第18話 未来の義娘のものは私のもの
結局、ライナーは離宮の夜会でアレクサンドラをエスコートすることになり、ヒームでの滞在を延長した。
ルーカスが当座の資金を融通してくれたので、ライナーは資金繰りに頭を悩ませることなくヒームに滞在できる。これでツヴェルガー公爵家の別荘も王都の屋敷も売りに出さずに済む。
そればかりか、ルーカスの負担で公爵家の屋敷を維持管理する人員や領地経営の専門家を派遣してもらえることになった。
ただ、美術商のフリードヘルム・クンストに売却を委託した別荘の美術品だけは、既にライヒ王国で買い手がついたこともあり、大部分を手放すしかなかった。
◇ ◇ ◇
ライナーはブラバント伯爵家から公爵家の別荘に戻ると、さっそくアレクサンドラとの婚前契約の内容を母アンゲラと妹ガブリエラに伝えた。
アンゲラとガブリエラは手を取り合って喜んだが、ライナーは終始、沈んでいた。
「何よ、ライナー、うまくいってよかったじゃないの。そんな暗い顔しないの!」
「この結婚に気乗りしないのだから、仕方ないですよ」
「そのおかげでこの別荘も王都の屋敷も売却しないで済んだではないの。でも、もうちょっと早くあなたがアレクサンドラに出会っていればねぇ……」
アンゲラは、そう言って絵画や彫刻がほとんどなくなって寂しい室内を見回した。
「仕方ありません。出会いは運ですから」
「ブラバント伯爵家の力で売買契約なんて破棄してもらえばよかったのに」
「そんなわけにいきませんよ。フリードヘルムの信用がなくなってしまいます」
「あら、一商人の信用なんてどうだっていいじゃないの」
ライナーは、世間知らずな母の勝手な言い分に内心ため息をついたが、これ以上言っても無駄なので、適当にあしらった。
そんな母と兄の言い争いには、ガブリエラはどこ吹く風といった感じで興味なさそうであった。それよりも、彼女の目下の興味は離宮で開催される夜会に参加できるかどうかだ。
「ねえねえ、お兄様! お金が入って来るなら、私達も夜会に行けるわよね?」
家の没落により、ガブリエラは結婚直前で婚約が破棄された。新しい縁談は未だに持ち込まれないまま、彼女は世間で行き遅れと言われる22歳になってしまった。
没落後も、離宮での王家主催の夜会の招待状はツヴェルガー公爵家に来ていたが、ブラバント伯爵家の援助を受ける前のライナー達には夜会に行く余裕などなかった。でも、今のライナーは不憫な妹に駄目とは言えない。
ツヴェルガー公爵家は落ちぶれても元をたどれば王家から分家した家であり、何代にもわたって王女が輿入れしてきた歴史もある。
だからこそ、ここまでのスキャンダルになっても、王家主催の夜会の招待状は来たし、お家取り潰しにならなかった。
「お兄様、未来のお義姉様のお義姉様に離宮の夜会に着て行くドレスを急いで仕立ててもらえるかしら?」
「お義姉様のお義姉様?」
ガブリエラのウキウキ気分のおねだりにライナーは首を傾げた。
アンゲラはそんな息子の無知を嘲笑うかのように教えた。
「あら、やだ、ライナー、知らないの? アレクサンドラのお兄様の奥様は、有名なドレスデザイナーのレオンティーネ・フォン・ブラバントよ」
「知りませんね……」
ライナーは、顎に手を当てて考え込んだが、その名前に聞き覚えはなかった。
それも無理はない。レオンティーネは、5年前のブラバント伯爵家嫡子ヨハネスとの結婚以前も、それなりに名の通ったデザイナーだったが、独立して店を開いたのは結婚後だ。
その後、レオンティーネは大貴族や大金持ちのブルジョアを顧客に持って高級ドレスデザイナーの地位を確立したが、その頃のツヴェルガー公爵家にはそんな高級ドレスを仕立てる余裕などなくなっていた。
でも今や、アンゲラにもガブリエラにも、没落前のような買い物の感覚が戻ってきたかのようだ。2人の顔は興奮で紅潮していた。
「明日、レオンティーネさんの店に行きましょう」
「母上、向うは売れっ子デザイナーなのでしょう? 急に行って対応してもらえるわけがない」
「あら、かわいい義妹の結婚相手の母と妹のためなら対応してくれるでしょう?」
「ハァ……何を言っているのですか。今まで買ったこともない私達のために特別対応をしてくれるわけがない。それに援助してもらった資金をドレスに使うほど余裕もないんですよ」
「あなたこそ何を言っているの?! 未来の義母と義妹なんだもの、アレクサンドラが義姉に対応させて代金も払うでしょ」
「ハァ……いつから私の母は乞食になったのですか?!」
「何ですって!」
「いっ……痛いじゃないですか!」
ライナーは、電光石火でアンゲラに頬を張られ、頬を押えた。
「復讐したいのでしょう?」
「それと乞食行為のどこが繋がっているのですか?」
「失礼ね、乞食行為じゃないわよ! あの娘を利用するだけ利用して捨てるの。あんなによくしてあげたのに捨てられた――そう思わせるほうがあの家族の嘆きが大きくなるでしょう? 分かったわね?」
「でも……」
「亡くなった旦那様がどんなに悔しかったか。あなただって想像できるでしょう?」
亡き父のことを持ち出されると、ライナーは何も言えなくなった。
アンゲラは、別荘の執事に前触れを書かせ、ライナーに署名させて前触れをブラバント伯爵家へ送らせた。
その後、ライナーはフィリップと2人きりになると、何か書き始めた。
「フィリップ、これをこっそりブラバント伯爵家へ届けてくれ。さすがにいきなり明日行ってドレスを強請るほど、私は厚顔無恥になりたくない。あらかじめ私の負担でなんとかドレスを作っていただけないかと頼んでみるよ」
ライナーは、フィリップにブラバント伯爵とアレクサンドラ、レオンティーネ宛の手紙3通を託した。
◇ ◇ ◇
アレクサンドラは、ツヴェルガー公爵家からの前触れとライナーからの個人的な手紙が届けられるとすぐにレオンティーネの部屋へ向かった。
翌日、ライナーの母と妹が離宮の夜会のためにレオンティーネのドレスを注文しに伯爵家へ来る。手紙にはそう書いてあった。
だが、明日は上得意客の来店予約が入っているとレオンティーネから聞き、アレクサンドラは頭を抱えた。
1世代ぐらい前までは、商人に品物を家まで持ってきてもらって購入するのが顧客のステイタスであった。
だが、鉄道の開通や馬車の性能の向上、道の改良などで流通が活発になり、多種多様な品物が売られるようになった。すると、家に持ってきてもらえる分だけでは、懐に余裕のある消費者は物足りなくなる。
それで最近では、富裕層も店に赴くのが常となっている。レオンティーネも見本のドレスやカタログ、生地などを置いてある店でほとんどの注文を受けている。
でも、レオンティーネが独立して以来、ツヴェルガー公爵家から注文を受けたことはない。そんな彼女達のために予約をキャンセルしたり、既に入っている予約を後回しにしてドレスを仕立てたりするなど、とんでもない。
レオンティーネのそんな答えはアレクサンドラの予想通りで、彼女は肩を落とした。
「ねえ、アレックス、逆に聞きたいんだけど、どうして私があの人達のためにそこまでしなきゃいけないの?」
「でも、私の結婚相手のお母様と妹さんですから……」
「ハァ……でも公爵閣下は、優遇は必要ないと私宛の手紙でおっしゃっていたわ。店にいらしてもいいけど、私が予約のお客様対応中は、店の者が対応するわよ。いいわね?」
「分かりました。お時間をとってすみませんでした」
気落ちして去って行こうとするアレクサンドラをレオンティーネは呼び止めた。
「ねえ、アレックス。あなた、甘く見られているわよ」
「え、どういうことですか?」
「最初が肝心なのよ」
アレクサンドラには、レオンティーネの忠告はピンと来なかった。
◇ ◇ ◇
翌日、ライナーとアンゲラ、ガブリエラ親子がブラバント伯爵家へ赴くと、アレクサンドラが申し訳なさそうに出迎えた。
「いらっしゃいませ。ご用件は伺っております。でも申し訳ないのですが、義姉はお客様の予約が入っていて店に行っております」
未来の義母や義妹のお願いが全く考慮されなかったとは、アレクサンドラはもちろん言えないので、ここはひたすら下手に出るしかない。
「今日は我が家でお茶やお菓子を楽しんで、店には明日、行きませんか?」
アレクサンドラは、ビクビクしてアンゲラとガブリエラの反応を待った。




