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第99話 互いの交錯する想い

 雨は容赦なく頭上に降り注ぐ。

 夏の雨は雷を呼んでくるから嫌いだ。

 振り上げた刀の刃先に雷が落ちる光景はもう見たくない。

 人が焼け焦げる臭いや一瞬で黒い炭になる様は今も脳裏に焼き付いている。

 それは2度と目にしたくないものだった。

 百合ゆりは隣で義父の腕に抱かれる娘と走り去った夫の背中を交互に見た。

 守りたいものが今、得体の知れない脅威に晒されている。

 なぜこんなことになっているのだろう。

 やはりこの異能のせいで周囲に危険が迫っているのではないだろうか。

 夢と現実が混ざり合う中で朧げに思い出されるのはみやこから連れ出された時のことだ。

 武士の男は備中国びっちゅうのくにへ行くところだと言った。

 そこに輪廻の華を欲している者がいる、と。

 奥州ではこの異能のせいでいつの間にか『輪廻の華』と呼ばれていた。

 戦場から雪柊せっしゅうに助けられ、やっと心休まる場所を手に入れたと思っていた矢先、再びこの異能のせいで周囲を危険に巻き込むことになった。

 人を殺す力もなければ、人を生き返らせる力があるわけでもない。

 こんな何の役にも立たない異能に何の価値があるというのだろうか、とずっと思ってきた。

 考えてみれば百合は受け継いだ異能についてほとんど知らなかった。

 これまでしてきた看取り以外に何ができるのかを樹光じゅこうから教わらなかった。

 だが最近になって、芙蓉ふようという人物の記憶を夢に見るようになり、他にもできることがあることを知った。

 樹光亡き今、夢の中に出てきた彼女が見せる記憶だけが百合にとってこの異能を知る唯一の術である。

 芙蓉の記憶にある死者を黄泉よみの国から戻すようなことができるのだとしたら、これまで輪廻の華を必要としてきた者たちはそれが狙いだったのかもしれない。

 だとすればこの惨状を生み出した原因は自分にあるのではないか。

 百合はそう思う。

 この異能さえなければ、何度もそう思いながら月華つきはなに出逢ったことでその考えは捨てたつもりだった。

 月華や愛娘のために。

 だがそれを押し通すことで逆に彼らを危険に晒しているのだとしたら、やはり消えてしまった方がいいのではないか。

 百合はこの異能を消す方法を知らない。

 自ら命を断つことができないことはすでにこれまでにも何度も試したことでわかっている。

 であればこの異能持つ存在として消える方法は誰かに殺してもらうか寿命が尽きることしかない。

 他人の手にかかることはこれまで何度も試してきたがどれも成功しなかった。

 必ず守る、と言い残して敵の懐へ向かった月華のことを考えれば、百合が誰かに狙われるような時はすぐに助けに来るだろうから、誰かにこの命を終わらせてもらうということは難しいだろう。

 この異能は使えば使うほど自分の寿命が短くなるという。

 ならば、しばらく封印してきた業解きの術をここで使い続ければ寿命はあっという間に短くなり、命の燈が消えるのではないか。

 百合はそう思った。

 ふと視線を動かすとそばに寄り添う娘を抱く義父の姿が目に入った。

 その視線は心配そうに月華へ向けられている。

 無理もないことだろう。

 我が子を案じない親などいないのだ。

 だからやはり狙われているこの異能の存在を早く消さなければならない。

 百合は決意した。

「……父上様、花織かおるをお願いできますか」

 もう百合に迷いはなかった。

「お願い、とはどういう意味だ」

「先に寝殿へ向かってください」

「何を言っておる!? そなたも一緒に行くのだ、百合殿」

「……私にはまだやることがありますので一緒には行けません」

「馬鹿を言うな。この状況で一体何をすると言うのだっ。月華が侵入者を食い止めるために敵の懐へ向かった。それが誰のためであるか、わからないわけではなかろう!?」

「わかっております。ですが、私がやろうとしていることもまた、みなさんや月華様をお守りすることに繋がるのです。ですから先に行ってくださいませ」

 百合は花織の頬に手を当てた。

 愛しさが込み上げてくる。

 同じ仕草をしていった月華のことを思い出し、百合は溢れそうになる涙を必死に堪えた。

 これまでの月華との想い出が一気に蘇り、彼への想いが花織へと繋がったことを思うと月華も娘も絶対に失いたくない。

 必ず守ってみせる。

 百合は義父へ向かって深く頭を下げると1歩足を踏み出した。

 背中から引き止める時華ときはなの声が聞こえ、まもなく花織の鳴き声がして百合は足を止めそうになったがぐっと堪えて聞こえないふりをした。

 周囲を見渡すと何人もの家臣が辺りに倒れていた。

 呻き声もちらほらと聞こえ、まさに戦場と変わらない光景がここにある。

 雨足が強くなる中、百合は近くに倒れる家臣のそばに膝をついた。

 着物の裾が泥だらけになることも厭わなかった。

 倒れた家臣は刀を握りしめたまま、微動だにしない。

 頬に手を当てるとすでに冷たくなっていた。

 目を閉じた家臣の顔には見覚えがある。

 もう生き絶えているのだと理解した時、自然と涙が流れた。

 名は知らなくとも邸の者の顔は大体見知っている。

 この九条邸に暮らすようになって半年以上の月日が流れた。

 世話になった者は数え切れない。

 目の前に横たわる家臣も例外ではない。

 辺りを見回すと同じような倒れる家臣の遺体が何体もあった。

 それも見慣れた我が家の敷地の中に。

 この状況を引き起こした原因が自分だと思うと、百合はいたたまれなかった。

「こんな異能を持った私が嫁いできてしまったために……ごめんなさい。せめて来世ではよき人生を——」

 百合は冷たい家臣の手から刀を外して地面に置くと両手でその手を握りしめた。

 かつて奥州の戦場で幾人もの魂を業から解き放ったことを思い出す。

 残された寿命が残り少ないのなら、その命は世話になった者たちのために使いたい。

 かつて樹光から異能を受け継いだ時と同じ。

 救えなかった者たちを安らかな道へと導いた先に自らの死があるのなら、無駄死にならなくて済む。

 百合が祈るような気持ちで目を閉じると握った手が光り始めた。



「百合、やめなさいっ」

 白檀びゃくだんは光り始めた百合の腕を強く掴むと死者と繋がれた手を強引に引き剥がした。

「これ以上、その異能を使うべきではない!」

 百合の異能を消すために彼女を探して華蘭庵からんあんへ向かっていた白檀は、中島へ渡る橋の近くで百合を発見した。

 生き絶えているだろうと思しき九条家家臣と繋いだ手から淡い光が出始めていたのを見て、異能を発動しているのだと悟った彼は必死でそれを阻止したのだった。

 白檀が割って入ったことで、淡い光はすぐに消滅した。

「これ以上、異能を使うと本当に寿命が尽きてしまいますよ!」

「そのつもりだからそうしているのですっ」

「なぜそのようなことを……」

「この異能があるからいつも私の周りには危険がつきまとう。大切な人が傷つき、大切な場所が失われていくのをこれ以上見たくありません!」

 百合は異能を消す方法を知らないはずである。

 だから異能そのものの存在を消すために命を削ろうとしているのか。

 異能の持ち主は業縛りの術によって自ら命を断つことはできない。

 この常闇とこやみの術は血で受け継がれることはなく、次の者へ術者の意思で受け継がれるものだ。

 百合が誰にも受け継がずに命を失うことがあれば、それはこの異能が消滅することを意味する。

 彼女は彼女なりに異能の消滅を望んでいる、ということなのかもしれない。

「そんなことをしなくても、私はあなたの異能を消す方法を知っています。だから命を削って異能を消そうとしなくてよいのです」

「……え?」

 百合は目を見開いた。

 当然のことだろう。

 異能を消す方法を知っているのは『常闇日記とこやみのにっき』の原本を持っている白檀だけなのだから。



 同じ頃、家や家族を守るために巨大な力に立ち向かった月華は歯が立たない不毛な戦いの中で限界を感じ始めていた。

 これではなぶり殺しではないか。

 術者の御形ごぎょうは余裕の笑みを浮かべている。

 2頭いる獣のうち、まだ1頭しか相手にしていないのに襲いかかる牙や手足を受け止めるのが精いっぱいで攻撃に転じる隙はどこにもない。

 しかし防戦一方だからとて、この戦いをやめるわけにはいかない。

(これでは埒があかない。どうする? どうすればいい!?)

 雨足は一層強くなり分厚い雲が広がる中、月華の脳裏にふと雷を恐れていた百合の姿がよぎった。

 その一瞬の油断を逃す御形ではなかった。

 それまで静観していたもう1頭が襲いかかってきたのである。

 さすがの月華も2頭同時の攻撃は受け止めきれない。

 獅子の牙を受け止めている間に虎の前足が彼を襲った。

 脇腹から押し出されるように飛ばされ、受け身を取る暇もなかった。

 勢いよく飛ばされた体が邸の壁に叩きつけられる——そう思った時、力強く受け止められた。

 受け止めてくれた相手が尻もちをついたがおかげで月華は壁にめり込まずに済んだ。

 見上げるとそこには頼もしい師匠の顔があった。

「雪柊様っ!」

「全く……こんなことばかりで君のそばにいると命がいくつあっても足りないねぇ」

 いつもどおりの砕けた物言いではあったが月華は恐怖を感じた。

 雪柊の目がうっすらと開かれていたのである。

 いつもなら開いているのかどうかわからないほど細い目をしている雪柊の目が見開かれている時は危険だと月華はよく知っている。

「も、申し訳ありません……」

「別に君に怒っているわけではないよ」

「で、ですが雪柊様、なぜここに!? てっきりまだ備中びっちゅうにいらっしゃると……」

「君たちが備中を出てからまもなく後を追った。白椎はくすい様も京へ戻りたいと言って聞かなかったし、鬼灯きとう棗芽なつめが後は任せろと言うから」

 ちょうどその時、ふたりの元に駆け寄る影があった。

「月華っ! 大丈夫か……って、えっ? 叔父上!?」

 瞠目した紫苑しおんの手を借りて月華は立ち上がった。

「紫苑、何をしている!? お前たちは早く奥へ行け」

「何言ってやがる。俺はな、じっとしてるのが嫌いなんだ。机仕事なんざまっぴらなのさ」

「机仕事!? 何を言っている。これは政じゃない。命のやり取りなんだぞ」

「当たり前だ。月華が何と言おうと俺はお前と一緒に戦うからな」

 紫苑の無謀な言い分に月華は眉を寄せた。

 すると不気味な笑みを浮かべながら雪柊が紫苑の首に絡みついた。

「よく言った、それでこそ久我くが家の男だ。ふ、ふははっ」

「な、何がおかしいんですか叔父上」

「備中では少し暴れたりなかったんだよ。我々でときを稼ごうじゃないか」

「刻を稼ぐ?」

「そうさ。白椎様が百合の異能を消すまでの刻だ」

 雪柊の視線の先を追うとそこには地面に膝をつく百合と白檀の姿があった。

「百合!? なぜあんなところに——」

 父に預けたはずの百合は寝殿に避難しているはずなのに、なぜまだ付近に残っているのかと彼女の元へ向かおうすると、雪柊によって強く着物の衣紋を引かれて戻された。

「前を見なさい、月華」

 雪柊の言うとおり、すぐ目の前を虎の爪先が掠めていった。

「百合のことは白椎様にお任せしなさい。私たちはあのふたりに危険が迫らないように力を尽くす、いいね?」

 口元が歪む雪柊の視線は真っ直ぐに御形へ向いていた。

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