第14話 ツヴェルガー公爵家の事情
アレクサンドラ達は遊覧船から降り、帰りの馬車に乗ったが、話は弾まなかった。
せっかくの初デートなのに、話が盛り上がらないまま解散するのは、アレクサンドラは嫌だったから、思い切って次のデートの約束を取り付けようとした。
「……その前にお話することがあります」
ライナーは、アレクサンドラのデートのお願いにはっきり答えずに重苦しい表情で切り出した。そして御者に馬車を停めるように命じた。
そんなライナーをアレクサンドラは不思議そうに見て尋ねた。
「まだうちの別荘に着いておりませんが?」
「話を始める前にアレックスの侍女とうちのフィリップに一旦、馬車から降りてもらいます」
ライナーに馬車から降りるように言われたアナは、顔色を変えた。
アレクサンドラのような未婚の令嬢が密室で男性と2人きりになったと世間に知られたら、名誉にかかわる。
それにアナのようにその時に傍に付いていて止めなかった使用人は、主人から叱責を受け、下手をすれば解雇される。
「閣下、お言葉ですが、旦那様にお嬢様を男性と2人きりにしないよう、厳命されております」
「失敬な。私は公爵である前に紳士でもある。でも君が伯爵に叱られないないか、心配するのも分かるよ。念のために馬車のドアは開けておいてやろう」
「申し訳ありません。でも……」
「アナさん、そんな心配をするのは失礼です。閣下は、神に誓って女性に無体を働くような人間ではありません」
敬愛する主人が疑われて憤慨したフィリップがアナに反論し、彼女を馬車の外へ半ば無理矢理出してしまった。
「ちょ、ちょっとフィリップさん! 私はお嬢様のそばに付いていなきゃいけないのよ!」
「静かにしてくれませんか? だいたい、閣下はあのハンサムぶりですよ。女性に無体を働かなきゃいけないほど、相手に困っていません」
「でもお嬢様は未婚の令嬢なのですよ。こんなことが世間に知れたら……」
「あなたが騒がなければ、誰も気づきませんよ」
そう言われてアナが辺りを見回すと、通行人が彼女をチラチラと見ていた。アナは声を落としてまだ気になっていることを尋ねた。
「じゃあ、どうして2人だけで話さなきゃいけないのか、それだけでも教えてください」
「それは……あなたもお気づきかもしれませんが、私からは言えません」
「何よ、それ。納得いかないわ」
アナは、憤然としながら、細く開いたままの馬車のドアに手をかけようとした。
「ちょ、ちょっと待って。閣下がお嬢様のお気持ちに応えるのなら、当家の事情もお話しなければならないとおっしゃっていたのです。なので、ここは堪えてくれませんか?」
「ロイヒテンベルク公爵家の事情ですか……」
「ええ、アナさんのご主人様もご存知です。そのうちアナさんも知ることになるでしょう」
「そうですか……それならなんとなく私も推測はつきますが、旦那様のご判断に任せるしかありませんね……」
アナは、万一のことが起きないようにと目を皿のようにして馬車の窓をじっと睨みつつ、アレクサンドラとライナーの話が終わるのを待った。
◇ ◇ ◇
馬車の外が静かになるのを待ってから、ライナーは姿勢を正して真剣な面持ちで話し出した。
「アレックス、いやブラバント伯爵令嬢、私は……婚約者のいない結婚適齢期のあなたと何度もお会いすることはできません」
「え、そんな……ライナーも独身で婚約者もおられないとお聞きしましたわ。まさか恋人でもいらっしゃるの?」
「いえ、私には婚約者も恋人も愛人もおりません。それでも私にはあなたに交際を申し込む資格がないのです」
「どうしてですか? ライナーは、公爵閣下ですわ。私のほうこそ身の程知らずの望みを抱いたのでしょうか? なのに勝手に盛り上がって、喜んで、浮ついて……私は馬鹿でした。お兄様がいつも言う通りだったんだわ」
アレクサンドラは、最後には涙声になってしまい、下を向いて膝の上でスカートを握った。
「とんでもない。我が国一の大富豪ブラバント伯爵家のお嬢さんと結婚はおろか、交際する資格すら、今のツヴェルガー公爵家の者にはないのです、たとえ当主であっても……本当はこんなことは言いたくなのですが……我が家は破産寸前です。あなたもお聞きかもしれませんが……」
「え?! ツヴェルガー公爵家が?! そ、そう言え……いえ、何でもありません」
アレクサンドラは、涙が流れる顔を上げて素っ頓狂な声をあげた。
「お恥ずかしいことに……この馬車は我が家のものですが、御者と馬は今日だけ辻馬車のものを頼みました。別荘の御者は解雇して馬は売りました。船も売ったので、今日は遊覧船会社の船に乗ったのです」
「まぁ……」
「数年前のことですが、父が騙されて……とてつもない巨額の借金をしてしまい……自殺してしまいました。それ以来、ずっと借金返済に奔走していますが、全くうまくいきません」
「なんてこと……お気の毒に。お辛かったでしょう」
ライナーは、ギリッと歯ぎしりをした。ハッとしてアレクサンドラを見たが、彼女はひたすらライナーを気の毒そうに見ている。惨めなのと悔しいのと複雑な感情が押し寄せてきたが、ライナーは必死にポーカーフェイスを装った。
数年前までライナーは、身分も金も何もかも、美貌すらある前途洋々の青年だった。誰もが彼にひれ伏し、胡麻をすった。婚約者がいたのにもかかわらず、誘惑してくる女も枚挙にいとまがなかった。
だがライナーが借金の返済に奔走するようになってから、人々は掌を返した。従妹である婚約者さえ、そっぽを向き、彼女の一家は親戚としての縁も断ち切った。
今も誘惑してくる女は相変わらずいるが、ライナーを結婚相手として見ているのではない。金持ちの未亡人や結婚生活が破綻している貴族夫人が、連れて歩いて自慢もできる愛人としてライナーを欲しがっているのだ。
ライナーは、誇りを捨てて以前なら考えられないような惨めなお願いや売却話をなりふり構わずしている。アレクサンドラに家の事情を告白することもその一環でしかない。ただ、そうだとしても、吐き気のするような愛人への勧誘を受け入れるほど、落ちぶれてはいない。
「最後の手段として、別荘も王都の屋敷も売却することにしました。これでなんとか領地と領地の屋敷を維持できるかどうか。それが無理なら、最終的には爵位を返上しなくてはならないでしょう。そんな状況で大富豪の令嬢のあなたに《《結婚前提》》の交際なんて、とても申し込めません」
ライナーは、頭を下げた。それとともに黄金のように輝いていた髪が力なく垂れ下がり、身体の震えとともに揺れた。
「ライナー、顔を上げてください。私はあなたの正直な気持ちを知りたいです。私のことをどう思いますか?」
「だから今言ったように、私の立場では交際を申し込めません」
「借金とか、立場とか、そういうことはひとまず置いておいて、私はあなたの純粋な気持ちが知りたいのです」
アレクサンドラは、顔を上げたライナーの手を両手で包み込んだが、すぐにパッと手を離した。彼女は、耳まで真っ赤になっていた。
「あっ、すみません……つい……」
「いえ。ありがとうございます……わ、私は……あなたを、その、好ましく思ってはいます……」
「本当ですか?! それならお付き合いしましょう!」
アレクサンドラは、表情をパッと明るくした。それを見てライナーは、慌てて付け加えた。
「ああ、でもお会いしたのが今日で2回目です。私の家の問題がないとしても、まだ結論を出すのは早い段階です。あなたにはじっくり考えていただかないと」
「そんなの、構いません。愛があれば何でも乗り越えられます!」
「あの……」
戸惑いを隠しきれないライナーは、どう答えればいいのか迷った。
ちょうどその時、しびれを切らした御者が御者台の裏の外壁をドンドンと叩いた。
「旦那! いつまでここに停まってなきゃなんねぇんだ? 約束の時間はもう過ぎたで」
ライナーは仕方なく話を切り上げてブラバント伯爵家へ向かって馬車を出発させるしかなくなった。
馬車が伯爵家に到着すると、馬車から降りたアレクサンドラは、別れを告げたライナーを引き留めた。
「ライナー、少し待っていてくださる?」
「ああ、いいですけど、どうしたのですか?」
「見てからのお楽しみですわ」
急いで別荘の中へ入って行くアレクサンドラの後ろ姿をライナーは怪訝そうに見つめた。




