうおっしゃらずに。私からの婚約祝いですわ」
「……では、お言葉に甘えて……」
そう答えたライナーの表情は陰っており、拳を膝の上でギュッと握っていた。




