第15話 公爵としての誇り
ライナーが馬車の中で痺れを切らしそうになった頃になってようやく、アレクサンドラは息せき切って戻って来た。
「ライナー、ごめんなさい。お待たせしました」
「いや、大して待っていませんよ」
アレクサンドラが一旦屋敷の中に戻った後、ライナーは御者に追加料金をせびられたので、本当は苛々して待っていた。だが彼女が屋敷から出て来たのを見た途端に何でもないように装った。
「これ、今日の馬車代と遊覧船代です」
アレクサンドラは、そう言ってずっしりと重たい革袋をライナーに差し出したが、彼は受け取らずに顔色を変えた。
「どういうことですか?! 私のほうからデートにお誘いしたのに馬車代と遊覧船代すら払えないとでも?!」
「い、いえ、そういうわけでは……ただ、お家の事情を聞いてしまった以上、今日の費用を全部払っていただくわけには……こういうものは、お金があるほうが払ったほうが効率がよいでしょう?」
「私は金をせびる乞食か何かですか?!」
「そ、そんなつもりじゃ……」
ライナーが血相を変えてアレクサンドラを責めたので、彼女は泣きそうになって項垂れた。
「閣下……」
ライナーは、フィリップにジャケットの袖をそっと引っ張られてようやく冷静になり、彼女に謝罪した。
「すみません。情けない自分を思い知って我を失っていました。ただ、今日は初めてのデートということで、私の顔を立ててくださいませんか?」
「いえ、こちらこそ失礼なことをしてしまい、申し訳ありません。でも私の分は自分で払います。それだけでも受け取っていただけませんか?」
「そんなわけには……」
そんな押し問答がしばらく続き、痺れを切らした御者が怒鳴った。
「旦那! そんなにグズグズしてるなら、もう1回追加料金もらうよ!」
「まあ……」
「なっ! 失礼な!」
アレクサンドラがあっけにとられた一方で、ライナーは恥をかかされたと憤慨した。
「閣下、ここはありがたく頂戴しませんか? 御者にこれ以上待ってもらうわけにはいかないでしょう?」
「ううん……でも受け取らないと言ったものをやはりいただくのは……」
フィリップが言う通りにこのお金をもらえば、本音を言えばライナーは大分助かる。だが、一旦受け取りを断った手前、やはりもらうとあっさり言うのはツヴェルガー公爵としての誇りが許さなかった。
逆に言えば、それはアレクサンドラにも当たる。だから、あげたものを返してもらうのは決まりが悪いと彼女が言えば、ライナーが受け取る大義名分にもなる。
「一旦差し上げたものを返していただくのは、我が家にとっても恥ずかしいことです。だから受け取っていただけるとありがたいですわ」
「うーん、まあ、やはりそうかな……」
「早くしてくれよ!」
御者が苛々した調子でまた文句を言った。
「閣下、ここはご好意をいただきましょう。――ブラバント伯爵令嬢、閣下に代わって感謝申し上げます」
黙りこくっているライナーの代わりに、フィリップがアレクサンドラに礼を言って金貨の入っている革袋を受け取った。
「あの……それでは私、これで失礼します」
「……」
「閣下、閣下」
フィリップが再び袖を引っ張ると、ライナーはやっと我に返った。
「あ、ああ……アレックス、ありがとうございます。次のデートについてはまた連絡します」
「本当ですか?! 嬉しいわ」
「もちろんですとも」
ライナーがデートを確約した途端、アレクサンドラは悲しそうな表情を一変させて顔をほころばせた。
アレクサンドラはライナーに別れを告げると、名残惜しそうに何度も振り返りながら屋敷の中に戻った。彼女の姿がドアの向こうに消えると、すぐに馬車は発車した。
帰りの馬車の中でライナーは、フィリップから革袋を渡されるなり、床に叩きつけた。革袋からは、床にぶつかった拍子に金貨がバラバラと出てきて床を転がった。
「クソッ! 馬鹿にしやがって!」
「閣下、落ち着いてください」
フィリップは、床に落ちた金貨と革袋を拾ってライナーの隣に置いた。
「私は乞食じゃないんだぞ!」
「でも金は金です。別荘の使用人達の給料に当てましょう」
「ハァ……確かにそうだな。すまない、取り乱した」
その後の帰り道では、時々ため息をつく以外、ライナーはずっと黙っていた。
◇ ◇ ◇
翌日、ライナーはアレクサンドラから謝罪しに来たいという手紙を受け取った。そのことは彼の母アンゲラと妹ガブリエラにもすぐに知られ、ライナーはアンゲラから手紙を見せろと詰め寄られた。
「ライナー、アレクサンドラ嬢から手紙が来たんですってね。見せなさい」
「見せるほどのものではないですよ。ここに来たいそうですが、断るつもりです」
「こんな状態の別荘を見せられないから、仕方ないわね。私達もこんな流行遅れのドレスを着ているのを見られたら、馬鹿にされるに決まっているわ! あっ! そうだわ、そうよ、あなたが伯爵家へ行けばいいんだわ!」
「私だって一張羅は昨日着ていたものしかないんですよ」
「フロックコートなんてどれだって同じでしょう?」
「一見同じように見えるものにも、貴族ならではのこだわりがありますよ。それにウエストコートやトラウザーズで個性を見せることだってできる。父上だってそうだったでしょう?」
フロックコートはどんなものでも黒一色だが、洒落者はトラウザーズやフロックコートの下に着るウエストコートにこだわる。
ライナーの父はおしゃれだったから、衣裳持ちだった。だが彼よりずっと背の高いライナーは父の服を着られない。
それ以前に父の服は形見として残したもの以外、ほとんどもう公爵家にはない。恥を忍んで母に内緒でフィリップに売り払ってもらった。どれも超高級な注文服だったので、なかなかまとまったお金になった。もちろんすぐアンゲラにはバレてしまい、親子喧嘩になったが、背に腹は代えられなかった。
「そんな話は聞きたくないわ。旦那様の服なんて、誰かさんのせいでほとんど残っていないじゃないの。公爵家が古着を売ったなんて噂になって大恥かいたわ!」
アンゲラは、亡き夫の服がなくなって悲しいというよりは、服まで売るほど困窮していると思われることが嫌なのだろう。ライナーはそう思っていたが、形見がなくなって母が意外に悲しんでいるように感じられて罪悪感を覚えた。
「母上、すみません……失言でした」
「分かったなら、伯爵家へ行ってアレクサンドラ嬢の機嫌を取ってちょうだい。それだけが唯一の希望よ」
「父上を騙した男の娘と結婚してその実家から援助をもらうなんて、やはり私は気が進みません」
「もうこれ以上、旦那様が遺したものを失いたくないのよ!」
それを言われると、ライナーは弱い。ブラバント伯爵家を訪問するとアレクサンドラに返事を出すしかなかった。
◇ ◇ ◇
それからほぼ毎日、ライナーはアレクサンドラに会いにブラバント伯爵家へ赴いた。
それが何日目かになった日、ライナーはアレクサンドラの父ルーカスに呼び止められた。
「ツヴェルガー公爵閣下、お帰りになる前に少し話せませんか?」
「お父様、閣下はお忙しいのに引き留めたら、失礼ですわ」
「重要な話があるのだよ。――閣下、今日は時間がないようでしたら、明日か別の日にでも都合をつけていただけないでしょうか?」
「いえ、今、話しましょう」
「ライナー、無理をしなくても……」
「大丈夫だよ」
ライナーは、アレクサンドラに微笑んだ。
「お父様、私も同席しますわ」
「いや、お前には遠慮してもらう」
「そんな、どうして?! ライナーは私のお客様よ」
「お前に関係することは後でちゃんと話すから、今は納得してくれないか。まずは家同士の話を閣下と相談したいんだよ」
「でもライナーは私に会いに来てくださっているのだから、私も関係していますよね?」
「だからまずは家同士の話をしてから……」
アレクサンドラとルーカスは、まるでライナーがいることを忘れたかのように口論を始めた。
見かねたライナーは、とうとう口論に割り入ってアレクサンドラをなだめた。
「アレックス、心配しないで。君に関係することはちゃんと報告するよ。婚約は家同士の取り決めだから、まずは父君と話させて」
「……婚約!! 本当に?!」
アレクサンドラは目を丸くして両手で口を覆った。
「ごめんね。きちんと君にプロポーズしていなかった。――アレクサンドラ・フォン・ブラバント伯爵令嬢、私と結婚してください」
ライナーは、片膝を床について手を差し出したが、アレクサンドラは固まっており、一言も発しなかった。
「アレックス? こんな所でプロポーズされて怒ってる? 後できちんとプロポーズするから、許してくれる?」
「ウォホッン!」
目の前で繰り広げられたプロポーズに決まりが悪くなったのか、ルーカスがわざとらしい咳払いをした。




