第13話 遊覧船
馬車の駐車場から遊覧船乗り場までのわずかな道のりを行く間、アレクサンドラは活発な往来に目をみはった。
この船着き場では、個人所有の船専用船着き場よりずっと多くの人々が行き交っている。それも裕福な人々とその使用人達しか使わない向こう岸の船着き場と違って、ここの通行人達の様相はまちまちだ。
ここでは、アレクサンドラ達のように高級な仕立て服を着た人々は少数派である。むしろ、船着き場や近隣で働く労働者や、それなりに上等ではあっても既製服を着ている保養客が多い。
遊覧船に乗る保養客の大半は、自分の別荘を持つほどではなくても、ヒームのホテルで短い休暇を過ごせるぐらいの余裕がある。だが近隣の別荘やホテルの使用人達も、たまの非番の日には精一杯のおしゃれをして遊覧船へ乗り込んだりする。
アレクサンドラは、さっきの御者の振舞いに対する違和感をすっかり忘れ、初めて見る光景に胸を躍らせた。
「閣下、こちらの船着き場はにぎやかですね。驚きました」
「毎年ヒームにいらしているのに、ここにいらっしゃるのは初めてなのですか?」
「はい、いつもは対岸の船着き場を利用していますので。公爵家もそうですよね?」
「え、ええ、まあ、そうですね。さあ、乗車券はもう購入してありますので、乗りましょう」
ライナーは、アレクサンドラの質問に話半分に答えながら、秘書のフィリップから乗車券を受け取った。
一行が遊覧船に乗り込むと、1等席用の上のデッキの個室に案内された。
アレクサンドラは、すぐに窓に張り付き、外の景色を眺めた。
「あの、閣下、デッキに出てもよろしいでしょうか? 外の景色をもっと見たいのです」
「ああ、それじゃあ、私も……」
ライナーがついて行くと言い終わる前に、アレクサンドラは個室から飛び出していた。
「お、お嬢様!」
侍女のアナが慌ててアレクサンドラを追ったので、個室には目を見合わせるライナーとフィリップの主従しかいなくなった。
「破天荒なお嬢様だな」
「全くですね」
「それじゃあ、お嬢様のご機嫌を伺ってくるか」
「閣下……本当によろしいのですか?」
「今更何を言っているんだよ。さあ、行くぞ」
ライナーは個室を出てデッキへ向かい、その後をフィリップは追った。
ライナーとフィリップが遊覧船の1等デッキに出た時には、アレクサンドラはデッキの手すりにつかまって湖面を眺めていた。その後ろでアナが風に逆らって必死に日傘をアレクサンドラの頭上にかざしていた。
「令嬢、風が気持ちいいですね」
「ええ、とても」
アレクサンドラは、ライナーの声を聞いて振り返った。
「定期遊覧船に乗るのは初めてでしょうか?」
「はい、いつもはうちの船に乗りますので」
「……伯爵家の船と比べてどうでしょうか?」
「活気があっていいですね。それでも、このデッキは下よりも人が少ないですけど」
少し暗い様子のライナーに対して、アレクサンドラはあっけらかんとした様子で明るく答えた。
「公爵家の船と比べたら、この船はどうですか?」
「さぁ……もう覚えがありません。うちの船はもうありませんから」
その時、汽笛が鳴り、ライナーの言葉に重なった。
「え? 何ておっしゃったの?」
「何でもありません」
「あ! 船が動き出しましたわ!」
アレクサンドラは、動き出した遊覧船に夢中になり、ライナーの答えが聞こえなかったことをすぐに記憶の彼方へ押しやった。
定期遊覧船は、湖の真ん中にある島を遠巻きにぐるっと巡るような形で湖を1周し、元の船着き場に戻る。
アレクサンドラ達の遊覧船も、島に近づいていった。
「あっ、離宮が見えてきました!」
島に建つ離宮では、再来週、国王夫妻臨席のもと、舞踏会が行われる。アレクサンドラも家族総出で出席予定だ。
「離宮の舞踏会にはいらっしゃいますか?」
「再来週ですよね。ヒームにはそんなに長い間いられないので、ちょっと無理かもしれません」
「そうなのですか……」
アレクサンドラは見るからに落ち込んだ。それまでのはしゃいだ様子とは一変して言葉なく湖をじっと見つめている。
ちょうどその時、雲の切れ間から日光がさし、アレクサンドラの栗色の髪が逆光を受けて輝いた。ハーフアップした髪は風にたなびいていて乱れたが、彼女がそれに構う様子はなかった。
一瞬、ライナーはその姿に見とれそうになったが、突然、突風が吹いて我に返った。彼の目の前でアナが持っている日傘がひっくり返りそうになり、咄嗟に手を貸した。
「あ! 公爵閣下、申し訳ございません!」
「アナ、危ないから日傘を閉じて」
「でもお嬢様が日焼けしては困ります」
「あとちょっとだけ景色を見たら、中に入るから大丈夫よ」
「ですが……」
「大丈夫だって」
「令嬢、風が強いですから、そろそろ中へ戻りましょうか?」
ライナーが見かねてアレクサンドラに声をかけた。彼女はうなずいたが、名残惜しそうに振り返ってから個室へ戻った。
アレクサンドラは、中に戻って来ても興奮冷めやらぬ様子だった。
「閣下、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「喜んでいただけて何よりです。それと、私のことはライナーとお呼びください」
「では、私のことはアレックスと……」
アレクサンドラは、頬を染めてそう頼んだ。
◇ ◇ ◇
アレクサンドラは遊覧船から下船して帰りの馬車に乗ると、もうすぐ終わってしまうライナーとの逢瀬が名残惜しくて仕方なくなった。それで一生懸命ライナーに話しかけたが、彼は上の空で相槌を繰り返すだけだった。さすがのアレクサンドラも、口数が徐々に少なくなっていった。
馬車は、次第に伯爵家の別荘へ近づきつつあった。
アレクサンドラは、次のデートの約束を取り付けようと思い切って口を開いた。
「あの、ライナー、再来週の夜会以外にもお会いできるかしら?」
「領地や王都でやることがありますので、約束をできるかどうか……でも、必ず連絡します」
ライナーの答えの歯切れは悪く、まだ何か言いにくそうにしていた。
「……その前にお話することがあります」
とうとうライナーは、重苦しい表情で切り出した。




