最後なのに主人公たちが出ない話
「ねえ、日高くん、これどう思う?」
そういうのは黒髪の女の子、山田紅花だ。小学校のとき、同じクラスに転校してきて、それから中学校も同じところへ通うことになってずるずると一緒にいることが多い。
家がご近所で家族同士(一部除く)が仲良いのも原因だろう。
山田がさしだしてきたのは、分厚い資料だった。日高こと日高颯太郎は目を細めながらそれを覗き込む。
「……パス」
「パスじゃないわ! ちゃんと読みなさい!」
クラスの男子曰く、喋らなければかなりの美少女であるはずの紅花だが、颯太郎にとって見慣れたご近所さんである。しかも、なにかと偉そうだ。
「一般的中学生の読むレベルの文章内容じゃないので、自分には解読できないのである」
ちゃんとパスする理由を言ったところで、紅花はゆるしてくれないので、仕方なく椅子に座って読む。
場所は教室の窓際で、外では寒いのにサッカーをする元気な青少年がたくさんいる。
颯太郎としては、おうちの炬燵でごろごろして、かつおぶしがたくさんかかったお好み焼きでも食べたいところだ。
じっと目を細めて難しい用語の羅列を確認する。
よくわからないけど、理科の授業に出てくるような言葉と面倒くさい、なんだかいわゆるテツガクテキな言葉がたくさん書いてある。
つまりわからない。
「どう?」
「うん、わかんない」
思考を放棄しようとした颯太郎の前に、紅花はスマートフォンの画面を持ってくる。画面には、新装開店のお寿司屋さんがうつってた。
「放課後食べたい?」
「食べたい」
柔らかいお魚の弾力を想像するだけで颯太郎の心はお空に昇るようだ。贅沢を言えば、酢飯をどけてわさびもつけず、お魚だけで食べたいけどそんな真似をすると、紅花に地面がめり込むまで殴られるのでやめておく。
学校一の美少女なんて言われているけど、彼女に近づく男子は入学から一か月で全滅した。ハンドボール投げで学校の敷地の外の三軒先の石橋さんのおうちの窓を割ったのは、学校の新記録として残っているし、毎日、お弁当箱の代わりにお櫃を持ってきていることは皆が知るところだ。
実は今も、サッカーボール原寸大のおにぎりを食べていたりする。すごく上品に食べているけど、その速度はひたすら早いので恐ろしい。あと鞄の中に、二つは入っているだろう。今は、朝のホームルームの前なので、あと二回間食の時間が入る。
もう一度、颯太郎は書類とにらめっこするけれどやはりわからないものはわからない。首を横に振ると、仕方ないと紅花は颯太郎から書類をとった。
「これには、最新の研究結果がかかれているの。私たちの血族のね」
紅花の血族、すなわち不死王の血筋のことだろうか。ご近所でのほほんと暮らしている一家だが、その血統はなかなか希少らしい。その血液一滴で云百万の価値があるという。
本来、そのせいでいろいろと狙われることが多い一家だが、あまりにのほほんとしているので、ついつい颯太郎も忘れてしまう。ちなみに、何度か巻き込まれて死にかけたこともある。
普通なら死んでもおかしくないところだけど、なんだかんだで生き残っているのは、颯太郎もまた、普通の人間じゃないからだろう。
「ほーら、しっぽでてるわよ」
「やん、えっち」
「……」
無言で殴られた。机にめりこむ瞬間手で顔を覆う。ぷにっとした肉球がクッションになって、鼻血がでるまでには至らない。
尻尾と肉球と一緒に、耳はでていないか頭を押さえる。でていないところで安心して、手櫛で髪を整える。柔らかい猫っ毛は成長しても変わらない。
颯太郎の父は、人間だ。だが、母は猫型の人外で颯太郎はその血筋を色濃く継いでいる。しかし、猫型の獣人にとって耳を出すことははしたないこととされ、人前では出すなと言われるのだ。なので、尻尾と肉球をだしても耳だけは死守するつもりだ。
「それで、それがどうしたの?」
さっさと話を終らせたい一心で颯太郎は言うと、紅花は颯太郎の肉球をぷにぷにと押しながら言った。
正直セクハラだが、紅花はそんなつもりはないらしい。近所のイヌネコと同じ扱いだ。
「私たちの身体って自分たちでも不思議なことがたくさんあるんだけど、そこんところで一番わからないのがここなのよ」
といって、紅花は自分の頭をさす。
「私たちは、記憶が許容量をオーバーもしくは、必要ないものが増えすぎた場合、疑似人格を作って負担を削減させるらしいの」
「……それって二重人格ってやつ?」
「うん、近いのかな。そうともいえるし、そうともいえない。もっと、根本的に違った何かと言えるのかもしれないけど」
実に抽象的過ぎて、颯太郎は頭が痛くなってきた。鞄からおやつのにぼしを取り出すとぽりぽりかじる。
「いつか紅花もそうなるの?」
「……わかんない。なったとしてもずぅっと先だけど」
ぼんやりと少し遠い目をする紅花。大きなおにぎりはいつのまにか無くなっていた。
颯太郎がひょいとにぼしを差し出すと、条件反射のように紅花が食いついた。
「ずっと先なら、今、考えることないんじゃない」
颯太郎がにんまり笑うと、紅花は口をもごもごさせて少し不貞腐れた顔をする。
「ずっと先だけどさ」
ごくんとにぼしを飲みこむと、伏せ目がちに紅花が続ける。
「もし、私が私じゃない私になって、もう二度と私として表にでてこられなくなったら、私はどうなるんだろうって思うの」
紅花が持つ書類に力が加わり、みょうな皺ができる。どうやら、その点についても研究結果とやらに書かれているようだ。
そして、紅花の様子からして彼女が満足のいく結果が書かれてなかったのだろう。
正直面倒だけど、山田さんちのおばちゃんにいつもお菓子もらってるし、ちゃんと面倒見とかないとなと颯太郎は思った。もう一本にぼしを紅花の口に追加する。
「ほら、今はここにいるからそれでいいよ。紅花は紅花だって、自分がわかっているからさ」
そういって、教卓をさす。予鈴が鳴り、先生が入ってきた。
「そうだ、紅花。知ってた? 今日、転校生来るんだよ。ほら、入ってきた」
「転校生?」
いぶかしんだ顔で紅花が前を向く。
角がやたら長いけどちっこい山羊の先生の後ろに、妙に大人びた女の子が入ってきた。すごく優しそうな目をしていたけど、妙な感じがした。
「転校生の紹介をするぞ」
先生の声が教室に響くとともに、女の子がにっこりと笑う。
「転校してきた佐伯瑪瑙です。よろしくお願いします」
女の子がゆっくりお辞儀をすると、男子の中で色めきだった声が聞こえた。颯太郎にはよくわからないけど、たぶん、すごく可愛い子なのだろう。
佐伯は少し首を傾げながら、教室内をきょろきょろ見回した。
「すみませんが、鬼のように気性が荒いというかたはこのクラス、もしくは学校にいらっしゃいませんか? 探しているのですけど」
クラス全員が首を傾げる中、佐伯はひたすらにこにことしていた。
よくわからないけど、颯太郎は変な子だな、と先生に見えないようににぼしをぱくついた。
由紀子たちは出ませんでしたが、とりあえず、あの迷惑な人がどうなったかということで。




