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第101話 解の術

「何だか様子がおかしいな」

 みやこへ入った北条鬼灯ほうじょうきとう棗芽なつめは人だかりに引き寄せられるように馬を進めた。

 どこからこれだけの人が集まってきたのかと思うほどに人だかりでごった返しており、馬上から見える人の頭は大路を埋め尽くしていた。

 この大路のずっと先には通い慣れた九条邸がある。

 まもなく馬では前進することができなくなったふたりは仕方なく馬を手放した。

「この人だかり、九条邸の方へ続いているようですね」

「ああ、そのようだ」

 本降りになってきた雨は鬼灯の長い髪を濡らした。

 備中国びっちゅうのくにでの戦いで汚れた全身が洗い流されるほどの雨だ。

 戦場で雨に降られることなど珍しくないが、この雨は戦況を大きく揺るがすようなが気がしてならない。

 月華つきはなたちを追って行った陰陽師の男が彼らと遭遇し、戦いになっているとしたらこの雨でぬかるんだ地面での戦闘が厳しいものになっていることは想像に難くない。

 彼らは無事なのだろうか、と一抹の不安が過ぎる。

 馬を降りて歩き出したふたりの耳にふと野次馬3人の会話が聞こえてきた。

「あの先刻さっきの爆発、何だったんだろうねぇ」

「何でも九条様の塀が壊されたらしいぞ。門も無くなってるってさ」

「へぇ門が? 何ぞあったんかね」

「そういや九条様のお宅には行方不明の方がおらんかったかね?」

「あぁ、聞いたことあるね。でも飛び出して行ったのはずいぶん昔のことだって話じゃないか。今頃戻ってきたってかい?」

「知らないが何かお家の騒動かもしれねぇな。だってここは帝のおわす京なんだぜ? 戦場じゃあるまいし、敵が攻めたりしてくるはずはないさね」

「敵って誰のことだい」

 野次馬たちはけらけらと笑った。

 笑っているということは彼らに危険は迫っていないということだ。

 だがこれだけの野次馬が集まるほどの騒ぎが起こっていることは間違いない。

 あの陰陽師の魔の手は確実に月華たちの喉元に届いている。

 鬼灯は表情を曇らせた。

 術師の男の強さは実際に対峙した鬼灯が1番よくわかっている。

 巨大な獣を式神に持ち、それを自由に操る術者なのだ。

 まともにひとりで対峙して敵うとは言い難い。

 息子のように育ててきた月華の命に危険が迫っていることを思うと一刻も早く駆けつけなければならない衝動に駆られる。

 すると棗芽がいつになく神妙な面持ちで、鬼灯の耳元で囁いた。

「あの男、やはり月華の元に辿り着いたようですね」

 頷いた鬼灯は無意識のうちに腰に差す刀の柄を握りしめた。

「あの男は我々よりもだいぶ前に備中を発った。もしその足で真っ直ぐ九条邸へ乗り込んだとしたら市井の者たちが言う爆発があったというときからだいぶ時間が経っているかもしれぬ。月華、無事であればよいが……」

「急ぎましょう、兄上。それにしても行方不明だった月華が九条家で騒動を起こしていると噂されているなんて……全て片付いたら月華にこのことを教えてやらねばなりませんね」

 失笑する棗芽に鬼灯は呆れてため息を漏らした。

「棗芽、ほどほどにせよ。お前は月華を過度に揶揄いすぎる」

「心得ております」

 本当にわかっているのか、わかっていないのか。

 棗芽はとっとと歩き出した。

 彼の三つ編みにされた長い髪の先からは筆から滴る墨のように雨の雫がぽたぽたと垂れている。

 術者の式神にやられた肩の傷からの出血はもうないが、漆黒の着物でもわかるほど肩のあたりはどす黒く染まってしまっていた。

 備中での戦いで相当、心身ともに消耗しているはずだが棗芽はそんな様子を見せることはない。

 揺れる髪に見え隠れする背中の太刀は異様な光を放っているような気さえした。

 冗談を言いながら笑っていても、弟のように可愛がる月華を危険に晒す敵への怒りが棗芽の全身を包んでいるのが鬼灯にはわかった。

 ふたりが徐々に九条邸に近づいてきた時、見慣れた顔がすぐ近くを横切っていった。

 こちらに気づいた様子はない。

 慌てて六波羅ろくはらの方向へ向かっていった。

「あの者は確か月華の——」

「棗芽、知っているのか」

「いいえ、親しくはありませんが月華の関係者は全て把握しているつもりです」

 過保護なのか、過干渉なのか。

「あれは月華の親友のひとりだな。西園寺李桜さいおんじりおうといって朝廷の官吏をしている者だ。だが、こんなところで何をしているのだろうな」

「ええ。それに六波羅に向かっているように見えましたが」

「……まあよい。意味のないことはしない男だ。そのうちわかることだろう」

 李桜の姿は人だかりの中に消えてすぐに見えなくなった。



 異能を消す方法を知っている——そう言った白檀びゃくだんの言葉に耳を傾けた百合ゆりは、どこか記憶を探るように彼の顔を見つめた。

「あ、あなたは……確か月華様のお知り合いの白檀様……?」

「1度会っただけなのに、覚えていてくれたのですか」

「もちろんです……主人から、あなたとはもう会うなと厳しく言われたものですから。本当はどういったご関係なのかと、案じておりました」

「ははは。月華らしい」

 白檀は小さく笑った。

 月華に嫌われている自覚はある。

 彼の親友である西園寺李桜を貶めようとしたことは事実だし、彼の目の届かないところで妻である百合に接触したことは隠しようがない。

 だが唯一の肉親である榛紀しんきと友になってくれたことには感謝している。

 何とか百合の異能を消すことで彼への恩を返したいという想いに偽りはない。

「でもどうしてあなたが今、ここに? それにこの異能を消す方法があるとはどういうことですか!?」

 縋り付く百合を宥めようとするとすぐに我に返った彼女が言った。

「い、いいえそんなことよりすぐに九条邸ここを離れてください! 私を狙う者が邸を破壊して暴れているのです。ここは危険です」

「ええ、わかっています。だから来ました」

「…………?」

「あの者の狙いの中にあなたも含まれている。他にも目的があったようだが……ですが今大事なのは一刻も早くあなたの異能を消すことです。そう、月華とも約束しました」

「月華様と……?」

「ええ。だからあなたの異能は必ず私が消してみせます」

 白檀は百合が看取りをしようとしていた横たわる家臣のそばに刀が置かれているのを見つけるとそれを手に取った。

 刃先の短い小刀だ。

 長さも百合が扱うにはちょうどよかった。

 刃をじっくりと確認する。

 どうやら刃こぼれはないようである。

 すると白檀はその刀の柄を百合に向かって差し出した。

 そのまま彼女の手に握らせる。

 当然ながら百合は意味がわからないといったていで唖然としていた。

「あなたの異能は樹光じゅこうという僧侶から受け継いだものですね?」

「……そうです」

「その樹光和尚にこの異能を受け継いだのは私の母でした。母はこの異能について詳細を書き記した物を残してくれた。私はそのおかげでこの異能についての全てを知っているのです」

 白檀は雨の降る中、これまで大事にしてきた『常闇日記とこやみのにっき』を懐から取り出した。

 すでに濡れた着物の中で書物も水を含んでいる。

 中を開かなくてももう文字は読めないほど滲んでいるのは明らかだ。

 だが白檀は気にならなかった。

 もうこれを開くことはないであろうことを彼自身がわかっていたからである。

「これは……?」

「これは私の母が残した日記です。こんなに濡れてしまってはもう文字は読めないだろうが、中にはその異能を消す術についても書かれてありました」

「本当に? 本当にこの異能を消すことができるのですか!?」

「……ですが異能を消したからといってあなたの寿命が戻るかどうかはわかりません。それについては書かれていなかった」

 異能を消す『解の術』はときを遡る術だとは書かれていなかった。

 異能を得る前の状態へ戻す術なら、失った寿命を取り戻すことができる可能性があるが、それは期待はできない。

 それが白檀には心苦しかったが当の百合は微笑みながら首を振った。

 穏やかな笑みだった。

「よいのです。私は生きながらえるためにこの異能を捨てたいわけではありません。ただ、大切な人たちを守りたいだけ。私にはもうこの異能は必要ないのです、白檀様」

 百合は白檀が手渡した刀を不思議そうに見ながら言った。

「それで白檀様、私はどうすればいいのでしょうか」

 白檀は雨に触れて柔らかくなってしまった禁書を握りしめた。

 母とともに隠れるように暮らした宮中でのこと。

 父の手で宮中を追われることになって道中、山吹やまぶき紅葉くれはと出会ったこと。

 備中国で過ごした日々。

 まるで牢獄で飼われているようなものだったが、悪いことばかりではなかった。

 友であった皐英こうえいと一緒に過ごした刻は決して長くはなかったが、1番の理解者だった。

 備中から連れ出してくれた北条棗芽。

 食えない男だったが嫌いではなかった。

 そして再会した最愛の弟。

 唯一の肉親となってしまった榛紀しんきと最後に和解することができてよかった。

 もう心残りはない。

「百合殿。『常闇とこやみの術』は人の魂を救う術です。死んだ者の魂を業から解き放ち、時には常世とこよへ向かった魂を現世うつしよに戻すことすらできる。だが、これは異能の意に反して人の命を奪った時に消えると言います。異能を消すためにはあなたはそれをする必要がある」

「それはどういう意味でしょうか。人の命を奪った時に消えるとはどういう……」

 白檀は困惑する百合をよそに刀を握らせた彼女の手を上から強く握り、その刃先のを自分の首筋に当てさせた。

 冷たい刃先の感触が首の皮膚に触れる。

「な、何をさなるのですかっ」

「百合殿はここで私の首を斬るのです。異能を消す『解の術』を発動するためには『常闇の術』の理を受け入れなければならない。人を救う術に反することをすれば異能は消える。あなたの中から異能を消すためにはこうするしかないのです」

「そ、そんなことできませんっ!」

「いいえ、あなたはやらなければならない。そもそも私の母がこの異能を後世に引き継がなければこんなことにはならなかった。瀕死の父を救った時にこの異能は消滅するべきだったのです。だからその代償を私に払わせてください」

 抵抗して刀を持つ腕を遠ざけようと反発するのを白檀は力尽くで自分の首筋へ引き寄せた——。

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